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和田浦海岸さんのレビュー一覧

投稿者:和田浦海岸

304 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本総員玉砕せよ!

2007/08/13 00:52

ドラマ「鬼太郎が見た玉砕」に触発されて。

14人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2007年8月12日午後9時からのNHKスペシャルは「ドラマ・鬼太郎が見た玉砕」でした。
ついさっきまで、見ていました。水木しげるの自伝的戦記漫画「総員玉砕せよ!」を下敷きにしたドラマ。西岡琢也作。柳川強監督。家喜正男・NHK名古屋放送局チーフプロデューサー。主人公の水木しげる役は香川照之。その香川さんはこう語っております「水木さんがこのドラマを見る。そのことが僕にとって何より重要・・誰より水木さんに喜んでもらいたい。今回、僕は水木さんのためだけに演じているつもりです」(7月25日読売新聞夕刊・テレビ情報box)。
水木しげる著「総員玉砕せよ!」は講談社文庫で出ております。
私は、その文庫を読んだ時よりも、このドラマの方が内容をよく理解できました。
8月12日読売新聞テレビ欄に載っていた「試写室」という写真入りの内容紹介は(汗)さんです。「原作部分を劇中劇とし、上官のビンタと飢えの記憶をペンにぶつける漫画家の姿を重ねることで、物語に奥行きが出た」と内容紹介の中で書いておりました。

話はかわりますが、雑誌で時々気になる特集があると、その時は読まない癖して、いつか改めて読むだろうぐらいの考えで本棚に入れておくことがあります。平成12年に文藝春秋で2月臨時増刊号として「私たちが生きた20世紀」と題した特集がありました。永久保存版「全篇書下ろし362人の物語」とあります。

さて、その中に水木しげるの「ビンタ 私の戦争体験」という雑誌で2ページほどの文章があったのです。そこに「ビンタと飢え」の箇所がありました。「・・従って毎日ビンタ。だから僕は戦争というとすぐ、ビンタを思い出してしまう。戦争で敵サンの弾にあたって死ぬまでに、初年兵はとんでくる敵弾の数の十倍位なぐられる。初年兵というのは動物のペット以下という感じだった。」
「とにかく『下れ』というので退却となるわけだが、なにしろ味方の倍位の人数がくると、その数をみるだけでなんなく腰が浮く。(輸送船の数で分る)なにしろ味方は、三分の一は栄養失調気味の上に、水一口に乾パン一袋という感じの食事では、なかなかがんばれない。・・銃も重いしその弾も重い。軽機関銃なんか更に重い、そんな重いものもって動くのは、めしを食わないことには重くて動けない。まア、若いから、その時は、がんばれるが間もなく、三分の一は病人になった。・・戦闘があって後方に下り、気付いてみた時は、兵隊は十分の一になっていた。」

そして最後の言葉も写しておきます。

「僕は今でもよく戦死した戦友の夢をみる。最近は毎日のようにみる。また一生の間で一番神経を使ったし、一番エネルギーを出したせいか、毎日のようにみるから不思議だ。それでまた細かいことまでよく覚えており、毎日それこそ映画でもみるような気持だが、どうしたわけか、いつも最後は【戦死】したものの顔がうかび・・・。いやそれが長く、毎日のようにつづくので、彼等は会いにくるのだろうと勝手に考えているが、戦争で若くして死んだ人たちは【残念】だったのだと思う。戦争の話をすると近頃は【老人】といわれるが、一生の間で一番すごかったのは、やはり戦争だったから、しぜんに毎日夢を見るのかもしれないと思ったりしている。」


NHKのそのドラマのなかでも、主人公に会いにくる戦死者たちが、戦場と現代を往還している時空の接点で、ていねいに、しかも端正に描かれておりました。

このドラマ再放送はないのかなあ。
せめて、文庫の「総員玉砕せよ!」。

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紙の本

辞書の書評。

15人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

丸谷才一氏が対談の中で、こう語っていたことがありました。
「ぼくは、辞書は書評の対象として非常に大事だと思うんですよ。普通の読者が買う、いちばん高い本は辞書です。しかも地方の書店には実物が揃っていないことが多い。すると書評が購入の基準になる。・・・ところがそれを一般の書評は取り上げない。理由のひとつは面倒だからですね。それから辞書は書評欄では取り上げない、という不文律のせいもあります。」(「今週の本棚」の11年・和田誠氏との対談)

さてっと。3月3日の読売新聞二面の下に、広辞苑の広告が載っておりました。「広辞苑を贈ってくれた人のことは、忘れない。」という文字がありまして、それより小文字で「お祝い・贈りものに、広辞苑 第六版。新たに1万語を収録し、10年ぶりの大改訂。」とあります。10年ぶりといえば、うるおぼえですが10年前の広辞苑広告では、作家の推薦文が載っていたような気がします。大江健三郎・井上ひさし等々の名前が踊っていたような気がしますが、どうでしたでしょう。そういえば、今回は推薦人の名前がないなあ。と、ふと思ったりします。

最初に引用した丸谷才一氏の言葉は、毎日新聞の読書欄「今週の本棚」の紹介パンフレットに掲載されていた対談の言葉です。的確なことを指摘しておられるのですが、ところで、昨年の暮から大々的に広告していた「広辞苑」について、どうやらしっかりとした書評は、どの新聞書評もしておられないようです。

もしも、広辞苑を買うかどうか、お迷いの方がいましたら、おすすめの書評が出ております。「正論」2008年4月号に、渡部昇一氏が9ページの書評を展開しております。机上版が13650円で普及版が8400円のお買い物です。もしも買おうかどうか、お迷いでしたら、680円の雑誌「正論」の出費など安い安い。

9ページの書評から、半ページだけ引用するのは、もったいない気もするのですが、チラッと紹介するのも、後学のためになるでしょう。ということで、すこしぐらいは引用させてください。

「私は、広辞苑が六版まで版を重ねていることにむしろ喜びを感じている。(イギリスを代表する辞書である)ブリタニカは初版から約二百年間、私はそのすべてを持っている。各版が何を書いたか。それを見れば、その時代の思想や事情がよくわかる。・・・・それを考えると、五版(1998年)から十年間で、日本人にとって最も記憶に刻むべき事件であった、日本人拉致事件(2002年9月の小泉純一郎首相の訪朝で、金正日総書記がこれを認めて謝罪)が盛り込まれていないのは、何ということか。まさに許しがたい。広辞苑には中国の地図まで載っているが、台湾は『台湾省』にされている。総選挙によって成り立っている台湾を省というのはけしからん話である。・・・もっと許し難いのは【台湾】の項の記述である。単なる島扱いしかしていないことは、最近の学研の地球儀などでも問題になったが、広辞苑は記述の方も間違い・・・」

ところで、辞書といえば、もうひとつ紹介したい書評がありました。はじめて買った雑誌なのですが、「一個人」2008年3月号。特集が「大人の読書案内・人生、最高に面白い本」。そこに谷沢永一氏の「日本の常識をくつがえす名著7冊」というのが載っておりました。その7冊のなかに谷沢氏は「新潮日本語漢字辞典」を入れております。その辞典について谷沢氏の文は短いですから、丁寧に引用してみましょう。

「・・漢和辞典の歴史を変えたといっても良いくらい、画期的な辞典です。・・日本人の使用法に基づいて編まれた、初めての漢和辞典です。日本での漢字の使われ方や用法が、日本語の用例を用いて解説され、『秋刀魚』『炬燵』など、日本でしか使われない言葉もふんだんに載っています。外国で生れた言葉を輸入・翻訳し、自国の言葉として使う際には、多かれ少なかれ混乱をきたすものです。たとえば『日本国憲法』の原文は英語で書かれていますが、『religion』をそのまま『宗教』と訳したことが、軋轢のもとになっています。英語のレリジョンは、『ひとつの宗派を固く守ること』を意味しますが、この辞典に載っている日本語の『宗教』の解説は、『神仏または神聖とされるものに関する信仰』となっています。『レリジョン』の意味に基づくなら、たしかに政治家の靖国参拝は違憲となるのでしょう。しかし、日本語の『宗教』の意味ならばなんら問題はないわけです。同じものを表しているはずの言葉でも、正確に訳すと意味がまるで違う、ということはままあることです。その昔、外国語であった文字が日本語になっていく過程にも、さまざまな意味の変化がありました。日本人が漢字を吸収し自分のものとしていった歴史を、しみじみと考えさせられる一冊です。」


この新潮日本語漢字辞典、一万円で小銭のお釣りがくる価格です。私には買えないなあと、思っていたのですが。いちおうですね、ネットで確認してみたのでした。すると現在は品切れ。そして古本の価格が出ておりまして、何と15500円となっております。ちなみに、2008年1月11日発売の広辞苑机上版は、12600円がもうネット価格で9808円。なんだか、テレビの「開運!何でも鑑定団」を、私は思い浮かべておりました。

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紙の本

紙の本沖縄ノート

2006/08/29 05:30

渡嘉敷島集団自決の60年過ぎて明かされる真実。

18人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

それは、産経新聞2006年8月27日の記事でした。
照屋昇雄(82)さんが「今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った」と答えています。
その産経新聞一面には
「照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして『準軍属』扱いとする案が浮上。村長らが・・赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、『命令を出したことにしてほしい』と依頼、同意を得たという。」
「照屋さんは、本来なら渡嘉敷島で命を落とす運命だった赤松元大尉が、戦後苦しい生活を送る島民の状況に同情し、自ら十字架を背負うことを受け入れたとみている。こうして照屋さんらが赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成した結果、厚生省は32年5月、集団自決した島民を『戦闘参加者』として認定。遺族や負傷者の援護法適用が決まった。」
照屋さんへのインタビューの最後の質問は
「あらためて、なぜ、今証言するのか」とありました。
答えて
「赤松隊長が余命3ヵ月となったとき、玉井村長に『私は3ヵ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」とあります。
援護法を受ける資格調査についても具体的です。
渡嘉敷島での聞き取り調査を一週間で100人以上から聞いたそうで、
「その中に、集団自決が軍の命令だと証言した住民はいるのか」という質問には「一人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」と答えております。
そして
「民間人から召集して作られた防衛隊の隊員には手榴弾が渡されており、隊員が家族のところに逃げ、そこで爆発させた。隊長が(自決用の手榴弾を住民に)渡したというのもうそ。座間味島で先に集団自決があったが、それを聞いた島民は混乱していた。沖縄には、一門で同じ墓に入ろう、どうせ死ぬのなら、家族みんなで死のうという考えがあった。さらに、軍国主義のうちてしやまん、一人殺して死のう、という雰囲気があるなか、隣りの島で住民全員が自決したといううわさが流れ、どうしようかというとき、自決しようという声が上がり、みんなが自決していった」
「何とか援護金を取らせようと調査し、(厚生省の)援護課に社会局長もわれわれも『この島は貧困にあえいでいるから出してくれないか』と頼んだ。南方連絡事務所の人は泣きながらお願いしていた。でも厚生省が『だめだ。日本にはたくさん(自決した人が)いる』と突っぱねた。『軍隊の隊長の命令なら救うことはできるのか』と聞くと、厚生省も『いいですよ』と認めてくれた・・・」
中学教科書に
「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」(日本書籍)とある。このままで教えでいくのでしょうか?
そして、
今回紹介する新書にある、
赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」という記述は、大江健三郎氏によって訂正されるのでしょうか?

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紙の本

白い雲の下に。遠い空の奥に。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

雑誌「WiLL」が愉しいと感じます。
たとえば連載コラムの日下公人(くさかきみんど)さん
自由に、ノビノビと書かれていらっしゃる。
その9月号の日下さんは、こんな書き出しでした。
「日本中、どこを見回しても【小粒】だらけになった。・・・
私の知人の日本人女性で英語の同時通訳の草分けがいる。
もちろん戦後のことだから、米国務省のいわばご指定通訳として活躍した。日本からやってくる政治家、官僚、財界人などありとあらゆる日本のトップ・リーダーたちと米国要人たちの会談の同時通訳をした。その人に、『日本のリーダーたちの通訳をしていてどう?』と訊ねたことがある。そのとき彼女は、『ただ賢いだけ』と答えた。それ以来、『ただ賢いだけ』は、私の関心テーマの一つになった。つまり、『賢さ以上の偉さとな何か』である。・・」
そういえば、と私の連想がひろがります。
高橋新吉の詩「白い雲の下に」が思い出されたのです。
この詩は1980年9月1日夕刊に掲載されました。その詩に添えられていた絵は、というと有元利夫さんでした。
白い雲の下に
雀が飛んでいる
オレは百億年を
ひとりで飛んでいる
深い雪の中に
鳩が死んでいる
オレは一日に
二千回は死んでいる
遠い空の奥に
烏が遊んでいる

オレは一瞬に
どの星にも遊んでいる
最近、岩波文庫の「杜牧詩選」を読みました。
そこに「独酌」という詩があります。
長空 碧杳杳たり
万古 一飛鳥
・・・
(この訳は)
ひとり酒を飲む
はるかな大空は、碧々(あおあお)と澄んで奥深く、
一万年もの長い時間も、天空を飛び去る一羽の鳥のように、
たちまち過ぎてゆく。・・・・
雑誌に書店のおすすめ本の特集をしておりました。
その中で、山川友美さんが沼田元気著「雲の上の散歩」を紹介しておりました。短い紹介文がありました。
「最近、エアラインものが人気を集めていますが、こちらもそのうちの一冊です。・・・・」
その紹介文を見ていたら、思いついて書きました。
残念なんですが、この本を、私は見ておりません。
本屋でこの本を見る頃には、こういう思いつきの連想も
忘れていると思うので、書きつけておくというわけです。

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紙の本

残念ながら、言わねばならぬ。

3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

司馬遼太郎さんが亡くなり、数ヶ月たった「週刊朝日」で、司馬遼太郎の未公開講演録の連載が始まります。それが、すぐ終るかと思いきや、2年半も続き。133回を数えました。その間に週刊朝日では「未公開講演録愛蔵版・司馬遼太郎が語る日本」が、増刊号としてつぎつぎと6冊刊行され。各巻の巻頭に20数ページ、司馬さん関連の写真入りで、それはそれは魅力があり楽しいものでした。
さて連載が終り。愛蔵版の増刊号も売り切れた頃。朝日新聞社から、新たに数冊の単行本となって出版されました。不思議に、題名が変更。ちょうど本が出た前後の頃。狂牛病の関連で、食品の不当表示が発覚して問題になったのでした。週刊朝日での題名「未公開講演録」が「全講演」とかわっておりました。この題名変更は間違いです。あきらかな不当表示。だれも、指摘される人がいなかったのでしょうか。このたびの文庫化に際しても同じ題名が踏襲されるようです。残念だなあ(単行本の際は、勇み足と笑ってられたのでしょうが)。

これから、この講演録が文庫になって、若い多くの人たちに読まれる。
そこにつけた題名の可笑しさを、今、指摘しておかないと、これからこの講演に、魅了されるだろう若い方々に、間違った題名刷り込みが幅を利かせることになる。新聞社も商売ですから、売るための不当表示は、商売につきもの。けれども、狂牛病での食品会社の不当表示を指摘する新聞社が、題名を偽っては、同じ穴のムジナ。


このくらいにして、余談を語ります。
講談社「近代日本の百冊を選ぶ」という5人の選者による話し合いと、百冊のリストが掲載された本が1994年に出ていました。その中の話を引用します。

山崎正和 : 福沢諭吉や馬場辰猪などが、日本に口語による演説というものを持ち込もうと思って努力した。しかし、司馬遼太郎さんによれば、日本語というのは本願寺の坊さんがお説教するのに向いた言葉であって、ついに演説をする言葉になりえなかったんですね。…
大岡信 : 口語というのは、文章語よりは時代を超えた普遍性があるのかもしれません。というのは、たとえば僕らは江戸時代の人とでもたぶん話せるだろうと思うんです。…そういう意味で言うと、明治に入って、和語と漢語を両方一緒にしていくという過程で非常に重要だったのは、話し言葉だと思うんです。…諭吉の『福翁自伝』や勝海舟の『氷川清話』はまさにそうだし、正岡子規の『病牀六尺』も最後のころはほとんど口述でした。…
森毅 : 話し言葉は時代を超えられるんですね。

もうひとつ引用させて下さい。
今年(2003年)の第二回小林秀雄賞は、岩井克人・吉本隆明のお二人でした。その選考委員・養老孟司の選評を紹介したかったのです。

「私にとって興味深かったのは、受賞作が二作ともに、著者の話を書き起こしたものになったことである。むろん意図的にそういう作品を選んだわけではなく、結果的にそうなったのだが、じつはだからこそ、それがきわめて印象的だった。お二人ともに、自身の筆で書かれた著作が多数ある。自分のことをいう場ではないが、私自身の著書『バカの壁』が同じ『語り起こし』であり、それがよく売れている。その背景には、『新しい口語文』への読者の要求があるのではないかと疑う。…当然ながら、文章という形式が書き手のものだけでなく、読者のものであることを痛感する。」


引用はこれで終り。
これからの時代、多くの若い人がこの講演録を読んでゆくことでしょう。
その道筋はもう、指し示されているように感じられます。


あっ。そういえば、小林秀雄賞は新潮社でした。
私に忘れられない司馬遼太郎の講演は、1996年雑誌「新潮45」5月号に掲載された「日本文化について」。残念ながら朝日新聞社の「司馬遼太郎全講演」にはありません。

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紙の本

紙の本靖国問題

2005/07/27 01:55

「靖国問題」なら文藝春秋8月号の古森義久を読まなけれりゃいけません。

35人中、27人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

文藝春秋2005年8月号に古森義久さんの文があります。
靖国問題のための必読です。
私は、この文を推薦いたします。
題は「胡錦濤『靖国非難』は世界の非常識」とあり、
この題名からは、ひょっとすると他の特集を優先して
読まずに見過ごしてしまいそうな素っ気ない題名になっております。
けれども、内容はピカイチ。すっと飲み込める内容。
こういう着眼点を持ち得ないのが、日本の議論の悲しいところだという盲点をついて、分かりやすく、ていねいに論を展開されております。
たとえば、高橋哲哉著「靖国問題」(ちくま新書)を読むんだったら、古森義久さんのこの文を読んでいただきたいと私は切に思うのです。
余談になりますが、
同じ雑誌の目次(赤枠つき)の題に
「本屋の娘と息子『至福の読書』」という
林真理子・丹羽宇一郎の対談がありました。
そこで、伊藤忠商事会長・丹羽宇一郎氏の言葉に、こんな箇所がありました。
「・・心の癒しの読書もあるし、楽しみのための読書も大切です。
ただ、僕には考える行為自体が楽しいし、そこに精神の自由を感じるんです。・・・手にとって読みづらいなと思ったら、すぐに止めてしまいます。読みにくいということは、文章が悪いか、論理的ではないということ。間違っても、自分が悪いとは思わない(笑)」
この丹羽さんの言葉は、読みながらいっしょに笑ってしまいました。なぜかといえば、ちょうど「靖国問題」を語るのに、高橋哲哉の同題の新書を読もうとしたのですが、どうしても読み通せなかった、という私の事情があったからです。
さて文芸春秋8月号には
櫻井よしこ・田久保忠衛 VS 劉江永・歩平
の論争「靖国参拝の何が悪いというのだ」
が掲載されております。
そこでは田久保氏が
「まず私から・・これは日本人の『心』の問題であり、他国の人たちが 口出しすべき問題ではないということを申し上げたい。」
と議論の始まりに、語っておりました。
中国側は清華大学教授と中国社会科学院近代史研究所研究員の
二人でして、よく他国の靖国問題を勉強しております。
こういうところは、中国の押しが強いですね。
議論のための、細部の学習と、はったりが断定口調です。
旗色が悪くなると、
たとえば、櫻井氏の戦争犠牲者の数についての指摘に対して歩氏は「戦争の犠牲者の数字についてですが、歴史の事実というのは孤立して存在するのではなく、それは感情というものに直接関係しているということを申し上げたいと思います」と答えて、少し後に櫻井氏が「その対比はあきれてものが言えません」と答えると、歩氏は話題をすかさず変えていきます。
こうした議論の中国側の雄弁(詭弁)さを読んでいると、日本側の地道な反証をあざ笑うかのように、そそくさと議論の主導権を取ろうとしております。
さてこの議論を読んだ後に、古森義久さんの文を読むと感じるのですが、中国側の身のかわしかたの総体を、世界の視野から俯瞰して、しっかりと位置づけることに見事に成功しております。
それが、すばらしい。
と私は推薦いたします。
来月の8月9日まで、文藝春秋8月号はどの本屋さんの店頭にも
並んでいるはずです。
その154ページ。
古森義久「胡錦濤『靖国非難』は世界の非常識」の
最初の1ページだけでも立読みをする価値があります。
ぜひ、ご覧になる事を、薦める次第であります。
丹羽宇一郎の語る「考える楽しさ」「精神の自由を感じる」を
私は古森義久氏の文に感じるのです。
こうした世界的視野を持ちえる人の見識を自らに取り込もうではありませんか。

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紙の本

「靖国問題」は、こう語らなくっちゃいけません。そんな、すがすがしい一冊。

23人中、23人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

木下順二著「夕鶴」(昔話「鶴の恩返し」をみごとなシナリオにした作品)の中で、「つう」が「与ひょう」にこう語ります。
「分らない。あんたのいうことがなんにも分らない。さっきの人たちとおんなじだわ。口の動くのが見えるだけ。声が聞こえるだけ。だけど何をいってるんだか・・」。
昨年、何やら話題になった
高橋哲哉著「靖国問題」を、私は読めずにおりました。
「はじめに」で自称「哲学者の端くれ」の高橋哲哉さんの言葉に戸惑い躓(つまず)いたからです。「靖国神社」を知るためには「その歴史を知らなければならない」とわざわざ断わりながら、「私は歴史家ではなく・・本書の中心テーマはそこにはない」としております。しかも「靖国神社の歴史を踏まえながら」と念を押しております。わずか4行の文が、ちっとも論理的じゃない。これが近頃流行の有識者の論理なのかとガテンするくらいでした。
それでも「靖国問題」は、現実問題として横たわっております。
ちっとも解明されない、モヤモヤがずっと尾を引いておりました。
そのモヤモヤの間から、曙光がさしこんできたような魅力が
今回紹介する新書にはあるのです。
第一部では、戦時下で新聞がどれほど国策に協力して国民を煽ったか、昭和12年〜19年の朝日新聞を例に引用しております。
第二部では、靖国神社の「遊就館(ゆうしゅうかん)」を取り上げております。ここでは朝日新聞論説主幹・若宮啓文さんの感想を、上坂冬子さんの気持ちと比較して書きすすめており印象的です。
第三部では、2005年11月のNHK日曜討論の言葉を引用しながらはじまります。この三部までが、論を展開する滑走の場面です。ちょうど靖国問題という名の飛行機が空港を離陸する場面をひとつ引用してみます。
それは平成元年の教科書検定の内容を語る箇所でした。
「検定基準の社会科、二項の第四項目に、次のように書いてある。『四 近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること』
真実の探求に必要なのは正確な事実である。教科書の必須条件として正しい事実が書かれているべきなのはいうまでもない。第四項をすなおに読むと、教科書には事実を手加減して書けという事にならないか。【配慮】の名のもとに事実を曲げるもよし、場合によっては時期がくるまで事実は伏せろという事にもなりかねない。これは戦時中の論理だ。日本は大敗していたのに、大本営発表と前置きして『我が方の損害なし』と国民の士気に【配慮】しつつ事実を手加減して発表した、あのインチキ報道と同列である。・・こうまでして、基準値を下げて日本が近隣諸国への配慮をせねばならぬ理由が私には思い当たらない。自慢にもならないが日本は負けた国である。敗戦国としての裁きを受け、先方の言い分通り罪を負い、命を提供して償いを済ませて敗戦の無一物から、自力で難関を切り抜けてこんにちにいたった国である。どこに必要以上の配慮がいるものか。」(p47)
ここから、東京裁判・A級戦犯・パール博士・サンフランシスコ平和条約等へと上坂さんの視点が展開されて全部で第13部。
読後、私は第三部までが鮮やかな印象として再度浮かびました。
もっとも、この三部まで読めばあとはスラスラと空を飛び立ったような軽々と読了感がありました。
空を飛ぶといえば「夕鶴」の「つう」は、夫の「与ひょう」と、最後には、別れて鶴になって飛び立つのでした。
つう「与ひょう・・・からだを大事にしてね・・・いつまでもいつまでも元気でいてね・・・」

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紙の本

「文学的によく書けた情景」「よくできた話」だけでは終わらせない文学。

22人中、21人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「戦争を知らない人のために靖国問題」(文春新書)で、上坂冬子さんは靖国神社の遊就館を語っています。そこに保存されている人間魚雷回天(かいてん)を見て、頭部に爆薬を詰めて人間が乗り込み操縦し、特攻機のように体当りする魚雷の「思ったより小さい」実物をみながら、上坂さんは乗り込む若者の体型などを実感として想像しているのでした。
今回紹介する本は
昭和19年に教育を受けた「海上挺身隊」が、沖縄へ派遣され、そこで起った終戦前後の情景を戦後書かれた文書を、実地に聞きながら解明したどり直した一冊です。
「暗夜に乗じて、敵がまだ全くその存在に気づいていないうちに先手をうって攻撃に出なければ、白昼堂々と戦えるしろものではない」速力20ノットのベニヤ板ばりの特攻舟艇での、船の特攻隊員たちが、渡嘉敷島へ上陸し、死ぬ気でいた隊が、生き残ったばかりか、島の人たちの集団自決を命令したという汚名を戦後着せられる一部始終を、丁寧に聞き取り調査しながら、資料を腑分けしてゆくものです。
この本は昭和48(1973)年に単行本。そして平成4(1992)年に文庫本として出ますが、いずれも絶版になっておりました。それが今年2006年に新版として改めて出たのです。
昭和25年に出た
沖縄タイムス社の『沖縄戦記・鉄の暴風』という資料に焦点を定め、そこで「悲憤・慟哭・痛嘆」している少尉が、昭和45年まで沖縄の報道関係者から一切のインタビューも受けたことがないことを突き止め。文書が目撃者でなく二人の伝聞から書かれていることを明るみにしてゆきます。『鉄の暴風』に虚構の小説を創作している箇所を「・・場面は実に文学的によく書けた情景といわねばならない。・・しかしそのようなことが許され得るのは、虚構の世界に於いてだけであろう。歴史にそのように簡単に形をつけてしまうことは、誰にも許されていない・・」
そうして、「簡単に形をつけ」ない、厚みと深さの範囲をじわじわとひろげてゆきます。
こうして解明されてゆく展開では、沖縄タイムスの投書までもとりあげます。「ただ太り返って愛人を連れて山を下りた司令官という印象は或る個人の印象を引き下げるためには誠に『よくできた話』なのである。しかし事実はそれほどよくできていることはめったにない。そして、どこにも、ジャーナリズムと人の噂は、しばしばこのような点について、『よくできた話』を作りあげることに手をかすものである」
残念ながら、この本をジャーナリズムは持続して取り上げることに手をかさなかったようで、多くの方に知られることもなく、絶版になっておりました。
小説という狭い枠におさまりきれない、文学の偉大さを味わいなおす一冊として、芯のある推理を堪能していただきたい名著です。

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紙の本

空襲と15歳。

20人中、19人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

梯久美子著「散るぞ悲しき」(新潮社)に東京空襲への書き込みがあります。ちょっと以前書いた書評から引用してみます。


   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

硫黄島は米海兵隊員たちによって「ブラック・デス・アイランド(黒い死の島)」と呼ばれ、米兵の発狂者を続出させたとあります。

そこに上陸するに際して、アメリカは昭和19年12月8日の一日だけで、戦闘機と爆撃機でのべ192機、投下された爆弾は800トン。また艦砲射撃が6800発。そしてその日から上陸までの74日間で、投下された爆弾は6800トンとあります。歩いて半日で回れる島に、上陸前にそれだけの爆撃をしてから、上陸は開始されました。上陸の20年2月19日午前8時の艦砲射撃は第2次世界大戦間で最大だった。とあります。


栗林忠道は、もしここを占拠されれば、次は東京を、この爆撃が襲うのだと確信しておりました。

それでは、昭和20年3月10日の東京大空襲。無差別戦略爆撃とされる絨毯爆撃はどのようなものだったのかというと、

「焼失面積は江東区・墨田区・台東区にまたがる約40平方キロ。まず先発隊が目標区域の輪郭に沿って焼夷弾を投下して火の壁を作り、住民が逃げられないようにした上で、内側をくまなく爆撃した」(p212)

そこに使われたM69焼夷弾というのは、どのようなものだったかというと「日本の木造家屋を焼き払うために実験を重ねて開発されたもので、屋根を貫通し着弾してから爆発、高温の油脂が飛び散って周囲を火の海にする。これを都市に投下することは一般市民を無差別に殺傷することであり、それまでは人道的見地から米軍も使用をためらってきた」という焼夷弾でした。


   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 じつは、日下公人・高山正之対談「日本はどれほどいい国か」(PHP)を読んでいたら、最後の方に、日下氏ご自身が、空襲体験を語っている箇所があり、思わず、梯久美子の本を思い浮かべたというわけです。では、日下氏の対談での言葉。


日下】・・・私も15歳のとき、『死んでもいいから、オレにも戦闘機を一機くれ』と思った記憶がある。敗戦間近、その頃は大阪の外れに住んでいましたが、一週間に一度は空襲に遭った。もう逃げるところがありませんから、いつも『今夜は焼け死ぬのかな』と思っていた。母も、妹も同じ思いだった。爆弾を投下しながら街を焼き払って悠々と飛び去るB-29を見上げながら、新聞に出てくる『神風特攻隊』が羨ましくて仕方なかった。この思いはいまの日本人に言ってもわかってもらえないかもしれないが、『戦闘機を一機もらって、敵に一矢報いて死ねる人は幸福だ』と思っていた。犬死するのを待ちながら暮らしていたからです。『一億総特攻』なんていうのは、いまの人にはまったく現実感がないだろうけれど、あの時代を生きた私にはあった。・・・(p190)

いきなり、引用すると誤解を生むかもしれませんが、この日下氏の対談を最初から読んでいると、納得できる展開としてあります。

たとえば、高山氏は、9・11のことをこう解釈しております。

高山】9・11テロでワールド・トレードセンタービルにテロリストに乗っ取られた旅客機が次々突入した光景を、アメリカの議会関係者なども『カミカゼ』と表したのでしょう。これはしかし、われわれ日本人にとっては心外な一面がある。心情的なものはともかく、彼らのテロとわが国の特攻隊員の行為は大きく異なります。日本軍の特攻は一般市民を巻き添えにしたことはない。・・・非対称の21世紀型戦争は、軍人と市民を区別しないと【解説】されても、先の大戦時の特攻と今のテロを単純に同一視するなということだけは言っておきたい。むしろ9・11の惨劇は、広島や長崎への原爆投下、B―29による東京への大空襲などに酷似している。ただ、突入した彼らの心情としては、『カミカゼ』のつもりだったかもしれない。(p144~145)


「そんなことを言ってとんでもない」などという空気が蔓延するご時世。読むのも自由。読まないのも自由でございます。ただ、私が思いますに、この対談には自由な見識が溢れており。たぶんに、言論の自由というのはこういうことなのだと思わしめる力あります。そう。とかくページ数を減らすことに、労力を費やす歴史教科書とは対照的に、この対談では歴史の魅力ある細部を持って来ては語らせる、輝きがあるのです。暗黒史観というものがあるとするならば(ですよ)、そこに松明(たいまつ)を照らして降り立つ気迫がございます。さて、無視するのも自由。非難するのも自由。どうやら、お二人とも、そんなものに囚われない闇夜を照らす自由をお持ちのようです。

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紙の本アメリカはどれほどひどい国か

2009/05/22 09:23

理屈を言えないバカ日本の、米国歴史解説。

21人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本の、キーワードは歴史解説。高山氏は、メイフラワー号へと切り込んでゆきます。この歴史解説を、まずは、聞いてみましょう。

【高山】この国の正体は・・メイフラワー号でやってきた清教徒から見れば、よく理解できます。彼らピューリタンは、よく知られるように、ワンパノアグ族の酋長マサソイトが恵んだ食糧で冬を越しました。これが感謝祭の謂われですが、一見、心温まる話には、おそろしい続きがあります。七面鳥で元気になった清教徒らは、酋長が死ぬのを待って、彼らの領土を奪い始める。抵抗した息子は殺され、その首は20年間プリマスの港に晒されました。彼の妻子と一族もまとめてカリブの奴隷商人に叩き売られた。こうして土地を手に入れた清教徒は、働き手と妻を、最寄りの奴隷市場に買いに行ったのです。奴隷市場は実は、メイフラワー号が着く一年前に店開きしていて、最初の売り物は140人の英国産の白人女囚でした。・・・(p136~)

この対談では、この説明が繰り返してでてきておりました。
p58では、こうはじまります。

【高山】興味深いのは、アメリカ人は、黒人に対しては奴隷扱いして接する一方、インディアンに対しては即、殺戮を始めたことです。

こうして、ワンパノアグ族のマサソイト酋長のエピソードを語るのでした。
これに続けて日下氏は、語ります。

【日下】アメリカ人は最初、インディアンも奴隷にしようとしていた。ところがインディアンはプライドが高くて白人のためには働かず、むしろ死ぬ。仲間に対しては義理堅く、友人が捕まれば必ず助けに行きました。だから奴隷の身分に閉じ込めることができず、殺すことになった。白人の世界侵略に対抗して、けっして奴隷にならなかったのはアメリカのインディアンと日本人だけだ、という歴史解説があります。(p59~)


奴隷というと、私に思い浮かぶのは、福沢諭吉でした。諭吉は幕末に渡欧したとき、上海や香港で、中国人が英国人に鞭打たれているのを見てショックをうけております。そういえば、司馬遼太郎著「『明治』という国家」に秀吉のエピソードがありました。ちょっと、話がそれますが、よくばって、司馬さんの語りも聞きたくなります。

「キリシタン禁制というのは、豊臣政権のときにはじまりました。なぜ秀吉は禁教方針をとったのか、よくわかりません。ただ、推測するための二つの重要な事実があります。秀吉が九州平定のためにその地にやってきてみると、こんにちの長崎の地がイエズス会の教会領のようになってしまっていることに驚くのです。・・・この時代のイエズス会は、宣教師はみなヨーロッパにいる神父とは別人のようにまじめで戦闘的で、命を惜しまずに活動しました。それだけに、あきらかにやりすぎました。それに、ポルトガル商人が、奴隷として日本人を買うんです。日本人たちを船に押しこめ、ときには鎖でつなぎ、食物も十分にあたえずに労働させ、病死すれば海中にすてるということが、たえずありました。ポルトガル商人とキリシタンとは印象としては一枚の紙の裏と表のようなもので、すくなくとも日本人たちは、宣教師が奴隷売買をしているとは見ていないものの、かれらが、自分の教徒であるポルトガル商人に対してそれを制止しないことは知っていました。かれらからみれば、未開の地――つまり異教の国――にくれば自国の商人たちが異教徒を奴隷として売買している光景に鈍感であったことはたしかでしょう。秀吉は教会側に対して、この奴隷売買についてはげしく詰問し、やがて禁教令を出しました。・・・・」


司馬さんの話へとそれました。この本へ戻ります。

【高山】基本的にアメリカというのは、奴隷の上に成り立った国です。おそらく最後まで奴隷制度を続けた国でしょう。・・・低賃金で酷使されてきた。もちろん、いまや国内では奴隷を使えない。だから中国に奴隷工場を移したわけです。そう考えるとわかりやすい。
【日下】なるほど、わかりやすい(笑)。たしかに、人種差別は強烈ですが、その元にはやはり経済的動機や軍事力の問題がある。その辺の事情を、幕末の日本人はよくわかっていた。白人は、大砲と軍艦のない奴はみんな蹂躙する。理屈を言えない奴はバカだといって支配する。金持ちにはすり寄ってきて貿易する。何もない奴は他に使い道がないから奴隷にする。だからこそ、わが日本国は団結して、働いて金を持ち、その金で軍艦を買い、西欧列強の植民地になることを逃れた。それから幕末の日本人はわかったんです。彼らは愛国心より金が大事らしい。儲けさせれば、軍艦も鉄砲も手に入る、と。(p109~110)



とんとんと、引用ばかりで、つまらなかったでしょう(笑)。
アンケートの箇所も忘れ難い。最後も、その引用です。

【高山】20世紀の最も印象深かった出来事とは何か。実はそれを、アメリカのジャーナリストがアンケートで選んだことがあります。1位に来たのが広島、長崎への原爆投下。2位がアポロの月着陸で、3位がパールハーバー(日本海軍の真珠湾攻撃)でした。アメリカにとっては、少なくともアメリカのジャーナリストにとって、まだ日本に対する恐れが上位に来ている。やはり、これを日本人はアドバンテージとするべきではないでしょうか。・・・・神に擬された白人と違う黄色人種が出てきた。第三世界から飛び出した鬼だ。キリスト教でサタン(悪魔)の別名とされる『ルシファー』みたいなものだ。アメリカは、白人の総チャンピョンとして許すわけにはいかない。だから、広島と長崎に原爆を投下して日本を降伏させた――というのが、どうしても20世紀の第1位のニュースになる。」(p88~89)

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紙の本逝きし世の面影

2009/06/12 23:57

草なぎ剛「全裸で逮捕」の面影。

23人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

草なぎ剛君の「全裸で逮捕」という件。
地デジのコマーシャルで、看板として、
テレビに出していたクサナギ君でした。


養老孟司著「死の壁」(新潮新書)に、こんな箇所がありました。

「同様に戦後消えていったものはたくさんあります。
お母さんが電車の中でお乳を子供に与える姿も見なくなって久しいように思います。肉体労働がフンドシ一丁で働かなくなったのはもっと前からのような気がします。かつては防空壕でも何でも夏の暑い時にはフンドシ一丁で穴を掘っていた。ところが今ではどんなに暑くても皆、ヘルメットと作業服を着ている。・・・
これは都市化とともに起こってきたことです。それも暗黙のうちに起こることです。世界中どこでも都市化すると法律で決めたわけでも何でもありません。それででもほぼ似たような状態になります。これは意識が同じ方向性もしくは傾向をもっているからです。
都市であるにもかかわらず、異質な存在だったのが古代ギリシャです。ギリシャ人はアテネというあれだけの都市社会を作っておきながら、裸の場所を残していたのですから。彼らにとっては裸が非常に身近だった。
誰もが知っているのがオリンピックです。これはもともと全裸で行っていた大会です。マラソンだって何だって全裸です。マンガや絵本のようにイチジクの葉なんか付けていません。スポーツに限らず、教育機関、当時のギムナジウム(青少年のための訓練所)でも皆裸でした。もともとギムナジウムという言葉は『裸』を意味していたのです。・・・」(p36~37)

日本の裸といえば、渡辺京二著「逝きし世の面影」の第八章が裸をテーマに取り上げておりました。

すこしそこからも引用。

「明治14年に小田原付近を旅したクロウが描き出すある漁村の夜景は、ほほえましい自然な印象を私たちに与える。『あちこち、自分の家の前に、熱い湯につかったあとですがすがしくさっぱりした父親が、小さい子供をあやしながら立っていて、幸せと満足を絵にしたようである。多くの男や女や子供たちが木の桶で風呂を浴びている。桶は家の後ろや前、そして村の通りにさえあり、大きな桶の中に、時には一家族が、自分たちが滑稽に見えることなどすっかり忘れて、幸せそうに入っている』。」

「ラファージが日光への旅で、ある茶店に休んだとき、『女の馬子たちは腰まで衣服を脱ぎ、男の眼もはがからずに胸や脇の下を拭いたりこすったり』した。・・・ラファージは馬子たちのはがかりのなさにはおどろいたかも知れないが、もともと画家であるから、裸体を怪しからぬものとは考えていなかった。『日本の道徳は着衣の簡単さによって一向損なわれないし、また芸術家からみるなら当然のことだが、法律にはいたって従順にできている民族に流れこんだ新しい観念が、これらの習慣(裸体をことさらに羞じぬ習慣)を変えて行くのは残念なことだ』と彼は述べている。」

ここも引用しておきましょう。


「徳川期の日本人は、肉体という人間の自然に何ら罪を見出していなかった。それはキリスト教文化との決定的な違いである。もちろん、人間の肉体ことに女性のそれは強力な性的表象でありうる。久米の仙人が川で洗濯している女のふくらはぎを見て天から墜落したという説話をもつ日本人は、もとよりそのことを知っていた。だがそれは一種の笑話であった。そこで強調されているのは罪ではなく、女というものの魅力だった。徳川期の文化は女のからだの魅力を抑圧することはせず、むしろそれを開放した。だからそれは、性的表象としてはかえって威力を失った。混浴と人前での裸体という習俗は、当時の日本人の淫猥さを示す徴しではなく、徳川期の社会がいかに開放的であり親和的であったかということの徴しとして読まれねばならない。アーノルドが『日本人は肉体をいささかも恥じていない』というように、彼らの大らかな身体意識は明治20年代まで、少なくとも庶民の間には保たれていた。・・・」

断片の引用は、もどかしいですね。
やっぱり、読んでもらうにこしたことはありません。
ちなみに、第八章は「裸体と性」となっております。

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紙の本

紙の本日本人の歴史教科書

2009/05/30 23:45

縦書きと横書きの視点。

20人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

自由社「日本人の歴史教科書」を開いてみました。
左側から、右へのページに、横書きの歴史教科書ははじまっております。
そうそう。学校の歴史教科書はそうでした。
この自由社の市販本には、もうひとつ
カバー右側から、左のページへと、縦書き文がはじまっております。
そして、両方あわせて、一冊にまとめてありました。
一冊の本に縦書きと横書きの頁がある。その境目から、
なんだか、付録の袋とじをめくるようにして、
歴史の幕を、あなたがあけるのですよ、
と語りかけてくるような。
そんな気分になれる一冊。

ところで、私は、縦書きの文を読んでみました。
「日本を読み解く15の視座」というのが縦書きです。

「15の視座」は15人の文が並んでおります。
それを、最初の1から読むのか。
それとも、15番目の最後から読むのか。
わたしは、最後から読みはじめました。
一人が、2ページの文なのです。

堤堯氏の「『戦力放棄』と戦後日本」が印象深い。
さっそく、古本屋へ
堤堯著「昭和の三傑  憲法九条は「救国のトリック」だった」を注文しました。これって、新刊本屋では手にはいらないようです。

うん。新刊本屋では、読めない歴史があるように、
50~60年たってからでしか、書き始められない現代史がある。
そんなスタンスを、あらためて学ばせていただきました。

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紙の本

紙の本打ちのめされるようなすごい本

2006/10/15 21:36

最後の井上ひさし解説がつまらなく感じるほどの書評集。

17人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本との出会いがあるのなら、この本は、その出会う交際範囲を一挙に広げてくれる魅力があります。本の最後に井上ひさし氏が4頁ほどの解説を載せているのですが(もちろんよい解説なのですが)、それがありきたりの平板な解説に思えてしまうほど、本文は躍動する内容に富んでおります。帯には「米原万里全書評1995-2005」。
その豊かさの起伏は、たとえば、佐藤優の本の書評がよい例かもしれません。佐藤優著「国家の罠」を傑作獄中記と紹介し。2005年「今年の三冊」では、まず最初に「今年わが国で誕生した作家たちの中で私的には№1のデビュー作」と押すのでした。そして
「『国家の罠』の密度の濃さと面白さに、『外務省は、途轍もなく優秀な情報分析官を失った。おかげで読書界は類い稀なる作家を得た』と某新聞で書評した私は、もちろん佐藤の次作を今か今かと待ちかまえていた。その『国家の自縛』は・・インタビューに答えるという形をとって・・借り物の見識は一切なく、語られる言葉一つ一つに佐藤独特の思考回路を通過した痕跡が濃厚にある。驚くべき博覧強記の一端が垣間見られ、随所で笑わせる余裕とサービス精神を含めて、佐藤の作家としての前途を楽しみにさせてくれると同時に、佐藤の限界というか佐藤自身の『自縛』状態をも顕在化させている」として「権力者におもねったり遠慮したのでは、言葉が力を失う。それとも佐藤は、まだ役人生活への未練があるのか」と啖呵を切ってみせたりしているのでした。
女性の著作者に対する接し方は、ほとんどその文章に恋しているような膚合いがあって、私には教わることばかり。
たとえば斎藤美奈子著「読者は踊る」の書評のなかで、
「本気で惚れた相手を口説くのはとても難しいものだ。どんな言葉をもってしても、この胸の内を伝えきれなくてイライラする。そのくせ、『ちょっといいな』ぐらいの相手だと、舌も滑らかになってやたら格好良く振る舞えたりする。実は、本も同じで、適度にいい本だと、自分でも感心するほど手際よく的確に本の内容とその長所を紹介できるのだけれど、心の底からいい本だ、みんなに読んでもらいたいと思っている本に限って、溢れる情熱が上滑りしてしまって、本の全体像も推薦理由も要領を得ないみっともない文章になってしまうことが多い」
さて。この本全体で、上滑りでみっともないと思える文章を愉しむコツは、どうやらこの言葉に隠されているような気がします。
「溢れる情熱が上滑りする」。その躍動感を読む喜びとでもいうのでしょうか。それが全篇を小気味良く活性化させている感じなのです。また、ジョーク集への言及も興味をひきました。
こういう本は、紹介されている本をどれだけ読みたくなるかがバロメータでしょうから、まずは、紹介されている数冊をすぐに買ってでも読みたくなるかが、この本の値打ちなのでしょうね。
私みたいに買いもしないで、まず書評をかいているのは野暮。
そんな思いを抱くような、ワイワイと身近かで話しかけられ、本をすすめられる。そうした錯覚を覚える、みごとな書評本になっております。

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紙の本

中国の鼓動を、まるで聴診器で聞くような一冊。

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まえがきは
「2004年春、上海の日本総領事館で、一人の館員が、このままでは国を売らない限り出国できなくなるとの遺書を残して死んだ。私は、そのときの総領事であった」とはじまります。
あとがきには
「2004年11月、帰国と同時に入院した際に医師から告げられた最終診断は末期がん。・・抗がん剤の副作用で頭が朦朧とするなか、薬で痛みを抑えながらパソコンに向かい、家族、友人、同僚の激励に後押しされながら何とか書き上げることができた。・・最後に、本書を、上海で自らの命を絶った同僚の冥福を祈るために奉げる。・・」とあります。
第九章「深刻な水不足問題」から第14章「転換期の軍事政策」までがつながりが深く、私には、読み甲斐がありました。
すこし感触を味わいたいという方には、第五章「ココムと対中技術規制」が、6ページほどですから立読みに好都合。
ココム(対共産圏輸出統制委員会)で、アメリカから日本の安全保障の杜撰さの指摘され。ヨーロッパから「日本は平和友好条約まで結んだ中国を信用しないのはおかしい」と皮肉を浴びせられ。その後に、天安門事件が起きて、ヨーロッパも対中姿勢を硬化させて経済制裁に踏み切る。という様子を簡潔に示しております。
チャーチルは
「民主主義というのはろくでもない主義ではあるが、しかし、ほかの主義よりはいいところがある」と言ったそうですが、そんなことを思い浮かべるような言葉が、本文にありました。
「文革時代のひどさを知っている世代は、なにも現在の50代、60代の人たちに限らない。現在の40代でも小学生のときの体験、記憶として強烈に残っている。トイレに入り、床に毛主席の写真が掲載された新聞が落ちていようものなら、用を足すことなど忘れて飛び出したという。万一後から来た人に『あいつは毛主席の写真を踏んでいた』などとあらぬ告げ口をされると、小学生であってもどこかへ連れ去られるといったことが日常的に起こっていたからである。彼らは共産党が何をしてきたかを自分の目で見、体験してきたわけで、意識的に共産党のスローガンに対してものすごく醒めている。だから、政府が躍起になって、戦争で日本がどれだけ悪かったかという教育を一生懸命してみても、その片方で彼らは『だけど、共産党はもっとひどかった』と平気で語る。もちろん、絶対に信用できる人間に対し、隠れてではあるが。
彼らは感覚でわかるのだ。共産党は49年以来の大躍進政策、その後の大飢饉、文化大革命で四千万人もの中国人を殺してきたといわれている。さらに、89年6月4日の天安門での虐殺。共産党の過去の失政を隠蔽したり、現在の目に余る貧富の格差や腐敗・汚職などから国民の目をそらすために反日教育があることを。」(p50)
著者の厚みのある体験・見聞を示しながら、内側からの中国を、本文の中でゆっくり咀嚼するようにたどっておられます。
最後の方には、
「この国が抱えるあらゆる問題がブラックボックス化し、その不透明感が大きな脅威となっている。それは同時に中国自身が自滅する脆弱性にもつながっている」(p315)
「中国の体質を変えることは容易なことではない。
中国の存在がこれほど大きく、世界に影響を及ぼすようになったため、中国の国内問題が、中国の内政問題にとどまらなくなってしまった。中国の問題はもはやすべてが地球的規模の問題だといって過言ではなかろう。・・対岸の火事視することはできない時代になってきた。・・」(p321)
とありました。
テレビの中国解説の喧騒に、痺れを切らしておられる諸兄に、
心して読む一冊が、偶然のようにさりげなく現われました。
かけがえのない一冊として手渡されたような読後感を持ちます。

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紙の本

紙の本親日派のための弁明

2005/08/29 22:26

教科書問題という歴史。まずはイソップから。

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

イソップ物語に「オオカミと羊」という話があります。
「オオカミが羊の群れを襲う機会をうかがっていたが、犬が見張っていて手を出すことができないので、目的を達するために策略を用いることにした。オオカミは羊に使者を遣って犬を引き渡すよう求めた。彼らの反目の原因は犬であり、犬を引き渡しさえすれば、彼らのあいだには平和が永遠に続くだろうとオオカミはいった。何が起こるのかを予見できない羊は犬を引き渡した。いまや絶対的優位に立ったオオカミは、もはや守る者のいなくなった群れをほしいままに食い荒らした。国においても同じである。気骨のある雄弁家をたやすく売り渡す国はやがて敵の支配下に陥ることになるが、彼らは自分ではそれに気づかないのである。」
これは塚崎幹夫訳「新訳イソップ寓話集」(中公文庫)から引用しました。
ちなみに岩波文庫の訳では分かりにくい。
自分では気づかず、
韓国の金完燮(キム・ワンソプ)から教えられたことがありました。
ちょうど、2006年度使用の扶桑社の「新しい歴史教科書」が市販されているこの時期に思い出したのです。
では、キムさんの3年前の本の指摘を引用します。
「韓中日のあいだには1982年にも2001年と似た教科書騒動があった。そのときには『日本を守る国民会議』が編集した教科書『新編日本史』が問題になった。当時この本の内容について韓国政府と中国政府が是正を要求すると、同年7月23日に松野頼三国土庁長官が、7月24日には小川平二文部大臣が、教科書検定は内政問題であり、韓国と中国の是正要求は内政干渉ともいえる不当だという趣旨の発言をした。その後、教科書騒動は長期化し、1986年には文部大臣藤尾正行氏が・・反駁した。藤尾氏は同年9月6日、『文藝春秋』誌とのインタビューで『(日韓合併は)形式的にも事実の上でも、両国の合意の上に成立しているわけです。(中略)韓国側にも幾らかの責任なり、考えるべき点はあると思うんです』(文藝春秋1986年10月号)と発言した。
いわれてみれば当たり前のこの発言にたいして、韓国政府は驚いて糾弾運動をはじめ、日本国内でも批判がでた。日本でこのような直言を批判するのは、敗戦国日本に蔓延している自虐史観のためだ。・・いまだに自国の歴史を正しくみることもできず自負心をもてないでいる。結局、野党は藤尾氏の辞任を要求し、これにたいして藤尾氏は自説を曲げないという意味でみずから罷免(ひめん)を希望し、9月8日、中曽根康弘首相は藤尾氏を罷免した。1980年代後半・・韓国と中国はいまだに重苦しい軍事独裁を抜けでていなかった。その後15年の歳月が流れて、日本は未曾有の長期不況に悩み、かたや中国はアジアの盟主としての地位をかためつつ、アメリカとの覇権争いにそなえるまでになった。韓国も暗い軍事独裁の時代を抜けだし、ある程度開かれた民主主義の体制をととのえている。・・過去の問題をめぐる韓中日の争いは、20年前とひとつも変らず、まったくおなじことをくりかえしている。韓国と中国は、いつまで日本にケチをつけつづけるつもりなのか。・・」
気骨のある日本の政治家を、
韓国のキムさんに指摘してもらうまで
「自分ではそれに気づかないのである」。

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