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大谷能生さんのレビュー一覧

投稿者:大谷能生

25 件中 1 件~ 15 件を表示

キース・ジャレットインナービューズ—その内なる音楽世界を語る—

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 残念なことに現在は既に絶版となって久しいみたいなんだけど、いまから10年とちょっと前くらいに立東社から「キース・ジャレット 音楽のすべてを語る」という本が出版されたことがある。大判で、手に持つとずしりと重く、トリフォーがヒッチコックにインタビューした本並にゴージャスな作りをしていたその本は、当時、ジャズ・ピアノに取り組んでいる僕の友人たちの部屋の殆どに置かれてあったように思う。

 それだけその本の内容は充実していた訳なんだけれど、ジャレットはその後、さまざまなパーツから出来ていたその豪華本のなかから自身のインタビュー部分だけを取り出して、もう一度元のテープから自身の発言を聴き取りなおし、文意に手を加え、まったく新しい構成に編集しなおして、また新しくその本のイングリッシュ・バージョンを制作するという作業を続けていたらしい。

 自らの手によってもう一度、語り切ることが出来なかったところ、伝えたいことが上手く説明できなかったところをリライトしていくという非常に神経を使うその作業は、しかし、96年後半から続いた彼の体調不良も影響してかなかなか仕上がらず、英語版自体の編集は2001年の現在でも未だにジャレットの手を離れていないという。

 この本は、いまは音楽的な復活に全力を注いで欲しい、という、立東社版の著者である山下邦彦氏のはからいによって、これまでにまとまっている原文(英語)にその和訳を併置し、英語圏のファンにも読むことが出来るようなかたちで作られた。前者の豪華本が「ジャレットのベスト・アルバム」だとすれば、「ジャレットのソロ・アルバム」ともいえるような出来になっていると山下氏は述べているが、確かに、さまざまな引用がコラージュされた立東社版に比べて、ジャレットの心の動き、主題の扱い、ひとつのモチーフを十分に展開する彼のこだわりが、ソロ・ピアノでのライブを経験するかのように辿って行くことが出来るようになっているように思う。ジャズ・ピアニストとしてめずらしくカリスマ性を持つ彼の秘密に迫るためには必読の本だろう。

(大谷能生・フリーライター 2001.10.04)

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紙の本明治・大正スクラッチノイズ

2001/02/07 13:53

昭和以前の大衆文化に興味のある人は絶対に買って損なし!

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 『〜下種な話から聖らかな話題へ、平たく云うとニコライ堂、正式には「東京復活大聖堂」がギリシア聖教会のニコライ大主教に依って建立され開堂したのが明治24年(1891)3月8日の事〜』と、トントントンと威勢のよい語り口で、ヴァイオリン艶歌から『イエッサー・ザッツ・マイ・ベビー』まで、立小便禁止令から丸ノ内美容院の開業まで、明治−大正の大衆芸能文化史を、その年ごとの流行唄にまつわるエピソードを中心にして縦横に語ったステキな読み物が出ました。

 「スクラッチノイズ」とは擦り減ったSPレコードに針を落とした際に聴こえるシャーシャーと云う雑音のことだけど、そうした雑音を愛していると公言してはばからない柳沢氏は、時代の表面に浮かんではパチパチとはじけて消えてゆく大衆芸能のノイズを、講談的な語りの芸を感じさせる「話の八艘飛び」話法で活き活きと拾い上げてゆく。

 そのアクロバティックな話の構成は、著者は意識しておられないと思うのだが、もう一つの「スクラッチ」、つまりレコードをターンテーブルの上で擦って「楽器」として演奏してしまうヒップホップの「スクラッチ」を彷彿させる。氏の筆が引っ掻く歴史の「スクラッチノイズ」は、驚くほど豊かな音色を持っている。昭和以前の大衆文化に興味のある人は絶対に買って損なし!

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沖縄は歌の島

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 石垣島から船で、だいたいビールを一本飲みおわる位のところにある竹富島には、立派な水牛が島の名所を曳いて回る乗合牛車がのんびりと走って(というか、歩いて)いて、御者さんは牛を歩かせながら、観光客のために三線で「安里屋ユンタ」を唄ってくれる。

 面白かったのは、どの御者も唄が上手いわけでは決してなくて、これは音痴だなあって思わせる唄の車とも何度かすれ違ったことだ。当たり前のことだけど、八重山のすべての人が無条件に唄が上手いわけではないみたいだ。

 けれども、自分の土地の歌を心から愛していることは確かだったように感じた。

  江戸時代には薩摩藩に搾取され、前の戦争では上陸戦の犠牲となり、現在でもアメリカ軍基地に土地の多くを占拠されている沖縄。「沖縄は歌の島」は、そうした沖縄の歴史を唄われ続けてきた歌でつなぎながら、ウチナー音楽が持っている強さとやさしさを解き明かしてゆく。

 著者が行う歌の分析は、安易な思い込みや偏見を徹底して退け、ウチナーの複雑な歴史をきちんと捉えながら「美しい沖縄、胸を張る沖縄は、1980年代という10年に熟成された」、「かつて、三線を抱えたボーカリストが、顔を見せて舞台に立つことはなかった」というような、新鮮な事実を僕たちに教えてくれる。サミットの結果なんて放っておいても構わないけど、この本は読んどいた方がいいと思うよ。
(大谷能生・フリーライター)

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紙の本ジャズ・グレイツ

2000/12/01 16:26

ジャズ・グレイツ(叢書・20世紀の芸術と文学)

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ジャズの歴史について研究した本はいままで何種類も出版されているけれども、この本は英国のジャーナリストがジャズ・ドキュメンタリーの連続放送を作る過程で行った取材をもとに作った研究書。ということで、また一冊、あたらしい視点から書かれたジャズの歴史が日本語で読めることになった。

 主にマイルス/コルトレーン以前のジャズ・ジャイアントを取り扱った本文のなかには、バランスよく図像や写真が組み込まれ、持ち重りのするアート紙に印刷されたそれらの画像はとても美しい。

 サッチモやシドニー・ベシェのヨーロッパでの受け取られ方や、クラシックの規範からみたジャズの価値についてなど、さすが英国のジャーナリストと思わせるような記述が本書の読みどころだろう。

 「レッド・ガラルンド」とか「チャーリー・ハーディン」など、日本のジャズ・ジャーナリズムで慣習的になっている表記を使っていないのは意識的になのか、それとも単に無知なのか、といった訳者に対する疑問や、後期コルトレーンに対する低評価の理由が不明瞭など、著者にたいして反論したくなる部分も多いけれども、まあ、読まなくてははじまらない。

 個人的にはデューク・エリントン楽団のメンバー移動についての詳細な記述が貴重なものだと感じた。
(大谷能生・フリーライター)

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ポスト・テクノ(ロジー)ミュージック拡散する〈音楽〉、解体する〈人間〉

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 ミュージックとは太古から現在まで、人間がいる場所につねに現われつづけて来たもっとも素朴な芸術のひとつである。と同時にそれは、技術革新の影響をもっとも顕著に反映し、刻一刻とその様式を更新してゆく現世の鏡でもあった。音楽のなかには、我々が持っているテクノロジーの先鋭的な部分がつねに映しこまれている。では、現在のテクノロジーの特徴とは何であり、それはどのような姿で音楽のなかにあらわれているのか?

 ……なんて、思わず硬く高い調子で文章を書き進めてしまいたくなるのは、この本が「音楽」と「テクノロジー」との関係を巡りながら、これからの人間や社会のありかたを極めて哲学的、原理論的なレヴェルで分析してゆくことに成功しているからだろうと思う。論文、レクチャー、ディスカッション、座談会など、さまざまなスタイルで展開される論議は「最新のテクノロジー」を巡りながらもジャーナリスティックな軽薄さからは程遠い真摯さを湛えており、特に「テクノ(ロジー)」のイメージをその言説自体の次元から捉えなおす椹木野衣氏の論文や、「デジタル」という思考方法=世界観の原理論に着手しはじめている久保田晃弘氏の序論は、ここからさらに一冊の本を作れるほどの射程距離を持っているだろう。巻末に置かれた佐々木敦氏の論文、『「サイレンス」の解析』も、最新の音楽情報の紹介とその考察を見事に交差させた貴重なもので、ここ数年常に現場で「音楽」と立ち会い続けている氏の実力が遺憾なく発揮されている。必読である。

 オヴァル、ピタ、カーステン・ニコライ、ヘッカー、そして池田亮司など、パーソナル・コンピューターによって可能となった事柄を最大限に(というよりも、ラディカル=原理的に)駆使して作品を作っているアーティストたちの動向は、この一冊を読めば大体において俯瞰することが出来るだろう。彼らの活動になんとなくでも気を引かれている方は、是非とも手にとって読んでみることをお勧めする。

(大谷能生・フリーライター)

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紙の本テクノイズ・マテリアリズム

2002/02/19 22:15

テクノイズ・マテリアリズム

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 音響・音楽批評家、佐々木敦氏がここ数年の間にこなしてきた仕事の質と量は、圧倒的なものだ。いま、たまたま手元にある氏がライナー・ノートを書いているCDの数をかぞえたり、海外のミュージシャンを招聘し、企画したコンサートのフライヤーを取り出して見たり、『GROOVE』や『FLYER』といった雑誌に数年にわたって連載していた論考をまた読んだりといったことをしてみるとしみじみと実感出来る。

 UNKNOWN=まだ知られていない事柄を出来るだけ片寄りなく紹介する、というイントロデューサーの役割を固持しながらも、UNKNOWN=まだ了解されていない事象へ深く針を下ろしてゆくクリティックとしての活動からも決して離れることが出来ない氏の誠実さは、「音」と「音楽」とに関心を持っている多くの人々におおきな影響を与えてきただろう。「テクノイズ・マテリアリズム」と題してまとめられたこの本は、90年代の後半から現在にかけて、最新のテクノロジーによって産み落とされてきたミュージックを取り上げながら、そこに含まれている可能性をきわめてラディカルに探索してゆくという、氏の活動のなかでももっともスリリングな論考を中心に作られた、待望の一冊である。

 「テクノイズ」という造語に佐々木敦氏は、『「テクノ×ノイズ」というジャンル/スタイルの掛け合わせという意味だけではなく、刻々とアップデイトされる「テクノロジー」が不可避的に洩らす「ノイズ」というニュアンスも見い出している』と述べている。つまりそれはあるジャンル=レコード棚の分割を意図したジャーゴンではなく、ミュージックがあるテクノロジーに依拠した時に抱え込むノイズ(とサイレンス)との臨界点に意識的であるための、ひとつの投げかけだということだ。テクノイズ、という言葉には、疑問と思考が発動する為に必要なある種の居心地の悪さ、ためらいの表情が湛えられている。しかし、この意図的な造語がマテリアリズム(=唯物論!)という強力な原理論と結び付けられている点にこそ氏の面目躍如たるところがあるのだが、その腕前については是非とも本書に当たって確認して欲しいところだ。氏の編集発行する音楽誌『FADER』のホームページはこちら(http://www.faderbyheadz.com/)です。

(大谷能生・フリーライター)

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紙の本二十一世紀ジャズ読本

2001/10/03 22:17

二十一世紀ジャズ読本

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 著者は1965年生まれ、ということはまだ30代の若さであって、この本の特徴は多くの「モダン・ジャズ」紹介本ではオミットされている90年代の「ジャズDJ」シーンを、著者自らが体験したムーブメントとして、堂々とジャズの歴史のなかに組み込んで語っているところだと思う。

 1970年代末のマンチェスターからはじまり、90年代の初頭にはニューヨークやトーキョーでもブームを迎えた「ジャズで踊る」音楽シーンは、アドリブ技法の変遷を中心にモダン・ジャズの歴史を語った場合には決して表面にあらわれて来ないものではあるけれども、それはやはり芸能としてのジャズの本流にしっかりとつながっている動きだったはずだ。本書は80年代から本格的にジャズを聴き始めた人だからこそ語ることの出来る切り口で、ジャズの歴史、ジャズのアルバムの買い方、ジャズ・クラブやジャズ喫茶の楽しみ方などを説明している。

 著者が得意としているという映画の分野からも沢山の「ジャズ」が紹介されているが、これは芸能としてのジャズを楽しむためにはとても良い道案内となる記事だと思う。全体的に少々薄味の感は否めないが、21世紀のジャズ・ビギナーにジャズを見ること・聴くこと・演奏することの楽しさはこの本で充分に伝わるのではないか、と思う。

(大谷能生・フリーライター 2001.10.04)

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引き裂かれた声もうひとつの20世紀音楽史

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 思想家とは、ひとつの問いによって世界を回天させることの出来る人間のことだ。音楽・政治・社会思想など幅広い領域で活躍する著者、平井玄は本書の序文においてフランツ・ファノンの言葉を参照しながら、「歌を歌うこと。その力、その理由がひび割れている。深い亀裂が走っている。だから強い力を持った音楽が生まれにくい。だが、そういう裂け目を押し隠してしまうような歌が本当に必要なのだろうか」という根源的な認識と疑問を提出することに成功している。

 20世紀とは、歌を歌う、あるいは音楽を演奏する、という行為の理由にひびが入っている時代だ、という考え。これは、音楽に対する僕たちの(多少なりとも弛緩した)関係を根っこから引き裂く、実にラディカルな認識であると思う。平井玄は、東京という都市で生まれ育った自身の極私的な体験を魅力的に織り交ぜながら、そうしたひび割れた音楽を、引き裂かれた声の在り処を、20世紀の歴史のなかに探し当ててゆく。

 エリントン、パーカー、ロマの少女、バルトーク、アイスラー、ザッパ、西田佐知子……、三十章にわたって響いてゆくその「声」は、もちろん、決して過去のものではない。本書は2001年5月14日、南青山のブルーノート東京において行われたキップ・ハンラハンの「ディープ・ルンバ」の風景から書き始められているが、それは筆者がその演奏に「キューバ革命以降の四〇年間この島に生き、あるいはマイアミに、ニューヨークに渡っていった人々」の「引き裂かれた声」を見つけることが出来たからだ。

 20世紀から21世紀に受け渡されるのは、キューバ、NY、カンザス・シティ、テレジン、オキナワ、そしてトーキョーと云った混成にして混声の都市で、これまでにたびたび発せられ、しかし聴き取られることの叶わなかったこうした「声」であるということを、平井玄は確信を持って語ってゆく。

(大谷能生・フリーライター 2001.10.04)

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阿部薫増補改訂版

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 かつて日本にフリ−・ジャズという音楽上の運動があった。その運動に直に立ち会った訳ではない僕は(僕は72年生まれだ)、その音楽の価値や意義を残された音源や証言によって測るしかしかないのだが、そうした資料は僕たちがそこから多くの創造を引き出せるほどには十分に収集・整理されているわけではないというのが現状だろう。

 阿部薫 1949-1978。日本のフリー・ジャズシーンを駆け抜け、29歳で薬物による事故死をとげたこの伝説的なミュージシャンの名前を、現在、どれくらいの音楽ファンが覚えていることだろうか。

 阿部薫は、ジャズという音楽のなかに、そして演奏するという行為のなかに、確かな切断を刻んだ存在であるはずなのに。僕たちは、彼が持っていた音楽的ポテンシャルをもう一度十分に引き出すために、21世紀の現在、この本の中にまとめられた証言を時代の雰囲気ごと正確に読み込んでいかなくてはならない。「ぼくは誰よりも速くなりたい 寒さよりも、一人よりも、地球、アン
ドロメダよりも…」。

 1990年代初頭に初版が出版されたあと、ながらく版を切らしていた本書が最新ディスコグラフィーと発掘されたインタビューを追加して、待望の再版。これから音楽に深く入っていこうとする人は、このスクラップを参照しながら、一度阿部薫の音楽の強度を通り抜ける必要があるのではと、僕は強く思っている。

(大谷能生・フリーライター)

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知ってるようで知らないジャズおもしろ雑学事典

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 ジャズという音楽も、もうそろそろ生まれてから100年がたつ。20世紀を代表する音楽といったらやっぱりジャズしかないと思うんだけれど、別にそんな具合に大上段に構えなくても、不良たちが聴いて踊る音楽の元祖としての「ジャズ」の逸話は、どれもこれも胸を躍らせてくれるものばかりだ。

 高名なブルーノート・コレクターであり、マイルスやアルフレッド・ライオンの日本での主治医(この本を読めば分かります)でもあった著者が100年の歴史から拾い集めたジャズのアネクドーツは、初代ジャズ・メッセンジャーズの分裂の真相といった割と真面目なエピソードから、ジョー・ザヴィヌルの大好物は何かといった楽しいものまで、雑学辞典の名に恥じないヴァラエティーを持っている。

 特に、何度も麻薬所持で逮されながらも、チェット・ベイカーがその度に無罪で放免されていた理由、というのには唸らされた。その理由はなんと「判事が彼の大ファンで、学生時代にトランペットを吹いていたから」ですって!

 小さめの造本なので無理だったのだろうけれど、欲を言えば、出典のあるエピソードは出来るだけ原著を記しておいてくれるとさらに世界が広がったように思う。しかし、直接ミュージシャンの口から聞いた話も満載で、特にこれからジャズを聴こうかなと思っている人や演奏しようと思っている人はもの凄く楽しめるんじゃないだろうか。ページのあいまに散りばめられたミュージシャンのイラストも(イラストレイターの名前はクレジットされてないみたいだけれど)楽しい。

(大谷能生・フリーライター)

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紙の本いつもジャズが聞こえていた

2001/05/30 01:28

いつもジャズが聞こえていた

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 いまにはじまったことではないのだけれど、ちょっとでも人が集まりそうな街路には必ず設置してある。そして始終最近のヒット曲なりムード音楽なりを響かせている質の悪いスピーカー設備、あれはホントになんとかならないか。

 部屋でTVをつけていると一日中、喫茶店に入ると有線で、うっかり家電売り場なんかに入るとそれこそエンドレスでその店のテーマ音楽を叩き込まれるといった具合に、僕たちの生活のなかには現在常に音楽が溢れている。それらの印象は以前に比べて総体的にどんどん薄く、軽いものになって来ているように感じる。『いつもジャズが聞こえていた』は、レイモンド・カーヴァーなどのカヴァー・デザインで知られる著者が、アメリカ留学、高校三年の夏期講習、美術大学に入学した初年度の失恋などなど、これまでのさまざまな出来事と、その出来事をあざやかに彩っているその時々に響いていたミュージックの姿を書きとめた本だ。

 晩年のアート・ペッパー、ディズニーランドで偶々遭遇したカウント・ベイシーのバンド、そして勿論、ジャコ・パストリアスやチック・コリアなど、70年代に青春の時期を過した人間がかならず触れたであろうミュージシャンたちを回想する著者の筆致は、静かな、淡い叙情に包まれていて、まるで水に潜るようにこの騒がしい現在から一時、僕たちの時間を切り離してくれる。本業であるイラストレーションも多数で、美しい。

(大谷能生・フリーライター)

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紙の本ピアニストを笑うな!

2001/02/07 16:36

じっと抑えた調子を持つ追悼の文章は、こちらの胸を打つ

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 日本が世界に誇ることの出来る男性ジャズ・ピアニストは? という質問を受けたならば、殆どのジャズ・ファンは、菊地雅章、佐藤允彦、山下洋輔という、キャリアも実
ろうと思う。『ピアニストを笑うな!』は、ピアノだけでなく文筆においても卓越した実力を持つ山下洋輔氏の最新エッセイ集である。
九十年代に書かれたものをまとめたこの本の中には、ベイスターズの応援記から同輩ミュージシャンの追悼文まで、長短・硬軟とりまぜたさまざまな文章が収められている。山下氏の言葉のリズムはいつも軽快で、そのリズムに乗って跳躍する旅の思い出話などは実にスリリングだ。また、それだけに、じっと抑えた調子を持つ追悼の文章は、こちらの胸を打つ。
 本書の白眉は、自身の疑問や体験などを踏まえて書かれたアントニオ・カルロス・ジョビンの伝記の解説だと思うのだが、この長文における氏のボサノヴァ考察は実に繊細で、充実したものだ。全三巻のエッセイ・コレクションも発売されているので、興味を持たれた方は是非そちらも手にとって見て欲しい。

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ブラジル音楽に興味のあるかた

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 まだまだ残暑が厳しいこの折、学生さんたちは長い夏休みも終わって、さぞかし「あー、今年の夏もなにもしなかったなあ」という倦怠感に包まれていることでしょう。

 猛暑のなか働き詰めだった私の知人は「秋口にはのんびりする……」といいながらまだ激務が続いているらしいのですが、すっかり夏が終わった人も、終わらないまま秋に突入しそうな人も、しなやかで懐の広いブラジル音楽で魂を補って、元気に行こう!

 ということで、「ブラジリアン・ミュージック・ディスク・ガイド」を紹介させていただきます。

 ブラジル音楽をこよなく愛す集団「ムジカ・ロコムンド」が選んでくれたディスクはおよそ800枚。「トロピカリア」、「エッセンシャル・ボッサ / MPB」、「インストゥルメンタル / JAZZ」というようなディスクの分類の仕方からして、ブラジル音楽初級者にはとっても勉強になって嬉しい。

 丁寧な索引も付いていて、ブラジル音楽に興味のあるかたは、取りあえず手元に置いておいて損はないディスク・ガイドでしょう。

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紙の本アーバン・ブルース

2001/02/07 15:40

人びとの社会や文化を併せてみていかないと、音楽のことはわからない

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 ひねりの効いた企画の本を多数出版しているブルース・インターアクションズから、都市のブルースを白人の聴衆に大きく開放する起爆剤にもなった名著、『アーバン・ブルース』が新訳リイシューされた。

 1966年という、おりしもアメリカのブラック・パワーが最盛期を迎えようとしている時代に出版されたこの本は、その熱い時代の風を強くはらみながらも、けっして偏った意見の主張に走らず、丁寧な現場調査と冷静な分析を積み重ねるようにして、書かれている。その風格はまさに古典的だ。「音だけでなく、それを生みそれを包み込む人びとの社会や文化を併せてみていかないと、音楽のことはわからない」と少しでも感じる人は、ぜひともこの本を手に取って、その質の高さに感動してみて欲しいと思う。

 本棚に置いておくだけでも価値がある本というものはなかなか見つからないものだが、「アーバン・ブルース」はその素晴らしい装丁、美しい翻訳、丁寧な注釈と索引、どれをとっても抜群の出来だ。ブルース・インターアクションズはこれからシリーズでブラック・カルチャーに関する本を出していくみたいだけれど、今後もこれだけいい本に作って欲しいと強く思う。

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自分の耳を信じる姿勢は絶対に見習われるべきだろう。

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 「これまでのジャズの聴き方は素面で聴くジャズの聴き方だった。真面目一本やり。もうそろそろビールを飲んでジャズを聴く、そういう楽しみを味わってもいいのではないかというのが、この本の主張である。」

好きなジャズを好きなように楽しむ、それで何が悪い? 何も悪くない、という極めてまっとうな意見を全面展開しながらジャズの楽しみ方を語る寺島氏のあたらしい新書が出ました。「知識を減らして実感を書く」氏のスタイルはこの本でも健在だが、この本の特徴は1990年代の、つまり現在の4beatジャズのアルバムがこれでもか、ってくらい沢山、また楽しげに紹介されている点だろう。

現在進行形で音楽の善し悪しを計るのはそんなに簡単なことではないのだけれど、氏はその強力な「感覚力」で、自分の好きな音をバリバリと発見し続けている。彼の「自分の好きな音」を追求する熱意は、そんじょそこらの批評的解説よりもよっぽど、他人も沸騰させてしまう熱量を持っている。

実際僕はこの本を読んでいて久しぶりに新人の4ビートを聴きたくなりました。JAZZの原点はブルース・フィーリングだ、などなどの断言は「好き」と感じた後の、後づけの言葉だからさして真面目に受け止める必要はないけれども、氏の自分の耳を信じる姿勢は絶対に見習われるべきだろう。

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