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  3. 安原顕さんのレビュー一覧

安原顕さんのレビュー一覧

投稿者:安原顕

398 件中 31 件~ 45 件を表示

「パリの4か月」などを見て、秋山庄太郎の真価を知る

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 秋山庄太郎は一九二〇年生まれだから今年八二歳。本書は二〇〇二年の回顧展の「カタログ」である。秋山は役者、文士、芸術家のポートレイトが著名だが、今回の展覧会では一九六〇年の渡仏時の作品「パリの4か月」も初めて展示され、さらにはライフワークの「花のシリーズ」から最新作「遊写三昧」まで、半世紀以上の作品から一二三点が厳選されている。
 秋山は東京・神田に生まれるが、ただちに父の姉、秋山まさの養子に。
 三三年(13歳)、パーレットを買ってもらい、最初の写真を撮る。
 18歳、早大高等学院の写真部に籍を置き、写真に熱中。
 23歳、写真集『翳』(限定一五〇部。本書にも11点載っている)を自費出版。
 四三年、早大卒業後、田辺製薬に勤めるが招集、中国大陸を転戦。この年、結婚。
 敗戦後の四七年、近代映画社写真部に入社。
 五一年、フリーランスの写真家に。
 五九年(39歳)、「週刊文春」の表紙写真を開始(69年まで)。
 六〇年二月〜六月までパリ外遊。
 七四年、「週刊現代」の表紙連載、「週刊小説」の「作家の風貌」により講談社出版文化賞を受賞。
 本書に出てくる女優は原節子、高峰秀子、山本富士子、司葉子、若尾文子など。作家は川端康成、今東光、大岡昇平、壇一雄、永井龍男、埴谷雄高、安部公房など。その他「パリの4か月」(32点。ぼくはこの写真が一番好きだ)、美麗の極み、カラーによる「花シリーズ」「遊写三昧」。最後の「遊写三昧」の扉に、秋山庄太郎へのインタヴューが載っており、「遊写三昧」とは「好きなものを遊びながら撮るという造語」と語り、この考えは45歳の頃からのものと語っている。長い間ぼくは、秋山の写真はコマーシャル過ぎると批判的だったが、「パリの4か月」などを見ると、遅ればせながら、優れた写真家であることを教えられた。

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監督・作家・スター、音楽家のウディを多面的に分析した労作!

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 一九八〇年代、「マリ・クレール」の編集者時代、淀川長治、蓮實重彦、山田宏一の三氏に頼んで鼎談「映画千夜一夜」を毎月連載、「マリ・クレール」の「売り物」の一つになったことがある。単行本(現在は中公文庫)に纏めてからも売れに売れた。企画者のぼくは十数回に及ぶ鼎談に毎回立ち合い、楽しい時を過ごしたが、映画の趣味はぼくと三氏は、まったく違っていた。例えば、最も贔屓監督は、淀川さんはチャップリン、蓮實重彦はゴダール、山田宏一はトリュフォー、ぼくはタルコフスキーだったからだ。他にも、六〇年代のベルイマンやワイダが好きなどと言おうものなら、三人に「安さんは映画の分からぬ男」と軽蔑されもした。ウッディ・アレンの三人の評価も極端に低かった。要するに彼らは「映像派」、文学や哲学といったメッセージ性の濃い作品は嫌いなのだ。ウディ・アレンの何が好きなのか。ユダヤ人でニューヨーカー独特の皮肉と、自虐的なスタンス、聴きようによってはクサい知的な会話、それに、自身、クラリネット奏者ゆえの映画音楽のセンスの良さなどである。むろん、敢えてダサい中年男を演じる役者としての味もいい。本書は、そのウディ・アレンを多面的に分析した大部な評伝で、とても興味深く読んだ。内容をコピー風に綴れば、ウディ・アレン(本名はアラン・スチュアート・コニグスバーグ。一九三五年、ブロンクス生まれ)はどこからが本物で、どこまでが映画の登場人物なのか。作家(彼の短篇集はソニー出版から出ている)、映画監督、スターの実像に迫り、個々の作品への言及も面白い。またユダヤ人問題、セックスや死に関する分析にも教えられることが多かった。彼が影響を受けた監督はベルイマンで、『インテリア』『サマー・ナイト』『地球は女で回っている』は、それぞれ『鏡の中の女』『秋のソナタ』、『夏の夜は三たび微笑む』『野いちご』からヒントを得ているとのこと。
 ぼくの見た最新作は『おいしい生活』(00年)だが、これは目を覆う愚作でがっかりした。「ベスト3」は、とりあえず『ハンナとその姉妹』(86年)、『セプテンバー』(87年)、『ギター弾きの恋』(99年)としておこう。彼のクラリネット演奏が楽しめるバーバラ・コップル監督のドキュメント『ワイルド・マン・ブルース』(98年)も捨て難い。

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紙の本評伝坂口安吾 魂の事件簿

2002/08/22 22:15

こんなに面白くスリリングな評伝読んだことがない!

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 七北数人の書き下ろし『評伝』、昨今珍しくスリリングな本で、体調不良も忘れ、三時間で読了した。表の腰帯に曰く、〈新しい安吾がやってきた! 膨大な未公開資料、新証言をもとに伝説化した坂口安吾の「事実」に迫る画期的評伝!〉。
 帯裏には、〈坂口安吾の生涯にとって魂の事件と呼べるような出来事に焦点を当て、安吾伝説の虚実を解き明かしていく初の本格的評伝。これまでの安吾像を一新〉とある。
 ぼくは、二五、六歳の頃、「坂口安吾論」にトライし、挫折したことがある。そこで、評伝とはいえ新人のこの本、相当意地の悪い読み方をしたが穴がない。それどころか「読物」的要素もたっぷり盛り込まれたその筆力には感心した。どこが斬新なのか。本書巻末にある「年譜」をめくりながら、ほんの一部だけでも書き出しておこう。
 一九三〇(昭和五)年(25歳)、処女作「木枯の酒倉から」の掲載諾否が同人(『言葉』のこと)会議で決まる前後の同月一四日、好きだった異母姉ヌイが、黒色肉腫のため四二歳で死去。鎮魂の思いを込めた次作の構想を練る。葛巻義敏宛に未定稿の「愛染録」を書いて送る。年末、サティの歌曲を日本で初演した牧子宅を『言葉』の同人らと訪ね、「私はお前が欲しい」を歌ってもらう。一九三三年、中篇「浅間雪子」を『文学界』に送るが、「組み置き」になったまま、不掲載に。
 一九四八年、この年から翌年にかけての時期、作品社(後に中央公論社)の八木岡英治夫妻が坂口家の一階応接間を借りて同居。
 八木岡英治といえば、この九月に出る新装版『全集・日本文学の発見』(学藝書林)の企画者でもある。
 知らないのはぼくだけかもしれないが、本書にはいろいろ教えられた。
 七北数人は一九六三年、名古屋生まれ。ということは、ぼくが二三歳の時に生まれた子(といっても今年40歳か!)が、こうした新しい『安吾伝』を書いたのだ。安吾ファンとしてはもうそれだけで嬉しくなってしまう。
 そういえば、ぼくが『早稲田公論』編集者時代の一九六五年、小特集「坂口安吾没後10年」を組んだことをいま突然思い出した。

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ぼくの企画した『全集』も、残り一冊で完結とは感無量!

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 全七巻の予定で刊行の始まった『カーヴァー全集』、一巻増えて全八巻になったらしい。その七巻目が、ようやく出た。
 村上春樹・柴田元幸の「月報対談」によれば、一九八九年に企画、初回刊行は九〇年五月とある。すでに一三年経っても、あと一巻残っているのだ。平均すれば一年半に一冊のペースだから、個人訳としては、そんなものかなとも思う。
 ここで大書きしておきたいのは、この企画、天才ヤスケン(わしじゃ、わしじゃ)が立てたということだ。カーヴァーの存在、春樹に教えられて『海』で二度、「カーヴァー特集」を組み、三度目を考えていたら、カーヴァーが五〇歳で急逝した。
 まあ無理だろうなとは思ったが、ぼくは「売れっ子作家春樹の個人訳!」を社長に強調した。たまたま「朝日新聞」のカーヴァーの訃報欄で、「翻訳は中央公論社」とあったのが嬉しかったらしく、また春樹訳の他の翻訳物も売れていたこともあり(これらの企画も、すべて天才ヤスケンのもの!)、実にすんなりと企画が通ったのである。
 それからは天才的英語力の持主柴田元幸の協力も得て、新訳改訳の作業が始まり、以下のような『全集』刊行が決まったのだ。
 一巻 短篇集『頼むから静かにしてくれ』、二巻 同『愛について語るときに我々の語ること』、三巻 同『大聖堂』、四巻 同他『ファイアズ(炎)』、五巻 詩『水と水が出会うところ/ウルトラマリン』、六巻 短篇集と詩集『象/滝への新しい小径』、七巻 本書、八巻 未発表短篇・資料『必要になったら電話をかけて』(未刊)である。
 第七巻の「目次」は、夫人テス・ギャラガーの序文、編集者スタルの「まえがき」、「初期短篇」「長篇の断片」「詩」「自作を語る」「本の序文」「書評」「エッセイと考察」、スタルの「覚えがき」、ジャクソン「レイとのドライヴ」から成っている。
 ファンゆえに、すべて面白く読んだ。全国の図書館は、是非、全巻入れて欲しい!

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ジャズ喫茶の親爺九人の「生活と意見」集

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 村井康司が聴き手になり、ジャズ喫茶の親爺九人の「生活と意見」を訊いた本である。
 取り上げられた九人の親爺とは、四谷「いーぐる」(創業35年)、藤沢「響庵」(「響」は創業29年、「響庵」は4年)、吉祥寺「メグ」(創業32年)、梅田「ムルソー」(創業33年)、京都「YAMATOYA」(創業32年)、渋谷「メアリー・ジェーン」(創業30年)、新宿「サムライ」(創業23年)、一関「ベイシー」(創業32年)、高田馬場「イントロ」(創業27年)である。
 インタヴューと、纏め方が巧いため、それなりに面白く読んだが、書店で買うかと問われたら、ぼくは買わない。ジャズ喫茶の親爺の「生活と意見」になど何の興味もないからだ。
 第一、他の水商売に比して、なぜジャズ喫茶の親爺ばかり、こうも持てはやされるのか。彼らの仕事は、そんなに「文化的」で偉いものなのか。他の職業同様、単なる喫茶店の親爺ではないのか。
 それに、予想通りというか、親爺らの話、あまりに中身が薄かった。みな五〇歳を過ぎた立派な親爺なのにだ。
「人生話」も退屈だったが、肝心の「ジャズ」に対する熱い想いも、いっこうに伝わってこず、何となく、みんな疲れている感じもした。
 職業なんてものは概ね偶然選ぶ/選ばされるもので、ぼくの編集者もそうだった。
 とはいえ、その仕事が天職と思えば、それなりに努力もし、「世界一」を目指すものではないのか。また合わなければ転職もする筈だ。
 ところが九人の話を聴いていると、何となく店を持ち、惰性で続けている人が多いような気がしてならない。しかも、大半は「大赤字」である。
 命を張るほど好きでもなく、「大赤字」でも続ける。これってナンセンス、不健康ですらある。
 唯一の例外は寺島靖国だが、逆に言えば、彼はそろそろ「ジャズ喫茶の親爺」の看板は下ろした方がいい。

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タブーに挑んだ勇気ある一冊。ファシスト同和の驚くべき実態!

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「マスメディアが黙殺してきた、戦後史最大のタブー!」「暴力団との癒着、裏金、脱税、公金喰い、部落解放同盟の謀略」「“人権”の裏に蠢いた“暴力”“カネ”。アンダーワールド関西、暗黒の裏面史!」「二〇〇二年三月〈同特法〉消滅。弱者の運動は、いかにして権力となったか?」表紙の表と裏に踊るキャッチ・コピーである。
 次に「目次」を見ると、こうなっている。
・第一章 〈報道されない「事件の核心」〉・自治体の“金庫”を牛耳った解同人事 高知県「26億円不正・ヤミ融資事件」その陰の主役たち・元暴力団も公務員!? 「同和採用枠」のネジれた現実 京都市役所はなぜ〈覚せい剤〉に汚染されたか?・死を招く教育現場への介入劇 [三重・広島]二人の校長が自殺に追い込まれた事情・同和脱税ブローカーの手口 ヤクルト販売会社役員 「11億円脱税事件」の仰天真実!・第二章 仁義なき同和利権・同和特権を“票”にかえた政治家の肖像 部落解放運動の闘士〈上田卓三〉という男・太田房江、山口組五代目、鈴木宗男も——食肉利権が生んだシンジケートの正体 謎のフィクサー『ハンナン』人脈の黒い面々・暴力団、同和貴族に喰われた巨額の公金 同和利権が“ヤクザ”社会の貯金箱になったカラクリ ・第三章 人権暴力の暗黒史・ワイド特集 マスコミ報道が絶対触れない、ザ・部落解放同盟・裏面史 同和特権層カタログなど・特別編 60年代、謀略の武装集団化[矢田問題] 70年代、人権学習という名の洗脳[解放教育] 80年代、役所のウラ金を平気で喰う人びと[五億円公金詐取事件]・運動の論理に支配された同和地区 解放同盟『ピンハネ』の研究・解放同盟の人権ビジネス あらかじめ裏切られた〈部落地名総鑑事件〉・阪南中央病院・新大阪タクシー・同和金融公社の実態 解同コンツェルン、その乱脈経営の秘密!・「人権ビジネス」のゆくえ・「差別された者の痛みを知る」が隠蔽したもの マスコミ報道の“タブー”はなぜ犯罪的なのか?・まちづくり、NPO、人権啓発事業 部落解放同盟の新たなる「利権戦略」 なぜかくも長々と「目次」を引いたのか。これを見れば、本書の内容が一目瞭然だからだ。
 ぼくは、すでに二〇年も昔から、弱者のふりをした解同のファッショぶりをぶっ叩き続けているが、一つだけ実例を挙げれば、彼らは「差別語撤廃」の名の下の「言葉狩り」を強要、それに従わぬものは胴喝するとのナチにも似た愚行をマスコミに強い(むろん従うマスコミもクズだが)、普通名詞「部落」は誰も使わなくなり、すべて「集落」となった。
 かつて解同委員長小森、衆議院議員(自衛隊合憲を公言した白痴豚村山富市が首相の時の与党旧社会党だ)は、「朝生テレビ」に出た折、「士農工商は、次に来る穢多非人を想起させるがゆえに使ってはいかん」と言った。与党の代議士がだ。これぞ言論思想の圧殺だろうが。
 それからもう一つ、水平社の創設者、松本治一郎が天皇主義者、差別主義者であったかを論証した金静美の労作『水平運動史研究』(現代企画室)についても解同は反論していない。出来る訳がないからだ。
 同和対策事業費として、今年の三月に時限法が効力を失うまでの三四年間に、血税から一五兆円もの金をかすめ取ったことを知る国民も少ない。その利権を巡って暗躍したのが部落出身の野中広務だ。図書館は是非、入れて欲しい。

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内容は玉石混交だが、異色のジャンル別「短編選集」

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 第一巻『青春の光と影』からスタートした「ジャンル別短篇集」(全10巻・一一七篇)が完結した。内容が玉石混交なのは残念だが、好企画といえよう。
 最終刊『表現の冒険』には、内田百〓(もんがまえに月の“けん”)「ゆうべの雲」(五一年)、石川淳「アルプスの少女」(五二年)、稲垣足穂「澄江堂河童談義」(五三年)、小島信夫「馬」(五四年)、安部公房「棒」(五五年)、藤枝静男「一家団欒」(六六年)、澁澤龍彦「ダイダロス」(八三年)等々、全一二篇が載っている。
 内田百〓「ゆうべの雲」はこんな話だ。
「近所の床屋へひげを剃りに行っている内に、急に日が暮れた」。主人公の「私」はこの日、あまり気分がよくなかった。さきほども行火でうたた寝をしているところへ青地が上がって来たので相手をしていると、それは青地ではなく豊太郎が化けて来ていたのだ。気がついたら、いなくなっていたが、のちのちまで不愉快だった。帰宅すると家の中に人が居て、「おや、お帰りなさい」と言う。暗い土間で身体が触ると、こんにゃくのように柔らかく、「ウフッ」という声は、女のそれだった。明りを付けると、甘木さんと未知の大女が、土間の腰掛けに坐っていた。甘木は、大女を「家内です」と紹介し、それも三本目!の妻ですと、訳の分からぬことを言う。
 大女は、「ねえ先生、私、子供の遊びが大好きですの」「大藪、小藪って、御存じ」と言って、「大藪、小藪、ひっから窓に蜂の巣。お解りになりまして」などと言い、「ひっから窓はお目目よ。鼻の穴が二つあって、蜂の巣みたいじゃありませんこと」「小川には小石、歯の事よ、先生。何だかぼんやりしていらっしゃるわね」と話しつつ、いきなり、にゅっと手を出して「私の耳を引っ張った」。驚く私の顔に彼女は口を近づけて、「木くらげに、こんにゃく」と続け、長い真っ赤な舌をぺろりと出した。顔を後ろに引こうとすると、彼女はもう一度、きゅっと耳を引っ張ってから手を放し、自分の席に戻ると両手を膝に重ね、「ウフッ、ウフッ、ウフッ」と笑っている。甘木さんは「これこれ」と彼女を制し、「余り調子づいてはいかんよ」「なんのその」「先生の耳はどうだい」「全くの木くらげよ、冷たくて」「かじってみようか知ら、ごりごりと」。
 そして二人は、「おいとましましょう」と言って、「さっき這入って来たのでない方の襖からすいすい出て行った」。
 何だか、「私」は、嘔き気のようないやな気持がする。下駄を突っ掛けて外へ出ると曖昧な風が吹いており、風に匂いがする。
「遠くの方から下駄の音が聞こえ出した。歯切れのいい足音で、家の者が帰って来たのだと云う事が解る」「不意に目の前で『只今』と云った。/ほっとした気持になりかけて、気がつくと、さっきの続きの下駄の音がまだ聞こえている。/下駄の音が刻み足になって、すぐそこへ近づいて来た。/『ちょっと、そこにいるのはだれ』と云う家の者の声がした」。
 内田百〓ばかりではなく、本書には半村良、筒井康隆、高橋源一郎、笙野頼子、吉田知子らの短篇も載っているが、みな広い意味での幻想、奇想、幽霊譚ばかりである。
 ぼく自身は、こうした要素のない小説は、あまり好きではないので、本書の短篇群、みな面白く読んだ。
 小説の効用はいろいろあるが、その一つに日常からの逸脱、非日常的や幻想をリアルに描くことがある。しかし、私小説の伝統が色濃い日本では、この手の作品が真っ当に評価されることは少なく、「異端」として括られることが多い。従って、この「第10巻」は若い読者が読み、影響を受け、彼らに続く奇想譚を書いてくれればなあと思う。
 内田百〓と言えば、つい最近、金井田英津子(版画)との組み合わせで、短篇集『冥途』(パロル舎・二三〇〇円)も出た。興味のある向きはどうぞ。また図書館は、この全10巻、必ず購入して欲しい。

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紙の本英米法律情報辞典

2002/07/16 22:15

和英対照表で日本語からの検索も可。日本初のユニークな辞典

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 飛田茂雄さんには『アメリカ合衆国憲法を英文で読む』(98年、中公新書)という本もあるが、両書とも「まえがき」に、「門外漢ゆえに書ける/書いた」との気持ちで執筆したとある。ぼくと飛田さんとの出会いは古く、一九六〇年代の末のこと。彼は、新潮社版『ヘンリー・ミラー全集』の訳者の一人だったので、竹内書店の編集者時代、池田満寿夫に薦められたミラーの画文集『描くことはもう一度愛すること』を翻訳してもらった。その時からのお付き合いである。
 また、七〇年代中期だったか、文芸誌「海」で、翻訳を始めたばかりの村上春樹の全訳及び、彼のエッセイから成る「スコット・フイッツジェラルド特集」を組んだことがある。その折春樹が「自信がないので、誰か翻訳を見てくれる人を紹介して欲しい」と言うので(春樹にも、こんな謙虚な時があったのだ)、飛田さんに頼んだことがある。その後は若い柴田元幸を紹介し、以来この二人は、長い間コンビを組んで数多くの翻訳をこなすようになる。
 飛田茂雄さんには、もう一冊『現代英米情報辞典』(五六〇〇円、研究社)もあり、その推薦文は柴田元幸が書いている。
 さて、帯裏の惹句では、『英米法律情報辞典』の内容、以下のように要約している。
 一、英米の大政党、米国の連邦主義と州権尊重主義、宗教的右派、公立学校における祈祷、妊娠中絶問題、医師が幇助する自殺、同性愛問題、麻薬密売の実態、銃規制、たばこ製造業者の違法行為、マフィアの暗躍、売春婦の密輸入、スパイ事件、政府による電話盗聴、反グローバル化運動、クローン人間創成の規制、幹細胞研究の規制なども要約を解説。
 二、同時多発テロから特別軍事法廷までの情報も詳述。
 三、巻末で「アメリカ合衆国憲法」「欧州人権条約」「一九九八年人権法」をわかりやすく翻訳・解説。人権法の及ぼす影響も詳述。
 四、和英対照表で日本語からの検索も可能。
 本『辞典』には人名も多数載っているが、ここでは「マルコムX」を引いておこう。
「マルコムX 一九二五〜六五。元の名はマルコム・リトル。ネブラスカ州オハマ市出身の黒人。少年時代から麻薬ほしさに押し込み強盗を繰り返し、一九四六年に投獄されたとき、獄中でブラック・ムスリムに改宗。たぶん五二年に、ザ・ネーション・オブ・イスラムから(永久にわからないアフリカの先祖の姓の象徴として)「X」という姓を与えられる。五三年に出所してからブラック・ムスリムの先頭に立って黒人の独立を訴え、多くの賛同者を得た。しかし、六四年にメッカを訪れたことをきっかけに「人類はすべてわが友」と宣言し、暴力肯定をやめ、ジ・オーガニゼーション・オブ・アフロアメリカン・ユニティ(アフリカ系アメリカ人統一機構)の綱領を発表。そのためブラック・ムスリム内部に抗争が起こり、ニューヨークの演説会場で反対派によって暗殺された」。
 彼に興味のある向きは、つい最近、濱本武雄訳『完訳 マルコムX自伝』(上・下)が中公文庫に入ったので、読んで欲しい。
「テロリズム」の項も、一部を紹介しておこう。
「米国政府は二〇〇一年一〇月一日、(二年ごとに更新する)海外テロ組織の新リストを発表。二八組織でその多くは〈アル・カイーダ〉を初めとするイスラム過激派、及びパレスチナ解放運動の諸組織で、他には真のIRAやオウム真理教も含まれている」。
 右翼小泉純一郎はブッシュ及び米政府に追随、「テロは許さぬ」との大義名分から憲法違反までして海外派兵をした。しかし、国内のテロリスト集団「オウム真理教」は野放し状態のままだ。
 この『辞典』、是非図書館に入れて欲しい。

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紙の本風の名前

2002/07/16 18:15

大半は死語だが、『雨の名前』に続く本書も雅語が満載

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 一般書店、図書館ともによく売れた『雨の名前』に続く、高橋(一九四四〜)/佐藤(一九四三〜)コンビによる第二弾である。
 季節はちょうど初夏なので、ここでは「夏の風」を幾つか紹介しておこう。
〈快適な季節の後は梅雨で、この頃の特徴的なものは南からの湿った風だ。また、北の海からの冷たい北東風「やませ」が吹くこともある。梅雨の初め、どんよりした黒雲の下に吹く南風は「黒南風」と言い、中ごろに吹く荒い南風を「荒南風」、梅雨が明け、巻雲や巻層雲が空に白く浮く頃、そよ吹く南風を「白南風」と呼ぶ。
 いずれも歳時記に採用されている美しい風の名である〉とは、「まえがき」にある高橋順子の文章である。
 個別の雅語も紹介しておくと、・「いなさ」海から吹いてくる南東の風。
 特に台風にともなう強風をいうことが多い。主に関東地方で聞かれる言葉。辰己(南東)の方角から吹くので、「辰己風」「巽風」ともいい、ともに夏の季語。
・「おしあな」「おっしゃな」ともいう。
 「あな」は西日本一帯で北西季節風をいう。「あなじ」「あなぜ」の略で、「おし」は北西風の押し返しの意とされる。つまり南東の強風のこと。夏台風の多くはこの風を指す。
・「荷風」蓮の上を吹き渡る風のこと。
 蓮の新葉は初め水面に浮く。これが蓮の浮葉、中国ではその形容から銭荷とも呼ぶ。
・「筍流し」 筍が出る頃に吹く南風。「流し」とは雨をともなう夏の南風のこと。
・「山背風」「山瀬風」とも書く。
 東北地方の太平洋沿岸に山越えで吹いてくる冷たい北東風のことで、この風が吹くと、厚い「やませ雲」がかかり、霧や小雨を降らせ、稲作農家に深刻な冷害を及ぼす。
 夏はこのくらいにして、「季知らずの風」についても書いておこう。
 冒頭に、「けふもいちにち風をあるいてきた」(種田山頭火)の句を挙げ、高橋順子は以下のような解説を付けている。
 種田山頭火は明治一五年、山口県の大地主の家に生まれたが、生家が破産。四三歳の時に出家。以後、九州、中国、四国を行乞して歩いた風狂の俳人である。
 風狂、風雅、風流とかの「風」とは何だろう。漢和辞典を引くと、二五通りもの意味があった。近そうなものを拾うと「きだて」「かたぎ」がある。自然界の影響で先天的な素質がつくられる。風が物を動かすように人を感化するゆえ、とある。「風雅」の風はこれらしい。
・「男風」愛知県知多郡では西風のこと。通常は、密かに通じている男の訪れなどをいう。
・「地下り」北国で南風をいう。
・「北打」北風。
 笞か平手で打ちつけるように厳しく吹きかかる。
・「八風」「はっぷう」ともいう。
 八方からの風を示す仏語。八は方角ではなく、一年の八節の時季に吹く風の総称という説もある。
・「恋風」恋の切なさが身に染みるような風。
『雨』に比べると、なぜか雅語が少ないが、高橋順子の「あとがき」によれば、関口武の労作『風の辞典』では、日本には二一四五種類もの風の名があるのだそうだ。
 いずれにしてもこれらの言葉は俳句などで、かろうじて生きてはいるが、大半は死語だ。

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紙の本緑の資本論

2002/07/16 18:15

「シュトックハウゼン事件」に見るマスコミの愚劣

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 中沢新一が、いまなお左翼的シンパとは驚きだ。左翼は過激でなければつまらぬが、彼自身はまったくそうではない。むしろ資質としては「詩人」に近いかもしれない。その資質は、本書「序文」にも現れている。
「九月十一日のあの夜、砂の城のように崩れていく高層タワービルの映像を見ているとき、そこに同時に、透明で巨大な鏡が立ち上がるのを、たしかに見たのだった。その鏡は無慈悲なほどの正確さで、私たちの生きている世界の姿を映し出していた。なんの歪みもなく、なんの曇りもなく、なんの希望もなく、鏡は静かに、幻想の雲でできた世界の姿をくっきりと浮かび上がらせてみせた。(略)いままでの体制は総崩れ、これからはなにもかもがむきだしのリアルワールドで、思考されなければならない。(略)私はもう思考の主人公ではいられなくなった。私が思考するのではなく、思考のほうが私を駆り立てて、ことばに向かわせるのである」。かくして以下の三編は書き上げられた、と続くのである。
 その三編とは「圧倒的な非対称」「緑の資本論」「シュトックハウゼン事件」だが、ぼくはこの中では、雑誌でも読んだ三編目のエッセイが面白かった。
 七三歳の老作曲家シュトックハウゼンを襲った災難話である。
 二〇〇〇年九月一六日、彼は「ハンブルグ音楽祭」(目玉は彼の連続演奏会)のために現地に赴き、ホテルで記者会見もする。その折、シュルツ記者に、ニューヨークの「9・11テロ事件」について問われ、「あれはアートの最大の作品、ルシファー(光の王子)の行なう戦争のアート、破壊のアート……」と答えるが、「いま言ったことは誤解を招くので、オフレコにして下さい」と頼む。ところが、その発言を引き出すことが目的だったシュルツ記者は、前後の文脈は周到にカットし、「北ドイツラジオ」で、「あれはアートの最大の作品」発言を流す。そのため、四回にわたる連続演奏会はただちにキャンセルされ、数時間後には「音楽祭」そのものも中止となる。老作曲家は「記者会見を再度開いて欲しい」と懇願するが聞き入れられず(後に、主催者側代表が市会議員選挙に立候補していたためと判明)、老作曲家はハンブルク市を追い出された。

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紙の本評伝金子光晴

2002/04/16 22:15

日本人には珍しい、破天荒で過激な光晴像が浮き彫りに

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 金子光晴(一八九五〜一九七五)は詩も小説も好きで、その昔、よく読んだ。
 中でも『金子光晴全集』(全15巻。七五年一〇月〜七七年一月。中央公論社)が出た折、社員は半額で買えたので、一八〇〇円を九〇〇円で購入、ほぼ全作品、読破した。詩もいいが、晩年の自伝四部作『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』『鳥は巣に』が面白い(本書の「略年表」はアバウトで不明だが、たしか『西ひがし』は『海』連載、『どくろ杯』『ねむれ巴里』は『中央公論』連載だったような気がする)。
 本書の腰帯(表)には飯島耕一の文、「金子さんはむろん面白い詩人でしたが、そこに森三千代がかかわってくると、俄然ドラマは緊迫します。この詩人のことをわかっていると思っている人にこそ本書を推薦します」とあり、帯裏には「晩年の詩人の知遇を得た著者による初の本格的金子光晴伝。光晴の故郷・津島や曽遊の地、東南アジアの精力的な実地踏査、戦争詩論争、森三千代作品を始めとする膨大な文献の渉猟などをベースに、孤児的存在のエロス追求のピカレスクな遍歴をダイナミックな筆で描破する」と書かれている。
 金子光晴が好きな理由は多々あるが、終始人間嫌い、日本人嫌い、そして反戦に、最も心惹かれる。
 ここでは七〇歳代、本書の第十章「六道踊る〈晩年〉」にある彼の言葉を幾つかランダムに引いておこう。彼の人間性の一端が垣間見えるからだ。
「だから言はねえこっちゃねえ。毛唐は強欲で、東洋人は乞食根性で、地球なんかに生まれて、ろくなことはねえに」(『現代詩手帖』六五年一月号)「老人は、見た目にむさくるしいばかりではない。考えることも、うすぎたなく、そのうへ、洗ってもとれない汚染と、人生を暗く、あじきなくする毒素をもつてゐる。(中略)神がこの世に人間をつくつたことが、やりそこないでなかつたとしても、用もない老人をいつまでも生かしておくことだけは、なんとしても手ぬかりだつたといふほかはあるまい」「天の非情、地の貪欲に立ちむか」いうるものは、「性器と性器の接触のほかに、天地の無窮に寄りつけるものは、なにもないのである」 金子光晴は、一八九五年、愛知県で廻船問屋〈光林〉を営む大鹿和吉・りようの三男として生まれる。本名は安和。満二歳の時、〈光林〉が経営不振となり、名古屋市の沢田むめ宅に転がり込む。
 三歳、金子荘太郎家に、もらわれる。荘太郎の転勤で上京。銀座泰明小学校に入学。万引きなど、悪ガキ大将に。銀座竹川教会で洗礼。浮世絵師小林清親に弟子入り。
 一二歳、友人と家出し、アメリカへの密航を謀る。暁星中学に入学。フランス風校風に反撥。宿痾の喘息始まる。
 一九歳、早稲田大学高等予科に入学。早大中退。現芸大日本画科に入るが、成績不良で除名。慶大文学部予科に入学(後に除籍)。この頃より詩を書き始める。義父が癌で他界、五億円とも七億円とも言われる遺産を相続するが、四年で蕩尽。
 二四歳、第一詩集『赤土の家』を出すが反響なし。義父の友人の勧めで、第一次洋行。イギリスからベルギーへ。
 二六歳、金子光晴の筆名を使い始める。
 二八歳、『こがね蟲』で詩壇デビュー。
 三〇歳、生涯の伴侶、森三千代と結婚。一子、乾も誕生するが赤貧状態が続く。
 三三歳、上海に旅行中、三千代が土方定一と恋に落ち、草野心平を案内に立てて取り返しに行く。三千代が土方定一と切れぬため、仕方なくパリ行きを決める。
 三五歳、パリで藤田嗣治、ロベール・デスノスらを知る。食うために男娼以外の何でもする……。
 八〇歳までの波乱の人生、まだまだ続くが、その後の話は、本書や、彼自身の詩や自伝を読んで欲しい。
 興味のある向きは峠彩三の撮った金子光晴の日常生活集『金子光晴 散歩帖』(現代書館・三五〇〇円)をどうぞ。

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紙の本モーツァルト366日 新訂版

2002/04/16 22:15

座右に置いて日々ひもとくと、心なごみ、話のネタにもなる

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 三月と四月は入学、卒業、就職など、人生の節目の月である。従ってこの時期、諸々の辞書や事典が刊行されもする。プレゼントを当て込んだ商品でもあるからだ。
 本書は一九九一年、モーツァルト没後二百年を記念して刊行されたもので、ぼくも当時買って愛読した。それから十年が経過、この二月に「新訂版」が出た。新訂を出すに当たり、著者は「あとがき」で、「モーツァルトがもっと身近になるよう、現代の観点から補筆し、演奏家や演出家の選択にも新しい視点を加えた」と書いている。
 各ページにマックス・エルンスト、ミュシャ、シャガール、クレー(とても多い)らの絵、モーツァルトの自筆原稿、肖像画、当時の楽器などをあしらった編集も、良く出来ている。
 この紹介文を書いている三月七日のページには「軍服の色気」とあり、曲は『コシ・ファン・トゥッテ K.588』よりフィオルディリージ「もうすぐあの人の腕の中に」。
 〈これまで私の観たかぎりでは、スカラ座の『コシ』で、フィオルディリージを演じたダニエラ・デッシィが最高である。ベージュのドレスの上に黒いコートをはおり、衿もとや袖口は朱色、肩には金モールとカラフルにそろっているうえ、気品あるその表情に揺れ動く女心が見事に表れていた。フェランドが剣を差し出して迫るのにこらえきれず、「神さま、助けて!」と天を仰ぐのと、「もうどうぞお好きなように」と陥落するのがほぼ同時で、フェランドに軍服を脱がされて抱擁される。実にぞくぞくする場面であった〉。
 ぼくの誕生日(馬齢を重ね、六三歳だぜ!)四月二九日は、「変貌する表情」。
 曲は『デュポールの主題によるピアノのための九つの変奏曲ニ長調 K.573』である。
 〈ザヘルツブルクでさまざまな肖像画を見てきたが、モーツァルトの表情は瞬時に変貌することに気づいた。今日流に言えば、写真映りの違う人だ。それらはそれぞれにいい表情をしているが、彼の音楽のように捉えがたいところがある。義兄ヨーゼフ・ランゲの画いた未完の作は、三十センチ四方ほどの意外と小さい絵である。
 (略)以前、この油絵はウィーン時代の初期、結婚早々のものと言われてきたが、私は晩年の成熟したモーツァルトであろうと思う。
 「もっと詳しく手紙を書いてくれよ。ランゲ夫妻も来ているのかどうか、肖像画の進行具合はどうか、きみはどう暮らしているか、当然いずれも大いに関心がある……」(一七八九年四月一六日、ドレースデンより妻宛)と書いたころであろう。
 ランゲという役者、これだけ筆が立つなら素人の域を脱しているが、未完で終えるあたりが玄人でないかも。デュポールの主題は、モーツァルトの表情のように変化してゆく〉。
 また、四月五日にはモーツァルトに関するオタッキーな質問が15も出ているが、ぼくは一問も出来なかった。五問正解の人はモーツァルト初段らしい。
 本書には「索引」もあり、K.1からK.626までの曲目一覧と、著者推薦のレコードもある。
なお、興味のある向きは、・海老沢敏・高橋英郎訳『モーツァルト書簡全集』(全六巻)・吉田秀和/高橋英郎編『モーツァルト頌』・アインシュタイン/浅井真男訳『モーツァルト その人間と作品』・ヒルデスハイマー/丸山匠訳『モーツァルトは誰だったのか』などの本も、白水社から出ているので、こちらの本もどうぞ。

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日本のマスコミとは一体何なんだと、怒りが込み上げてくる

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 50ページ足らずの本だが、中身はとても濃い。この21世紀のいまなお、司法の場では、ゆえなき「外国人差別」が罷り通っている実態を、1人でも多くの人に知って欲しい。ゴビンダ・プラサド・マイナリとは、「東電OL殺人事件」の容疑で逮捕され、無罪になったネパール人である。佐野眞一『東電OL殺人事件』(新潮社)の中でも、著者は「冤罪」と明言する、あの人物である。1997年3月、30代の東電OL(夜は趣味で売春婦をしていたために殺されたのだ)が渋谷区のアパートで殺害された。事件の3日後、自分を探していることを知ったゴビンダは、わざわざ警察に出向くと、観光ビザの期限切れ(オーバーステイ)容疑で、いきなり別件逮捕される。そして5月20日の公判で、執行猶予付きの有罪判決。通常ならば、そのまま入管に連行され、本国に強制送還になるのだが、彼は強盗殺人容疑で再逮捕される。こちらの方の公判は同年10月から始まり、2000年1月まで30回を超える審議の末、2000年4月14日、東京地裁は「無罪」の判決を下す。この間、3年が経過していた。
 ところがである。検察側は控訴し、逃亡、証拠湮滅の恐れありと、「無罪となった被告人の身体を拘束」したのだ。弁護側は拘留反対を言い立てたが聞き入れられず、東京高裁第4刑事部は拘留を決定、そのまま控訴審の審理を進めた。このことに関しては一部マスコミも大きく報じはしたが、昨今は、何も伝えてはいない。しかも、この控訴審では検察側の証拠調べ請求はすべて認められたが、弁護側のそれはみな却下された。かくして2000年12月22日、東京高裁第4刑事部長高木俊夫裁判長は、一審の「無罪」を破棄し、無期懲役の逆転有罪判決を言い渡す。新しい有力証拠など、何も出ていないのにである。彼の入っている東京拘置所独居房は畳2畳の空間、冷暖房はない。独居房を出られるのは運動(30分)、入浴(15分)、面会(15分〜20分)のみで、それも毎日ではない。彼を犯人とする唯一の物証は、トイレに捨てられていたコンドーム(DNA)だが、それは東電OL(売春婦)を買った20日前のもので、そのことは彼女のノートにも記されていた。科学的検査でも、ほぼ20日前のものと判明したにもかかわらず、検察、高裁ともに、彼を強引に犯人に仕立てたのだ。こうした人権蹂躙、外国人差別が、未だに横行する日本の司法、また、このことを連日糾弾せぬ日本のマスコミとは一体何なんだと、怒りが込み上げてくる。
 三浦和義の場合は逆に、マスコミに煽られた形で逮捕に踏み切ったが、物証ゼロゆえ、妻一美殺しは「無罪」になった。しかしマスコミは三浦和義に謝罪はしていない。本書の最後には、「ゴビンダさんに励ましの手紙を送る」として、〒124-0001 東京都葛飾区小菅1−35−1−A ゴビンダ・プラサド・マイナリ様 (宛先や宛名が1字でも違うと届かないので要注意!)なども出ている。是非読んで欲しい。

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紙の本田中一村作品集 新版

2002/01/29 18:15

アンリ・ルソーのような幻想味はないが、どこか共通性のある一村の人気、これからもますます上がるだろう

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 田中一村の絵を初めて見たのは1995年のこと。本書はその時のカタログの「新版」である。1984年と95年、NHK教育テレビ「日曜美術館」で2度放映されたので、ご覧になった方も多いだろう。二度目は故島尾敏雄記念碑除幕式、及び島尾ミホ宅新築祝いに招かれ折、たまたま奄美大島で「田中一村展」が開かれており、見ることが出来た(2001年、「田中一村記念美術館」も開館したようだ)。奇人変人の多い画家の中に置いてみれば、田中一村の人生は決して破天荒ではなく、むしろ地味過ぎるほどだ。中野惇夫の略歴を借りて、ごく簡単に書いておくと、一村は1907年(明治41年)、彫刻家田中弥吉、セイ夫妻の6人兄弟の長男として栃木県に生まれる。1914年(大正元年)、東京市麹町に移住。1923年(12年)、関東大震災で家を焼く。1926年(16年、18歳)、芝中を卒業、東京美大(現東京芸大)日本画科に入るが中退。同期生19人の中には橋本明治や東山新吉(魁夷)らがいた。1943年(昭和18年)、船橋市の工場で徴用工(板金工)として働くが体調を崩し、敗戦の年まで闘病生活を。1958年(50歳の時)、千葉の家を売り払い、弟の画才を信じ、生涯を支えた姉喜美子を残して単身、奄美大島へと渡る。当時の奄美は、日本復帰を願う民衆運動により、5年前の1953年、米軍統治からようやく返還され、当時としては日本最南端の島だった。1951年、千葉大医師の紹介で国立療養場奄美和光園の官舎に移り住み、奄美の鳥や植物を意欲的に写生。1961年、名瀬市の一戸建ての借家へ越し、老いへの不安を抱えながら、名瀬市大熊の紬工場で染色工として働き始める。「5年働いて3年間描き、2年働いて個展の費用をつくり、千葉で個展を開く」と、「画業10年計画」を立てるが、結局は実現しない。ぎりぎりの生活をしながら千葉時代とは異なる亜熱帯の植物群を素材とした絵を描き始める。それらの絵は強い南島の陽光を採用したものではなく、逆光の植物群を絵絹に描く一村独特の静謐なトーンを前面に打ち出したものだった。画材は上野の得応軒から取り寄せていたようだ。この画材店、ぼくの家の近所で、いまなお営業中である。一村は酒も煙草もやらず、茶すら節約して飲まなかった。野菜は小さな菜園を借りて作り、菜食生活を通し、歩行訓練と称する散歩が日課だった。奄美で代表作に取り組んでいた1965年3月、姉喜美子危篤の報が入り、千葉に帰る。5月、喜美子(60歳)が逝去。遺骨を抱いて奄美に戻る。65年、5年間働いた紬工場を辞め、絵画制作に専念。1977年9月11日、夕食用の野菜を刻んでいる時、胸苦しさを覚えて倒れ、翌12日朝、家主の戸田勇が異変に気づき、検死の結果、心不全だった。享年69歳。一村は、自作を一点も売らなかったがために「無名」だったが、『南日本新聞』の記者が彼の「人と作品」を初めて紹介。名瀬市中央公民館での最初の展覧会(1979年、昭和54年)がNHK鹿児島「話題の窓」で放映され、1984年(昭和59年)、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「異端の画家」として全国放送されたことで大反響を呼ぶ。日曜画家アンリ・ルソーに似た画風もあるが、ルソーのような幻想味は稀薄である。しかし、どこか共通性のある一村の人気、これからもますます上がるだろう。

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紙の本ホラティウス全集

2002/01/29 18:15

なぜ人は割り当てられた運命には満足せずに、人のしていることばかり羨むのだ。

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 珍しい本訳書だ。これは個人で買うというより、図書館向きの本だろう。是非、購入して欲しい。本『全集』と同時に、訳者鈴木一郎『ホラティウス 人と作品』(4500円)も同じ版元から出たので、両著とも図書館に! 鈴木一郎は1920年、サンフランシスコ生まれ。45年、東北大法文学部哲学科卒。他の訳書に『古代ローマ喜劇全集』(全5巻、東京大学出版会)などがある。ホラティウス(紀元前65〜前8)はウェルギリウス(前70〜前19)と並び、初代皇帝アウグストゥス時代のローマ最高の詩人である。南イタリアで解放奴隷の子として生まれるが、父親が最良の教育を受けさせる。地位や富のためでなく、教養と倫理観を身につけさせるためだった。彼の人生と文学に重要な意味を持つ人物は詩人ウェルギリウス、文芸保護者マェケーナス、皇帝アウグストゥスの3人である。ホラティウスの詩集は『エポーディー』(前40年頃書かれた最初期の詩集で、不穏な政治と社会の混乱に対する憤怒から、極めて攻撃的かつ反抗的な内容のものが多い。10年の沈黙の後の詩作品は、そうしたタッチは影を潜め、抒情詩になった)。『風刺詩』(前35年〜前30年。10篇の1巻、8篇の2巻から成り、これまた社会的弊害、人間の弱さを批判した詩集)。『歌章』(全4巻。前23年〜前13年。否定から肯定、批判から称讃へと変化した詩集)。『書簡詩』(手紙の形式による教訓的、道徳哲学的詩集)。『詩論』(前18年または前14年作。ピソ父子に宛てた、これまた書簡詩)などである。
 本『全集』は原則として発表年代順に並べられているが、冒頭にあるのは対話形式の『風刺詩』(第1巻)で、マェケーナスに捧げられた第一歌の「欲」はイソップ物語やギリシャ喜劇にも原型があり、「欲張り老人」も、プラウトゥスが『黄金の壺』で扱い、後にモリエール『守銭奴』の原型にもなった。『新約聖書』にも「地上に宝を蓄えるな。盗人が掘り出すから」という句があり、キリストもプラウトゥスの喜劇を見た可能性ありと訳者は書いている。第一歌の中でホラティウスは、己の運命に満足せずに他人を羨み、欲望の奴隷と化した人間の姿を揶揄している。以下にその一部を引いておこう。
 マェケーナスよ。なぜ人は 自分自ら選んだにしろ 偶然にそうなったにしろ 割り当てられた運命には 満足せずに、人のして いることばかり羨むのだ。
 「船人達が羨ましい」と 苦しく長い年月の 労苦のために手や足の 萎えた兵士はいうだろう。
 それとは逆に、南風に 翻弄される船上の 貿易商にいわせれば   「兵士の方がまだましだ。
 なぜかといえば、戦いが 一度(ひとたび)起これば、いつ速く 死が一瞬にして訪れるか あるいは、勝利に酔えるからだ。
 

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