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  3. 吉田照彦さんのレビュー一覧

吉田照彦さんのレビュー一覧

投稿者:吉田照彦

33 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本近藤勇白書 新装版 上

2004/01/31 22:49

時流に抗った男たち

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 例えば現在の世の中において、時流に抗った生き方といえばどのような生き方になるのだろうか。ひと昔前であれば、学生運動や安保闘争がそうだったと言えるかもしれない。さらに遡れば、戦争終結のために生命賭けで奔走した人々の生き方がそれに当たるものだったろう。だが、現在における「時流に抗った生き方」とは一体どのような生き方なのだろうか。そもそも、現代社会における「時流」とはなんだろう。社会全体の右傾化がそうだろうか。自衛隊の海外派遣などがそうだろうか。あるいは、世界的なアメリカ一国支配の動きがそうであろうか。そしてもし、そうした時代の流れに反抗することがすなわち時流に抗う生き方であるとするならば、例えば同時多発テロを起こしたイスラム過激派の人々の行為もそのように評価することができるのだろうか。
 新興勢力が旧体制を激しく凌駕していった幕末の日本。その只中にあって、滅びゆく幕府という看板を背負って薩長勢力を中心とする勤皇志士たちを次々に斬り倒していった近藤勇ら新選組隊士たち。馬鹿馬鹿しいことを承知で言うなら、彼らの行為は現在の定義においてはまさにテロ行為そのものである。存命ならば後に明治政府の柱石となったであろうと言われる優秀な人材が彼らによって多数生命を奪われたことで、維新は十年遅れたとも言われる。そのために、新選組の歴史的評価は決して高くないばかりか、強い批判や憎悪の対象になることも多い。だが、瞬時を限って激しい光を放つ線香花火のような彼らの鮮烈な生き様が、多くの人々を魅了せずにはおかないこともまた事実である。
 場末の剣術道場の一道場主に過ぎなかった近藤勇。——はじめ清河八郎によって浪士隊として組織され京に上るとき、誤って芹沢鴨の宿割りを忘れてしまった彼は、芹沢らに激しく罵倒される。沖田総司ら同志は驕慢な芹沢の態度に強く憤るが、近藤は“宿割りも卒なくこなせない者に大事をなすことは出来ない”と己を深く恥じ、芹沢に平身低頭、謝罪する。そんな彼の一途な武士道精神はしかし、やがて彼が新選組の局長として反幕勢力の掃討に尽力し、その活躍が認められて正式な幕臣として迎えられるようになると、少しずつ変化を見せはじめる。己の身分を誇るようなその態度に“成り上がり者”と陰口を叩く隊士も現れる。が、大政奉還から鳥羽伏見の戦いへと続く激しい時代の流れが再び彼を一人のサムライとして追い詰め、高めていった。下総流山での敗戦後、さらに転戦を続けようとする土方らの静止を振り切って、近藤は一人、官軍に投降する。そして、坂本竜馬暗殺を新選組の仕業として彼を深く憎む香川敬三らの強い主張によって処刑されてしまう。が、その生き様は、佐幕派の志士たちに人斬り半次郎と恐れられた中村半次郎(のちの桐野利秋)らをして、「乃公等(おれら)がいたら、決して殺させるんじゃなかった。立派な人物を惜しいことをした」と心底悔やませるほどに鮮やかであった。
 「いかに生きるか」が強く問われるこの時代にあって、「いかに死ぬか」を激烈に問うてくる彼らの生き方は、薬であるよりもむしろ毒であるかもしれない。が、一つの信念に向かって生命賭けに駆けていく彼らの姿に、僕は羨望とも言うべき淡い憧れを抱くことを禁じえない。

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紙の本ダ・ヴィンチ・コード 上

2006/03/16 20:47

聖書の中の事実と真実

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書に記されているイエス・キリストの「秘密」については、同名映画の公開を前に、米カトリック司教会議が反論サイトを立ち上げるなど、各方面に波紋が広がっているようだが、おそらく、多くの良識あるキリスト教徒にとっては、それほど深刻な問題ではないのではないかという気がする。
 そもそも、著者自身が作中で、主人公にこういわしめている。
「ソフィー、世界じゅうのすべての信仰は虚構に基づいているんだよ。(中略)信仰を真に理解する者は、その種の挿話が比喩にすぎないと承知しているはずだ」
 人ぞれぞれ解釈の仕方は違うかもしれないが、僕はこの部分を、事実と信仰は別ものであり、本書に記された「秘密」がたとえ歴史的な事実であったとしても、真の意味での信仰には影響がないはずだ、との表現と読む。
 奇しくも、生前敬虔なカトリック信徒として知られた遠藤周作氏が『イエスの生涯』という作品の中で、イエスのベツレヘム(ベトレヘム)生誕説について、こう述べている。
「私達は聖書を読む時、この事実ではないが魂の真実であるものを、今日の聖書学者たちの多くがなすように否定することはできぬ」
 真実と事実の違い。——実はこれと同様の表現が『司馬遼太郎全講演[1]』にある。
「つまり、史実は空想、想像の触媒として重要なのであって、史実の延長線上に歴史を語らせる歴史家の仕事と、作家の仕事とは違うわけなのです。
 史実という触媒でもって、全く違う化学変化が起きなければ、小説にはならないわけです。
 といっても、別にうそ話を書くという意味じゃありませんよ。小説はあくまでも人間のための芸術ですから、人間のトゥルーを探るためだけに、ファクトが必要なのです」
 司馬氏のいう「史実」と「小説」を、遠藤氏のいう「事実」と「真実」に置き換えて読んでみると、その共通点が見えて来はしないだろうか。実際、司馬氏が別の講演の中で、「宗教とはフィクションである」と述べているのを考え合わせると、なお興味深い。
 僕のような異教徒は、本書の明かす「秘密」がキリスト信仰に与える影響というものにどこか底意地の悪い興味めいたものを覚えないでもないが、おそらく、多くのクリスチャンにとっては、事実と真実とは別ものであり、「秘密」の真贋が信仰に影響を与えることはないのだろうと思う。

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紙の本獲物のQ

2006/01/11 20:54

腐れ縁という名の愛読書

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 もしかすると僕だけなのかもしれないが、読んでもそれほど面白いとは思わないのに、なぜか新刊が出るたびに買ってはなんとなく読み続けているシリーズ物や作家がいくつかある。作家でいえば最近のスティーヴン・キングの作品がそうだし、シリーズ物でいえば本書がそのひとつ。
 『アリバイのA』『泥棒のB』……と、アルファベットにちなんだタイトルが順番につけられていくのがこのシリーズの特徴。原書の初版が1982年とあるから、かれこれ20年以上のロングラン・シリーズである。僕がこのシリーズのことを知ったのは高校2年か3年のとき。当時、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーンの長編を読みつくして、彼らに替わる面白いミステリ作家はいないものかと探していた時に出会ったのがこの作家だった。シリーズの旧作をすべて実家へ送ってしまったので、手元に確かな資料がないのだが、著者のスー・グラフトンはたしか、現代のアガサ・クリスティを目指しているというような紹介がされていて、それも彼女を選んだ理由のひとつだったように思う。
 アルファベットといえば26文字であり、このシリーズが『Z』で完結するとすれば全部で26作品になるわけだが、僕が高校生当時、たしかすでに『F』か『G』まで文庫版が出されており、シリーズ完結もそう遠くない将来のように思われたのだったが、それから10年以上たって、原書の最新作が『S』だというのだから、これから先もまだまだ長いつきあいになりそうである。
 さて、主人公である私立探偵、キンジー・ミルホーンは離婚歴2回の独身女性。両親とは子供のころに死に別れ、おばに育てられている。シリーズ開始当時はたしか32歳という設定だったが、本書『Q』ではすでに37歳。旧作の中でいくどか、登場人物の男性と恋に落ちるが、いずれも実らずじまいになっている。作を重ねるごとに、皮肉な言動が増えているように感じるのは気のせいだろうか。
 初期のシリーズはごく一般的な探偵小説の域を出なかったように思うが、最近の数作では、長い間、音沙汰のなかったキンジーの親戚たちがしばしば作中に登場するようになり、彼女の両親と親戚たちとの秘められた過去が次第に明るみになるととともに、キンジーの揺れ動く心の様子に紙幅が裂かれていて、シリーズ物として俄然厚みを増してきている。
 実はこれまでのシリーズにおいて僕はその点にはあまり興味がなかったのだが、本書で明るみに出されたキンジーの出自にまつわる事実によって、『Z』までの道程におけるキンジーの過去との決着のつけ方にだんだん興味が沸いてきた。ミステリ本来の楽しみのほかに、私立探偵キンジー・ミルホーンの半生記としての今後にも期待したい。
 ところで、本書はカバー裏の紹介文において「現実に起こった事件をモチーフにおくる衝撃作」と銘打たれているが、巻末の解説がなく、本書のストーリーがどこまで「現実の事件」を踏まえているのかが不明なのがちょっと残念なところである。

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地獄の果てに

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

サイパンの玉砕戦を生き抜いたのち、アメリカ軍捕虜収容所で「売国奴」の邦人を殺害したとして死刑判決を受けた19歳の少年。移送されたグァムで1年余を死刑囚として過ごした後、罪一等を減じられて終身刑となりハワイのオアフ刑務所へ移送、そこで聖書に感銘を受けて敬虔なクリスチャンとなる。1954年4月、晴れて仮出獄が許されて帰国、袖ヶ浦の神学校に学び、牧師となってやがて故郷・沖縄に渡り、精力的な伝道活動につとめた。沖縄のパウロとも呼ばれた彼——新垣三郎牧師の数奇な半生を綴ったノンフィクション・ノベル、それが本書である。
牧師は、サイパンで邦人殺害の罪に問われたとき、上官であった憲兵伍長の城島という男に「共に死のう」と諭され、自らの意思ですべての犯行を行なったと「自供」、死刑宣告を受けた。だが、その後、城島が無罪放免され、帰国したことを知り、獄中に激しく歯噛みすることになる。
(あいつを八つ裂きにしてやる!)
(死んでも、あいつを呪い殺す!)
彼は復讐の念に燃えたぎった。
しかし8年後、仮釈放の身となって晴れて祖国の土を踏んだ牧師は、城島の居所を突き止め、訪ねていく。そして、「昔のことは忘れましょう」と涙ながらに手を差し伸べた。イエス・キリストの山上の垂訓に、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という、まさにその言葉そのものの姿であった。
僕はこのエピソードを読んで、あることを思い出した。仏教典のひとつ「法華経」の「提婆達多品(だいばだったほん)第十二」にある、前世において釈尊に法華経を教えた阿私陀(あしだ)という仙人は、実は現世において釈尊の命を狙い、悪行を働いた提婆達多(だいばだった)であり、彼は釈尊を仏の道に導いた「善知識」だったという一説である。
新垣牧師と城島との再会の場面を読んで、僕はふとこの話を思い出した。もしかすると、城島は新垣牧師をキリストの教えへと導いた「善智識」だったのかもしれない。
「聖書に、偶然ということばは、ありませんよ」
新垣牧師はいった。すべては神の意思であると。
牧師が死と絶望の淵から立ち上がり、救われたことが神の意思であるとするならば、「救いの光」に導かれることなく、精神の闇をさまよい続ける人びとの人生もまた、神の意思の所以なのであろうか。「求めよ、さらば与えられん」と聖書にはある。だが、求める術を知らぬ人たち、何を求めるべきかを知らぬ人たちには、救いの手は差し伸べられないのだろうか。僕には分からない。救いの光に導かれることなく、一生涯、人を憎み、貶め、恨み、羨みながら生きていかねばならない人たちというのは本当に不幸で、寂しく、可哀想だなと思う。

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紙の本哀歌 上

2006/04/30 14:51

極限状態における「罪」

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 100日間に100万人が犠牲になったといわれるルワンダ大虐殺に現地で遭遇し、過酷な運命の波に翻弄される一人の修道女の姿を描いた小説。
 遠藤周作さんと曽野綾子さん、それと三浦綾子さんというのは、どうも作品から受ける印象がそれぞれ違う。僕のイメージでいうと、遠藤さん・曽野さんは、宗教上の戒律をまず作品の前提として読者に提示しておいて、人間にはやむなくその戒律を破らざるを得ない場合があり、宗教上の戒律をもって一律にそのことを責めることはできない、という立場から物語を語る場合が多いように思う。
 一方、三浦さんは逆に、宗教上の戒律の外にいる人間を描き出しておいて、あとから宗教上の戒律をもって来、ある意味、その戒律をもって一部の登場人物を罰してしまう、という傾向が伺える。
 本書は、今年日本でも上映され、話題になった映画『ホテル・ルワンダ』においても描かれたルワンダ大虐殺の悲劇をテーマにした曽野綾子さんの作品である。作中では、フツとツチといった具体的な固有名詞が上がっている一方で、「ルワンダ」という国名は一切出て来ず、「この国」とか「隣の国」などと標記され、同国の大統領の名前などもみな仮名になっている。
 作中、特に印象に残ったのはこんな場面。修道院長のスール・カリタスが民兵に脅され、人間ごと教会を焼くための灯油を差し出したという話を聞かされ、動揺する主人公の日本人修道女・春菜に、同じ修道女のスール・ジュリアがこういう。
「あんたは苦労知らずだから、そういうことを言うんだよ。一人でも助かった方がいいじゃないのさ。灯油をどう使うかは、私たちの責任じゃない。それに、修道院から灯油を取り上げなくたって、やつらはどこかから必ず持って来て教会を焼いたんだよ」
(中略)
「私たちは聖人にはなれなかった。けど普通の人だった。それは神さまもご存知だったと思うよ」(下巻94-95頁)
 誰しも自分が極限状態に置かれたときにどう行動するかを確言することはできないと思う。確言できると思うのは、自分がいま現在平和の中に身を置いているからであって、たぶんそれはとても幸せなことなのだ。曽野さんは常々自らのエッセイの中で、例えば誰かに殺すぞと脅されて言葉の撤回を求められたら、自分は生命惜しさにすぐその言葉を撤回するだろうといっている。プロの作家として、こういうことを率直に語れるというのは、とても勇気のあることだと思う。
 極限にあって人がやむなく犯す罪を裁こうとするのは人の裁きであって、神の裁きではない、というのが、たぶん曽野さんの作品にこめられたメッセージなのだと思う。

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紙の本杯 緑の海へ

2006/05/30 21:58

サッカー・ワールドカップが残すもの

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 1986年サッカー・ワールドカップ・メキシコ大会。当時、僕は小学校6年生。地元のサッカー少年団に所属していた。現地時間6月29日正午、日本時間で30日の午前3時。僕は真夜中、家族が寝静まっている中を一人起き出し、同大会の決勝戦をテレビで観戦した。全盛期のマラドーナ率いるアルゼンチンと、FWルムメニゲらを擁する西ドイツの対戦。試合は後半10分までにアルゼンチンが2点をリードする展開。だがその後、西ドイツが同点に追いつき、延長戦も視野に入る白熱した戦いになった。だが追いつかれたアルゼンチンはそのわずか3分後、FWマラドーナからMFブルチャガへの絶妙な縦パスが通って勝ち越しに成功。そのまま逃げ切って栄光の賜杯を手にした。
 マラドーナの大会といわれた。準々決勝のイングランド戦で見せた伝説の5人抜きドリブルや“神の手”ゴールはあまりにも有名だ。彼の活躍は世界中の人びとを魅了し、僕らサッカー少年をして、マラドーナ、マラドーナと連呼しながらサッカーボールを追って校庭中を駆け巡らせた。
 本書の著者の世代、第一次ベビー・ブーマーがそうだったように、僕らの幼い頃もまた、野球の時代だった。僕が小学校3年生でサッカー少年団に入団した年、同じく地元の少年野球チームに入団したのが二十人前後だったのに対して、僕の「同期生」はわずか5、6人だったように思う。サッカーは僕ら子供たちの間でもまったくマイナーなスポーツだった。
 その傾向が若干変わったのはアニメ『キャプテン翼』の放送開始だった。その年、入団許可年齢が引き下げられたこともあって、僕の所属するサッカー少年団への入団者は六十名にものぼった。それでも、テレビで中継されるのはプロ野球の試合ばかり。サッカーの試合といえば、毎週土曜日に『ダイヤモンドサッカー』という番組で海外のプロリーグの試合が放送されるのが精々だった。
 国民的スポーツとしての野球とサッカーの地位を逆転させたのは、やはり1993年のJリーグ発足だったろう。著者はJリーグ開幕直前の印象深いエピソードとして、当時のサッカー少年へのインタヴューの中で、野球ではなくサッカーを選んだ理由として一番多かったのが「野球はルールが難しいから」という理由だったことに非常に驚いたと書いている。
 世界的に見て、野球が極めてマイナースポーツである一方で、サッカーが圧倒的メジャースポーツであり続けるのは、そのルールの簡明さと同時に、ボールひとつあれば誰でも楽しめてしまうという気軽さから来るものだろう。日本における野球とサッカーの地位の逆転も必然的な現象だったのかもしれない。
 4年前の日韓共催ワールドカップの舞台裏を描いた本書において、著者は終始、冷静な視点で日本代表の試合を眺めている。それはライターとしての客観的な視点というより、日本代表の試合振りそのものに、心を熱くさせるものを感じなかったということのようである。その象徴的なエピソードとして、著者は決勝トーナメント1回戦のイタリア戦でPKを外した韓国代表・安貞桓選手のこんな台詞を引いている。
「あれ以後、ずっと心の中で泣きながらプレイしていた」
 “もし韓国が負けていたら、一生『心の中で泣きながら』生きていたのではないかと思わせるようなところがうかがえた。それが韓国の強さであり、ある意味での悲しさでもあるのだろう”と著者はいう。
 安直な精神論を語るつもりは、おそらくないだろう。そのことの良し悪しは分からないと、現に著者は書いている。だが、サッカーはハングリーなスポーツである。勝利への執着心に劣るチームは早晩落伍する運命にあるのだろう。
 今ドイツ大会に臨む日本代表に、果たして著者を熱くさせるものはあるだろうか。

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紙の本ドナウよ、静かに流れよ

2006/06/10 16:10

ノンフィクションと「真実」

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 2001年8月14日、ウィーンのドナウ河畔で当時33歳の男性と19歳女性の邦人男女が水死体で見つかった。心中と報じられた新聞記事を読み、不思議に心かき乱された著者は、二人の死の真相に迫るべく、取材を開始する。
 ルーマニア出身の母と日本人の父を持つ日実(かみ)という名の少女。18歳のとき、高校時代の同級生が暴走族の集団から暴行を受け、脳挫傷で死亡するという事件が起きる。この事件を契機に、少女は「私は十九歳で死ぬ」と、当時のボーイフレンドの前で繰り返すようになる。
 小学校卒業後、彼女は母マリアが結婚前に亡命していたフランスへ、母とともにに移住、現地の中学校初等科に編入している。異国での生活に戸惑いながらも、新しい環境に適応しようと努力を重ねていた矢先、仕事のために日本に残っていた父正臣の浮気が発覚、彼女は留学を断念し、母とともに急遽帰国することになる。帰国後、毎日のように繰り返される夫婦喧嘩と、自分と母に対する父親の裏切りは少女の心を深く傷つけていた。
 18歳の夏、少女にルーマニア留学の話が持ち上がる。両親からの強い勧めだったが、気の進まない少女はナーバスになっていた。ある日、当時つき合っていたボーイフレンドに、自分が留学中に彼が別の女性と結婚してしまう夢をみたという話をする。「その子、美人だった?」という彼の冗談半分の問いをきっかけにして、彼女の心は急速にボーイフレンドから離れていってしまう。同年9月、少女は母の親戚を頼って、単身、ルーマニア国立芸術大学の奨学生としてルーマニアへ飛んだ。
 その年のクリスマス、滞在先のクルージュという街で、少女は千葉という一人の男と出会う。異国でのクリスマスを一人で過ごすことの寂しさを嫌った少女は、出会ったばかりのその千葉という男に交際を申し込む。「付き合うのならば結婚しなければ嫌だ」という千葉のいい分にも、少女はあっさりと同意し、男の作った結婚同意証明書にサインする。少女の人生の歯車は、それから急速に狂いだしていく。……
 最近、よくノンフィクションというジャンルの作品を読むようになったからか、ノンフィクションとはいったい何だろうということをよく考える。著者は果たして一連の取材活動の中で、「事実」を掴み得たであろうか。愛した男を苦しみから救うため、少女は男とともにドナウの流れに身を投げたという著者の到達した結論は果たして事実なのであろうか。
“ 「事実」は本当のところ誰にもわからない。「事件」ではなく「心の物語」を描こうとすれば、「事実」を解き明かしてゆくことは不可能に近い。とすれば「事実」の取材を丹念に積み重ねた果てに、かすかに自分なりの「真実」を見るしかない。この作品が感動的なのは「事実」の先きに「真実」の光が見えてくるからである。(本書解説420頁)”
 「事実」ではない「真実」をノン・フィクションと呼び得るのかどうか、僕には分からない。もし僕がこの少女の立場であったなら、自分の信頼する以外の人に、自らの「真実」について語ってほしくはないと思うだろう。いや、この言葉もまた僕という人間の「真実」に過ぎない。あとのことは自ら読み自ら感じていただくほかはないと思う。

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紙の本空中庭園

2005/07/15 14:01

“家族”という名の“冗談”

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 それは“家庭”という名の“空き箱”に住まうある家族の物語である。
 「何ごともつつみかくさず」がモットーの家族。そのモットーに従って、長女のマナは自分が高速道路のインター近くにある「ホテル野猿」で受精したことを母親から告げられているし、弟のコウは「性の目覚めの晩餐会」なるものを開いてもらっている。
 だが、そんなもっともらしい“冗談”を、もちろん、誰も守っている者はいない。誰も彼もが秘密だらけ。みながみな、家族の中で嘘をいい合い、隠し事をし、体裁を取り繕っている。
 シロアリに食い荒らされた木造家屋のように、物語の初めからすでに家庭は空洞化し、形骸化してしまっている。名前だけの家族。自ら隠し事を作りながら、この冗談のようなモットーが家庭の中でまだ有効に機能していると無邪気に信じ込んでいる親たちと、彼らの嘘をとうに見抜いている子供たち。子供たちは、親たちが“家庭”と名づけ、綻びを取り繕い、守ろうとしているものの意味を、意義を、問い、疑っている。それはまるで、「裸の王様」に登場する正直な子供のようだ。子供たちは、親たちが守ろうとしている家庭というものが端から丸裸であることを知っている。だが不思議なことに、彼らは「裸の王様」の子供がそうしたように、「この家庭は裸だ」と自ら大声で告発してみたりはしない。むしろ親たちの秘密を黙っていることで、消極的ながら自分たちの“家庭”を守ろうとしているのだ。
 それこそ、家族愛なんてものが半ば冗談みたいになりつつある昨今、こんな家庭はきっと、日本中に存在する。そして、往々にして暴力的な方法で、そんな冗談につき合いきれなくなった少年少女たちが、時に少しだけ世情を騒がせる。

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真のファンの姿

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 たしか僕が高校生くらいの頃までは、友達に「おまえ、どこのファン?」と訊けば、「俺は○○」「俺は○○」と、必ずといいほど、どこかのチームのファンである旨の答えが返ってきたものである。それが近ごろでは、「俺、興味ない」「昔は○○のファンだったけど、いまはどこのファンでもない」というような答えが返ってくることが多くなった。
 プロ野球の話である。
 いつから、なぜ、日本の野球が人々の興味を引かなくなったのか——そのことについてはあちこちで論じられているし、すでに議論が出尽くした観があるので敢えて触れないけれども、一プロ野球ファンとして、やはりこの現象は寂しい。
 僕自身、1982年に初の日本一に輝いた年からの西武ライオンズのファンである。今年、チームがシーズン2位からの逆転で見事日本一に輝いたことは十分に嬉しかったのだけれど、十数年前、当時常勝軍団と言われたチームが日本シリーズ2連覇、3連覇を続けていた頃ほどの喜びはなかった。あの頃とは、プロ野球というものに対する思いがどこか違っていたように思う。……
 本書は、往年のプロ野球ファンたちの間で「10・19」としていまも語り草になっている伝説の試合の一部始終を、熱血近鉄ファンの視点から克明に追ったドキュメントである。
 1988年10月19日、「川崎劇場」などと称されて多くの名・珍伝説の舞台となった、いまはなき川崎球場において、「ロッテ—近鉄」のダブルヘッダーが行われた。ここで近鉄が連勝すれば西武を逆転して優勝という大事な試合。いつも閑古鳥が鳴くみすぼらしい球場に、ファンが溢れんばかりに集まった。第1試合を近鉄が逆転で制し、迎えた第2試合。この試合に勝てば優勝という大一番である。パ・リーグの試合としてはあまり例のない生中継による全国放送。関東で30%、関西で46%の視聴率を叩きだしたというこの試合は、結局、試合時間4時間を越えたら次のイニングには入らないという当時のリーグ規定により、4−4の時間切れ引き分けに終わり、近鉄はあと一歩のところで優勝を逃す。
 本書において、著者は、ファンにとっては煮え湯を飲まされたというに等しいこの痛恨の試合を、一人の野球ファンとして温かく見守り、伝えている。中でも印象深いのは、10回の表の攻撃が0点で終了し、近鉄のV逸が決定したあとの10回裏の場面。憤激した近鉄ファンによる暴動に備えて多くのガードマンがネット裏に配備されたとき、著者は隊長らしき人を捕まえて、「絶対に近鉄ファンはおとなしく帰るよ。絶対荒れないよ」と断言。事実、試合の後、その日球場を埋め尽くした観衆の大部分を占めた近鉄ファンたちは、“敗戦”の悔しさを噛みしめながら、粛々と帰途に着いたのだった。
 野球選手でもない僕が言うのもなんだけれども、ファン——それも真のファンというのは、本当にありがたいものだなと思う。
 この翌年、僕の応援する西武ライオンズは近鉄とのダブルヘッダーで近鉄の主砲・ブライアントに4打席連続ホームランを浴び、優勝をさらわれた。このときの悔しさを僕はいまでも忘れないし、あの試合のことはいまでも思い出したくない。一方、本書の著者にとってみれば、あの10・19こそ思い出したくない痛恨事であろう。にもかかわらず、その痛恨の試合についてこうして1冊の本を書き上げてしまう、そして「あの試合こそプロ野球史に残る名勝負」と胸を張る。こういう人こそ、本当のファンの姿というにふさわしいのではないだろうか。そしてプロ野球界はこういうファンこそを大事にすべきである、いや、大事にしないようなプロ野球界に、未来はない。

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紙の本死にゆく妻との旅路

2004/08/28 18:29

言葉はいらない

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 事業に失敗し、多額の負債を背負って進むべき道を失った男。愛する妻ひとりを道連れに、彼はワゴン一台を駆って長い長い逃避の旅に出る。22年の結婚生活の果てに、初めて恵まれた「二人だけの時間」。それは夫婦にとって至福の瞬間(とき)だった。だが、妻はそのときすでに「早ければ3ヶ月以内に癌が再発する」と告げられた病身だった。次第に病魔に蝕まれていく妻の身体。「病院へ行こう」と勧める夫の言葉にも、「いっしょにいられなくなる」と頑固に首を振る妻。そうしてある冬の寒い朝、洗濯に出かけた夫のつかの間の留守中、妻はひとり静かに息を引き取る……。
 本書を語るに多くの言葉はいらない。
 ただ自分のそばにいる大切な人の息吹を、いま、改めて感じてほしい。その人が生きていることの素晴らしさを、その人の存在のかけがえのなさを、しっかりと感じ取ってほしい。
 一人でこの世に生れ落ち、一人で死んでゆくのが生きとし生けるものの運命(さだめ)。だがその末期(さいご)の瞬間を、愛する者の温もりとともに迎えることが出来たら、これ以上の幸福はない。
 これほど世の中にものの溢れる時代であっても、そんな死に様を望むことは、きっとものすごく贅沢なことなんだろうと思う。

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紙の本切支丹の里

2004/02/28 23:36

そうだ、長崎へ行こう!

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 5年ほど前、遠藤周作が“空前のマイブーム”だった頃、日本における最後にして最大の切支丹弾圧である「浦上四番崩れ」という事件のことを初めて知った。当時、拙いながら自作の小説を物していた僕は、その事件を題材に小説を書きたいと思い立ち、関連文献を熱心に当たった。それが契機となって、僕は長崎という街に強い興味と憧れを抱き、その年の秋には実際に現地へ飛んだ。小説のための取材を兼ねるはずが、終わってみれば、お決まりの観光コースをたどるだけのお粗末な旅行になってしまったが、そのとき見た長崎の街の様子はいまでも心の片隅に残っていて、先日、長崎を舞台にした映画「解夏」を見たのをきっかけに、また密かに“長崎へ”の想いが沸き起こり始めていた。その矢先、本書に出会った。
 本書は、著者が長崎で偶然に切支丹弾圧時代の踏み絵を目にしたときの感動から、長崎県内各所にある殉教者・転び者(棄教者)・隠れキリシタンたちの足跡を訪ね歩く紀行・作品集であり、同時に、氏の代表作「沈黙」「イエスの生涯」へと連なる創作ノートともなっている。“浦上天主堂”などの代表的な聖地ばかりでなく、現地の人たちにも忘れられてしまったような切支丹弾圧・殉教の旧跡へも丹念に足を向け、もはや正当なクリスチャンの世界からは見向きもされず蔑視すらされている、離島の“隠れキリシタン”のもとへもはるばる足を運んで話を聞くなど、通り一遍の“聖地巡礼紀行”とは一線を画している。
 僕が本書の中で最も興味を引かれたのは、“隠れキリシタンは転び者の子孫である”という点である。開国後、長崎に最初のキリスト教会を建設したプチジャン神父のもとに浦上の隠れキリシタンが密かに訪れ、「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねたという“信徒発見”の逸話は有名だが、この逸話から連想される“隠れキリシタン”のイメージは、僕にとって、厳しい弾圧の下で密かに信仰を守り続けてきた敬虔なキリスト教信徒そのものである。ところが、彼ら隠れキリシタンたちは、年々、切支丹発見のために行われる踏み絵に際し、拷問や処刑といった弾圧を恐れて自らの信仰を隠し、踏み絵を踏み続けた“転び者”の子孫である、と遠藤氏は言う。言われてみれば、その通りなのであるが、僕は迂闊にも、言われて初めてその事実に気づいた。僕が数年にわたって読み継いできた「沈黙」をはじめとする氏の諸作品の中で、繰り返し描かれている“転び者”たちの原型が実はここにあったのだということに気づかされ、目から鱗が落ちる想いがしたのである。そして、氏が彼ら転び者たちの姿に目を向け、「沈黙」を書くひとつのきっかけともなったのが、長崎で偶然目にした古ぼけた踏み絵であったことに思いを馳せるとき、人の運命の不思議さをも深く考えさせられた。
 本書には、僕がかつて訪ね歩いた名所旧跡もいくつか紹介されていた。今回、本書を読んで改めて、長崎を再訪してみたいと思った。
 そうだ、長崎へ行こう!

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紙の本復讐するは我にあり 下

2003/12/07 14:17

神による復讐

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 もう3、4年前になろうか、野村沙知代(サッチー)と浅香光代(ミッチー)とのいわゆる“熟女バトル”が世間を騒がせたころ、サッチーが本書のタイトルにもなっている“復讐するは〜”というフレーズを吐いたことで、一時、物議を醸した。当時の一連の報道において、このフレーズはサッチー自らがミッチーらに復讐を果たすという意味合いで解釈され非難の的となっていたが、実際にこの言葉が意味するところは全く違う。本書の冒頭にも掲げられているように、これは新約聖書のローマ人への手紙12章19節にある「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん』とあり」がその出典で、要するに、復讐は神のすることであるから人間が勝手にそれをすることは許されないというような意味である。
 本書は、昭和30年代末に日本社会を戦慄させた実際の連続殺人事件をモデルとする作品で、昭和51年下期の直木賞を受賞している。運送会社運転手・榎津巌は、福岡における二人の強盗殺人を皮切りにして、警察の大々的な指名手配網を巧みにかいくぐりながら詐欺、窃盗、強盗殺人を繰り返し、78日の間、全国各地をまたにかけて逃亡した後、熊本県のある教誨師の家で10歳の少女にその正体を見破られてついに逮捕され、一審・二審で死刑判決を受けて昭和44年12月に絞首刑となる。その過程が膨大な資料を基にしたルポルタージュ風の小説に仕上げられている。
 この作品は今村晶平監督・緒方拳主演で映画化されているが、そこで描かれているのは専ら、犯人・榎津が次々に犯罪に手を染めていく過程であり、内容としてはより扇情的で、“復讐するは〜”というタイトルの意味が不鮮明になっている。
 これに対して、小説では、前半こそ警察の捜査の進展に合わせる形でひたすら犯人の犯跡を追う形になってはいるものの、その主眼はむしろ、逮捕後の犯人の心理状態の移り変わりを捉えることに置かれている。当初は警察での取調べに対しても挑発的な態度に終始していた犯人が次第に態度を変化させ、死刑判決確定後、かつて祖母に教えられたという隠れキリシタンの“歌オラショ”を心の支えとして自らの「死」を従容と受け入れていくまでの過程を”神による復讐”という形で見事に描いている。
 それにつけても、人間の精神のなんと複雑怪奇なことか。一時はカトリックの神父になることを志したこともあった少年が、何ゆえ、5人もの人間を金品目的で次々に殺害するような極悪人になってしまったのか。
 この種の犯罪が起きたとき、現代の専門家たちは様々な方法論をもって、したり顔にその犯罪心理を分析する。だが、僕にはいつもそれが的外れのような気がしてならない。ある者は親の放任が原因だと言い、ある者は親の虐待が原因だと言ったりするが、たとえ同じ状況下に育てられたとしても、犯罪者となるものとならないものとがある。結局、人間が人間の心理を解明することは永久に不可能なのではないだろうか。

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紙の本反乱のボヤージュ

2004/09/04 15:44

「事件」の代用としての「祭り」と、「祭り」の代用としての「事件」

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 大学時代、講義を受けていた複数の先生方から「僕らの学生時代は学園紛争の真っ只中で、教室はバリケードで封鎖され、授業はほとんど受けられなかった。入学式も行われなかった」というような話をたびたび聞いた。ある先生などは、「自分は過激派の学生から右翼と名指しされ、○○を殺せと執拗につけ狙われた」とも語った。年配の先生方の口から熱っぽく語られたそうした話は、しかしながら、70年代生まれの僕にとって見れば、単に遠い世界のかび臭い昔物語でしかなかった。
「世の中に起こるさまざまな事件とは、どこかに蓄えられていたあるエネルギーが吹き出す運動なんだ。そのエネルギーは、決して消えることなく、いったんはおさまって休むが、またどこかに出口を見つけて荒れくるう」
 とは、「家栽の人」というコミックに登場する一人の地裁判事の台詞である。
 日本全国の学園を巻き込み、社会問題ともなった「学園紛争」という一大ムーブメントも、時代の流れとともにいつしか消滅し、校内暴力や暴走族といった新たな社会問題へと姿を変えていった。近来の社会において深刻化している「いじめ」や「少年凶悪犯の増加」といった社会問題も、おそらくは、そうした社会的なエネルギーの噴出の一形態なのであろう。
 ——本書の舞台は現代である。老朽化した学生寮の取り壊しを巡って、坂下薫平ら寮生たちは大学側と対立。「学生による自治権」を盾に激しくわたりあう寮生たちに対し、業を煮やした大学側は、元機動隊員の舎監を送り込み、寮内の統制を強めようとする。
 かつての学園紛争華やかなりし頃ならいざ知らず、安逸な学園生活を謳歌する現代の学生たちの中にあって、古ぼけた寮に住まい、学生による自治を声高に唱えて大学側に挑戦する薫平ら寮生たちは、明らかに浮いた存在である。その一方で、舎監の名倉からは「大学に反抗することで小さな自分を大きく見せている」「反骨というものを気取っている」だけとやり込められてしまう。そんな中途半端な存在である彼らだったが、仲間たちの間に起きるさまざまな事件を通じて次第に結びつきを強め、互いに成長しあって、やがて大学側との全面衝突へと突き進んでいく。
「しかし、人はエンドマークが欲しいんだな。裁判とは、まさしく事件の仮のエンドマークをつける仕事なんじゃないだろうかね? 何が正しく、何が悪いかは問題ではない。裁判は事件のその当事者の嘆き、怒り、悲しみを吸収し、慰撫するシステムだ。いわば祭りの代用品さ」
 前掲「家栽の人」の判事はそう続ける。
 裁判とまではいかなくとも、人はさまざまな局面において仮のエンドマークを付けながら生きている。逆に、そうした仮初めのエンドマークすらつけきれなかった紛争や内的エネルギーが大きな社会的事件として表面に浮かび上がってくるとも言える。ことに、現代の10代20代といった若い世代は、身内に宿る巨大な身体的精神的エネルギーを持て余し、エンドマークの付け方に戸惑っている。「事件」の代用品としての「祭り」を持たない彼らは、逆に「祭り」の代用品として「事件」を引き起こしてしまっている。
 作中、薫平たち寮生にとっての大学側との闘争は、「事件」の代用品としての一種の「祭り」であったと思う。かつて不良少年の集まりに過ぎなかったある学園がわずか数年にして荒廃の淵から立ち上がり、やがて高校ラグビー全国制覇を成し遂げたという実話もある。不良生徒たちにとって「ラグビー」こそが「祭り」であり、その「祭り」が彼らを立ち直させるきっかけとなった。
 現代の若者たちにとって、「祭り」となりうるものはいったい何なのだろう。

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紙の本ダウン症の子をもって

2004/05/08 21:38

たとえ障害をもった子供であったとしても

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 約1000人に1人。——これはダウン症の子供が生まれる確率である(本書の文中では500〜600人に1人と記されているが)。これを高いと感じるか低いと感じるかは個人差があるだろうが、僕は意外に高いと感じる。
 ダウン症とは、23組の人の染色体のうち21番目の染色体が1本多いために起こる先天的な障害で、一般に、知的能力の発達や成長の遅れと共に、先天性心疾患、消化管の奇形などの合併症を生じるものである(「京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)」のサイト等を参照)
 本書は、そのダウン症という障害を持って生まれた子供の成長過程における折々のエピソードを交え、その時々の両親の感情を事細かに書き綴った「成長記録」を通じて、その子を育てていく上での悩み、苦しみ、そして喜びを余すところなく伝えた手記である。
 僕は本書を読みながら、なんとはなしに、先日読んだ「かまちの海」という本のことを思い出した。この本は、絵画や詩の分野で天才的な才能に恵まれながら、わずか17歳にしてエレキギターによる感電死という不慮の事故により夭折した山田かまちという一人の少年の生涯を、その実の母親が綴った手記である。山田かまち氏については、ご存知の方も多いだろうと思う。
 ダウン症の子供と夭折した天才少年。——この両者には一見、何の関係もないように思われるかもしれない。だが、両書を読み比べれば、おそらくその共通点に気づかれることと思う。その共通点とは、すなわち子に対する親の愛情の深さである。
 「かまちの海」の文庫版の帯には、たしか、「これを読めば、本当のかまちが分かる」というような一文が書かれていたように思う。この本を手にしたとき、僕が知ることを期待したのはまさにそれだったのだが、実際に読んでみての実感は、「これは一人の天才少年について書かれた特異な記録というよりは、むしろもっと単純に、一人の母親の眼を通して描かれた愛する我が子の成長記録である」ということであった。そういう意味では、僕はこの本にはいささか失望というか、肩透かしを食ったわけであるが、親が子を愛する心の深さというものはひしひしと感じることができた。
 そして奇しくも、本書「ダウン症の子をもって」を読んで僕が感じたこともまた、それと同じだった。他の子供とは違った特性を持って生まれた子供を育てる過程において、様々な困難に直面し、時には重苦しい悲嘆に苛まれながらも、「あの子が初めてこんなことをした、初めてあんな言葉をしゃべった」というほんの小さな成長をとてつもなく大きな喜びをもって眺め、記録する両親の視線の優しさ、愛情の深さには、心からの感動を抱かずにいられなかった。
 親ならば誰しも、我が子が障害をもって生まれてくることを望みはすまい。だが、ある一定の確率でそうした特性をもった子供が生まれてくることもまた、否定しようのない現実である。子供は自分の親を選んで生まれてくる、とよく言われるけれども、その“選ばれた期待”に応えることは並大抵のことではないだろうと思う。まだ子供を持ったことのない人間がこんなことを言っても少しも説得力はないけれど、僕自身、自分を親として選んでくれた子供の期待——たとえ彼らがどんな特性をもった子供であったとしても——に応えられる親でありたい。そのための心の準備が本書を読むことによって少しでも出来たら……そんな思いで、僕は本書のページを閉じた。

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0(ゼロ)の恐ろしさ

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 1980年8月19日、新宿駅西口で発車待ちをしていた路線バスの車内に、突然、一人の男がガソリンをぶちまけて放火、バスは炎上し、30人の乗客のうち6人が死亡、14人が重軽傷を負うという大惨事が起きた。いわゆる、新宿駅西口バス放火事件である。本書は、不運にも事件のあったバスに乗り合わせ、全身の80%を焼く大火傷を負いながら、奇跡的に回復を遂げた一人の女性の手記である。
 いつだったか、僕はこの手記を映像化した「生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件」(監督・恩地日出夫、主演・桃井かおり)という映画をテレビで観たことがあったが、久しく忘れていた。先日、友人と食事をした際に、たまたま、ある事件で死刑判決を受けた男が先に獄中結婚したという話が出、その関連でふとこの映画のことを思い出した。

 ——(前略)私は一度だって、あなたのことをうらんだりにくんだりしてきませんでした。
 (中略)私にできること、したいことは、こうしてあなたに手紙を書くことだけです。
 どうか、もう一度、生きてみてください。(後略)

 これは事件の被害者である著者が獄中の加害者に宛てて書いた手紙である。これを読んで誰しも思うのは、“なぜ彼女は加害者を憎まないのか?”ということだ。全身の8割を焼失する大火傷を負い、言語に尽きせぬ苦しみを味わわされながら、憎んだことはないという彼女の心情は、通常の感覚では理解しにくい。
 本書には、一見、その疑問に対する答えが用意されているように思える。事件発生当時、著者は勤務先の妻子ある男性と不倫関係にあり、そのことに対する罪悪感から、“炎に身を投じて死んでしまおう”と逃げるのを躊躇したために脱出が遅れて重症を負った経緯があり、彼女自身の中では事件は“自殺未遂”として捉えられていたという事実である。だが、本書を読み進むうち、それは次第に曖昧になっていく。悪く言えば一貫性を欠いていると言える本書の構成が、あまりに多くの“可能性”を読者に提示しているために、本書を映画化した恩地氏をしてさえ、“(本書を読んでも)答はみつからなかった”と言わしめる結果になっているように思われる。
 しかし敢えてそこに僕なりの答えを求めるとするならば、“0(ゼロ)”という言葉に尽きると思う。不倫関係への疲れ、仕事の不成功、幼い頃に聞いた“あいつは、一生、飼い殺し”という父親の言葉……それらが渾然一体となって、著者の精神をゼロ状態に追い込んでしまったのではないか。多額の借金が逆に生きる糧となる人があるように、また他者に対する憎悪や怒りを心の支えにして生きる人があるように、精神のマイナス状態はときに人間の生命を燃焼させるエネルギーとなりうる。だが、精神のゼロ状態は何をも生むことはない、むしろ、巨大なブラックホールのようにあらゆる生命的なエネルギーを吸い尽くしてしまう。事件当時の著者の心理はまさにそんな状態にあったのではないか。
 ——0というのは恐ろしい数字です。何を掛けても、何で割っても、0になってしまう……何の一節であったか覚えがないが、至言だと思う。“ゼロ”は著者をして地獄の炎から逃れる勇気を失わしめ、さらには、加害者を憎む心までも失わしめた。そして翻ってみれば、加害者をして無差別殺人という凶悪な犯行に及ばしめた原因もまた、その不幸な生い立ちに起因する“ゼロ”であったのだ。被害者の“ゼロ”が加害者の“ゼロ”に出会って響きあった、その結果があの手紙になったのではないか、と僕は考える。
 “ゼロ”は恐ろしい。そして不思議である。

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