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更夜さんのレビュー一覧

投稿者:更夜

201 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本わたしの名は赤 新訳版 下

2016/03/14 20:02

犯人が誰かというよりトルコの文化を語る

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

トルコという国は東洋と西洋の出合う国であり、宗教も複雑な国です。
十六世紀のオスマン帝国も陰りが見え始めた時代の「細密画」というひとつの芸術に
重ね合わされて語られる、洋の東西の衝突と葛藤。折り合いをつけるということは難しく、
様々な人々が様々な思惑にかられ、語り、生活し、絵を描き、そして名人と
言われる絵師が殺される。
名人と言われた絵師は4人。「優雅」「蝶」「コウノトリ」「オリーヴ」
殺されたのは「優雅」殿。

 しかし、この物語ば犯人動機探しの物語ではありません。
日本にはなじみのないイスラム世界の伝統や伝承物語、そして細密画という絵画の伝統手法。
様式美であり、西洋の文化が押し寄せるオスマン帝国には、写実的で、陰影のある全く違う様式美(=文化)との融合はあり得ません。

 ヴェネツィアの偽金貨が流通するくらい、西洋がひたひたと迫ってきている中、必死に伝統様式を守ろうとする絵師、新しい西洋の手法を取り入れてしまう絵師、絶大なる皇帝の思惑。
権威というものに芸術がひれふすことはあるのか、というとどの国にも歴史的にそれまでの芸術を否定する、または、排する動きがあったのです。日本にもありました。
葛藤と戦い・・・芸術を描きながら、歴史に翻弄される人々を重厚な言葉でもって描き出します。

 殺人をめぐる所はスピーディで、絵画様式を語る所は物語が全く動かず・・・なので、読みやすいとは言えなかったのですが、最後まで読んだ後の充実感や余韻は、絶大なものがあります。
ただ、迫力なだけに読み終わってぐったり。

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紙の本わたしの名は赤 新訳版 上

2016/03/14 19:59

トルコのノーベル文学賞作家の代表作

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

すべての章が「わたしは~」と一人称で語られる物語。
16世紀末のイスタンブル。「優美」という名を持つ細密画家が何者かによって殺される。
第一章が「わたしは屍」と死んだ「優美」が物語を始めます。自分はいかにして殺されたか。
なぜか、は書かれていません。そのあと、人間だけでなく犬や絵画の中の木や金貨なども
一人称で語っていきます。

 皇帝の命により秘密裡に制作されていた装飾写本。名人と言われる細密画家は「蝶」「オリーブ」「コウノトリ」そして「優美」日本語に訳されてしまうと漢字だったりカタカナだったりしますが、原文ではおそらく美しい4つの言葉なのではないか、と思います。

 そしてその写本の作業を監督する細密画家の娘、シェキュレと12歳年上のカラという男の恋物語が同時進行します。
シェキュレは、軍隊の兵士である夫との間に2人の息子がいますが、4年間音信不通。
もう戦死してしまったのではないか、という所へ、カラが現れます。
シェキュレ12歳、カラ24歳の時に初めて出会ったふたり。
24歳となったシェキュレは、帰らぬ夫を待ちながら、2人の息子を育てている。

 「わたしは殺人者と呼ばれるだろう」という章では、最初の「優雅」を殺し、また、シェキュレの父をも殺す殺人者でありますが、「蝶」「オリーブ」「コウノトリ」誰が殺したのか?

 西洋と東洋が出合う国、トルコ。
西洋からは、遠近法や陰影など、それまでのトルコの伝統的絵画法からははなれたものが、だんだんしのびよってくる。

 なにを持って美しい、完璧な美と言えるのか、という疑問が精密画家たちの間に不協和音のようにしのびこんでくる。

 文章はただ謎を追うばかりでなく、様々な一人語りによって場面を変えていき、慣れるまで少々時間がかかりました。
しかし、第二の殺人がおきて、それでもカラとの結婚を押し通そうとするシェキュレのしたたかさなど、俗っぽい事もしっかり描いています。
聖なるものだけ描いていたら、ちんぷんかんぷんな所、わかりやすい人物を上手く配していると思いつつ下巻へ。

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紙の本ユーミンの罪

2016/03/02 19:59

ユーミンの罪なのか功罪なのか。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私は著者、酒井順子さんと松任谷由美さんの丁度真ん中くらいの年齢です。
ユーミンのアルバム『LOVE WARS』で卒業したと勝手に思っているし、このアルバムでずいぶんと方向転換したな、と思った覚えがありますから、それまでのユーミンのアルバムはずいぶんと聞き込みました。
ユーミンのレコードを「DISK UNION」のビニール袋に入れず、ジャケットを堂々と見せて登校してきた同級生(放送部の子で、おしゃれだった)をよく覚えています。
ユーミンとサザンは、おしゃれだけれど嫌味のないおしゃれだったと思いますね。

 まぁ、もう、平成になって26年、サザンとユーミンは卒業してしまったというか、ばっちり愚かだった思い出したくない自分の10~20代の黒歴史がぞろぞろと思い出されるので、意識的にもう聞かないです。

 音楽についての本や文章というのは、難しくて普通の人が書くと大体、曲にまつわる思い出になってしまいます。
私は見ざる言わざる聞かざるの黒歴史なので自分がどうだったかを書く気はありません。

 しかし、1973年の『ひこうき雲』から1991年の『DAWN PURPLE』まで、酒井さん、10代~20代にのめり込んだ背景には日本のバブル経済と女性学的見地からみた女性の立場や社会進出、晩婚化、少子化をユーミンは常に先取りしていた。
だから、「ニュー」ミュージックと呼ばれたのです。
常に新しい先を見る事ができた天才。そして

「ユーミンは、「湿度を抜く」ということにかけて天才的才能を持っています。」

 確かに、私は、一人で池袋文芸地下の大島渚監督特集に通うような学生でしたが、そんなマイナーな女の子にも共感と幻想(夢というより幻想)を大きく持たせるくらい懐が広い歌を歌っていました。
スキーとサーフィン、助手席の女の子、ラグビーと山手のドルフィン、ソーダ水の中を貨物船が通る・・・おしゃれでありながら、好き、聞いてると公言しても恥ずかしくない数少ないミュージシャンだったと思います。

 音楽というのは本や映画よりも、漫画やアニメに近くて個人的こだわりがひどくあるもので、ジャンルも幅広い。
だから個人的好き嫌いが非常に分かれているなか、男性にも女性にも受け入れられたのがユーミンとサザンでした。
そして、「男ユーミン」と言われた大江千里も同世代で、千里君も湿度を抜く天才でしたね。最初はアイドル風でしたが、だんだんユーミン化していき、今はまったく違うジャンルの世界にいます。

 歌人の穂村弘さんが、やはりユーミンが好きで(穂村弘さんと私は同世代)「お互いを高めあう恋」に男の子も憧れていた、と知ったとき、さすがユーミンと思ったのです。
演歌の女たちが「ひたすら受け身に待つ。泣く女」であるのに対してユーミンの歌の女の子たちは「ダサいから泣かない」
今でもなぜか日本酒の宣伝は、熟女っぽいきれいな和服の奥さんが「おかえりなさい」とにっこり微笑むのは変わらないけれど、ユーミンはどんどん進化して、恋は戦だ!勝つんだ!と宣言しました。
恨み事は中島みゆきにまかせて、愛は勝つ!と『LOVE WARS』でたからかに宣言した時、私はユーミンを卒業しました。

 今でも、かわいい若い女の子たち、男の子たちがたくさん、夢を振りまいているけれど、作られた感じが全くしなかったユーミン。(もちろん、夫の松任谷正隆さんの存在は大きい)
ただ、私は思うのです。
所詮それは幻想だ、と後で気づいても、夢見る一瞬、夢見る刹那というのは若い人に必要なものではないかと、そしてそれは卒業していくものだと、思うのです。

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紙の本離陸

2016/02/12 08:54

誰もが離陸を待っている

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「絲山秋子の書く女スパイ物が読みたい」と雑誌で伊坂幸太郎さんが言われたとか。
構想10年という長い時間をかけて、短編、中編がメインだった絲山作品で初の長編です。
絲山秋子さんは、なんといってもご自身が日本中を赴任する仕事をずっとされていて、仕事を描かせると右に出る者はいない、という点は相変わらずでした。
ただし、今回の主人公は国交省の役人です。土木建築を専攻して、国交省に入省した弘(ひろむ)
霞が関の事務よりも、ダムなどの現場仕事を希望してその希望が通って矢木沢ダムで働くことに。
その辺が、村上春樹風と言われるのと大きく違っていると思います。

 舞台となるのも、今現在、絲山さんがお住まいの群馬県の矢木沢ダムから始まって、フランスのパリ、九州、熊本県。そしてキーとなる五島列島。
九州は絲山さんが実際、赴任していた土地で『逃亡くそたわけ』と同じようにまるで九州の地図を見ているかのように描き出します。それは、滞在したことのあるフランスのパリも同様。

 「ぼく」こと弘は、乃緒(のお)という女性と付き合っていましたが、乃緒の心変わりで別れて以来、当然ながらつきあいはありません。
弘はユネスコの仕事で、フランスのパリに転勤になりますが、そこで乃緒の息子だという「ブツゾウ」という少年とその養い親、イルベールと親しくなります。
乃緒は息子を置いて失踪して以来、行方が分からない。元恋人の弘が居場所を知っているのではないか、とイルベールは問うのですが、弘は何も知らない。

 そこから、乃緒をめぐる不思議な物語と、フランスですごす弘がリシューという女性と出合う物語が平行します。
乃緒に関しては最初から最後まですっきりとはわかりませんが、弘は公務員という仕事をこなしながらも、妹の茜の助けなどもかりながら、謎を解こうとします。

 人は、皆、チケットを持って搭乗を待っていて、離陸するということは、死を意味し、人である以上死は100%逃れられない・・・弘はつくづくそのことを実感する。
しかし、離陸はまた別の地へ向かう着陸が必ずあるのです。

 物語は活劇的にわかりやすくないし、謎は謎のままの部分もあります。
絲山秋子さんは、どちらかというと純文学方面の力が強いので(芥川賞作家)なにもかも解決、すっきりは望めません。
ただ、大切な人に囲まれ、そして時に失う・・・幸福と不幸がキーワードになっていますが、何を持って幸福と呼ぶのか、何も言わず去って、離陸してしまった方がよい場合もあるのではないか、と反面、何も知らされず離陸されてしまった身内や家族の苦い思いといった余韻を残します。

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紙の本異類婚姻譚

2016/03/14 20:03

お互いの依存をゆるいホラーに

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

芥川賞とか三島由紀夫賞など、純文学系の受賞作は、そういう世界がお好きな人はともかく、「わかりやすい」からは程遠いので、どの作品も賛否両論になるのは仕方ないことだと思っています。

 私は居心地のいい、気持ち悪さみたいなものを、表題作『異類婚姻譚』他短編に共通して感じました。
言葉遣いはやさしくて、難しい表現を振り回しているわけではありません。

 結婚して4年。働く必要もなく、子供もいなくて、家事は機械がやってくれるならば私は何なんだろう・・・と思いつつも、専業主婦をしているサンちゃん。
夫は仕事はきちんとするけれど、家に帰ってくると「何も考えたくない」とテレビのバラエティ番組やゲームに没頭する。
そんな時、顔つきは全然違うのに、夫婦そっくりになっているのにふと気づく。
そして夫の顔がふくわらいのようにどんどんくずれていくのも、目にするようになる。

 仕事をやる気なくして、会社をさぼるようになり、反面、揚げ物に熱心になり家事をまめにするようになる夫。サンちゃんは逆に言う。「専業主婦の気持ちなんてわからないよ」

 別にいがみあったり、暴力をふるったりといったわかりやすいすれ違いではなく、なんとなく、のすれ違いがじわじわと進んでいくところが怖い。
同じマンションのキクヱさんという老婦人と仲良くなって、どうしてもトイレのしつけができない猫、サンショを山に捨てにいくところは、実はこの物語の象徴なんだと思いました。

 人間が都合悪ければ、「捨ててしまえばいい」でも、夫婦はそんなに簡単には都合悪いからといって捨てられない。ぬるま湯につかったように、依存しあっているサンちゃん夫婦などは特に。
仲が良いというよりも、お互いの依存がぴったり合致した夫婦。顔が似てくるというのは、内心の依存しあう気持ちがサンちゃんだけには見えてくるのでは?というのが感想。

 もちろん他の解釈の仕方もあると思うし、寓話ともとれるし、変身譚とも色々な風にとれるから、純文学の世界は興味深いなぁ、と思います。どの話もどこかホラーなんですよね。でもなんだかぬるいホラー。

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紙の本鏡の偽乙女 薄紅雪華紋様

2016/03/14 19:56

時代を描く

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京極夏彦の京極堂シリーズや小野不由美の『東亰異聞』を思い出す、大正時代の不思議譚。
こういう物語は、舞台、背景となる時代や土地が上手く描かれないとウソくさくなってしまう所、実在の人物や事件との虚実皮膜が上手くいっている例だと思います。

 大正三年、父親に逆らって画家になるために家を飛び出した槙島功次郎(風波)
同じく画家の謎めいた美青年、穂村江雪華と出合い、根津の同じ下宿になります。
雪華は、絵でもってさまよう魂を成仏させたり、やはり成仏できずに人の姿をしている亡霊、みれいじゃを鎮めたりします。

 京極堂シリーズの雑司ヶ谷に対抗するように、根津界隈から谷中という寺、墓地密集地帯を上手く描いており、平成の現実を忘れて大正時代にタイムスリップ、没頭できました。
時代考証も詳しい人からしたらつっこみどころあるのでしょうが、描きたいのは、この世に未練を残して成仏しきれない魂たち、時には「みれいじゃ」となって人間の姿をしている亡者たちの鎮魂。

 いくらでもおどろおどろしくできる所、あまり怖くないし、後味も良いし、雪華と風波の2人のコンビもいい感じです。
前半は絵に関する事がでてきますが、後半は「みれいじゃ」の哀しみみたいなものに焦点が移っていきます。

 京極堂シリーズほど長く理屈っぽくもないし、どちらかというとやはり浅草を舞台にした『東亰異聞』に近いかもしれませんが、あくまでも男の友情ものであり、わざとらしい恋愛やマドンナをばっさり排してしまったところがいいのかもしれません。
恋しい、という気持は所々出てきますが、あくまでも奇譚にとどめたところが読みやすさの一因だと思います。

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紙の本プラネタリウムのふたご

2016/03/02 19:55

宮澤賢治を思わせる世界

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いしいしんじさんの描く世界はいつも、静かで穏やかです。
決して、仲良いとかそういう事ではなく、淡々とドラマチックな事を描きぬくのです。

 この本もそうでした。
異国とも日本ともとれるある村にあるプラネタリウム。
そこに捨てられていた双子の男の子。
プラネタリウムの解説員をしている「泣き男」(いつも泣いているような表情から)に拾われ、プラネタリウムで育てられた男の子の双子は、テンペルとタットルと名付けられ、泣き男に育てられる。

 男の子のうち、テンペルは旅興行でやってきたテオ一座に加わる事になり、タットルは学校を出た後郵便配達の仕事をしながら、義父の泣き男のプラネタリウムの手伝いをする。
2人はそれぞれの世界で成功し、特に、テオ一座に手品師として働く事になった、テンペルは色々な経験をする。
反面、地元で地道に働いているタットルは、地味ながらも、地元の人の信頼を得ていく。

 双子というのは、2人ぴったり寄り添っていくか、それとも正反対の道に行くか、のように思います。
テンペルとタットルは全く違う方向へと進んだ双子。

 あくまでも日本でないどこか、であり、それは宮澤賢治の世界を思わせます。
それでも、この物語は誰を傷つけるということなく、おだやかにすすんでいく。
それが、とても心地よい世界なのでありました。

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紙の本猛スピードで母は

2016/02/17 21:17

親の顔色を伺うということ

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文學界新人賞を受賞した『サイドカーに犬』と芥川賞を受賞した『猛スピードで母は』の二編が収録されています。
『ジャージの二人』もそうだったのですが、(『ジャージの二人』は「ジャージの二人」と「ジャージの三人」の二編収録)この4編に通じて言える事は夫婦の不和または離婚です。

 去年(2015年)から有名人の結婚のニュースがたくさんあって、急に婚活サイトの広告が露骨に目に入るようになって、「結婚はゴール」という風潮が今、あると思う。(少なくとも私の中では)
長嶋有さんの描く世界は、「離婚は夫婦2人だけの問題じゃない」という事です。

 夫婦の子供を含めて、親も色々と口を出すようになる。
子どもは委縮してしまい、なんだか親の顔色を伺うような様子。
私は他人の顔色を伺うのは、すべてが悪いとは思いません。
空気を読めない、が言われたように「周りの顔色も伺わなくてはならない状況」というのも多いに私の仕事にはあるのです。
それができて、初めて大人だと思うし、周りの顔色が全く気にならない人はただの厄介者かもしれません。
人と人がすれ違う、関係しあうとき、相手の気持も推し量るということも必要なのではないか、と思います。
ただ、まだ小学生にはつらいだろうな、ということが正直にすんなりと書いてあるのが長嶋有さんの世界かもしれません。
特にこの本の2人の小学生は、親の顔色を伺うけれど、それなりに自分のやりたいことを見つけている。

 年代は昭和40~50年代だということがわかりますが、まだまだ、今のように子供と親が「友達」とか「恋人」のようにはならなかった時代。
親は親、子供は子供という境界線があった時代を私はなつかしく思います。
とにかく家族割で、スマートフォン代金で家族の絆を強調するのに辟易している私にはね。
とてもよみやすく、時に胸が痛くなる中編2編。

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紙の本偶然の音楽

2016/02/13 11:48

必然と偶然

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

偶然というのは、そうそうあるものではありません。
しかし、この物語は必然的な偶然を描いています。
ジム・ナッシュは、音信不通だった父が亡くなり、いきなり巨額の遺産を相続する。
それまでの消防士の仕事を辞めて、ひたすら、車でアメリカ中を旅するナッシュ。
そんなとき、ポーカーが上手く、ポーカーで勝ったお金で生活をしているポッツィと
いう青年と出会う。
 
 ポッツイはこれから、宝くじで巨万の富を得た男と高額の掛け金でポーカーをする
予定だという。その資金を出すことにしたナッシュ。
フラワーとストーンという宝くじ大富豪は、中年の男2人で大邸宅に暮らしている。

 ポッツィとフラワー、ストーンとのポーカーの熱戦。ついには車を賭けてまで
のめりこむがナッシュとポッツィはあっという間に一文無しに。
そこで提案されたのが、フラワーとストーンがアイルランドから買ってきた一万個の
もと古城の石を野原に一直線に並べて壁を作ろうと思っている。
その作業をすれば時給を出すし、住む所も提供する。

 こわいのは、2つあります。
ナッシュとポッツィは、この石壁作りになんだかやすらぎを覚えてしまうのです。
単純な肉体労働に夢中になることで、雑念がなくなる。
もう一つは2人の大富豪の沈黙です。
ある程度、条件を出したらそれを契約書にして旅行といって姿を消してしまう。
しかし、囚われの身となったナッシュとポッツィを、いつもどこかで見張っているような
存在感を示すのです。

 物語自体は、面白可笑しいことも、恋愛も、冒険もありません。
後半、とらわれの身としてひたすら肉体労働をする2人。
その作業が細かく描かれていてただの単純作業ではなく、それなりの工夫と経験が
必要なのですが、だんだん自分のやり方を見つけていくところはなぜか、
爽快なのです。

 偶然と爽快と、そしていつまでもとらわれの身という不気味さと。
巨額の宝くじを当てた男、というのも偶然のことですが、全てが偶然のようであって
それが必然に変わっていくのが、何故だかわからないけれど、妙な快感になります。
あくせく働くより、何も考えないで、石を積む作業の方が、やりがいがあるような
気がしてきてしまう。
 
 なんとも不条理な物語ですが、決して退屈することも、混乱することもなく、すんなりと
読める読みやすさがあると同時に、先がどうなるかわからないスリリングさもあります。
ナッシュはささやかな趣味でピアノを弾く。クラッシック音楽を聴くのも好き。
追い詰められて、なんとかしようとしたときにピアノで音楽を奏でるという事に
満足を見出す。
音楽というものの作用をこういう風に描いた小説は他には知りません。
ただひたすら音楽はいい、ではなく、音楽の持つ神秘性に迫っています。

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大泉洋さんのファンだったら楽しめるかも

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今や俳優として賞をとるほどになった大泉洋さんが、3誌、16年間にわたって書いてきたエッセイをまとめたもの。
まとめすぎちゃってボリュームありますね。もっと小出しにしてもよかったかも。

 しかし、こういう本は(いわゆるタレント本)その人のファンであるとか、人となりとか、過去の仕事を知っていないと読んでいてつらい部分があるのは確かです。

 第一章なんてまだ、大学生(大泉洋さんは大学3年生の時から、北海道テレビの『水曜どうでしょう』その前は『モザイクの夜』なんてのに出ていた)ですからね、今で言う、学生のブログやツイッターみたいなノリだし、編集者もそれでいいということだったのでしょう、かなり読むのがつらい。

 16年も連載を続けているとやはり、読みやすい内容、それなりの感慨、余裕なんてものも出てくるんだなぁ、と書き続ける事の大事さを知りました。
第2章はイラストも描いているのですが、意外と似顔絵とか自画像が上手いんですね。

 私が大泉洋さんを知ったのは映画『アフター・スクール』で北海道テレビの『水曜どうでしょう』ではありません。
体調をくずして、本も映画も読めず、一か月仕事を休んだ時、唯一見られる番組が『水曜どうでしょう』だったのでこの3,4年の事だと思います。
ディレクターも書かれていたことなのですが、病気をきっかけに『水曜どうでしょう』を見るようになった人って結構、います。なんだろうなぁ、見ていて全然体に負担がかからないんですよ。

 『水曜どうでしょう』の裏話は少なくて、逆に多いのが大好きだった今は亡きお祖父さんの思い出。
テレビを見ていて、思った事だけれども家族とても仲が良いんですね。お兄さんとも仲いいし。
よい家庭に育ったんだなぁ、と思います。
おしゃべりで、明るくて、ネタの宝庫のお祖父さん。

 食べ物についても沢山書かれていて、グルメなんですね。ただ、大泉洋さんは、雨男であり、行くお店がお休みだという事がとても多いのは、理由はわからないけれど不思議な事ですね。
映画『清州会議』では、露骨に大泉さんのシーンだけ雨が降るので三谷幸喜監督が、怒ってしまったとか。

 基本的には文章を書く人というより、やはり、役者やバラエティで人を楽しませる人だと思うのですが、(物まねと歌がとても上手いし、やはりこの人でなければ出てこないしゃべりというものがある)こうしてまとめて振り返ってみると、なるほど~とかへぇ~とかテレビでカットされて見るだけだった事柄がつながった気がします。

 『ハナタレナックス』でナックス一門一答という企画の時、TEAM NACS演劇公演の最中で、リーダー森崎さんが妙に皆に尊敬されていた「お尻割り箸割り」の全貌がこの本で明らかになったなぁ。
すごくマイナーな話題で申し訳ないのですが、テレビではカットされていたので、最初からどういう流れだったか初めて知りました。うん、こういう話はいかにもタレント本って感じですね。
特に重要ではないけれど、なんかもやもやとしていたことがこんなところでスッキリ。

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紙の本火星の人

2016/02/08 23:13

メンタルの強さとユーモア感覚が救い。

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ハードSFでありながら、サバイバルものであり、命の物語であり、ヒューマンドラマであり、ユーモア小説でもある、という色々な要素を含んだ怒涛の580ページ!
アレスと呼ばれる火星探索隊の3番目、アレス3は、2か月の予定が予想外の出来事で6日で断念。
しかし、6人のクルーが引き上げる時、最後の一人だったマーク・ワトニーにパラボラアンテナの一部が激突。ワトニーは吹き飛ばされてしまう。
船長のルイスは断腸の思いで残り5人を探査機、ヘルメスに戻す。
ワトニーはパラボラアンテナにずたずたにされた・・・のだから。

 しか~し、ワトニーは生きていた。火星に一人、取り残されるワトニー。
宇宙服が高性能で人体に影響は少なかったから。
ワトニーは、植物学者でエンジニア。ありとあらゆる知恵、気力、体力、時の運でもってワトニーは火星で一人生き延びる道を選ぶ。

 植物学者であるので、まず、積んできたジャガイモを火星の気候を利用した装置で水他を作り、自給自足(火星で!)をめざすところから始まり、エンジニアでもあるワトニーは、あらゆる残された装置を駆使して再生をめざす。

 火星の一日は地球が24時間だとすると火星は24時間39分35秒。これを1ソルとする。
ワトニーはだれが読むかわからないログ(日誌)をつけることにする。
最初は6ソル。(火星時間6日)最後はソル549までいきますから。

 ワトニーは死んだもの、と思い込んでいた地球のNASA、ヘルメスの他のクルーはワトニーが通信機を復活させて、「ハロー」と交信してからが大騒ぎ。
生きていたワトニー。

 一番この長い物語をひっぱることができた要素は、まず第一にワトニーのユーモア感覚。
火星宇宙飛行士に選ばれる位だから、メンタル、身体、人一倍優れているにしても、なんといっても何があってもいつでも死に直面していても(本当に色々あるんだ、これが)それをユーモアで笑い飛ばすメンタルの強さというか、楽天的性格というか、前向きに前向きに考えて、じわじわと五感をフルに活動させ、困難を切り抜けていくワトニー。

 SFでありがちなのは、ショックな事があって、トラウマになっちゃうとか、狂気に走るとか、記憶を失うとか、いわばネガティブな事が多いのに、けろりんとしているワトニー、強し。

 ワトニーが生きていたと知った地球、そしてヘルメスのクルーたちは、今度は時間との闘いになります。一刻でも早くワトニーを救出しなければならないのだから。
ヘルメスのクルーたち、特にワトニーを残して撤退を決定した、女性船長ルイスは責任を感じている。

 さて、ワトニーは、ヘルメスのクルーたちは、地球の人々はどうするのでしょう。
いや~本当にドキドキしながら読みました。
スペースオペラやSFだと、タイムワープでひとっとび、みたいななか、地球と火星がこんなに離れているんだ、というリアリティ。
ワトニーが次々と考え出す生き延びるためのアイディア。
荒涼とした火星という星。
一人の命を救うために、全地球が一丸となる(裏にしっかり大人の事情あり)命の大切さ。
ばさばさと人が死んでいく物語ではなく、何十億ドルというお金をかけた火星探査躯隊の一人の命の値段。

 でも、この物語の神髄は、「一人の命」をこれだけ必死になって守ろうとするという人間の基本的本能だと思います。
一冊の本でこれほど充足感を覚えたのは久しぶりです。
めげながらも、前に進んでいくワトニーに勇気をもらった気がします。

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紙の本時の番人

2016/02/07 14:17

時間というつかみどころがないもの。

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時間というのは、平等なはずなのに、これほど個人差があるものはありません。
また同じ時を刻んでいるのに、長く感じたり、短く感じたり、時間というのはままならない
ものです。

 この物語では3人の登場人物がいます。
人類史始まりの頃の「時」を発見するドール。時の番人となり永遠の命を授かる。

ヴィクター・デラモンテは、80代半ばの大富豪。
フランスからの移民の孤児でありながら一代で富を築き上げました。
今、身体中を腫瘍で冒され、余命いくばくもない。「時間がもっと欲しい。永遠に生きたい」

 サラ・レモンは、ハイスクールの学生。
学校生活を謳歌しているとはいえず、太めで、科学と数学が大好きで、友だちがいない。
それなのにボランティア活動で一緒になった学年のアイドル、イーサンという男の子から
親しくされて舞い上がってしまう、サラ。
しかし、イーサンはただのきまぐれ。真剣になってしまったサラは傷つき、もう生きて
いたくないと思う。

 作者は、キリスト教の教えをベースにしているようで、寓話的であったり、ちょっと
説教的な所があります。
老人と少女の対比もいかにも、という感じだし。

 しかし、時の番人、ドールは永遠の命を授かり、手塚治虫の『火の鳥 未来篇』の
マサトみたいになってしまうところがいいです。
そして、現代になって、真逆の「時間の望み」を持つ老人と少女を出会わせる。

 サラというぱっとはしないけれど頭の良い、だけれども、かっこいい男の子には
愚かしくも夢中になり、自分の事が好きなんだ、と思い込むあたりがリアリティありました。
高校生くらいの時のもてる男の子って・・・・頭の中はからっぽでもいいわけですし、
イーサンはまさにそんな男の子ですから、あ~あ、しょうがないなぁ、と思いつつも
わからないではないです、その10代のぽぅとしてしまう気持。

 ただそれを黙って「神の目」で見ているドールには不思議でしょうがない。
また、生きる事にしがみつく、大富豪の望みも理解しがたい。
そんなところが面白かったですね。
人が色々あるように、時間も色々あればいいけれど、時は皆に同じように刻まれる。
それをどう受け止め、生きていくか、そんな事を考えました。

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女性カメラマンの活躍は以外と最近の事だった。

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この何年かで写真をめぐる環境は実に大きく変わったと思います。
誰でも手軽にデジカメやスマホで写真が撮れて、すぐにデータとして送れるし、
それをプリントするのもわざわざ写真屋さんに現像を頼む必要もない。

 北海道テレビの『水曜どうでしょう』は1996年から2002年までの番組で
今、DVD化されていますが、まだ当時はフィルムのカメラで、「写るんです」といった
インスタントカメラが出て来たりして、時代を感じます。
しかし、写真の持つ力は、変わらないのではないかと思ったりもします。
上手い人は何で撮っても上手いし、下手な人はどんな高価な機材を使っても下手です。
それはそれで、自己満足の世界なのでかまわないのですが、それが報道写真や
プロの写真家になると甘い事は言っていられない。

 この写真集は、ナショナル・ジオグラフィックに縁のある11人の女性カメラマンの
写真を集めたもので、被写体は人物だけでなく、風景、動物、少数民族様々です。
1970年代くらいまで、女性カメラマンというのは認められなかった事実に驚いたの
ですが、実際、機材や機械を扱う仕事というのはなかなか女性は進出しませんが
かといって皆無ではありません。

 映画『ビッグ・アイズ』では、妻が描いた絵を夫が描いたとして売り出す話ですが、
何故そんな事になったのか、という理由に1950年代は女性画家の絵は
売れなかったから、というのに驚いたのと同じです。

 「写真では、1枚の絵の中で語られるべきことがすべて語られ、感情と情報が
きちんと伝わらなければならない」と女性カメラマンのひとり、ビバリー・ジョベールは
語っていますが、よい写真とは全くそういうものだろう、と納得しました。

 ただの情報や感情どちらかだったら、それはただのキレイな写真や証拠写真、
旅のスナップといった写真なのでしょうが、訴えるもの、がなにかしらある、というのは
どれだけ写真と被写体に近づいているか、のスリリングさを感じます。

 日本だと女性で梅佳代さんが、面白い視点での身近な写真を撮っていますが、
この写真集(これを元にアメリカで写真展が開かれたそうです)では、社会情勢
(戦争や自然環境問題、少数民族など)や、女性問題(一夫多妻制の問題や
宗教儀式、思春期に入る前に結婚しなければならない少女たち)といった
問題に向き合う女性カメラマンたちの姿が見えるようです。

 女性カメラマンだから、というより、女性だったからこそ撮れた写真というのも
たくさんありますが、写真は男が撮ったから、女が撮ったからといって違うものでもない、
ということも思いました。

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人を見た目で判断するという怖さ

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ドイツのナチスが第二次世界大戦でユダヤ人を迫害したことは様々なメディアで取り上げられ、有名です。
しかし、実はナチはユダヤ人だけをターゲットにしてはいませんでした。

 2002年(日本公開は2004年)の映画『アンナとロッテ』という映画は宣伝は、少女2人の冒険『ふたりのロッテ』みたいなビジュアルでしたが観てみるとナチによる迫害の悲劇でした。
アンナとロッテ、ドイツ人の双子の姉妹は両親の死により、ロッテは裕福なオランダの家族に、アンナはドイツだけれども貧しい農家に養子にもらわれていきます。
アンナは農場で酷使される奴隷生活なのですが、養父母が学校に行かせたくないことから、アンナは障害を持っているから、と申請。

 そして戦争が始まるとアンナは、「障害を持っている」ということから断種されそうになる、というくだりがでてきます。
アンナはドイツ人であるけれど「健全な」アーリア人種ではなかった、ということになり、ナチの手にかかりそうになります。映画はそれだけではないのですが、物語に関わる事でもあります。

 この物語は、1943年チェコスロバキアの農村で、ユダヤ人でもないのに、ナチスに村を襲撃され、金髪青い目である主人公のミラダは一人、拉致されて「アーリア人種になるための学校」に入れられてしまいます。
徹底してドイツ語を習わされ、エファという新しい名前を与えられ、収容所とは違うけれど、ミラダは「見た目がアーリア人」それだけの理由でドイツ人にされてしまう。

 昔、一番語学習得に適しているのは11歳くらい、と聞いた事がありますが、大人よりも子供の方が言葉に対する順応性は高いでしょうね。
実際、ミラダは2年もすると自分の名前、家族の名前まで忘れそうになる。
そして、完全なドイツ人教育が終わると、今度は裕福なドイツ人家庭に養子に出されるのです。

 なぜ、そこまでして養子を育てなければならなかったのか、というのも、当時のナチスの政策の一つだったと知る事になるのですが、読者は1945年に、ドイツは敗戦することを知っています。
裕福なドイツ人家庭に養子に行ったミラダはなすすべもない。

 この本は図書館の「この本よんで」という特集棚から何も知らずに借りました。
本当は小中学生にむけてなのかもしれないのに、いつも借りてしまう私であります。
ヨーロッパは地続きで国がたくさんあるからこそ可能な事かもしれません。
収容所で死んでいく者もいれば、障碍者という事で断種されそうになる者もいたし、この物語はなぜ、チェコスロバキアのある農村がナチスにいきなり攻撃されたか、は著者あとがきで知る事になります。
しかし、当事者たちにとっては青天の霹靂、なぜ?だったでしょう。

 すごいなと思ったのはミラダはなぜ、アーリア人種教育されたのでしょうか、というところで、見た目が金髪、青い目でという遺伝子がどうということもなく、ただ「見た目」でアーリア人種に決定されるという暴力的とも言える理由です。
人間、見た目に弱いというのはわかりますが、この本を読んだ小中学生に「見た目」だけでこれだけの暴力ができるのだ、ということを知ってほしいです。

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紙の本月の砂漠をさばさばと

2016/02/07 14:02

ささやかで幸福な一瞬

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「子どものやることにも、理屈があるのね。あなたのことはとっても可愛い。-でも、あなたの理屈が見えないことは、これからだって、きっとある。そちらから、こちらが見えないことも。-いい悪いではなくて、そういうものよね。」

 小学校三年生のさきちゃんはお母さんと2人暮らし。
お母さんは物語を作る人、つまり作家です。
さきちゃんはまだまだ幼くて、お母さんにお話しをしてもらうのが大好き。
聞き間違いや、いい間違いなど言葉に敏感で、新井さんにくまがもらわれたら「新井くま・・・アライグマ」になってしまう!などという他愛のないやりとりがとても愛おしい。

 月の砂漠をさばさばと・・・行くのはさばの缶詰・・・などと言ってさきちゃんを笑わせる明るいお母さんですが、あくまでも母娘2人の世界であって、父不在なんですね。
さきちゃんはくまがもし新井さんの所にもらわれていったら「苗字が変わる」ということに気が付いており、両親の離婚があって苗字が変わったんだな、という雰囲気をあくまでも漂わす。
そういうことを、露骨に書かず、匂わすということが非常にこの物語、うまいのです。

 さきちゃんの周りにはまだ敵がいなくて、いじめもなくて、仲良しなんだろうけれど、お母さんが冒頭の引用で思うように、いつかさきちゃんは成長して、いろいろな経験をして、いい事も悪い事もあるだろう、しかし、いまはまだ・・・という子どもの無垢なままのある一瞬を見事に切り取っています。

 難しい言葉は使われていなくて、さっと読むとささやかで微笑ましいエピソードの連なりなのですが、その背景にあるものを露骨に口に出すことなく、出しているから、読んでいてほのぼのもするし、さきちゃんが永久に成長しなくて、このままで時が止まってほしい、とも思うのです。

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