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  3. 峰形 五介さんのレビュー一覧

峰形 五介さんのレビュー一覧

投稿者:峰形 五介

69 件中 16 件~ 30 件を表示

人ならざる者が唄う人間賛歌

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『HELLSING』が完結した。
 いろいろと不満はある。外伝が未完であること。四巻にシルエットで登場したヴェアヴォルフの面々が(リップヴァーン・ウィンクル以外は)忘れ去られてしまったこと。ハインケルと由美江があまり活躍しなかったこと。ウォルターの六十年越しの離反が後付けくさいこと……などなど。
 しかし、読後の感動の前にはそれらも霞む。
 正直、この作品がこんなに綺麗な形で終わるとは思っていなかった。特に敵キャラである少佐の扱いには危惧を抱いていた(作者からすれば余計なお世話だろうが)。
 あまりにも魅力的な敵キャラというのも考えもので、時には作者がその敵キャラに肩入れしすぎて話がグダグダになってしまうことがある(ファンの方には悪いが、木城ゆきとの『水中騎士』なんかはそんな感じだった)。しかし、平野耕太は少佐のカリスマや狂気に引きずられることなく、それでいて安易に矮小化することもなく、きっちりと方を付けてみせた。誰にでもできることではない。この平野という男、巻末のオマケマンガやブログ等では常軌を逸した壊れっぷりを見せているが、本当はとても理知的なストーリーテラーなのかもしれない。

 あ、そうそう。オマケマンガといえば、おなじみの山守義雄はこの最終巻にも登場している。解説文によると、彼は「全てを影であやつる至高の存在」であり、「悪逆非道の極地(原文ママ)の存在」なのだという。すげーや。

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紙の本木でできた海

2009/05/13 22:49

木でできた海をどうやって渡る?

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 物語の終盤でフラニー・マケイブは悟る。
「俺たちは彼らの声に耳を傾け、導いてもらわねばならない」
 さて、「彼ら」とは何者か?
 ヒントその1 複数形なのに一人しかいない
 ヒントその2 でも、やっぱり一人ではない



 本作はジョナサン・キャロルの十一本目の長編である。『蜂の巣にキス』、『薪の結婚』に続いて、今回もクレインズ・ヴューが舞台となっているが、前二作とは少しばかり趣が違う。いや、キャロルの過去の作品すべてと趣が違う。キャロル・ワールドに慣れ親しんできた者たちはきっと戸惑うだろう。まさか、キャロルがアレを書くなんて……。
 アレというのは、あるジャンルのこと(ネタバレを避けるために言葉をぼかしておこう)。アレの愛好者たちは「こんな小説はアレではない」と言うかもしれないし、当のキャロルも「べつにアレを書いたつもりはない」と言うかもしれない。それでも多くの読者はアレを思い浮かべずにはいられはずだ。あんな事が起きたり、あんな者が出てきたりするのだから(ああ、もどかしい)。
 しかし、アレであろうとなかろうと、キャロルはキャロルだ。おなじみの要素が本作にも詰まっている。たとえば、奇妙な犬。たとえば、父と子の愛憎。たとえば、不良中年の内省。たとえば、頼れる(しかし、変人の)相棒。たとえば、喋り出す死人。たとえば、俗っぽい姿で現れる高次の存在。そして、甘すぎない感動。
 キャロルは良い意味で変わっていく。キャロルは良い意味で変わらない。新境地を拓きながらも、自分を見失うことはない。
 なぜ、そんな風に変わること/変わらずにいることができるのか?
 たぶん、キャロルもまた「彼ら」の声に耳を傾けているからだろう。



 物語の中盤で少女がフラニー・マケイブに尋ねる。
「木でできた海で、ボートをこぐにはどうしたらいいですか、マケイブさん」
 さて、どうしたらいいのだろう?
 その答えは「彼ら」が知っている。

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紙の本アメリカン・ゴッズ 上

2009/04/12 23:10

オール神様大進撃

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 食事シーンが多い作品である。ただし、豪華な食事は出てこない。質より量のファストフード、もしくは素朴な家庭料理ばかり。ピザ、チリ、パンケーキ、パスティ(これは美味そう!)、マカロニチーズ、デビルドエッグ、ポテトサラダ、リンゴ酒、蜂蜜酒、手作りのビール、アイスクリームサンデー、キャンディバー、特大のチョコレートクリームパイ、KFCのフライドチキン、焦げたフレンチフライ、ぱさぱさの七面鳥、冷めたハンバーガー、米入りのロールキャベツ、ミートボール入りのスパゲティ、酸っぱいボルシチ、薪のストーブで煮込んだシチューなどなど。ダイエット中の方は読まないほうがいい。
 移民国家アメリカが舞台となっているので、いくつかの料理に含まれている民族色は作り手のそれと一致している。たとえば、第二部でスパゲティを作る女性の先祖はコルシカ島の出身だし、第一部でボルシチを振舞う老女はスラヴ神話の女神だ。
 この「女神」というのは比喩ではない。正真正銘の神である。
 そう、『アメリカン・ゴッズ』は神々の物語。

 アメリカには無数の神がいる。多種多様な人種が海を越えて新大陸にやってきた(あるいは強制的に連れてこられた)時、彼らが崇める神々もまたアメリカの住人となったのだ。ヨーロッパの神、インドの神、中国の神、エジプトの神……。
 もっとも、神が神として生きていたのは昔の話。今では力を失い、人間社会に寄生する日陰者になっている。人々の心が新たな神々を生み出してしまったために。インターネットの神、メディアの神、自動車の神、ドラッグの神……。
 古き神々の多くはそんな現実を受け入れているが、北欧から来た隻眼の神だけは違う。
 彼は主張する。
 新しき神々は我らを滅ぼそうとしている、と。
 殺られる前に殺れ、と。
 そして、彼は古き神々を糾合し、新しき神々に戦いを挑んでいく。
 これが少年漫画やライトノベルの類なら、新旧の神々が各々の特性を活かしてバトルを繰り広げるところだが(それはそれで面白そう)、書き手がニール・ゲイマンとなれば、そうはいかない。現代の「神々の黄昏」は読者の予想を裏切る形で進行する。しかし、期待までもが裏切られることはない。ゲイマンが紡ぎ出した神話に読者は困惑しながらも魅了され、憑かれたようにページをめくり続け、クライマックスを経て人心地がついたところで長めのエピローグにとどめを刺されるだろう。その後、すぐに息を吹き返し、再読を始めるはずだ。見逃していた伏線を再確認するために。

 それにしても、カバーの折り返しや帯にある「今世紀最大の問題作」という惹句はいかがなものか? 本書が問題作/名作であることは間違いないが、今世紀が始まってからまだ十年も経っていないのに「今世紀最大」と決め付けるのは早計に過ぎるだろう。
 次世紀が来る前に『アメリカン・ゴッズ』という作品が人々に忘れ去られる可能性がないとは言えない。この物語を最後まで読み通した人なら知ってるはずだ。どんなものもいつかは忘れ去られ、輝きを失ってしまうことを。
 もちろん、いつか失われるからといって今の輝きが無価値というわけではないことも。

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偉人たちとの夏

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「信長」と「銃(ガン)」で「ノブナガン」……ふざけたタイトルだが、中身は熱い。
 少年漫画やライトノベルでおなじみの異能バトルものである。E遺伝子ホルダーと呼ばれる者たちがAUウェポンというアイテムを手にして怪獣と戦うというストーリー。E遺伝子ホルダーは歴史に名を残した偉人の生まれ変わりであり、AUウェポンもその偉人の特質に合った形状や能力を持っている(おそらく「E遺伝子(Eジーン)」は「偉人」、「AU」は「英雄」とひっかけているのだろう)。たとえば、切り裂きジャックのAUウェポンは獲物を両断する刃、ガリレオ・ガリレイのAUウェポンはピサの斜塔のような形の観測装置、ベーブ・ルースのAUウェポンは敵弾を打ち返すバット……といった具合。
 永楽通宝の旗印が刻まれた巨大な銃型のAUウェポンを使う主人公のノブナガンこと小椋しおは織田信長のE遺伝子ホルダー。軍事オタクの女子高生であり、クラスの中でも「ウイている」(本人談)存在なのだが、ねじくれたところのない素直で多感な少女。そんな彼女が戦いの中で青春して恋愛して友情して成長していくという王道的な展開が待っているのだろう。なにせ、この作品は「直球正統派バトルアクション」(裏表紙より)なのだから。
 設定やストーリーだけでなく、作画も魅力的。アメコミ的な絵柄(作者のインタビューによると、『シン・シティ』に影響を受けたとのこと)は癖があるが、癖になる。AUウェポンや怪獣たちのデザインも面白い。ただ、ページの余白が狭く、綴じ目に近い位置の絵や台詞が読み辛いのが難点。
 ちなみに掲載誌『コミック アース・スター』の公式サイトでは本作の第一話が試し読みできる。興味のある方は目を通してみては?

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紙の本キック・アス 1

2011/05/09 20:51

これからの「正義の味方」の話をしよう

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ある日、「つまらない日常を送る、取り得なんかないごく普通の高校生」(本人談)であるところのオタク少年デイヴは学校の食堂でオタク仲間とオタク談義をしていた。

デイヴ「けど、なんで誰もスーパーヒーローにならないんだ?」
友人A「さあなァ。不可能だからじゃね?」
デイヴ「マスクを被って人助けをすりゃいいだけだろ? 不可能じゃないよ」
友人B「それじゃただの頭のおかしいヤツだよ。現実じゃムリだな」

 いや、ムリじゃない。この時、デイヴは決意した。「頭のおかしいヤツ」になることを……。
 かくして、一人のスーパーヒーローが誕生した。その名はキックアス。eBayで購入したコスチュームを身につけ、MySpaceで情報を発信/収集し、YouTubeに雄姿がアップされる、新時代のクライムファイターだ。

 かつてサイボーグ009こと島村ジョーは「あとは勇気だけだ」と言ったが、我らがキックアスの場合は最初から勇気だけ。そう、なんの特殊能力も持っていないのだ。もちろん、天才的な頭脳もないし、莫大な財力もないし、高度な戦闘訓練を積んできたわけでもないし、女ヴィランの心をよろめかせて正義の側に寝返らせるような甘いマスクもない。
 ないない尽くしの激弱ヒーロー――ある意味、それは他のどんなヒーローよりも真摯だ。ないない尽くしであることを自覚しているにもかかわらず、悪に立ち向かっていくのだから。
 しかし、そんな「真摯」なヒーローが無傷で済むわけがない。キックアスは事あるごとに殴られ、蹴られ、歯を折られ、骨を砕かれ、悲鳴を上げ、血反吐を吐く(全八話のうち、彼が痛い目にあわないのは第四話と第六話だけ)。たった一つの武器であるはずの勇気を放り出し、無様に泣き喚いて命乞いをすることもある。
 それでも、最終的には狂気と紙一重の勇気を取り戻して立ち上がるのだ。ヒーローは決して裏切ってはいけないから。人々の期待を。そして、自分の信念を。

 オタクと呼ばれる人々の多くがそうであるように(まあ、オタクに限ったことじゃないが)デイヴもまた痛い奴だ。もう、どうしようもないほど痛い奴だ。
 しかし、本来の意味での「痛み」に耐えながらボロボロになるまで戦った彼を笑うことなど誰にもできないだろう。

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紙の本Vフォー・ヴェンデッタ

2007/12/01 11:37

Vi Veri Veniversum Vivus Vici

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

名作は色褪せない――それは幻想だ。時が経てば、どんな名作も色褪せる。時代性を反映した作品なら尚更だ。
この『Vフォー・ヴェンデッタ』も例外ではない。『1984年』めいた世界観は手垢が付きまくっているし、絵柄も古臭くて地味だ。
しかし、読む価値はある。表層は少しばかり色褪せているが、その内にあるものは決して錆びついていない。幸か不幸か、この物語が完全な絵空事になるほど、人類は成熟していないのだから。

念のために言っておくと、本書は「全体主義国家に反旗を翻したヒーローの痛快な活躍を描いた物語」といったものではない。主人公のVは強固な意志と常人離れした行動力と類まれなる知性を有しているが、テロリストであり、アナーキストであり、狂人である(作者のアラン・ムーアもVを全面的に肯定しているわけではない)。決してヒーローではない。また、復讐に燃えるアンチヒーローでもない。タイトルに「VENDETTA(復讐)」という言葉があるが、Vの復讐は第一部で終わり、第二部以降の彼はアジテーターとして行動するのだ。
ヒーローだけでなく、明確な悪役も出てこない。強いて言うなら、システムが悪である。本書はそのシステムに囚われている人々の群像劇として見ることもできる。感情をまったく表に出さないVよりも、彼に翻弄される者たちのほうに読者は(好感とまではいかないが)幾ばくかの共感を抱くことだろう。

ところで、「『Vフォー・ヴェンデッタ』の映画を見たけど、つまんなかった。だから、原作は読まなくてもいいや」と思っている人もいるかもしれないが、そういう人こそ本書を読むべきだ。映画と原作はぜんぜん違う。基本的なストーリーは(いろいろと端折られているとはいえ)同じだが、映画版には重大なものが欠けている。それは作り手の「怒り」や「怨念」や「憤り」とでも呼ぶべきものだ。
本書にはアラン・ムーアの「怒り」や「怨念」や「憤り」が詰まっている。コマから溢れ出すほどに……って、あれ? ここまで書いて気付いたけど、ぜんぜん色褪せてないじゃん!

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シェー! おフランスの漫画ザンス!

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『Euromanga』というタイトルからも判るようにヨーロッパのコミックを収録したムックである。ヨーロッパといってもフランスで出版された作品ばかりなのだが、作者たちの出生地はベルギーやイタリアやスペインなどヨーロッパ各地に散らばっているので、看板に偽りはない(フランス出身の作者は一人だけ)。
 このVol.1には『スカイ・ドール(SKY-DOLL)』『ラパス(RAPACES)』『ブラックサッド(BLACKSAD3)』『天空のビバンドム(BIBENDUM CELESTE)』の四本が収録されている。『ブラックサッド』は既に1巻と2巻が邦訳されているが、それ以外の三作はおそらく日本初お目見え。
 どの作品も絵が素晴らしい(特に『ブラックサッド』はカッチョよすぎる)。
 一方、ストーリーのほうは……う~ん、ビミョーなところ。まあ、おもしろくないわけではない。「そこそこおもしろいコミックを読んでみたい」という期待は裏切られないだろう。しかし、「日本のコミックでは味わえないものを堪能したい」という期待を持って読むと肩すかしを食らうかもしれない。未来世界のセクサロイドを主人公にした『スカイ・ドール』にも、人間たちの社会に潜んでいる吸血鬼一族の内紛を描いた『ラパス』にも、黒猫探偵のハードボイルド『ブラックサッド』にも、海外作品ならではの魅力というものが感じられなかった。物語の素材が日本の漫画やアニメやライトノベルやゲームなどでおなじみのものばかりなのだ。
 唯一の例外が『天空のビバンドム』。なんとも言えない奇妙な味わいのある作品である。いわゆるアート系だが、その手の代物にありがちな気取りや厭味がないところも良い。これを読むためだけに本書を買っても損はしない。
 ちなみに『天空のビバンドム』は全3巻であり、このVol.1には第1巻の前半部が収録されているので、順当に行けばVol.6で完結ということになる。先は長い。つきあう覚悟はあるが、「VOL.6まで続くのか? その前に廃刊になっちゃうんじゃないの?」なんて不安が拭いきれないんだよなー。

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再生の物語、新生す

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『マルドゥック・スクランブル』を未読の方には旧版の書評やyjisanさんの書評を参考していただくとして、ここでは「旧版を読んでるから、完全版はべつに読まなくてもいいかなー? いや、やっぱり読んだほうがいいかなー?」と迷っている人のために、完全版での変更点について報告をば。

 最初に断っておくと、物語の骨格やテーマが変わったわけではない。新しいキャラクターが登場するわけでもなければ、重要なシーンが追加されているわけでもなく(バンダースナッチの面々の過去が語られる程度)、旧版とは別の結末が待っているわけでもない。
 にもかかわらず、完全版は旧版とは別物になっている。作者曰く「文章上、必要と思われる修正をできる限り行った」(後書きより)とのことだが、その「必要と思われる修正」の量が尋常ではないのだ。登場人物の心情がより細かく描写されているし、舞台であるマルドゥック市の設定がより深くなっているし、章立てが変わっているし、前日譚『マルドゥック・ヴェロシティ』との間に生じた矛盾が修正されているし、ボイルドを描写する際に(おそらく意図的に)多用されていた「うっそりと」という言葉が大幅に削られているし、最後の戦いのシーンでは「爆心地(グラウンドゼロ)たるべき一点を目指して」なんて文章(『マルドゥック・ヴェロシティ』を読んだ人なら、その意味が判るはず)が出てくるし……と、いちいち挙げていたら切りがないほど。おそらく、手を加えられていないシーンのほうが少ないだろう。いや、少ないどころか、皆無かもしれない。
 その数え切れない改訂箇所の中で特に印象に残ったのは二つ。
 一つめは一巻第一章の終盤。旧版ではバロットの心情がウフコックの台詞で表されていたが、完全版では当人が直接的な行動に出る。もちろん、それは未遂に終わる。旧版と同様、ウフコックの「最初の優しさ」によって。
 二つめは三巻第三章でのカーチェイス。銃弾を撃ち尽くしたボイルドが思わず叫ぶ(これも『マルドゥック・ヴェロシティ』を読んだ人なら、どんな叫びか判るはず)。それをボイルドの視点で描くことなく、バロットが叫びを聞くという形にしているところがニクい。
 あ、もう一つあった。「ペーパーバックの西部劇」(旧版三巻P166)が「ネットムービーの西部劇」(完全版三巻P107)に変わっているところ。近未来が舞台だから、ペーパーバックなんてものは時代遅れになっているようで……いまだに電子書籍になじめない私としてはちょっと物悲しさを覚えてしまった。
 まあ、そんなどーでもいい話はさておき。
 結論として、旧版を読んでいる人にも完全版はお勧めできる。なにか新しいものを求めているのなら拍子抜けするかもしれないが、少なくとも旧版で得られた感動が台無しになることはないはず。

 さて、あとは完結編『マルドゥック・アノニマス』を待つばかり。
 できれば来年中には刊行してほしいなー。

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笑うに笑えない惨状をあえて笑い飛ばしてやれ!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

クリス・ロックのギャグでいちばん強烈だったのを紹介
しよう。
「黒人はマイノリティだから黒人大統領が生まれないの
はしょうがない。でも、黒人が副大統領に指名されない
理由は何だか知ってるかい? すぐに大統領が暗殺され
ちゃうからだよ。オレはやるよ。たとえ死刑になったっ
て、黒人を大統領にした歴史的英雄になれるからな!」
            町山智浩『アメリカ横断TVガイド』より



 本書『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』の第六章のテーマは今年の大統領選なのだが、そこにもクリス・ロックの名前が出てくる。彼が製作と監督と脚本と主演を務めたコメディ映画『ヒップホップ・プレジデント』が紹介されているのだ。米国初の黒人大統領候補を主人公にしたこの映画が作られたのは今から五年ほど前。劇中に「次に黒人が候補になれるのは、あと50年先だ!」という台詞が出てくるそうだが、五年前の時点ではその言葉を大袈裟だと思う者はいなかっただろう。allcinema ONLINEにも「黒人大統領かぁ、夢のまた夢だよね」というコメントが投稿されている。
 ところが、その「夢のまた夢」が現実になった。たった五年で。恐るべし、アメリカ。本当のアメリカン・ドリームとは個人の上昇神話ではなく、このような歴史的快挙のことなのかもしれない。

 本書が取り扱っているのは大統領選だけではない。第一章では宗教、第二章は戦争、第三章は経済、第四章は政治、第五章はメディアがテーマとなっている。
 もちろん、各々のテーマには「現在のアメリカの」という枕詞がつく。いや、「現在のアメリカのバカげた」という枕詞のほうがいいかもしれない。バカげた宗教、バカげた戦争、バカげた経済、バカげた政治、バカげたメディア……どれもこれも洒落にならないくらいバカげているので、笑ったり呆れたりするより先に恐怖を覚えてしまう。特に第一章で紹介されているキリスト教原理主義者たちの愚行や蛮行はひどい(まあ、日本でも妙なカルトが幅をきかせていたり、細木カバ子やエロ原啓之みたいなペテン師どもがテレビに堂々と出ていたりするので、他国のことをとやかく言えないんだけどね)。
 それでも読み終えた後に憂鬱な気分にならないのは、幾許かの希望を本書から感じ取ることができるからだ。町山がアメリカという国に抱いているあろう希望を……。
 あ、そうそう。希望だけでなく、ユーモアも忘れられてはいない。思わず声を出して笑ってしまった箇所もある。たとえば、なんでもかんでもゲイ扱いして敵視する福音主義者ジェリー・フォルウェルに対する町山のツッコミ。
「何を見てもゲイに見えるって、おまえはやおいの腐女子か?」

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紙の本蜂の巣にキス

2012/05/19 00:15

「こんにちは、読者さん!」

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「かわいくって、死ぬような子に見えない」
〈蜂の巣〉の写真を見て、サムの娘はそう呟く。
〈蜂の巣〉とは、サムの故郷クレインズ・ヴューに住んでいた少女の渾名。本名はポーリン・オストローヴァ。町一番の優等生にして問題児。そして、殺人事件の被害者。死体の第一発見者はサムだ。
 サム曰く「ポーリンの死後、クレインズ・ヴューでは奇妙なことがいくつか起きた」。そのうちの一つが落書き事件。ポーリンの死体が発見された翌日、何者かが町のあちこちに書いて回ったのだ。「こんにちは、ポーリン!」と……。

 三度目の離婚と人生最大のスランプのせいで作家としての行き詰まりを感じていたサムは〈蜂の巣〉の殺人事件に関する本を書き始める。一応、犯人は捕まっている。〈蜂の巣〉とつきあっていたエドワードだ。彼は終身刑になり、刑務所で自殺した。しかし、サムの少年時代の悪友で現在は警察署長を勤めているフラニーは真犯人が別にいると考えていた。
 やがて、フラニーの推測が正しいことを証明するかのように何者かがサムにメッセージを送ってくる。「こんにちは、サム!」と……。

 ……というような具合にあらすじだけを書くと、推理小説のように思えるかもしれないが、これは推理小説ではないし、サイコホラーの類でもない。
 なぜなら、物語の紡ぎ手がジョナサン・キャロルだから。
 キャロルは焦らし上手だ。ゴングが鳴っても華麗なフットワークを披露するだけでジャブさえ打ってこない。初めてキャロルと対峙した人は焦らされていることに気付かず、ただフットワークに魅せられるだけだろう。弘兼憲史ほど脂っこくなく、わたせせいぞうほど作り物くさくもない、小洒落た大人の小洒落た恋愛ものを読んでいると錯覚するかもしれない。
 もちろん、錯覚が錯覚のままで終わるわけがない。やがて、魔法の瞬間が訪れる。視界の隅に見え隠れしていた不気味なものが登場人物(と読者)の眼前に飛び出しくる瞬間だ。そして、夢のように甘かったはずの現実は例えようもない悪夢に変わる。あがいても無駄。あとは落ちるだけ。それがキャロル。

 本作は『月の骨』から『天使の牙から』に続く一連のシリーズとは関係がなく、他の長編と世界観を共有しているわけでもない。そのためか、物語の中に超自然的な要素は一つも含まれていない。天使も悪魔も死神も出てこないし、犬や猫が喋ることもないし、死人が生き返ることもない。ダークファンタジーでありながら、現実世界のルール(モラルではなく、法則という意味でのルール)に則った出来事しか起きないのだ。そういう意味ではキャロルらしくない作品だと言えるだろう。
 しかしながら、前述した「魔法の瞬間」は出てくる。それも、かなり強烈なやつが。何度も、何度も、何度も。舐めてかかると、痛い目を見る。
 巻末の解説で豊崎由美が「羨ましくてたまらないのは、これからジョナサン・キャロルの小説を読む人」と述べているが、まったく同感だ。キャロル未体験という人はまず本作から読んでみるといい。気に入ったのなら、他の長編に挑戦することをお勧めする。本作で味わった衝撃はまだまだ序の口だったということを思い知るだろう。

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青空色の黒歴史

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 実録テツマンガ『鉄子の旅』の第一話でキクチこと菊池直恵が初登場した時、その名前の横には「デビューしたものの芽が出ないマンガ家」と記されていた。その後、芽が出て花が咲き、『鉄子の旅』は大ヒットしたわけだが……さて、芽が出る前の菊池直恵はどんな作品を描いていたのか?

『鉄子の旅』を読むまで菊池直恵という漫画家の存在を知らなかった私にとって、「菊池直恵=『鉄子の旅』の作者」である。
 だから、この初期作品集を読んで驚いた。
「平成の『めぞん一刻』」を目指したという『行徳駅下車』、結婚を目前に控えた青年が中学時代の初恋を思い出す『杏日和』、一夜を共にした男女の前に謎の死体が現れるサイコホラー『冬の一番長い日』、失恋した男と不思議な少女との心の交流を描いた『ポチ』――どれも『鉄子の旅』の雰囲気からはかけ離れている。しかも、『冬の一番長い日』以外の三作は、青春の一ページを真正面から描いた甘酸っぱぁ~~~い物語と来たもんだ。
 そうか、これが菊池直恵の本当の作風だったのか……なんだか、ツンデレの「デレ」の部分を見てしまった気分。

 それにしても、『鉄子の旅』の描き手に菊池直恵を選んだのは誰なのだろう。IKKIの編集長? 初代担当のイシカワ? それとも、別の誰か?
 まあ、誰であるにせよ、その人物は凄い。本書に収録されている作品からは窺い知ることのできない菊池直恵のシニカルな気質を見抜いた上で(そして、その気質が実録テツマンガで活きると判断した上で)彼女を『鉄子の旅』に起用したのだとしたら。

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"We blew it"とキャプテン・アメリカは言った

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 アメリカ在住の映画評論家・町山智浩のコラム集である。ベストセラー『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』の姉妹編のようなもの(どちらの本も『週刊現代』に連載されていたコラムが中心になっている)だが、本書のほうは――

 NASA製の紙オムツをつけて大陸を横断したストーカー宇宙飛行士!

 全身全霊をかけてドンキーコングに挑む中年男!

 億万長者が遺産を残した相手は愛犬のマルチーズ!

 ストリート・ギャングを題材にしたガチャポンが大人気!

 パン屋の利権を巡って繰り広げられた骨肉の争い!

 ――といった具合に三面記事的なネタを取り扱ったコラムが多いので、『USAカニバケツ』の雰囲気に近い。
 三面記事的だからといって、『アメリカ人の半分は~』より内容が軽いわけではない。思わず吹き出してしまうようなマヌケな事件の背景にも、アメリカが抱えている病――人種差別や格差社会や宗教問題があるのだから。
 とはいえ、町山はアメリカの病だけでなく、魅力も伝えてくれているが。

 ちなみに私が最も興味をひかれたのは、アメリカ発の実録系ベストセラーのデタラメぶりについてのコラム。『サラ、いつわりの祈り』、『“It”と呼ばれた子』、『ハサミを持って突っ走る』、『リトル・トリー』――これらは自叙伝の体裁を取っているが、その内容は嘘八百なのだという。
 で、試しにちょっと検索してみたら……げ! 『リトル・トリー』って、小学生向けの名作選にまで収録されてるじゃん!?

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紙の本ドリトル先生の英国

2008/03/28 21:39

ドリトル先生のイギリスはおいしい

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 世の中には二種類の大人がいる。「オランダボウフウ」という言葉にノスタルジーを感じる者とそうでない者――つまり、子供の頃に『ドリトル先生』シリーズを読んだ者と読まなかった者だ。貴方が前者であるのなら、本書を強くお勧めする。ドリトル先生に関する諸々について「ああ! そうだったよなぁ」と思い出したり、「なるほど! そうだったのか」と納得したり、「そうそう! そうなんだよ」と何度も頷くことができるはずだ。

 本書は「博物学者」「興行の世界」「ドリトル家の食卓」「ドリトル先生と女性」「ドリトル先生と階級社会」「世界の友」「ドリトル先生と聖書の世界」の七章で構成されている。ガブガブに親近感を覚える私としては第三章「ドリトル家の食卓」が最も楽しく読めた。
 著者もガブガブを深く愛しているらしく、彼のことを水戸黄門におけるうっかり八兵衛に例えている。いや、これはコメディリリーフという意味ではない。助さんや格さんのような野暮くさい連中の理解を得られない孤高の粋人だと言っているのだ。そんな粋人(粋豚?)のライフワークをまとめた『ガブガブの本』もこの章で紹介されている(『ガブガブの本』は本書の発行時には未訳だったのだ)。
 そして、ガブガブといえば、冒頭でも挙げたオランダボウフウである。多くの読者が抱いていた疑問――ガブガブの好物であるオランダボウフウとはどんな野菜なのか? その謎を著者は原書にあたってあっさりと解いてしまうのだが、それだけでは終わらない。井伏鱒二が件の野菜にオランダボウフウと命名した理由についても考察し、その「超訳」を評価している。

 著者は「飲食に関する言及が頻繁に出てくるという点で『ドリトル先生』は『金瓶梅』に匹敵する」という旨を述べているが、これは決して大袈裟ではない……かどうかは判らない(私は『金瓶梅』を読んだことがないので)。しかし、飲食に関する言及が頻繁に出てくるというのは事実だ。本書を読めば、『ドリトル先生』を"食の物語"として読み直したくなるだろう。

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紙の本グッド・オーメンズ 上

2007/12/20 19:52

天国と地獄の再婚

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「だって、わざわざあの木をさして、『さわるな』ってでかでかと書いてあるんだぜ。ばかだろ? なんで、どこかの高い山の上とか遠いところとかに置いとかないんだ?」
本書のプロローグに出てきた台詞である。この言葉を口にしたのは悪魔。彼が話しかけている相手は天使。ときは天地創造から七日+数日後。ところはエデンの東。となれば、「あの木」がなんの木なのかは言うまでもないだろう。
それから六千年後(お察しの通り、この物語のタイムスケールは創造論に基づいている)、「あの木」の実を食べた者の子孫たちの世界は終末を迎えようとしていた。
そう、ハルマゲドンだ。
反キリストが目覚め、黙示録の四騎士が集結し、アトランティスが浮上し、天から魚が降り、宇宙人が現れ、チベット人がトンネルを掘り……あれ? ハルマゲドンって、こんのだっけ?



黙示録を題材にした作品というのは当たり外れが大きいような気がする(そもそも、原典であるヨハネの黙示録にしたって、そんなに面白い読み物じゃない)。しかし、この「グッド・オーメンズ」は間違いなく大当たりだ。
カバーの折り返しには「抱腹絶倒」という言葉があるが、腹を抱えてゲラゲラと笑い転げるような類の話ではない。ブラックな小ネタにニヤリと笑うのが正しい読み方なのだろう。もっとも、その小ネタの数が非常に多く、間を置かずに次々と打ち込まれてくるので、ニヤリどころか終始ニヤニヤしっぱなしになるかもしれない。人目の多いところでは読まないほうがいい。
ただ、「神の御意思ははかりしれない(そして、おそらく正しい)」というキリスト教的というか欧米的な思考に帰結してしまうのはちょっと興醒めだった。私は無神論者なので、ダグラス・アダムスのようなドライな落とし方のほうがしっくり来る。
欧米的と言えば、人類の犯罪的愚行の一つとして「クジラ殺し」が挙げられていることにも辟易した。まあ、実はそれさえもギャグなのかもしれないが。
これも欧米繋がり……というわけでもないが、英語圏でのお約束のネタが本書にも出てくるので、ちょっと紹介しておこう。
「エルビス・プレスリーの没年は?」
そのクイズに対して、黙示録の四騎士の一人である〈死〉がこう答える。
「問題の意味がわからん。わたしはやつには指一本触れてないぞ」

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紙の本マルドゥック・フラグメンツ

2011/06/06 20:20

マルドゥック・スケッチズ

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 冲方丁のマルドゥック・シリーズの短編集である。収録内容は以下の通り。


1 マルドゥック・スクランブル“104”

2 マルドゥック・スクランブル“-200”

3 Preface of マルドゥック・スクランブル

4 マルドゥック・ヴェロシティ Prologue & Epilogue

5 マルドゥック・アノニマス“ウォーバード”

6 Preface of マルドゥック・アノニマス

7 古典化を阻止するための試み

8 事件屋稼業(抜粋)


 1と2はウフコックとボイルドがまだコンビを組んでいた頃のエピソード。つまり、『マルドゥック・ヴェロシティ』の時代の物語ということになるのだが、ウフコックとボイルドの関係は『ヴェロシティ』本編のそれとは違って少しばかり険悪なものになっている(どちらの短編も『ヴェロシティ』の構想が固まる前に書かれたからだろう)。番外編や外伝ではなく、パラレル・ワールドの物語として読むべきなのかもしれない。
 3は『マルドゥック・スクランブル』の前日譚。『スクランブル』や『ヴェロシティ』では見られなかったウフコックの単独行動(ターン能力を活かした潜入捜査)が描かれている。
 4は『ヴェロシティ』の台詞や情景を切り張りしたコラージュめいた予告編。本編より先に書かれたものなので、実際の内容とは少しばかり異なるところがある(シザーズが09に加わっていたり、あるキャラの死に際の台詞が違っていたり……)。
 5は本書唯一の書き下ろし。次回作『マルドゥック・アノニマス』に繋がる短編。
 6は『アノニマス』の予告編。ウフコックによる『アノニマス』の登場人物紹介といったところ。もっとも、『アノニマス』はまだ完成していないだろうから、4と同様に実際の内容とは少し異なるところが出てくるかもしれない。
 7は冲方のインタヴュー。本気か冗談かは判らないが、冲方は「次の改訂はまた十年後にやりましょう」と発言している。しかし、個人的には改訂はこれっきりにしてほしい。作品が古典化してしまうことを危惧する気持ちは判らなくもないが、定期的な改訂というものに対して、どうしても不安を抱いてしまうのだ。次の改定が今回の改稿のように成功に終わるとは限らないから。
 8は『スクランブル』の初期原稿の抜粋。これは収録する必要があったのだろうか? なんだか、水増し感が……。


 短編集ではあるものの、純粋に短編小説と呼べるのは1と2と3と5の四本だけなので、いまいち食い足りないというのが正直なところ。各作品に解説等が付いていなかったのも残念。
 5と6には『アノニマス』のネタバレ……とまではいかないが、09の新メンバーの能力や敵の顔ぶれなどの情報が記されているので、真っ白な状態で『アノニマス』に挑みたい人は読まないほうがいいかもしれない。

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