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カフェイン中毒さんのレビュー一覧

投稿者:カフェイン中毒

129 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本怖い絵

2009/02/09 22:47

そして怖い物語

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

近くの書店で売上ベストテンに入っていて、
そうなると天邪鬼な私は「ま、今読まなくてもいいか」と思ってしまうのでした。
ところがパラパラとページを繰り始めると、これがやめられない。
『怖い絵2』にも手を出す予定となりました。

取り上げられる絵画は、一見して不気味なものもありますが、背景を読み取る必要のあるものが多く、
それには当時の政治、風俗、宗教など、歴史的な要素を避けて通れないようです。
いや、むしろ、そこにこそ「怖さ」が潜んでいるというお話。

過去に美術館で観た絵も、画集で知っている絵も多くありました。
読みながら、それらをもう一度観たいという強烈な欲望にかられます。
一生に一度しか目に触れない可能性の高いものを、なんの予備知識もなく観て、
そこにあったであろう深い意味に頓着しなかったことへの悔しさです。

もちろん芸術の多くがそうであるように、感覚で知りえることもあるでしょうし、
何も知らずに観たからこその感動も否定はできません。
それでも筆や技術に対する興奮や、本物から伝わる素晴らしさの他に、
もっと作品を楽しむ術があったのだという想いは、私の中でどんどん膨らみました。

宗教画などは、幾人もの画家が同じテーマで筆をとっているので、それらの比較もおもしろく、
同じ物語が描き手の生い立ちや人生で、ずいぶんと変わってしまうのだという発見もあります。

衝撃的だったのが、ダヴィッドの『マリー・アントワネット最後の肖像』。
ギロチン直前の市内引き回しのときの彼女を、鉛筆でスケッチしたもので、
著者も書いているように、描き手の悪意がそのわずかな線に如実に表れているのです。

後世には「マリー・アントワネットの最後を見た画家が‘忠実’に表したであろう1枚」として残るのでしょうが、
それがかなりの悪意を含んだものとなると、主観というものの怖さも伝わってきます。

感動を与えてくれる作品に、余計な注釈など必要ないという意見もあるかもしれません。
しかし、人物、時代背景あってのおもしろさも無視できないことに気づかせてくれる一冊でした。

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紙の本夜は短し歩けよ乙女

2008/07/17 12:23

恋愛小説は苦手です

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

単なる好みなのですが、なにやら登場人物だけでなく、
作者までが酔ってしまっているような、そういう恋愛小説が苦手です。
帯に「恋愛」の文字が躍るたびに、私の書棚に並ぶことはないのだろうと思うのです。

この小説でも、これでもかと恋が語られています。
摩訶不思議な世界と行ったり来たりの、それでもえらく現実くさい恋です。

少なくとも私にとって、くだらない(と他人からは思われる)策を弄して
右往左往する‘先輩’の恋の駆け引きは、かなりリアルでした。
恋する者の「滑稽で愛すべき空回り」を、森見氏独特の文体で
次から次へと繰り出され、やられた~と思いました。

デビュー作『太陽の塔』の滑稽さと、基本的には同じだと思うのですが、
ポップになったぶん、キュートさが際立っているような気がします。

もともと「文章」を存分に味わえる作家です。
物語はとてもおもしろいのに、気がつくと一文一文を読み返していて、
やけにのんびりした読書になっていることも多い。
再読に耐えられるどころか、何度も読み返してしまう、味わい深い、
これもそういう本です。

春夏秋冬を通して、少しずつ、しかし確実に変わっていく主人公たちの関係。
と書くと、まるでしっとりとした恋愛小説のようですが、
物語は怒涛のごとく、ふたりを巻き込んでいきます。

存分に笑って、そのくせ何度もドキドキさせられ、
気がつくと恋をしたような気分になっていました。
相手は‘先輩’なのか、森見氏なのか、この物語そのものなのか。
なんにせよ、とてもシアワセなことには変わりありません。

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紙の本シズコさん

2008/07/24 22:05

母を愛することをやめる?

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

実母を嫌い、姉妹集えば母の悪口を言い、
会えばどうしようもないところまで追い込んでしまう。

抱いてもらった記憶もなく、手を握ろうとしたら振り払われた。
子供心にもこれは何かおかしいのではないかと思いながら、
著者は自分から母を愛することをやめてしまうのだ。

戦後、家族で北京から戻り、民主主義の洗礼を受けたあたりから、
母は変わったのかもと思う。

いや、溺愛していた息子を亡くしたことが大きく影響しているのか。

母のもらしたことのある言葉から、父に似て可愛がられた自分は
嫉妬されていたのかとも考える。

身だしなみに気をつかい、必ず化粧をしていた母親を思い返しながら、
手繰り寄せて吐き出すのは、恨みごとに似た母への想い。
娘のこともわからなくなって久しい母に、やっと触れることができるようになった喜び。

母に対して優しい気持ちになれなかった時間を取り戻すかのように、
ページがすすむと、良妻賢母の資質がじゅうぶんにあり、
社交的で人に慕われた、今まで考えもしなかった母の美点に目が行くようになる。

それなのに。
いやそれでもというべきか、やはり母への恨みごとは尽きないのだ。
それは同時に、母を愛することをやめたまま生きてきた自分も続くことを意味する。

虐待などなくとも、うまく機能していない母娘は、世にごまんといるだろう。
ただお互いをうまく愛せないという理由で、ずっと心を遠ざけたままの母娘がいても不思議ではない。

それでも、やはり愛したかったのだと思う。
そう、著者は「愛されたかった」とは言わないのだ。
母を愛することをやめてしまった自分を、ずっとずっと罰してきた著者の、
これは悔恨の記録なのだろう。

そんなふうに読み解いたのは、私自身の母への想いもあるのかもしれない。
もう一度手にすることがあるならば、
そのときは氷解する母娘の物語として読めればいいと切実に願うのだった。



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紙の本趣味は何ですか?

2010/06/29 07:18

無趣味……じゃダメですか?

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「趣味は何ですか?」
そう尋ねられて、あなたはすぐに答えられるでしょうか。

昔から、やりたいことが次から次へと湧いて出て、
目移りはするものの、暇を持て余すようなことのない生活でした。
自慢にもならないけれど、「きわめる」ようなところまではとても続かず、
こういうのを、まさに趣味っていうのだろうなと、思い込んでいたのです。

ところが、実際に「趣味は?」と尋ねられると(もしくは記入事項にあると)、
今では過去にやり捨ててきたものが浮かぶだけで、絶句してしまい、
「読書……ですかね」なんて、歯切れの悪い返答しかできません。
そういえば誰かが、「読書と映画鑑賞は、もはや趣味とは言えないんだよ」
なんて言っていたなあと思いながら。

この本では、著者自身が無趣味だということを自覚しつつ、
趣味を謳歌している人たちを取材し、「趣味」について考察しています。

タカハシさんのすっとぼけた印象がかすむほどに、趣味に走る人たちの個性豊かなこと。
いったい何が楽しくて……というものから、やり過ぎではないのかというものまで。
もちろん「男は蕎麦打ち、女はヨガ」みたいな、
わりと定番になりつつあるものも、きちんと押さえてくれています。

何かを好きになった人の情熱とこだわり、他人から見たら少々滑稽な部分も、
「趣味」だと思えば、なんとなく納得してしまう不思議。
自分で「何が楽しいのかわからない」のに続けている人もいて、
無趣味ということへの強迫観念めいた雰囲気も、高橋さんの代弁で一掃されたりします。

読後、あたりかまわず「趣味は何ですか?」と訊きたくなってしまいました。
それについて、ぜひとも語ってもらいたい。
その人の新たな(隠れざる?)面を見られるかもしれません。

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街にあふれる言葉たち

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

歌人というせいもあるのでしょうけれど、言葉に鋭敏な人だなあと、いつも感心させられます。
言葉ひとつにとらわれ、それを突き詰めて考え、おもしろがり、
他者にうまく説明する力があってこそ、こういう類の本を書けるのだと思うのです。

街に溢れた(ときには身近な人が発した)言葉の数々。
何かに書かれたものであったり、偶然耳にしたものであったり。

言い間違いもあれば、本人が確信をもって発言しているにもかかわらず、ツッコミどころ満載のセリフ。
そういうものを集めているのですが、ただ集めただけでなく、
著者特有の魅力的な説明が添えられています。

読み終えるのがもったいないと思える本に、ときおり巡り会います。
小説の場合、筋書きが気になるので、読み終えるのも致し方ないと納得できるのですが、
このテの本の、残りページ数が減っていく無念さといったら!

うまく説明できないのが申し訳なく、情けないのですが、
とりあえず読んでいて、笑いをこらえることができませんでした。
もともとひっかかりのある言葉を選んだうえに、
ユーモアたっぷりのエッセイがつくのですから、当然かもしれません。

そして読みながら、いつもと同じことを考えます。
「この人みたいに、おもしろい文章を書けたら楽しいだろうになあ」と。

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紙の本黙って行かせて

2010/02/04 09:03

娘から見た、元ナチス親衛隊の母

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

戦時中の人体実験、虐殺、差別。
そういったものは世界のいたるところで行われたのだろうが、
その残虐性を多くの人に思い至らせるには、
おそらくナチスという言葉は、圧倒的な力を持つのだと思う。

著者が4歳のとき、ナチス親衛隊員だった母親は家を出ていく。
父は戦地へ赴き不在、弟はおむつもとれない年齢だった。
泣きながらの別れなど、そんなセンチメンタルなものはなかったらしい。
自分は行くけれど、泣くなと言う母。
おまえが泣くと、眠っている弟が目を覚ますからだと、厳しく言い残す母。

そんな別れから数十年後、著者は一度母親を探して再会している。
世の中も変わり、ヒトラーもいない今、母も変わったはずだと期待してもおかしくないだろう。
母を抱きしめたいと思っても、それは当然のことだろう。

しかし母親は、ナチス親衛隊にいたこと、強制収容所の看守だったことを、
いまだに誇りに思っていて、再会した娘に滔々と自慢を始める。
親衛隊の軍服を、娘に着せようとする母。
収容所のユダヤ人から取り上げたいくつもの金製品を、娘に譲ろうとする母。

嫌悪感と後悔を胸に、それきり母のことを忘れようとした著者に、
それから27年後、ふたたび対面の機会が訪れる。
高齢で、記憶もあやふやになりつつある母と会うのは、間違いなく最後の機会だろう。
期待よりも怯えを抱えて、従姉妹に伴われた彼女は施設に向かう。

いっそ母を徹底して憎むために、彼女は当時のことを尋ねる。
そのやりとりが、とても悲しい。
目の前の娘らしき人物(著者)を帰したくなくて、話を小出しにする母。
餌をまいてでも、母から歴史的事実を訊き出そうとする娘。
記憶は、過去と現在を行ったり来たりする。

著者の幼少期のエピソードに、空恐ろしいものがあった。
母の仲間が数人集まった席で、著者とその弟は、母の意に反することをしてしまう。
それだって子供のすることで、しかも母の強制に従わなかったというだけのこと。
なのに、そのお仕置きとやらがひどかった。

幼子二人を困惑と恐怖に陥れ、母を含む大人たちは、それをゲラゲラと笑いながら見ていたというのだ。
そこには、洗脳以前の、個人の持つサディスティックな一面が垣間見える。
ナチス親衛隊員という特殊な立場に、もし適正というものがあるとするなら、
ここにいた大人たちは、その一点ではクリアしていたのではないかと勘繰るほどに。

人生の終わりを前に、娘は、母を憎めない。
かといって、愛することもできないままなのだ。
軍服を着てナチスに飛びこんだひとりの女が、粉々に壊してしまったものはもう戻らない。

後世に伝えるべき悪夢を、母から訊きとるという作業を行った著者を思うと、
戦争というものが残す傷のあまりの広大さに、言葉を失くしてしまう。

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紙の本買おうかどうか

2009/09/09 22:00

どうせ消費し続けるなら、楽しく慎重に!

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いつからかエッセイを読む割合がぐんと減って、たまに手にとっても、
「読みかけの小説(もしくは次に読むつもりの小説)が気になって仕方がない」
という状態になってしまいました。
エッセイ関連はすごく気になるもの以外、だんだん手を出さなくなっています。

岸本葉子の本はずっと読んできたのですが、考えるとエッセイ一筋っていうのも大変そうですね。
そのときどきのテーマ(たとえば彼女なら、独身の30代とか、マンション購入とか)があればいいけれど、
私のような勝手な読み手が、「うーん、ま、機会があれば」という買い方をするようになる可能性も高そう。

物書き特有の鋭い毒はないものの、彼女には庶民感覚とか、小市民的な発想があります。
それを言葉にするのに長けていて、長年エッセイで食べていけるのだから、これはやっぱりスゴイ。
毒のなさが「なんか物足りない」、
庶民感覚が「共感できるけど、モノカキ業界っぽくない」という不満を生みそうですが、
チャーミングかつ聡明な部分で相殺されている印象です。

その彼女が『がんから始まる』で見せた、陰の部分。
自らの中に生まれたその陰を緻密に探り、単なる闘病生活を綴った以上の作品に仕上げ、
それからしばらくは、仕事の軸足が「がん」だったように思います。

それで稼げるとかそういうことではなく、
おそらく彼女自身が生きていく上での、最大のテーマになったからでしょう。
その後の食物の自然志向から書かれたいくつかの作品も、
基はがんを患ったことから始まっているようですし。

前置きが、あまりにも長くなってしまいました。
そんな彼女が書いた、病気とは無縁の痛快な作品がこれです。

目次を見ただけで、とりあえず読みたくなってしまうラインナップ。
多くの人が、一度は買ったもの、
あるいは『買おうかどうか』迷った経験のあるものが並んでいるのです
(ここにひとり暮らしとか、独身とかはあまり関係なく思われます)。

ホームベーカリーだの、パソコン出張サービスだの、財布だの、アロマオイルだの、
いやもう、周りに訊いてもさまざまな意見の返ってくるモノばかり。
吸盤フック、醤油さしなんていう渋い(でも誰もが一度は失敗してそうな)ものもあります。

この人、買うまでの下調べも慎重さも庶民感覚で、同じようなことしてるんだなあと嬉しくなってしまう。
ネットのクチコミに右往左往したり、微妙なエコ心理に振り回されたり、
とにかく気になる品物を買うまで(そして買ってから)が、コミカルでキュートなのです。

買ったあとの感想(使い勝手、値段に見合ったものか、使用頻度など)も
詳しく書かれているので、これが意外と参考になります。
事実、私は付箋を貼りまくっていました。
「あとで、ネットで調べようっと」
これ、買い物の醍醐味ですよね。

そう、この本そのものが、詳細なクチコミなのです。
買い物の失敗には、なるほどと勉強させられ、ついでに他人ごとなので笑ってしまいます。
良い買い物には、もちろん付箋を。
夢中で読んだのですが、自分もショッピングした気分になっていました。

どうやら雑誌での連載は続いているようです。
続編が出るのでしょう。
それは「当然、買う」に予定しておきます。

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紙の本用もないのに

2009/08/20 09:24

ものぐさ作家の新たなる挑戦(という名の、ときどき逃避)

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

奥田氏、また旅に出ています。
編集者に強引に連れて行かれたり、煮詰まった小説からの(気分転換という名の)逃避であったり、
あいもかわらず積極性とは程遠いのですが。
いや、ホント、タイトルそのままに『用もないのに』って感じです。

北京オリンピック(もちろんメインは野球)、ニューヨーク(観光&野球観戦)、などに加えて、
ずっと気になっていたフジロック(雨)、愛知万博(真夏の炎天下)、
四国お遍路(讃岐うどん付き)エトセトラ。

あちこちの出版社に書いたものの寄せ集めなので、まるっきり文体が違っていたりもするのですが、
これが不思議と気になりません。
ひとつひとつの行き先ごとに、きちんとまとめあげているせいなのか、
むしろシリーズとしてではなく、別の読み物として、それぞれを楽しめました。
そして、どれも文句なくおもしろい。

なかでもちょっと感動したのが、ニューヨーク観光。
憧れの街であるにもかかわらず、足を踏み入れるのは初めてという著者が、
目を輝かせているのが伝わってきます。

こちらまで興味津々だったのが、フジロック。
たしかに年齢とともに、体力的なこと以外にも、どんどん敷居が高くなっていく気がしますよね。
けれど、ちょっとだけ勇気を出して覗いてみた世界は……。

そして問答無用でおかしかったのが、
富士急ハイランドにできた、世界一の回転数というジェットコースター体験記。
割かれているページ数は少ないのですが、読んでるあいだずっと笑っていたような気がします。

なんで人はジェットコースターなんてものに乗りたがるのか。
でも人気なんですよね、どこへ行っても(私も並びますけど)。
順番が回ってくるにつれ、ただただブルーになっていく著者のグループ。
敵前逃亡する者あり、悲壮感漂う会話ありで、罰ゲームの様相を呈しています。

小説家が書くエッセイというのは、とても微妙で、
小説がおもしろかったからとエッセイに手を出して、
「毒にも薬にもならんというか、べつに読んでも読まなくてもなあ……」
というケースが、案外多いような気がします。
でもエッセイがおもしろい小説家は、文章が巧いんですよね、おそらく。
だから何かとんでもないことが起きなくても、充分楽しめる作品になっている。
ネタ勝負でないところで満足できる作家が、私はやっぱり好きみたいです。

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紙の本さよならの扉

2009/06/10 09:32

ひとりの男が遺したふたりの女

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ひとりの飄々とした男が、末期がんで逝ってしまいました。
遺されたのは、ほとんど社会経験のない妻と、未婚OLの愛人。
なんとこの夫、愛人の存在がバレていないにもかかわらず、
彼女の名前と携帯電話の番号を、がん告知の日の夜に妻に手渡すのです。

すでに決まった事実として、やがて訪れる夫の死。
その瞬間、動揺した妻は、愛人に電話をします。
それがターニングポイントだったのかもしれません。

「もう終わったことですから」と関わりをもたずにすませようとする愛人に、
「お線香をあげに来て」「住所を教えてくれ」「友達になりたい」と振りまわす妻。

愛人としては警戒します。
男が亡くなっただけでもショックなのに、このうえややこしいことになるのかしらと。
ところがこの妻、本気で友達になろうとしているのですね、夫の愛人と。
愛人側のわずかな罪悪感につけこんで接近をたくらむ妻は、いつになく生き生きとしています。

天然というか、ぼんやりした性格でデリカシ―に欠けるような、でもそこが少し可愛い妻。
一方で、仕事をきっちりこなし、男との関係も比較的割り切っていたつもりの隙のないタイプの愛人。

妻は、夫が亡くなっても泣けないことや、
やってみたい仕事(スーパーのレジ係)について、娘に反対されて不満なことを、
「ねえ、聞いて」とばかりに愛人に電話します。

愛人はというと、昔、家族を捨てた父親の介護に追われていて、
電話が鳴るたびに「父の死の知らせだ」と身構えるのですが、
お荷物になった父の死をはたして望んでいるのか、
溺愛されたファザコン女には、自分がわからなくなってもいます。

このふたり、性格は水と油のようですが、共通点があります。
がんで逝った男に、惹かれ、愛されたというのはもちろんですが、
常に身の回りに、死のドタバタがついてまわっているのです。

死のドタバタと書きましたが、著者はこの40女たちの身内(もしくは近しい人)の死を、
けっして軽く扱っているわけではありません。
人の死が目をそらせない事実であり、けれど通過点に過ぎないという描きかたのように思います。

人が死ぬと、遺された者にはたくさんの雑務が襲ってきます。
テンションはあがり、やたら張り切る輩も出てきます。
それが悪いわけではなく、それもまた‘誰かの死’についてまわることのひとつ。
死がつきまとう物語のなかで、そういうドタバタや、
ふたりのお互いに対する温度差、警戒心の差などが、妙な可笑しみを生み出します。

最後の最後まで(そしておそらくは、小説には描かれていないこれから先も)、
妻に振り回されては怒鳴る愛人。
天真爛漫なまま、彼女につきまといながら、呆れ顔で受け入れられる妻。

ごく普通の男が最期に遺したものとしては、気がきいています。
どう転ぶかまったくわからなかった、愛人の名前と電話番号のメモ。
彼女たちを愛した男には、なんとなく「悪くはならないだろう」という予感があったのかもしれません。

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紙の本漫画がはじまる

2009/03/09 14:09

井上雄彦の「誠実」

9人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

丸一年間『SLAM DUNK』しか読めなくなってしまうという、常軌を逸したハマり方をした詩人の伊藤比呂美。
その彼女の巧みなリードで、気持ちよく脱がされたと言って憚らない作者の井上雄彦。
文章、漫画というそれぞれの世界で多くの人を魅了し続けるふたりの、これは対談集です。

井上雄彦というと、真っ先に「誠実」という言葉が浮かんできます。
人に、世間に、そしてなにより作品に対して。
漫画史に残る傑作『SLAM DUNK』が終わったあと、
おそらく『バガボンド』を描き始めた頃から、その印象は強くなる一方でした。

宮本武蔵を井上流に描いた『バガボンド』。
その同時発売された1、2巻の衝撃は忘れられません。

心が揺れないよう強くなるために、生きるために、自分を襲う人間を殺すことをためらわない10代の武蔵。
強いのに、斬られているのは相手なのに、武蔵の悲鳴が聞こえてきそうなほど苦しいページが続くなか、
村を出る直前に用意されていたのは、他者からの(おそらくは初めての)‘赦し’でした。
その場面を嗚咽を漏らしながら読んだのが、かれこれ10年前になります。

武蔵を描くこの作品で、多くの人は死んでいきます。
気持ちが悪くなり、息が詰まって読み進めるのが困難なときさえある。
それでも、命のやりとりに対する責任らしきものが感じられ、
無造作に生死を描いているという不快感を味わったことがいまだなく、
そこに、井上雄彦の誠実さを見てしまうのです。

伊藤比呂美は『SLAM DUNK』を、現代の軍記物と言い切ります。
バスケットボールの試合であり、命は取られはしないけれど、これは「戦い」なのだと。
そして軍記物の基本は、滅びの美……だと。

指摘され、初めてそういうふうに考えたという井上雄彦も納得するように、
彼は『SLAM DUNK』から『バガボンド』へと、戦いの場を移していったのでした。

もちろん言葉を操るプロ、伊藤比呂美ならでは読み方ではあるのかもしれません。
そういう深読みもあり、単純に仕事のしかたやスケジュール、デビューの頃の話もあります。
力量不足で描ききれなかったという作品の話も少々。

作り手というのは、その作品を読み込んだ人との対話で、新しい自分に気づくこともあるのでしょう。
そうしてひとつ抜け出た作り手の新しい物語を、読者は享受するのです。
とても幸せなことだと思わずにはいられません。

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紙の本告白

2008/09/16 14:36

目を背けたいのに、一気読み

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

やりきれない想いと嫌悪感ばかりが募るのに、
ページを繰る手はどんどん速度を増していく、そんな1冊でした。

ある女教師の衝撃の告白から、物語は始まります。
最愛の娘は、目の前にいる教え子の中の2人に殺された……と。
学校を去る前に、彼女は犯人を裁くのか?と興奮気味に読み進めていくと、
けっこうな一撃が待ち構えていました。
それが、最初の章。

さて、その一撃が教室に(そして犯人に)与えた影響が気になります。

犯人たちのかなり近くで、それらを体験した少女。
自分の弱さを認めたくない犯人の片割れ。そしてその母の日記。
そもそもの犯罪を計画した、もうひとりの犯人。

様々な角度から、そして当然本人だけの視点で、殺人事件とその後の生活が語られていきます。
騙されていたのは周囲の人だけでなく、読者である自分もだったのかと愕然としながらも、
その心地よさにどっぷり浸ることができました。

醜く、目を背けたくなるような勝手な言い分。
まだ救いがあると思えた人物の、じつはどうしようもない正体。

復讐というものが必要か否か。
少なくともこの物語の中でだけは、そんな迷いは吹き飛んでしまったことを告白します。
反省も後悔もない、後悔するのは自分のためだけという人間たちの狂演なのですから。

処女作にありがちな、読んでいて不安定さの気になるような文体ではありません。
先が読めてしまう部分も多少あるのですが、私には許容範囲でした。
むしろあっと言わせる展開のために、
そこまでの物語がおざなりになっているものよりは、満足できると思います。

冷静かつシニカルな女教師の視線が、
作者の立ち位置と重なるような錯覚を起こしたのは、偶然でしょうか。
後味云々の前に、こちらの興味をそらさない物語に拍手です。

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紙の本美女と竹林

2008/08/27 21:17

妄想の世界へ、いざ

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

随筆とはいえ、虚実ないまぜという体裁です。
いかにも著者らしいと言えるし、
虚がこんなに入っていても(おそらくたくさん)、実生活が垣間見えるんだという愉快さ。

このまま小説を書き続けていても、いずれ才能が枯渇するのではと恐れる登美彦氏は、
在学中に竹の研究をしていたことを生かしての、多角的経営を目論みます。

思いつきからして妄想街道まっしぐらなのですが、
それを具現化するために動き出しながらも(同僚の実家が所有する竹林を借り受けます)、
どこまでが‘虚’なのか、そして‘実’はあるのか、とてもアヤシイ。

まずは、あいかわらずの文体に涎が出てしまいました。
果てなく広がる妄想にも、しっかり現実的な部分があり笑いを誘います。

著者の作品を読むと、その妄想世界にまんまと引きずり込まれてしまうのが常です。
うかうかと足を踏み入れてしまったが最後、もとの世界に戻りたくなくなって、
このままだとダメ人間になってしまうけれど、
なんだかそれも悪くはないなあなどと考えてしまうのも、
森見マジックなのかもしれなくて、いつも危ういところで引き返します。

小説とは違い、ところどころに(?)文学界での受賞の話や、友人、編集者の話が出てくるため、
現実世界との境目がよりわかりにくくなっていて、効果的な気がします。

一度に読んでしまうのが惜しく、眠る直前に少しずつ少しずつページを繰っていました。
昼間は我慢をして、他の本を手に取るのですが、
隙あらば「竹林はどうなったのだろう」と想像してしまい、
それがうっかり妄想に走るところも、また楽しい。

非力な登美彦氏が竹林と奮闘したり、
その時間すらとれなくて、竹林ノータッチの日々を過ごしたり、
とにかく森見登美彦氏の人気上昇時を、竹と一緒に眺めるのも一興です。

MBC(モリミ・バンブー・カンパニー)に明日は来るのか?

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紙の本贖罪

2009/07/23 00:17

あれれ?

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この人、巧いと思っていました。
でももしかしたら、とっても微妙なのかもしれない。
読み終わって、まず感じたのがそれでした。

話題になった『告白』はとてもおもしろかった。
自分のことしか考えない人間のオンパレードで、少々薄気味悪いとはいえ、
どこか突き抜けた人間の狂気が、物語を壊さないように慎重に練り込まれていて、
夢中になってしまいました。

ところが次の作品『少女』に、それほどの吸引力を感じられず、
細かな部分はおもしろいのに、全体的にはぼやけた印象だなあと思っていたところ、
今作『贖罪』の登場です。

小さな町で、小学生の女の子が殺されてしまいます。
直前まで一緒にいた4人の少女たちは、その後の人生を、あるひと言に縛られてしまい、
しだいにそれは、彼女たちの人生を狂わせていくことになります。

いわゆる負の連鎖を描いているのですが、ひとりひとりの告白は魅力的ではあるのに、
なぜか全体の構成に、かなりの強引さを感じてしまいました。
もしかして、この人、短いお話のほうが得意?

それともうひとつ。
やけに嫌悪感が残るという不思議。
『告白』の登場人物たちの、むき出しのエゴや悪意、狂気を、あれほど楽しめたのに?

稚拙ながら、考察してみました。
自分勝手な動機とはいえ、『告白』の登場人物たちは、
切実な想いや憎しみ、思い込み、弱さに突き動かされていたように思うのです。

それに比べると……。
人が死ぬ場面に遭遇したいだけで、他者の痛みを感じようともしない女子中学生や、
好き勝手をしてきた過去の因果に、他人の子を巻き込む母親、
巻き込まれることに疑問を持たず、ただただ自分の境遇を嘆き、影響を受け、
トラウマに結びつけてしまう女性たち。

彼女たちの行動や感情は、物語の細部としてはとても興味深いですし(実際おもしろい)、
そういう人物が息づくのは、いっこうにかまわないのですが、
それだけで話が転がって行くのは、あまりにも安易な気がするのです。
愚鈍で無神経なお人形が、たくさん集まったような気持ちの悪さとでも言うのでしょうか。

細部を練り上げることには成功しているのに、
それをひとつの物語にまとめあげて納得させる力が、
『告白』のときほど感じられないというのも、気になりました。

極めつけが、これ必要なかったのではと思わされた「終章」。
ここを読むと、正直、この人の得意とするのは、
告白体の文章だけなのかもしれないと心配になるほどです。

しかも、後日談をここで説明してしまっているがために
(しかも会話文で説明という、ちょっとどうかと思う展開)、
なんだか本当にもったいないことになっていて、
これからも作品を心待ちにするであろう私としては、変なドキドキ感を残されてしまいました。

それでも一気読みをしてしまったのです。
次、期待してます!

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紙の本プリンセス・トヨトミ

2009/06/16 11:02

最高傑作かどうかはともかくとして

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

トヨトミと来て表紙の大阪城の絵となると、もちろんあのトヨトミなわけですが、
トヨトミのお姫様って誰のこと?
あいかわらず上手いタイトルつけるよな……というのが第一印象。

私の万城目学への評価はわりに辛めなので、
『鹿男あをによし』の帯を見て「金原瑞人、褒めすぎ、大袈裟」と思っていました。

毎回、設定そのものには感心するのだけど、それ以上のものを感じたことがないのです。
もちろん下手だとは思わない。むしろ器用な人でしょう。
ただ物語の着地の仕方もユーモア感覚も、平均の域を出ていない気がして、
設定の奇抜さに誤魔化されている気がするという印象でした。

今回の帯には、同じく金原氏の
<はっきりいって、万城目学の最高傑作でしょう>という言葉が躍っていて、
勘弁してよ、まだ4作目(ホルモーシリーズをひとつとするなら3作目)じゃん……と、
読む前から、帯でかなり醒めてしまいました(煽り文句とはいえ軽々しすぎ)。
もちろん、これは万城目さんのせいではありません。

結論から言います。
現時点での彼の作品の中では、いちばんだと思いました。
そういう意味では、帯の言葉、間違ってはいないのか?

大阪国という国が、日本の中にあるそうです。
もちろん総理大臣もいます。
ところが大阪国民は、そのことを口にするのを禁じられていて、
では何をしているかというと、豊臣家の末裔を守っているのだそうです。

細かい設定も含めて、広げた風呂敷の大きさに度肝を抜かれました。
鹿が喋るとか、そういうレベルではないのですから。

大阪国が日本国からの補助金を不適切に処理しているとして、会計検査院の調査が入るのですが、
それと並行して、守っていたはずの豊臣家の末裔が行方不明になります。
大阪国の最大のピンチです。

この物語、会計検査院の3人の調査官を中心とした部分と、
大阪の空堀(からほり)で育った2人の中学生の日常とで成り立っていて、
それがクライマックスに向けて、大阪国というキイワードで繋がります。

「平均的」と彼の小説について書きましたが、
その中に、人物造型が類型的という引っかかりもありました。
出てくる人物の行動、言動が、自分の予想を超えない不満というのでしょうか。
そのぶん設定が、想像をはるかに超えてお釣りがくるのですが、
そこで期待をしてしまうぶん、どうしても「なんだかなあ」という不満が残るのです。

同じようなことを今回も感じたのですが、それでも以前よりずっと丁寧に書き込まれていて、
私はむしろ大阪国の設定が出てくる前や、出てきたあとも中学生活の描写のほうが楽しめました。

2人の中学生は、女の子になりたい少年と、その幼なじみの少女です。
少年がセーラー服で登校した日から、彼に対しての周りの攻撃はエスカレートしていきます。
中学校という、まさに逃げ場のない狭い世界で、追い詰められていく少年と、怒りを抑えきれない少女。
おそらく恋愛感情でさえない、ひたすら大切な者への想いが、お互いを支えているのですが、
あまりにも純粋で優しくて、でも世の中はままならなくて、胸が詰まりました。
のっぴきならないところまで追い込まれた2人は、そのまま大阪国のピンチに巻き込まれていきます。

会計検査院のエリートにも、亡くなった父との確執や、
4歳の頃目撃した奇妙な光景への疑問など、引っかかるものがいくつかあり、
そちらも大阪国との対立で、しだいにあきらかになっていきます。

男性ばかりで成り立つ大阪国。
その陰で、女性たちはそれをどう思っているのでしょうか。
秘密は秘密のままで。
ふたたび日常に戻っていく登場人物たちが、愛おしくなってしまいました。

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孤独死の現実

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

明るいイメージの装丁です。
タイトルで「だいじょうぶ。」と請け合ってもくれています。
なのに、のっけから延々と孤独死の惨状が語られるので、驚いてしまいました。

上野千鶴子のベストセラー『おひとりさまの老後』のようなものを想像していたのですが、
よく考えたら、著者は遺品整理業を営んでいるのでした。
うっかりしていました。
たしかに遺品を整理するような場面(一人で死んでいき、死後の処理が業者に依頼される)を
嫌というほど見てきたであろう人ならではの、
率直に言うと「脅し」から始まるわけです。

でもこの「脅し」(言葉は悪いですが)、けっこう効きます。
いや、むしろ効かないと意味がないわけですが、
ぼんやりと他人ごとだと思っている、そうではなくても今すぐは関係ないだろうと高をくくっている人には、
まず現実を知らせることで、覚悟を促すしかなさそうですから。

既婚、子供なしの友人が「私もおひとりさま予備軍だ」と言っておりました。
ダンナさまより長生きする気満々のようです。

そう、たしかに結婚していようが、子供がいようが、最終的にひとりになる確率というのは、
おそらく想像している以上に高いのです。
上野千鶴子氏は、その現象を社会的な面からとらえたり、
ひとりの老後をいかに満喫するかについて考察されていますが、
こちらの本では、もしひとりの最期を迎える確率が高い生活をしていても、
どういうことに気を配っていれば、死後異臭がするまで誰にも気づかれないというケースを回避できるか……
そういうアドバイスが中心です。

遠方の家族と疎遠になっている、忙しそうだからとお互いに気を遣って密な連絡をとらない、
そういうケースはいくらでも思い当たります。
そして残念ながら当然死というものは、20代、30代であろうと可能性は十分あるらしいのです。

現実的な話のついでに、自宅で亡くなってすぐに気づいてもらえなかった場合にかかる手間もお金も、
やけに具体的に書かれていて、そちらもゾッとさせるに十分でした。

孤独死とは、厳密に言うと「ひとりで最期を迎えること」ではないのだそうです。
そうですね、たまたまひとりでいるときに倒れたとしても、早々に気づいてくれる人がいれば、
そういう人が自分にはいると常日頃から感じていられれば、それは孤独死ではないのでしょう。

まずは孤立しない生活を営むこと。
その方法から指南してくれます。
ひとつひとつは小さいことだけれど、意外に気力や勇気がいることもあります。
「ヘルプミー」と言えることの大切さ、それは死ぬときになって思い知っても遅いのかもしれません。

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