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あまでうすさんのレビュー一覧

投稿者:あまでうす

390 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本

殺されたはずのプッチ・キャシディが、しぶとく生き延びていた!?

11人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



パタゴニアといえば社員がいつでも海でサーフィンして構わないふとっぱらのスポーツウエアの会社ですが、これは南米のさらに南の文明の果てパタゴニア地方を旅行しながら当地ゆかりの人物とその事績を延々と執拗に追及したルポルタージュ小説です。

歩きながら思考するというこの手法は、我が国では古くは松尾芭蕉、最近では司馬遼太郎氏も試みていますが、若き行動派英国人の海の深さと山の高さをものともしない行動力には初めから勝負になりません。

古今東西の文献を博引傍証しながら、怪獣プレシオサウルス、「ビーグル号航海記」のダーウィン、コールリッジの「老水夫行」に影響を与えた難破記録、アントニー・ソートというアナーキスト、ヤガン語の辞書を作ったトーマス・ブリッジなどなど現代史の表舞台から杳として消えた足跡を荒涼の地の草の根を分けに分けて現地探索する著者の情熱の秘密はどこにあるのでしょうか?

1989年に48歳の若さでエイズで死んだ著者に直接尋ねる機会は永遠に失われたわけですが、その代わりに、たとえばジョージ・ロイ・ヒル監督の手で映画化され、「明日に向かって撃て」の主人公、プッチ・キャシディ(映画ではポール・ニューマン)、サンダンス・キッド(同ロバート・レッドフォード)、エタ・プレイス(同キャサリン・ロス)となった3人のパタゴニアでの行状をつぶさに追った著者が、プッチ・キャシディの妹に会い、警官隊の待ち伏せに遭って殺されたはずのプッチ・キャシディが、しぶとく生き延びて郷里ユタ州サークルヴィルで平穏な晩年を送ったという証言を、パタゴニアのリオピコにあるプッチ・キャシディの墓と並べて読者の前に「さあどうだ」とでも言うように差し出す時、「すべてを疑え」という彼の呟きが南の風とともに聴こえてくるような気がするのです。

そして私たちが本書に添えられたサンダンス・キッドとその情婦エタ・プレイスが優美に盛装して寄り添う夢のようにロマンチックな2ショット、映画の2人を凌駕する一世一代の美男美女の艶姿に出会う時、まさに「事実は映画より奇なり」の思いを新たにせずにはいられません。

併録のフエンテス著「老いぼれグリンゴ」の舞台も南米です。
1842年アメリカのオハイオ州に生まれたアンブローズ・ビアスは「悪魔の辞典」、そして私の大好きな短編小説「空を飛ぶ騎手」の作者として有名ですが、南北戦争に従軍し、ジャーナリストとして活躍した後、2人の息子と妻にも先立たれ、70歳の時、傷心のままメキシコに赴き、そのまま行方不明となりました。

この小説は、この伝説の作家ビアスをモデルに、暴力と革命の地南米メキシコを舞台にした恋と血と詩と死の物語です。「死と呼ばれるものは最後の苦痛にすぎない」とビアスは語ったそうですが、すべてに幻滅したビアスを思わせる老作家は、精悍なトマス・アローヨ将軍率いるメキシコの反乱軍に身を投じ、そこで文字通り死を恐れない英雄的な戦闘を繰り広げます。

そこに登場するのがニューヨークからやってきた若くて美しい女教師ハリエット・ウインズロー。ここにお決まりの恋の鞘当て、愛の三角関係が始まる、とみせかけて実は老作家グリンゴとハリエットは実の親子なのです。

そうとは知らぬハリエットは恋敵のグリンゴを殺そうとするアローヨ将軍の人身御供となって、そのスレンダーで美しいプロポーションが眩い全裸を、野蛮人の前に惜しげもなく晒すのです。
飛んで火に入る夏の虫、蓼喰う虫も好き好き。落花狼藉を地でいく凌辱は深々と沈みゆくベッドの上で2度にわたって繰り広げられ、第1ラウンドにおいては獰猛な男が、リターンマッチにおいてはみずから2度目を求めた乙女が、当然のことながら勝利するのです。

あらすじを書いているうちに阿呆らしくなってきたのでこれくらいにしますが、いったい著者はアンブローズ・ビアスという素材を借りてきて、何を言いたいのかが、読めば読むほどわからなくなってくる世紀の迷作といえましょう。


♪この次はもう生きてはあらぬと思いつつテレビで眺むる皆既日食 茫洋

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紙の本

紙の本知恵の七柱 完全版 1

2009/04/10 15:52

アラビアのロレンスの冒険の足跡を訪ねて

10人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


デビッド・リーンの名作「アラビアのロレンス」の主人公T・Eロレンスは、あの映画の冒頭の印象的なシーンで見られるように、1935年5月19日、不慮のオートバイ事故で46歳で急死した。彼の自伝であるこの本は、すでに全3冊で同じ東洋文庫から出版されているオックスフォード普及版のオリジナル原典版にあたる内容で、これからなんと全5冊で発売されるという。やれやれ。
しかし同じタイトルの短縮版に加えて拡大ヴァージョンの正規版も併せて公刊するとはさすが天下の平凡社。これぞ出版社の鑑といわなければなるまい。

ちなみに「知恵の七柱」という題名は、旧約聖書の箴言第9章の冒頭「知恵はその家を建て、その7つの柱をきり成し、その畜をほふり、その酒をまぜ合わせ、そのふるまいをそなえ、そのはしためをつかわしてまちの高き所に呼ばわりいわしむ。拙き者よここに来たれと云々」に依る。かなり思わせぶりだが本書の内容とはあまり関係がなさそうだ。しかし冒頭の捧詩はロレンスのかつて愛した御稚児さんへの愛の言葉らしい。

第1次世界大戦中の1916年、アラブがトルコに反乱を起こせば英国はドイツと戦いながらトルコを打倒できるだろうと考えた英国は、ロレンスをアラビアに派遣、ベドウインの首長(シャリーフ)フサイン・ブン・アリーとその子息アリー、アブドゥツラー、ファイサル、ザイドに加担したロレンスはいよいよ灼熱の砂漠にその生涯の活躍の舞台を見出すのである。

ところでロレンスは、この砂漠の遊牧民の反乱の物語を、「白鯨」や「カラマーゾフの兄弟」に匹敵する偉大な物語に仕上げたいという野望のもとに執筆にかかったそうだが、出来上がったものは、もちろんそうとうに違った内容になった。

けれども以下に引用する個所(第二部「アラブ軍、攻勢に出る」第二六章「行軍命令」)には、ロレンスが自作をそれらの名作になぞらえようと懸命に努力した形跡があって微笑ましいものがある。


「右翼の従軍詩人が不意に耳障りな歌声を張り上げた。一篇の創作二行連句で、ファイサルと彼がワジェフで与えてくれるはずのよろこびを歌っていた。右翼の隊は詩句に耳を澄ませてから頭に入れ、一度、二度、三度と誇りと自己満足を誇示する前に、左翼側への嘲りをこめ、繰り返すたびに前よりも挑発的に斉唱した。しかし四度目に得意を誇示する前に、左翼の詩人が烈しく独唱に入った。右翼のライバルのカブレットに対する即席の返歌で同歩格で相応する押韻により詩人の情感を完結し、あるいは最後を締めくくるものだった。左翼の部隊は勝ち誇ったようにどよめきつつ、それを復唱する。すると太鼓がふたたび鳴り、旗手が臙脂の大旆を振りかざしつつ、右翼、左翼、中堅の全親衛が士気を鼓舞する節回しの連帯歌を斉唱した。

われはブリテンを失い、ガリアを失いぬ、
われはローマを失いぬ、ましてつらきはララゲーを失いしこと!」


♪大人しき雌の駱駝に跨りて砂漠往くなり猛きベドウイン 茫洋

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紙の本

紙の本パロール・ドネ

2009/08/05 21:43

人類学の壮大にして野心的な連続講義を要領よくダイジェスト

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


「パロール・ドネ」などという正体不明のタイトルですが、なんせあの人類学の最長不倒距離翁クロード・レヴィ=ストロースさんの名著を中沢新一選手が翻訳された「渾身の本邦初訳」とあらば手に取らずにはおられません。

どこが渾身なのかは最後まで不明でしたが、ストロースさんの入魂の1冊であることだけはよくわかりました。つまり本書は現在101歳になんなんとする老学者が、40代の前半から70代の半ばまでの32年間にわたってフランスの高等研究院とコレージュ・ド・フランスで行った壮大にして野心的な超長期連続講義のレジュメ、講義録の簡略なのです。
つまりパロール(語る)したもんをドネ(与える)したもんね、という題名だったわけですが、それなら「おいらの講義録」でよかったのではないでしょうか。

それはともかく「今日のトーテミズムと野生の思考」とか「生のものと火にかけたもの」「アメリカにおける聖杯」とか「カニバリズムと儀礼的異性装」とか、講義タイトルを眺めただけでいかにもな全世界をまたにかけた人類学の壮大にしてものすごくアカデミックな緻密な研究と考証のうんちくの限りが、延々と、かつまた淡々とつづられてゆきます。

たとえば、と101歳翁は語ります。
「アメリカ5大湖周辺に住む、ニューヨークのこていなホテルの名称にもなったアルゴンキン族ちゅうのんはな、ワグナーはんがかの「パルシファル」で描いた「聖杯伝説」によく似た興味深い神話を保持しておってのお、あるときトウモロコシを馬鹿にするアホな若者のせいで、部族の土地が大飢饉に襲われたんじゃ。ほんでな、とうとうある日、ひとりの英雄が荒地の果てまで冒険の旅に出よったんじゃ。そいでもって彼は老人の姿をしたトウモロコシの精霊―無尽蔵の富を生む大鍋の主―に出会うんじゃ。ところがのお、この老人の姿をした精霊はなんと背骨を骨折しておったんじゃ。しゃあけんどわれらが英雄は、アルゴンキン族の不幸の原因をつきとめ、自分たちの精霊の王を癒すことに成功したちゅうわけよ。めでたし、めでたし」
―「アメリカにおける聖杯1973年~1974年度」より引用し吉本興業風に脚色。

これらあまたの事例から、翁がいかにして魔術的な結論をあざやかに引き出すかは、それこそ読んでからのお楽しみです。

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紙の本

紙の本女三人のシベリア鉄道

2009/06/03 07:25

仏蘭西の野に激しく燃えた灼熱の恋

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「女三人」とは与謝野晶子と中條(宮本)百合子、そして林芙美子です。この有名な文学者が時は異なるけれども同じようにシベリア鉄道に乗ってモスクワ経由でパリまで行きました。そこで著者も同じルートで彼女たちの足跡を、そのそれぞれに目覚ましい果敢な行き方ともども追跡し、あわよくば追体験しようという趣向です。

山川登美子などの強力なライバルを打倒してついに与謝野鉄幹(寛)を略奪した晶子は、歳を追うごとに創作意欲を喪失して作家生命を衰弱させていった夫をよみがえらせるためにパリにやるのですが、今度は夫の不在に耐えられなくなって、たくさんの子供を夫の妹に託して身一つでシベリア鉄道に乗り込みます。ちなみに2人の旅費と滞在費は、すべて晶子が獅子奮迅の奮闘努力で書きまくる原稿料から工面されたのです。

どうしてそんなダメ亭主を忘れられなかったのか、と自問して「寛のセックスが良かったのであろう」と答える著者に、私ははしなくも晶子さんと森まゆみさんとの共通項を見出したような気がいたしました。それは物事をまっすぐに見つめる、正直で、リアルな生活感覚です。

寛恋しさにすべてを投げ捨てて一九一二年の五月にパリに飛んで行った晶子。そのおかげで、ほんのいっときではありましたが、与謝野夫婦はかつての恋人同士の関係にかえり、「第2の青春」を取り戻しました。

ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟

という世紀の絶唱は、そのなによりのあかしではないでしょうか。私はこの句を目にするたびに紅いコクリコの花が咲き乱れる草原を白いパラソルをさした婦人がたたずむモネの絵を思い浮かべます。

そんな晶子のケースよりもっと興味深いのは、一九二七年同性の愛人湯浅芳子と共にシベリア鉄道経由でモスクワに入り、社会主義の創生期に立ち会った中條(宮本)百合子、そしてその四年後の一九三一年に、パリにいる恋人を追って国際的「放浪」の旅に出た林芙美子が繰り広げるさまざまなエピソードですが、その面白さはどうぞ本書を直接手にとって確かめて頂きたいと思います。

なおタイトルでは、「女三人」と謳ってはいますが、実際は著者自身のシベリア鉄道・パリ紀行がかなりの比重を占めていて、実際には「女四人のシベリア鉄道記」といってもよいでしょう。三人の歴史的人物以上に著者の個人的な旅行記録が少々でしゃばりすぎているように感じたのは私だけでしょうか。

♪七人の子供を残し巴里に住む恋しき夫に会いに行く女 茫洋


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紙の本

アフリカで生涯を完結させた孤高の詩人

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



最近詩人アルチュール・ランボーの研究は、彼が37年の短い生涯の中でアフリカで過ごしたおよそ10年間の後半生における生活と文学活動に集中している感がある。

17歳でパリ・コンミューンに加担し、19歳で「地獄の季節」を出版し、20歳で「イリュミナシオン」を完成し、21歳でピストルで撃たれた「恋人」ヴェルレーヌと決別し、23歳で明治日本へ行こうと夢見た天才詩人は、25歳にしてはじめて東アフリカ、現エチオピアのハラルを訪れ、当地を拠点として武器弾薬、象牙、香料、コーヒー等をなんでもあつかう灼熱の砂漠の大商人として活躍するのだが、この間に友人知己、家族、地理学協会に書き送った書簡が、若き日の詩作に勝るとも劣らぬ「文学作品」として、彼のアフリカ生活と共に再評価されているようだ。

かつて黄金のように輝かしい詩篇を生み出したこの19世紀最大の詩人は、けっして詩作を断念したのではない。いっけん無味乾燥と考えられがちな、この簡潔で事務的な商業文、そしてその行間から立ち現れる「新アフリカ人」としての生活、偉大な大旅行者の足跡そのものが「生の文学」に他ならない。あの南太平洋に遁走したゴーギャンが、旧態依然たる西欧美術に弔鐘を打ち鳴らしたように、ランボーもまた、というのである。

1891年11月10日午前10時、ランボーはフランスの港町マルセイユのコンセプシオンン病院で全身がん腫に冒され、右足切断の犠牲も空しく没するが、最後の最後までアフリカに戻ること願い、その遺言は「何時に乗船すれがばいいかお知らせください」であった。ランボーは恐ろしい激痛を堪え、彼の最期の作品を死を賭してマルセイユで書いた。

またランボーは、巨費を投じて当時の最新メカであったカメラと撮影機材一式をパリからハラルに送らせ、彼自身のポートレートを含めた8枚の写真を撮ったが、それが本書の執筆動機になっている。ある意味では晩年の詩人のドキュメンタリー的小説であり、ある意味ではアフリカにおけるランボー研究の最新レポートであり、またある意味ではランボー研究家が自作自演する色っぽい推理小説でもある。

色っぽいといえば、著者はヴェルレーヌとの関係において「ランボーは女であった」と断定しているが、それはどんなものだろう。アフリカにおける彼の多彩な女性関係や「地獄の季節」における性的叙述、そしてなによりも両者の詩風(男性的なランボーと女性的なヴェルレーヌ)を考えれば、その役割は逆ではなかったか、と愚考するわたしでありました。


少年にして少女のかんばせ カルジャが撮りし17歳のランボー 茫洋

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紙の本

官許「吾妻鏡」の厭らしいところ

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



暦仁元年1238年から寛元元年1244年までの鎌倉幕府の動向が、例に因って編年日記体で綴られています。

私の大好きな三大将軍実朝が暗殺され、京から藤原氏の4代将軍頼経を迎え、私が大嫌いな北条氏は着々と政権基盤を固めていきます。しかし大嫌いではあるけれど、北条義時の後を継いだ泰時という人はなかなかの人物で、家の近所の朝比奈峠に切り通しを造った張本人でもあります。

これによって鎌倉は滑川~相模湾コースとは別に、十二所から六浦の港を経て関東一円、房総半島、伊豆、東海地方、遠く宋に通じる海上交通路が切り拓かれ、各地からの物資が大量に流通するようになったのです。

この頃、天変地異は相変わらず頻発していますが、その都度京からやって来た安倍一族の陰陽師たちが御所に召集され、日食や月食などの真意の解釈をめぐってああだこうだと真面目に意見を戦わせているのが面白い。物忌みや方違えなど平安時代からの迷信や陋習が依然として必要以上に尊重され、人智を超えた大いなるものへの畏怖と信仰が、中世の闇の奥に怪しく蠢いているようです。

仁治2年1241年11月29日には若宮大路の下馬四つ角あたりで三浦一族と小山一族が大通りをはさんで呑めや歌えの大騒ぎをしていて、放たれた弓矢が原因で大喧嘩になったという妙にリアルな挿話も記録されていますが、その翌日、両家の棟梁を呼び出した北条時頼が偉そうに説教する後日談を載せて御家人の総元締めとしての権威を誇示するところが、官許「吾妻鏡」の厭らしいところです。


小川吉川岸川佐川宮川富川日本人は川の畔で生まれました 蝶人

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紙の本

紙の本共喰い

2012/03/07 11:10

平成の井原西鶴を思わせる独特の文体

6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



この人の作品を初めて読んだが、褒めるとすれば、なんといっても語り口に強烈な陰影があるのがよい、ということになるんだろう。何を書いても奇妙なエグさと野蛮さがそこはかとなくどぶの臭いのように立ち上っているぜ。

次に題名の「共喰い」だが、これはヤクザな父親と17歳のヤクザな主人公が同じ女と「共喰い」するとも、汚染された河口の淡水と海の水とが混淆して共喰いするとも、その濁水を川底に棲息する巨大ウナギとそれを釣る父親が「共喰い」ならぬ共呑みしている状況を指すのであろうよ。

17歳といえば女を見なくとも、花を見ても蝶を見てもペニスがおったつ季節であり、そこから派生する欲情や焦燥や攪乱を、作者はおのが自家生理中のものとして巧みに描き出しているな。

んでもって、その文章はかなり日本語の文法を無視した強引な省略と接合の離れ業で成り立っており、この作家は平成の井原西鶴を思わせる独特の文体で、このたびの芥川賞をかっさらったのである。パチパチ。

あと、セックス中の殴る蹴るとか締めるとか、義手の女が突然何の必然性もないのに、出刃包丁を持っていけない男を追っかける等のあざといプロットは、全部これ江崎グリコの取って付けたるおまけ也。この作者、小沢以上の剛腕の持ち主ではあるが、「共には喰えない」ごんたくれである。


性懲りもなくこいつの禍々しい三白眼を叩き売る本屋のどえらい商魂 蝶人

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紙の本

紙の本都会と犬ども

2011/02/09 19:17

汚辱にまみれた日常生活に一条の清風を吹き込んでくれる

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。




はじめはちっとも面白くないガキ小説かと文句を言いながら読んでいましたら、終わりごろ、全体の4分の3くらいから俄然面白くなってきて、最後は「さすがノーベル賞作家だけのことはあるなあ」と脱帽の一冊でありました。

著者はその都会的・文学的にねじ曲がった根性を叩き直すために、ペルーの少年士官学校に放り込まれたようですが、その寄宿舎生活での体験が色濃く反映された半自伝的な小説です。

そこでは飲酒、盗難、脱走、裏切り、不純異性交遊など、若き軍人候補生同級生たちが陥る乱脈で放恣な生態が赤裸々に描かれるとともに、上司である教官たちの腐敗堕落した無様な態度も暴きだされ、いずこの国にも共通する軍隊の非人間性と気狂い部落振りが鮮やかに活写されています。

しかし地獄にも仏がいまして、泥池にも蓮の花が咲くように、娑婆から隔離されたこの煉獄にも、清く正しく美しい魂の持主がいたのです。弱い仲間をいじめ、「悪中の悪」であったはずの少年、そして愚直なまでに己の信念を貫き通す指導教官が本書の最後に交わす短い会話が、私たちの汚辱にまみれた日常生活に一条の清風を吹き込んでくれるに違いありません。

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紙の本

主人公のいちばんの執着は女性のスカートの下の匂い

8人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



現代ドイツ文学の最高峰の若書きとしてあまねく人口に膾炙する本作ですが、いったいどこがどう面白いのか理解に苦しみます。

3歳の時に地下室に転落して以来成長を拒否した主人公が故郷ダンツヒを舞台に第2次大戦の戦中戦後をアクロバチックに怪しく生き延びるピカレスクロマンにして20世紀のビルダングス浪漫、なのではありましょうが、それらのやっさもっさが著者の切実な戦争体験に基づく政治的性的ドキュメンツなのだとしたところが、それがいったいどうしたのさ。

それでも新工夫を凝らそうとする著者は、主人公の言動を、「オスカル」と「ぼく」に2分化して描写しようとしているのですが、ではこの3人称と1人称をどのように区分けし、どのように統合しようとしているのかが読めどもてんで分からない。いかにも20代の若造の考えそうなアイデア倒れに過ぎません。

もしかするとヒトラー・ユーゲントに入っていた前歴を2重人格的に複合化(ナチと非ナチの自分)しようと思いついたのかも知れませんが、このように重大な事実を著者が告白したのはようやく06年になってからのことでした。

あまり否定的なこと挙げばかりでは公平を欠くので、無理矢理面白そうなことをとりあげると、この主人公のいちばんの執着は女性のスカートの下の匂いで、祖母のそれからはじめって恋人や看護婦のその部分への異常なこだわりが随所で執拗に描写されているのはそれほど変態的でもなく、人間の本質を外貌ではなく肉体生理に求める文学者らしいフェチ嗜好として微苦笑しつつ読み飛ばすことができます。

そういえば、昔これを原作としたフォルカー・シュレンドルフの映画を見たことを思い出しましたが、オスカルの太鼓連打で教会の窓ガラスが粉砕される光景がことのほか印象的で、あのような武器を欲しいと今でも思わないでもありません。



一斉の太鼓連打で宿敵打倒恩敵退散 茫洋

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紙の本

紙の本高く手を振る日

2010/05/18 20:59

どうして「題名通りに」ちゃんと手を振ってあげないんですか?

7人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

こういう作家がいるとは知っていましたが、その作品を読むのはおそらくこれがはじめて。タイトルが抒情的で、なんだか涙腺を刺激するので、ついつい読む気になったのですが、ラストではその通りになりましたから、まずは想定内の首尾を収めたというところでしょうか。

テーマは「高齢者思慕あるいは恋愛」と言って構わないと思います。会社を定年退職して還暦を過ぎ、古希を迎え、長い人生の「行き止まり」に逢着した男女の交情が、はじめは処女の如く、終わりは脱兎のごとく描かれ、諸般の事情で老人ホームに入ることを決意した大学時代の同窓生の女性に「高く手を振って」別れを告げるところで、この30年遅れの思慕純愛小説が終わるのです。

といいたいところですが、実際は「右手を高々と差し伸べる仕草を見せかけて途中で止めた」と書かれているのが悲しいところ。「今日はね、ご挨拶に上がりました」と言うなりソファーの上の主人公に激しく覆いかぶさってみずから接吻を求めてきたヒロインが、今生の別れに際して、「私に見えるように、大きく振ってね」と頼んでいるのに、黒井選手はどうして「題名通りに」ちゃんと手を振ってあげないんですか? これでは羊頭狗肉でしょう、と文句をつけたくなる主人公のカッコ悪さです。

全然関係ないけど、同窓会の後、タクシーで女性を送って行って、「さよなら」を言おうとしたら、いきなり接吻されたりしたりした経験は、みなさんありませんか。ああいう夜は、どうもそういうことをやってみたくなるものらしい。そしてこの小説もそーゆーノリで書かれている節もあります。

それはともかく、小説の最後の最後で電話が♪リンリンと鳴ります。
相手はもしかするといま別れたばかりのヒロインかも知れない。そうであれば「行き止まり」状態に陥った主人公に、新しい生の情炎がふたたび点火されるかもしれません。
はてさていったいどうなるのか? 読者に気をもたせつつ最後の一節が王手飛車取りの妙手のようにぴしゃりと盤上に打ちつけられるのです。

さすが名人の練達の手腕というところでしょうか。


♪マリー・アントワネットの首の如く落花せり一輪の真っ赤なチューリップ 茫洋

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紙の本

誰がこんな生き地獄をつくったのか!?

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



この本には、企業・大学・学生が演じる茶番劇という副題がついています。
企業は優秀な学生を青田買いするために「就職協定」を幾度となく有名無実化してきました。大学側では「教育」が本分であるとうそぶき、就職など知ったことかという態度を取っていましたが、少子化が進んでどんどん学生の数が減り、経営基盤が足元から崩れ去っていく現実を目の当たりにして、どうしても就職率を上げざるを得なくなってきました。

そこに割って入るのがお馴染みのリクナビやマイナビを運用する就職情報会社です。企業からは「就職人気企業ランキング」などをちらつかせて説明会経費や媒体費用をむしりとり、大学に対しては就活指導ノウハウを様々な形で押し売りし、「就活と採活」の両側面において完全なマッチポンプで莫大な利益を上げています。

いい迷惑なのは学生たちです。勉学に専念できるのは3年生の1学期までのわずかな期間だけ。夏休み前にはインタンシップという訳のわからない就業体験に突入し、続いて大企業の説明会が大会場で開催され、大手テレビ局や電通博報堂などへのエントリーが開始されます。ともかく3年生の大みそかまでには内々定を獲得しようということで、学業などそっちのけで就活の東奔西走が繰り広げられているのです。

どこの大学でも企業訪問やら面接試験などに出陣する学生が相次ぎますから、ゼミや授業や実験などはみなうわの空。4年生になっても就職が決まらないと大事な卒業制作にも大きなダメージが出てきます。100年に一度という大不況で2010年度の内定率はこれまた史上最低を記録していることを知ってか、最近では2年生!が就職課に相談にくるという異常事態が発生しています。ゆがみにゆがんだ就活ゆえに、かなりのパーセンテージを占めるアホバカ学生のアホバカ度も、ますます亢進せざるを得ません。

アホバカ小鳩のおかげで国会がもはやまともな政策論議の場でなくなってしまったように、キャンパス内も、もはや真面目な勉強どころの騒ぎではないのです。
就職情報会社や就職本に脅かされた学生は、絶対おとされないエントリーシートの書き方や失敗しない面接の受け方を知ろうと私たちのところへやってきます。マニュアル通りの履歴書を持ち、マニュアル通りの質疑応答に熟達し、マニュアル通りのリクルートスーツを着たマニュアル人間のおぞましさ。そして彼らをそのような姿形に追い込んだ元凶であるにもかかわらず、彼らの来襲におびえる企業の異様さ。これを悲惨な蟻地獄といわずになんと呼べばいいのでしょう。

この悲喜劇を存続させている当事者は、企業・大学・就職情報会社・世間そして学生です。しかし学生自身にはこの苦境を逃れるすべはありません。私はやはり企業側が1996年に廃止した就職協定を復活し、それを政府が厳格に監視する形で、「会社訪問は4年生の8月20日、内定は11月1日」とおごそかに決めることが、現在の「就活のバカヤロー」状態を脱する唯一の道ではないかと思うのですが……。

♪就活のバカヤローが生み出している恐るべき国家的損失! 茫洋

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紙の本

紙の本中原中也私論

2010/01/27 21:58

ついに甦らなかった中原中也の「詩と真実」

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詩人でもある中村稔がものした中原中也論を読みました。だいたい私は

ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて いたが、
音は きこえぬ 高きが ゆえに。        「曇天」

天井に 朱き色いで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙びたる 軍楽の憶ひ
手にてなすなにごともなし          「朝の歌」


などという彼の代表作を目にしただけで、心がその詩句を音楽のように高鳴らせ、その旋律や音色やハーモニーをまた心の耳がじっと聞き入るという風な受け取り方をして、その詩的音楽の響きに打たれることが、すなわち中也の詩を鑑賞するという楽しみのすべてでしたから、上に挙げた「曇天」について著者が、詩人は生来二重の性格を持ち、いわば自分の中にもうひとりの自分を内在させていて、終生その内部対立と相互分裂に苦しんだ証拠である、後者については、抒情はあっても思想内容に乏しい、などと言いだすと、それが彼の詩の価値とどういう関係があるのだと反論したくもなるのです。
長谷川泰子との同棲で小林秀雄は他者に出会って社会的に成熟を遂げたけれども、中原中也は、生涯にわたって「外界」に出会わず、己一箇の隔絶したタコ壺的世界に自閉(けっして「自閉症的」ではない!)して終わった、などという笑うべき俗説も唱えられていますが、私と違って中原の詩の本質に迫ろうとする著者の志は壮としなければならないでしょう。
そして「これが手だ」と、手という名辞を口にする前に感じている手、その手が深く感じられていることこそが、詩人の絶対的な要件だ、というのが、中也の詩論の中核であり、その天賦の才能が彼の詩魂の源泉であったと説く著者に対しては、格別異論があるわけではありません。
けれども著者は、「感想や思索ではなく直観や純粋持続の鋭さだけが詩人を詩人たらしめた」とせっかく正しいことを口にしながら、あれやこれやの証言や心理的な揣摩臆測、さらには西田哲学やフッサールなぞもせっせせっせと援用して、詩人中原の本性を再現し、彼の実像を懸命に立ち上げようと腐心するのです。

たしかに詩人と富永太郎、小林秀雄、大岡昇平、安原喜弘などとの交友の追跡記録はまことに興味深いものがあるのですが、この篤実な伝記作家の野望はついに実現されることなく、かの3代将軍が由比ヶ浜の海に放棄した破船のように、その巨大な残骸だけが浜辺に取り残されてしまいました。死んだ中原の真実を、長く生きた評論家の追及もついによみがえらせることはできなかった。これは顕微鏡的実証主義研究による要素還元主義の失敗の好個の例といえるでしょう。


   ♪目には目を 詩には詩を 茫洋

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紙の本

紙の本日本の歴史 12 開国への道

2009/03/21 20:48

開国への経緯をつぶさに知ることができる労作

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



小学館の「日本の歴史」もそろそろ大詰めに近づいた。今回は19世紀の江戸時代を取り扱っている。

本書ではまず西欧、ロシア、米国などが日本に押し寄せてくる環太平洋の時代のなかにあって、露西亜との北方領土画定のせめぎあい、大黒屋光太夫や高田屋嘉兵衛などの漂流民や人質外交戦においても、我が国がそれなりに「帝国」としての存在感を示して列強諸国の圧力に耐えたことが指摘される。

また江戸時代がけっして幕府の専制独裁の世の中ではなく、ルールにのっとった建策はかなりの程度まで受け入れられ採用された民主的?なシステムをもっていたこと、またこの潮流が幕末のペリー来航の際のオープンな開国論議に引き継がれていたこと。

庶民の正義の味方として高く評価されている大塩平八郎が、その裏面では水戸藩に対して特別の好意を示して米価の引き上げにつながるような便宜を図っていること、天保の改革で風俗を取り締まって倹約を断行した老中水野忠邦はもっと再評価されるべきであること。

さらにはそもそも百姓もある時期までは一本差しなら武装が認められており、高杉晋作の奇兵隊以前に、江戸市中に散在した道場主やメンバーの大半、近藤勇の新撰組やその前身の浪士組のメンバーの大半が武士ではなく、もっぱら百姓や神主などの平民であったこと。

そしてその歴史と実績が幕末に物をいい、かれら「草莽の庶民剣士」こそが明治維新の立役者であったことなどが、きわめて実証的に語られる。我が国がどのような経緯で開国するに至ったかをつぶさに知ることができる労作である。

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紙の本

日本における中華思想いまも

6人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

上巻に続いていかにも学者らしい冷静な筆致で、継体朝から律令国家の成立までをバランスよく記述している。最近「聖徳太子」が実在しなかったとか、「古事記」は偽書であるなどという俗説が商売繁盛しているようだが、それらが事実無根の妄論であることもこの本を読むと納得できよう。

世間では神代の昔から現代まで一貫して天皇制が存続したなどと考えている人も多いようだが、そもそも「天皇」という言葉が使用されるようになったのは天武朝からだし、それまでは「大王」と称されていた。王とは各地の部族の長で、それらの親玉を大王と称したが、大王が天皇に成り上がるためにはいくつもの階梯を経なければならなかったのである。

まして「天皇制」に至っては著者が説くように古代の律令国家と「旧大日本帝国国家」においてのみきらきらしく存在を誇示したにすぎず、誰からもその必要を認められず、見捨てられておおむね幕藩体制の陰にうずもれていたことを私たちはよく顧みる必要があるだろう。

「倭」がようやく「日本」に変身するのも天武朝からであるが、本書を読んでいるとその古代日本がいかに大唐を懼れ、へつらい、そのうっぷんを「夷狄」「蛮国」である朝鮮半島の国々にぶつけてみずからの「中華思想」を振りまわしていたかがうかがえて興味深い。

「大唐」はその後「西欧」にとって変わった。するとわが親愛なる日本国は、好悪相半ばする東アジアの大先輩をにわかに前近代的な後進国とみなして唯我独尊・武断暴虐の限りを尽くし、過ぐる大戦で一敗地に塗れても、まだ往時のかりそめの優越感を忘れることが出来ないので、かの石原慎太郎のごとく悔し紛れに「大唐」を「支那」よばわりして己の低劣さを世界に晒す下品な手合いが跡を絶たないのである。

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紙の本

人間はカッコつけたら終わりです

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

なるほどなあと思いつつスラスラ読めてあとにはなにも残らない1997年から2009年に行われたインタビュー集だ。

ガス抜きのペリエを飲んだときのような晴朗さと爽快さはいかにもこの作家ならではの持ち味だが、きっと苦いオリや苦悩や後悔は本編前後左右にさらりと投げ捨てられたに違いない。

しかし例えば「短編は三日間で書かねばならぬ」とか、「長編小説を書こうとする者はエッセイを書いてはならない」とか「締め切りに追われて書いてはいけない」などというセリフは、さすが実作者ならではの正鵠を射ぬいた発言と思えた。


折々の真情が卒直に語られていて好感が持てる本だが、このようにきざでこっぱずかしいタイトルをつけて恬として顧みないところに、この作家の隠された盲点があるのだろう。
されど真心が籠った「あとがき」には泣かされます。


人間はカッコつけたら終わりです 茫洋

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