紙の本
なぜか懐かしく感じる国
2017/01/16 02:10
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投稿者:いちごジャム - この投稿者のレビュー一覧を見る
エストニア、という名前だけしか知らない国。
一体どんなところなのだろう?どんな人たちが住んでいるのだろう?
そんな国を梨木先生が特有の優しい語り口で説明してくれます。
素朴な人たちが慎ましやかな日常を送るエストニア。
歴史的にも風土的にも厳しい国ですが、そこに住む人たちはとても温かく優しい。
途中に差し込まれた写真も美しく、行ったことがない国なのに、読み終わる頃には何故かとても懐かしく感じてしまいました。
紙の本
作家の背中を追うようにエストニアという国へ
2020/06/11 23:20
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投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
薄い本なので、1日でざっくりと読めそうと思ったものの、エストニアという場所の感覚が無くて、あっという間に、知らない場所で迷子になったような気分になりました。
著者の旅は、エストニアの首都タリンから始まって、どんどん周辺の鄙びてのどかな場所へと。地図をもって、それを追うような気分で最初から読み直す。
経済とか便利とかで犯されていない暮らしの数々を垣間見て、ときどき、この著者のつむぐ物語にあるような不思議体験。「金持ちにはなれないけれど、自給自足はできる」とか「誰に媚びへつらうことなく誇り高くも生きてゆける」とか。人々が、そんな風に思って暮らす国の話に、琴線がゆられまくりました。
紙の本
梨木氏の誠実な文体
2023/01/05 18:18
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「西の魔女が死んだ」「家守綺譚」といった味わいのある作品の作者である梨木氏のエストニア紀行、この国がバルト3国の一つであることは了解しているのだが、リトアニア、ラトヴィアとの位置関係がわからない、どうやら北から順にエストニア、ラトヴィア、リトアニアらしい。フィンランドのヘルシンキとはフィンランド湾を隔てて向かい側の位置関係らしい、高速艇で1時間半の距離だ。梨木氏の誠実な文体が私を見知らぬ国に引き込む
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コロナ禍のいま、読みたい一冊
2020/12/08 17:15
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投稿者:ぱぴぷ - この投稿者のレビュー一覧を見る
文庫になる前に、読んだことがあったかも、しかもあまりハマらなかったかも…と思ったのだが、美しい虹の写真と本の薄さにひかれて買ってしまった。
う~ん、やはり読んだことがあった気がする、そしてこの筆者の文章に乗れないと思いながら読んでいたのだが、いつの間にやら、ハマっていた。いわくありげなホテルの話のころにはすっかり。「バルト三国の一つで云々」といった話ではなく、「生態系と人間の暮らしとは」的観点の話が多かった。311後かつ、コロナ禍のいま読むと、昔読んだときより、感じ入るところがあった。
薄い本だが、いい意味でサクサクとは読めない。この作家の他の作品も改めて読んでみたいと思った。(3.5点)
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酸いも甘いも包み隠さず書かれたエッセイ。
鳥を見たとか鹿を見たとかについつい羨ましがっちゃう梨木さんがかわいい。
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初読。梨木さんらしい人や自然と触れ合いの旅。他人事ながらスケジュールがタイトそうで、もう少しのんびりできたらまた違った空気感なのかなあと想像。なぜか不意に幸田文さんの『木』を思い出し、読み直してみたくなった。
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作家梨木香歩によるエストニア紀行。さてエストニアとはどこにあったっけ? それくらいの知識しかもたずに読み始めましたが、すぐにその地に引き寄せられました。
梨木さんの目を介してエストニアの文化と自然を見る。きっと自分がその地に立った時には気付きもしないものに気付かされ、エストニアの魅力に心を寄せます。
人の営みである文化や歴史。それは侵略を受けそれでも守り通したもの。僻地であり境界であるが故に生まれた世界。過去から連綿と続く人々の息吹を感じさせます。そして人が介しなかったが故に残った自然。人が人の理屈で離れた土地だから動植物がそれぞれの様相を成す。しかし人が介することによって姿を現す自然もまたあるということ。人も自然の一部なのか、自然も文化の一部なのか。梨木さんの目はその地の人々に自然に動植物に寄り添いながら、もう片方の目は異邦人としての目をそのまま残しています。そのため生まれる対象物との距離感が心地好く、遠い地に心を飛ばすことができます。
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うーん。紀行なんだけど、なんだかブログっぽい感じ。西の魔女の梨木さんのノリで読んだからちょっとズレがあったのかも
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旅には目的地を楽しむことと
旅のフィーリングを楽しむこと、大きく2つある。
本書は後者の気分が色濃く出ている。
だから観光案内を期待して読むと
少し肩すかし感があるとは思う。
ただ、できるだけ誠実に旅行者として
そこにある土地の目線に寄り添おうという
筆使いは好感が持てる。
また、これは辺境のための文学としても描かれている。
辺境についての、でも辺境による、でもなく、
旅行者としての資格で辺境に捧げられている。
作者としての姿勢であり、優しい人柄を感じもするが、
言葉は本来的にもっと暴力的なものだ。
その暴力を極力発現させないようにと気をくばっていることは分かる。
だが、そのような意識があるなら、
なお踏みにじることもありうるような
書きぶりがあっても構わないと読者としては思う。
そういう意味ではそこが先鋭的に現れている
アメリアの幽霊話は好きなエピソードとして挙げられる。
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エストニアというあまり馴染みでない国の紀行文であること、表紙の虹、著者の小説が好きなことが本書を手に取ったきっかけ。
ターシャテューダーのように植物や自然と暮らしているような印象。そこに来て作家であるということで文章が面白い。
笑い転げるような類の面白みではないけれど。
さらりと読めない文を書く人。よく吟味して書かれているのだと思う。一字一句丁寧に読みたくなるし無駄もない。
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私の気持ちのお薬。疲れたときに安心させてくれる気がする、梨木香歩さんのエッセイ。彼女のレンズを通して伝わる世界は、時折残酷なところもあるが、概して「ありのまま」に優しい。エストニアで出会うひとびとを捉えるときも、歴史についての述考を書く際も、レンズは誠実に(歪んだり、遠近をドラマティックに演出したり、色を付けることなく!)あり続ける。異国の風景を近くに、においをすぐそばに感じてうれしかった。
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梨木さんの他作を読んでいた頃にたまたま紀行エッセイが読みたくなったので、おあつらえ向きに購入した。エストニア自体、バルト三国の北の方の国、という程度の認識しかなかった。
スウェーデン、ドイツ、ロシア、ソ連と、長きに渡り代わるがわる他国からの支配を強いられてきた小国であること、1991年に悲願の独立回復を果たしたことをこの本を通して知った。また、調べてみればIT先進国として非常に発展した国であることも分かった。
だが、梨木さんが出会ったエストニアの人々は皆、素朴で親しみを持てる人たちばかりで、交流の一つひとつに心が温まった。移動や散策の描写でも、曇天の下、穏やかで静謐な時間を思い浮かべた(ご本人は設定されたスケジュールの中でタイトな行動をせざるを得なかったようだが)。離島の方では他国の支配による影響もなく、古来からの文化がいまだ息づいているようで興味深かった。
純粋に、もっと世界のことを、歴史のことを知りたいと今更ながら感じた。
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実は女性作家が苦手である。おまけに小説に食指が動かなく
なってからかなりの年月が経つので、本書の著者の代表作と
も言える『西の魔女が死んだ』も『裏庭』も読んでいない。
それなのにいきなり紀行文に手を出してしまった。お隣のラトビア
のリガにはしょうもない理由で行ったことがあるのだが、エストニア
は行きたいと思いつつ、未だに訪れたことがない国だからだ。
申し訳ないのだが、私にはこの著者の文体がまったく合わなかった。
倒置法と括弧書きの多用でいらついた。
そして文章を繋ぐのに「でも」でもなく、「しかし」でもなく、「だが」でも
なく、「が」で繋ぐ書き方。これが私は大嫌いである。アナウンサーが
話し言葉で「で」を多用するのと同じくらいに嫌いである。
そもそもなんでエストニアなのかが分からないんだな。一応、仕事
で訪れているのだがこの紀行文を書くための仕事なのかな。編集者
が同行しているのでそうなのだろうけれど。
著者が動植物に詳しく、自然を愛している人だというのは分かるの
だ。だが、肝心の自然を表現する描写に弱さを感じる。
紀行文というのは読んでいるうちに自分が一緒に旅をしている錯覚
に陥る楽しみがあると思うんだ。本書にはそれが一切なかった。
文章の向こう側に拡がるエストニアの風景が立ち上がって来ない。
風の強さが感じられない。空の色が見えてこない。森や林の匂い
が漂って来ない。そうして、訪れた街の温度が伝わってこない。
出会った人に対しても、食べた料理に対しても、建築物に関しても
「素朴」という言葉がどれだけ繰り返されていることか。
残念だ。女性たちの民族衣装の肌触りくらいは書いて欲しかったの
だけれどね。
大国に翻弄されて来たエストニアの歴史や、著者自身の自然に対
する考えなども記されているのだが、どうも深みが足りない。
気軽に行けない国や地域であるからこそ、紀行文を読んで行った気
になって楽しむのが常なんだが、エストニアは自分で行かなきゃダメ
かしらね。
それにしてもプロの作家さんが「損得感情」って書いてしまうのはどう
なのかしら。誤植?それとも造語?
尚、私はエストニア出身の元大関・把瑠都が好きだった。横綱になって
欲しかったのだけれど、優し過ぎたのかな。
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梨木香歩のエストニア紀行を読みました。
森の苔・庭の木漏れ日・海の葦というサブタイトルがついています。
梨木香歩がエストニアを旅行して豊富に残されている自然を堪能します。
エストニアに生きる人たちの生活も描かれていて、なぜか懐かしさを感じてしまいます。
大量生産・大量消費の生活に慣れてしまった日本人が忘れてしまった自然との共存がまだそこには残っているのでした。
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数々の自然に対する造詣が深い梨木香歩のエストニア紀行文。エストニアがどこにある国なのか先ず確認する作業は厭うまでもなく、ページを開くと直ぐに地図が現れます。北欧のバルト海に面したロシアと隣合わせた位置でした。その旅の紹介は行きの飛行機内での様子から始まります。副題に「森の苔・庭の木漏れ日・海の葦」とあり、林の向こうに大きな虹が架かる写真がこの本の表紙。その国の歴史を知らなければ、旅はただ通り過ぎるものだけになってしまうけど、案内人のお話や人柄の紹介もあり臨場感溢れる展開。市街地から郊外へ向かううちに段々と梨木さんの興味ある植物や、渡り鳥や小動物が登場します。森の中に住む蛭で治療するおじいさんのお話や怪談話が似合いそうな不気味なホテルに泊まるお話。そしてバルト海に浮かぶ島々の見事なまでに保たれた自然のこと…本気で後半生をこの島で過ごすことを考えたという梨木さんの言葉にいかに其処が素敵なところなのか…
旅に携える本のこと。生垣に成る木の実や植物で「12か月の風」を作ってみようと思ったという記述に彼女の優れた感性を改めて感じたのでした。所々に素敵な写真入りで異国情緒が味わえます。