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いやはやW杯開幕まで1ヶ月を切っての発刊。村上龍のサッカーを描いた小説、巻かれた帯に中田英寿のコメント——これは、幻冬舎・見城徹社長からのキラーパスだね!
2002/05/13 11:51
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投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
楽しめた。読む前に意欲満々だったし、滑り出しもスムースだし、こりゃあ一気読み本だね…と思っていたのに、ひと晩でなく4日もかかってしまったのが、ちと不甲斐ない。
どうしてそんなにかかったかというと、週末、子どものサッカークラブの練習メニューに付き合うので疲れて早く眠るからで、そこで息が上がらないように暇を見て泳ぎに行ったりするから、時間はなくなる。疲れは益々たまる。
4級審判員の資格取得目指して、勉強もせねばいかんし…。
が、我ながらサッカー小説を読むのにふさわしいスポーティーな日々であった。ゲームの観戦でサッカーを知るのも面白いけれど、ボールを買ってきて、蹴ったりじゃれたりしてみると、更に経験のある人からトラップや蹴り方を教えてもらえると、サッカーの楽しみはより高いステージに上がる。この小説を読んでいても、体で感じられる箇所があったりして面白かった。
しかし、私はブツブツ切りながら読まざるを得なかったけれど、ラスト約100ページにわたる試合部分は、そういう読み方をしてはダメです。もったいない。
村上龍と中田との対談をオンラインで読んだが、サッカーのリズムを再現しようと工夫して書いたヤマ場であるから、携帯はマナーモード、電話はお休みモードにして、居留守を決め込み、邪魔が入らないようにして一気に読み下すことを強くお薦めする。
中田英寿のオフィシャル・サイトnakata.net(サッカーのサイトって面白いね。小野伸二サイトとnike footballが好き!)とbk1で話題の雑誌「ソトコト」に連載されていたというから、サッカーマニアには「今さら」の発刊なんだろう。けど、加筆訂正されているということである。
ちなみに本書に巻かれた帯の中田のコメント。
<ストーリーにドキドキしながら、ぼく自身、「言葉で展開するサッカー」を楽しみました>
明らかに中田を意識したプレーヤー夜羽冬次が、イタリア中部の架空の町メレーニアのクラブチームで活躍している。
語り手でもある主人公はマルチなクリエイターで、脚本を書いたり映像を手がけたり、中南米の音楽や物産を輸入したりしている。限りなく村上龍に近い人間だ。で、冬次のサポーターで、親しく食事をしたりする友だちでもある。
物語は、冬次が「私」にもたらした究極のドーピング情報から動く。赤血球を増加させ運動量を上げる究極のドーピング。
冬次にたのまれ、そのドーピングに注意するようアドバイスしてくれた人物に主人公が会い、情報を深くさぐっていこうというミステリー仕立てだ。人物とは、某ブランドのサングラスが似合う、ぞっとするような美女ときた。
中田との親交でセリエAを追い、ヨーロッパのサッカー中心にエッセイを発表し続けてきた村上龍ならではの小説である。サブリーダーとしてエッセイ集『フィジカル・インテンシティ』『奇跡的なカタルシス』『アウェーで戦うために』を併読すると、より世界が広がる。
蹴ってつないでゴールに入れるだけ、ルールも少ないサッカーというスポーツは、ある意味、理念型とも言えるシンプルで抽象的なものだけに、あらゆる分野やシーンを向こうに透かして見ることができるのだろう。その素晴らしさを再認識させられた。
新しいサッカー小説のかたち
2002/08/06 00:16
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投稿者:片桐真琴 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品の舞台はイタリアのセリエA。主人公は作家の矢崎剣介と、フランスワールドカップ後にイタリアのクラブ・メレーニアに移籍した夜羽冬次(ヤハネトウジ)。矢崎と冬次はフランスワールドカップ・アジア地区予選の最中に知り合い、以来、食事をしたり、メールを交換したり、という間柄。メレーニアに移籍し、チームの中心として活躍しはじめた冬次はあることに不安を感じるようになる。ヨーロッパのリーグで、試合で活躍した非EU籍の選手が試合後に心臓麻痺で死亡する、ということが起きるようになっていたのだ。冬次はそれがドーピング薬のせいではないかと疑い、矢崎にあることを頼むのだった。そして矢崎は“アンギオン”の存在を知ることになる…。
これが小説の始まりで、物語の詳細は読んでからのお楽しみ、ということでこれ以上は書きません。ここに登場する夜羽冬次は、作者があとがきで強調するように、中田英寿選手とは「全然別」で(といっても、ある一つのモデルとしているのは確かなように感じられるので、中田選手をイメージして読んだ方がよりリアルに感じられるでしょう)、メレーニアというチームも架空のものです。が、登場する相手チームと選手は、ユヴェントスやジダン選手はじめ実名で登場するので、一瞬小説であることを忘れそうになります。
本の後半の、メレーニアのセリエA残留をかけた、優勝をかけるユヴェントスとの最終戦の描写は非常に詳細で、ピッチを頭の中にイメージし、それぞれのシーンを明確なかたちに変換しながら読んでいると、実際にスタジアムでゲームを観戦している気分を味わえます。ここまで言葉だけでサッカーのゲームを、それも架空のゲームを、表現した文章には初めて出会いました。“アンギオン”をめぐってはやや消化不良の感がしないでもないけれど、スポーツ小説としては一級の作品であることは間違いありません。
コーナーキックの混戦の謎も解けた
2002/06/18 13:21
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投稿者:せいじろうず - この投稿者のレビュー一覧を見る
ワールドカップ2002のおかげでレベルの高い試合がたくさん見られてうれしいです。ところでサッカー初心者の僕は、コーナーキックのときにゴール前の選手達は敵味方入り乱れて服や手をひっぱりあって、あれは何しているのだろうかと不思議でしょうがなかったのですが、この本を読んでようやくわかりました。
わかりやすくかつ高度なサッカーの知識、イタリアにおけるサッカーのありかた、イタリアの食べ物と街の風景、キューバの太陽。いろいろなことが読め、しかも小説としても、とてもスリリングでおもしろい本でした。
悪魔の痛切天使のカタルシス
2002/05/26 18:22
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
作品のほぼ四分の一、九十頁にわたって繰り広げられるメレーニア vs ユヴェントスの壮絶な戦いと臨界点へ向かう熱気と心も凍る冷気が入り交じる観客席の描写は、あの『五分後の世界』の長い長い戦闘シーンをひょっとすると凌駕しているのではないかと思わせる興奮とカタルシスと痛切を湛えていた。
著者は「あとがき」で「選手たちはピッチの上で、自分の物語などには関係なくシンプルにボールを追い、ボールを蹴っている。…ピッチは選手たちのものであり、選手たちの聖地だ。わたしは、サッカーがいかに魅力のあるスポーツかということを描きたかった」と書いている。
この目論見はものの見事に成功していて、だからユヴェントスとの死闘を繰り広げる夜羽冬二が死のドーピング剤アンギオンに犯されているのかどうかといった「物語」的趣向などにはいっさい関係なく、私はただただシンプルに息をのんで冬二の「天使のゴール」が繰り出されるゲームの推移を見守った。その余の部分は、対パルマ戦と冬二の「悪魔のパス」が見られる対フィオレンチーナ戦の描写を除けば、DNAの剰余部分のようなもの、あるいは図と地の対比でいえば地であって、作家村上龍の濃度(強度・密度)の迸りとも筆の遊びとも言えば言える。
村上龍は『奇跡的なカタルシス』で「サッカーのカタルシスは爆発的でそれがゴールという奇跡によって成立することを考えると宗教的ですらある。サッカーより刺激的な人生を送るのはそう簡単ではないような気がする」と書いた。これをもじるなら、サッカーより刺激的で宗教的な小説を読むのはそう簡単ではない。そのことを完璧に示したのがこの小説で、それは凄いことだ。
濃密なサッカー描写が新しい
2002/07/30 00:02
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投稿者:たちカレー - この投稿者のレビュー一覧を見る
このサッカーの試合の描写は新しい。ただ、わたしには想像力が欠けているせいか、試合で何が行われているのか理解できないところあった。ゆっくり読むと、試合のスピード感がそこなわれるような感じもするしね。
もともとが、nakata.netでの連載であったせいか、ある程度サッカーに興味がある人むけであろうし、ヨーロッパでのサッカーに知識がある人にはお勧めでしょう。
この本を読んだ後には「文体とパスの精度」を読むと、また新たな発見がでてくると思います。
死を招く最強のドーピング剤とイタリアセリエAの日本人選手
2002/05/26 15:50
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投稿者:格 - この投稿者のレビュー一覧を見る
心臓血管系全体を飛躍的に活性化させ、試合で大活躍させるが、薬の効き目が切れたところで、心臓が停止してしまうという最強のドーピング剤。それが、ヨーロッパのサッカー界で使われているのではないか、という疑いがもたれる。使われるのはヨーロッパ域外の選手に対してだけ。次々と犠牲者がでるが、それが国によってバラバラであるために、なかなか、大問題になることがない。
それを追及していく主人公の作家(あきらかに著者自身が反映されている)と、セリエAの日本人選手夜羽(ヤハネ、明らかに中田)の交流。
しかしテーマが何なのか、よく分からない。ドーピングの問題は、結末不明のまま。そして夜羽に対して薬が使われたかどうかについては、馬鹿げた推測のままに終わる。
この小説はサッカーを言葉で語る、ということの方が重点なのだろう。しかし、それも、詳細すぎるからなのか、長すぎるからなのか、どうにも今一つ。たしかに迫力は感じられるものの、だれてしまう。同じサッカーを言葉で語る小説と言ってもいい「龍時」の描写の方がはるかに面白い。サッカー選手の眼で語られるか、観客の眼で語られるかの違いによるものではない、と思うが、どうなのだろうか。
結局、各地を旅しての料理と酒の蘊蓄、そして、村上と中田の交流とは、こういうものなのか、というあたりが、本書の読みどころ、というところ。