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日本人の道徳観はここにあるのだと世界に知らしめた本。当時の日本人の教養の高さ、今の自分とのレベルの違いを痛感させられた1冊。もっと色々知らなければいけないことがあるのでは?人生このままではいけないなと、この本を読んで感じました。特に「知識とはこれを学ぶ者の心に同化せられ、その品性に現れる時においてのみ、真に知識となる。」という言葉は私が物事を学ぶ際に常に思い起こすようにしている大好きな言葉です。
2011.7.5
「いずこよりか知らねど近き香気に、感謝の心を旅人は抱き、歩みを停め、帽を脱りて空よりの祝福を受ける。」武士道精神を忘れないだけでなく、「近き香気」に常に気付ける人でありたい。と思いながら『武士道』新渡戸稲造著 読了。
読み返してみて改めて気付けたことがありました。
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すごく密度が濃い。どの言葉も軽くない。強い信念と読書からくる深い知識が込めて込めてある。じっくり読む価値がある。時間を開けてまた読みたい。
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5千円札で有名な新渡戸稲造の本であり
電球の発明で活躍し、自分的にはすごく崇拝する
トーマス/エジソンも愛読していた本です。
元々は、英語で書かれた本で、何でも調べたら
日本道徳の価値を広く世界に宣伝したいがために
書かれた本なそうな→んで、もちのろんろん
日本語訳も出ているので拝読
哲学の固まりみたいな本です。読み解き明かし
これで本当に伝わるのかと疑問をもちつつ
かつ、訳が下手なのかと勘繰りつつも読み進めて
いくうちに自分なりの解釈
ここから
難しい表現を用い、タイトルに「武士」という
日本特有でしかも外国の方からみたら興味が湧きそうな
タイトル!
しかも中身の表現は、難解かつ奥深い表現で
日本人の秀逸さを世界に宣伝しうるために表現したような
物の描き方だったんではないか?
と感じました。
納得、うんうんというより、うーーんと
悩み、も一回読んでみようかなというような
バリバリのうーん、なんか特殊な表現をするならば
バリバリの日本哲学の本って感じです。
当時、初版は戦時中だったし、日本道徳を
広めるための必死さ、愛国心は伝わりました。
この本は、引用ですが
三軍の将に匹敵する本だと
書かれています。ぜひ、日本人なら一度は読むべき
本なのかなと思います。※もち個人的には
武士→女子には関係ないと思われるがが、それを支えてきたのも
女性というのは真実。ということはやはりその
武士道精神は、女性にも関係していると思われふ
日本人の血を持つものなら誰しもに宿りし精神かと
そんな感人な本でした
ヨロピコ
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日本人だったら絶対読むべき。武士道がどうとか日本の心がとかじゃない。新渡戸氏の国際感覚に学ぶべきだと思った。
この武士道の本がもたらした国際的な日本人観の改革は枚挙にいとまがない。是非原文(英語)と併せて読みたいな。
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日本人の道徳観念である武士道を、端的に分かりやすく論じています。元が英語であるのは、もともとこの書の対象が外国人であったからです。
考察は精緻を極めています。現在でも、美学や道徳観念の基本は武士道にあることが分かるでしょう。
日本人として、どういう態度で生きるべきか。
ますますボーダレスな社会にあるこの世の中で、どう振舞うべきか。
そのような問題意識を持っている人に、是非読んでもらいたい。
「自慢ではありません。誇りなのです」
某漫画にある台詞ですが、読後この言葉が身にしみてくると思います。
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「武士道とは何か?」ということを、日本の偉人、あるいは孔子、孟子、西洋の哲学者などの言葉、エピソードを交え、考察、解説してくれている。
章を読み進めるにつれ、新渡戸稲造という人物が、哲学、法学、宗教学をはじめとして、如何に博学であるかということが伺える。
確かに、武士道が美徳であることが伝わってくる。
が、これを現代の日本が受け入れることができるだろうか?
今に還元することは可能か?
そんなことを考えながら、頁を捲っていた。
「第十五章 武士道の感化」において、武士道はあくまでも、武士階級、そのなかでも選りすぐりの例を持って考察したものだと述べている。だが、その道が、あらゆる国民を先導する、ともある。
「第十六章 武士道はなお生くるか」「第十七章 武士道の将来」を読むと、封建制度の衰退と文明開化の名のもとに西洋文化の流入によって、武士道という日本固有の文化が失われつつある中、本書が書かれたのだということがわかる。だが、そこには願いが込められている。
武士道を、桜が散るが如くに例え、その姿は滅ぼうとも、その香りは時をこえて、祝福を与えてくれるはずだと。
新渡戸稲造は、今の日本を見て何を思うだろうか。
世界を相手にした戦場の表舞台は、経済だ。商業は武士道とは相容れない。それを支える軍事力は、手足を縛られた自衛隊が担っている。そこにも武士道が生きる場所はないのではないだろうか。
武士道とは話しがずれるが、第十二章に、驚くべき記述があった。
「自殺信者が驚くべき速度で世界中に増加しつつあるを見れば、痛みのない、また時間のかからぬ多くの自殺方法が流行してくるであろう。」
まるで予言のごとく、的中してしまっている。そして、明治の初めにすでに、自殺者の増加傾向がみられるということだろうか。
本書では切腹の美徳についても述べられているが、自殺そのものを美徳としているわけではない。
「死を軽んずるは勇気の行為である、しかしながら生が死よりもなお怖しき場合には、あえて生くることこそ真の勇気である」という言葉を引用し紹介している。逃げ道としての自殺は、武士にとって恥なのである。
武士道の全てを受け入れることはできないだろうが、多く学ぶべきことがあることは確かだろう。
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今この本を読んでも、なんというか内容の古さをあまり感じない気がするのは自分だけ?
一見今の世の中では忘れられがちだけど、それでも脈々と続いている日本人に内包した生き様や性格をたくみに表現していると思います。
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武士道
祖父がつけたと聞いている、自分の名前の由来。
それは正義を貫くこと。
勇気と忍耐を持ち、人を慈しみ、叡智を携え、誠実に礼を尽くす。
名誉を重んじ、忠義に生きる。
そのためには、自らを律する強い意志の力が必要となる。
武士道は、賛成出来る点もあったけど、出来ない点も。
負けるが勝ち、逃げるが勝ち的な考えも、自分の中には肯定的にあると思う。
礼は寛容にして慈悲深く、人を憎まず、自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせないばかりか、自己の利益を求めず、憤らず、恨みを抱かない。
これは自分の好きな映画の台詞に似てるけど、こういう考え方は好きだ。
優美さは無駄を省いた動作から生まれる。
仕事でもバスケでも、これは同じだろう。
西郷隆盛の言葉も多々引用されていた。次は西郷さんの本でも読んでみたい。
「道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛したまふゆえ、我を愛する心を持って人を愛するなり」
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」
中学や高校で聞いた孔子の言葉、
学んで思わざればすなわちくらし、思うて学ばざればすなわちあやうし
も、今なら深い理解が出来る気がする。
今思うのは、学び、考え、実行することが大事だということだ。
仕事が忙しくなって来たこのごろ、時間を大事に、真直ぐに頑張ろう。
The secret of health for both mind and body is not to mourn for the past, worry about the future, or anticipate troubles, but to live in the present moment wisely and earnestly.
I would prefer even to fail with honor than to win by cheating.
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「ラストサムライ」とか、「蝉しぐれ」とか好きで、古き良き日本について知りたくなって、武士の神髄に興味を持って読んでみた。
新渡戸稲造って聞いたことあったけど、読んでみたのは初めて。書かれたのは、かなり昔の1899年(明治32年)。病気療養のためアメリカ滞在中、38歳、日露戦争の5年前、初版1938年。この時代に日本と外国について深く観察し、英文で詳細に文章を書き、それを広めた当時のグローバル精神がすごいと思う、リスペクト。それを訳したから昔の日本語表記で、ちょっと読みづらいけど、薄い本だから最後まで読めた。
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美化しすぎ。
欧米人に向けて書かれた、キリスト教徒による自国文化の紹介なので、キリスト教徒に負けない程に自国の文化・伝統が素晴らしいことを証明しようと躍起になっている。
確かに知識や文体などには博識さを感じるのですが、なんか一種のプロパガンダという印象しか残らなかった。
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日本語に訳したのは、長谷川町子の自伝に出て来る東大総長だった矢内原忠雄。文体が古めかしい。
夏の風物詩、肝試しは武士の子どもに勇気を試すテストだったらしい。江戸時代の武士の子どもは、刑場で斬首を見学、夜中にひとりでさらし首まで行って印をつけて帰ってこないといけなかった。ものすごくスリルがあったろう。
武士の母は子どもが怪我をして泣いたら、
「そんな事くらいで泣いて、戦場で片腕を斬られたらどうする。切腹の時も泣くのか。」
といさめられた。そんなこと言われたら、泣く子もだまる。
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この本は初め英文で書かれ、「武士道」の考えを諸外国に紹介し、その素晴らしさを外国人でも分かりやすいように解説したものであった。
現在、武士道という考えは、当の日本人ですら曖昧になっているのではないだろうか。そういった意味では、現代の私達が読んで大いに武士道を理解する助けになるものである。
本の中で新渡戸は、様々な西洋文化と比較して武士道を紹介する。ニイチェ、マルクス、ゲーテらの言葉を登場させては、武士道が西洋的精神に引けをとらないこと、時にはそれすら凌駕する深い考えに到達していることを説く。
以下では感想として、日本人男性のストイックな性格というものを考えてみたい。
「一方において勇の鍛錬は呟かずして忍耐することを銘記せしめ、他方において礼の教訓は我々自身の悲哀もしくは苦痛を露すことにより他人の快楽もしくは安静を害せざるよう要求する。この両者が相合してストイック的心性を産み、遂に外見的ストイック主義の国民性格を形成した」
「武士が感情を面に表すは男らしくないと考えられた。『喜怒色に現わさず』とは、偉大なる人物を評する場合に用いらるる句であった」
この恥の概念やストイック的精神を当時の女性は理解し、「沈黙の愛情」として受け取っていたのだろう。それは言葉に頼らない分、精神的な比重が大きくなり、そこに美しい情緒を見出すことができる。寡黙というのは一つ一つの言葉の密度が高くなるという意味において、思慮的であり情緒的だ。
武士道的考え方は当時、教育面にも大きな影響を与えていた。現在の教育を考えるとその影響が薄れてきたことは否めないが、日本人の潜在的意識の中にはその精神が未だ流れているように感じる。
よく言われる日本人男性の口下手は、「口が上手くない」という側面以外に「感情を表に出すのは男らしくない」という考えが背景にあるのではないだろうか。だとしたらそれは、現在に継承される武士道的精神の表れともいえるだろう。
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1899年、新渡戸稲造が日本人の道徳感を形成する根幹にあるものとして、海外に英語で提示した書。文明開化からまだそう経たない時期であるが、すでに義理という言葉は本来の道義の理屈という意味から放れて使われていたというような逸話がある。著者は、明治となり西洋化する日本社会において過去の日本人が持っていた良いものが徐々に失われていくことを嘆いている。現代においても同様な事例は事を欠かないことを考えれば、こうした変化はまた歴史において必然ということなのかもしれない。また、切腹についての章は現代に生きる我々にはかなり衝撃的である。「名誉の失われし時は死こそ救いなれ、市は恥辱よりの確実な避け所」というガースの詩を引用している。この西洋の詩人の言葉は期せずして、それが切腹の本質的な意味を現している。本章では2件の切腹の様が生々しく描写されているが共に壮絶である。その内の一件は、父の仇を討つために、徳川家康の命を狙い捕らえられた兄弟であり、その煽りを受けて一族の男子皆が刑に処される定めを受け、若干8歳の末弟も連坐の上で腹を切るのである。衝撃のあまり、読んだ当日よく眠れなかった。
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武士道とは自己犠牲の精神、平和主義の精神と理解(正しいかどうかはわからないが・・)。近代戦争を始めていく時代において、それを批判的に見ながら、キリスト教的、経済重視の価値観、唯物史観を批判しながら、それと古来からある日本人の精神を堂々と語っている。もう一度読まなくてはならない本。
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読書力のなさで100%いや50%も理解できなかった。しかし、これから年月をかけて理解できるように勉強し、経験を積んでいきたい。それだけの価値はある本だと思う。また、心に残ったところとして、不死鳥は自らの灰の中から再生する。けっしてどこからかやってくるものではない。との一説があった。歴史を学ぶことは後ろを振り返るだけではなく前に進む力になるのだと再確認した。