素直に、やー、いい本だなー、と思える本です。
2009/11/01 20:28
8人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:analog純 - この投稿者のレビュー一覧を見る
えー、今、私の手元に、上記の文庫本が二冊あります。同じ本です。……うーむ。
はは、はははは。
でも、こういう事ってよくあることですよねー。
読書好きのお方なら、必ずや、そんな体験、私にもあるあると、おっしゃってくださると思いますがー、そんなことってないですか?
私の場合、「本」はまだましな方です。同じ本を買ってしまうケースが少なからずあるとしても、買った本の総量に対するパーセンテージで考えれば、(きっと)少ないです。(かな。)
同種の誤謬で、最近、私にとって看過できなくなりつつあるのが、CDであります。
これも、まー、安くなりましたからねー、昔のレコードに比べますと。
えー、話題を、少し元に戻します(放っておけば、戻りませんから)。
『出家とその弟子』が手元に二冊あるということです。
しかし、この本のケースは、わたくし、思いますに、「微罪」だな、と。
「なにが微罪やねん!」と、お怒りの方もいらっしゃろうかとは思いますが、この本の場合は、本棚を探して、無いことを確認して新たに買ったのに、後で思わぬ場所から以前買った本が出てきてしまったというケースですから、罪は軽いですよね。
ほとんど「正当防衛」と紙一重であります。(なんのこっちゃ。)
えー、というわけで、同じ本が二冊ある謎が解けたところで(どこに謎が解けたんやー)、この本の書評ですね。(まっとうな書評になるのかしら。)
私が最初にこの文庫本を買ったのは、おそらく私が高校3年生くらいの時だと思います。(そして読んでいなかったんですね。)
二冊目の本は、ここ一年ほどの間に買ったものです。
この度読んでみて、改めて、
「やー、いい本だなー。」
と、思いました。難しいところの全然ない、とても遠くまで見通しの効く、本当に良い本だなーと思いました。
そして、なぜ私は今までこの本を読んでこなかったのだろうかと考え、さらに、もしもっと若い時にこの本を読んでいたら(まさに高校時代に)、どうであったろうと思いました。
なぜなら、この本には、恋愛と性欲について、極めて繊細に、誠実に触れられてあるからです。
このテーマは、さすがに現在の「人生の黄昏時」に読むと、少し「他人事」になってしまいます。
でももしも、せめて僕が二十歳の時に読んでいたら、きっと別の感じ方をしただろうなと考えると、何というか、少し残念なような、そうでもないような、そんな少し切ない感じがします。
もちろん本書は、優れた古典的作品として、定まった評価を持つ本ですから、今更私がびっくりしたように褒めたところで、どうということもないんですが、とても「爽やかな」、まさに「良書」という言葉に相応しい本でありました。
いやー、読書って、本当におもしろいですねー。
青春小説を読みたければこれ!
2016/12/26 11:42
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投稿者:imikuto - この投稿者のレビュー一覧を見る
恋人との愛に悩む、親鸞の弟子・唯円、親子の確執に悩む、親鸞の子・善鸞。
この二人の青春ストーリー。
そして、さらに宗教色が加味されている。
というかタイトルからしても、歎異抄がベースだということからも、宗教小説とも言えるのだろう。
ただ、親鸞や浄土真宗のことを知らないので、なんともいえない。いちおうは納得できるが。
むしろキリスト教的なイメージだけは受け取れる。解説によれば、著者のキリスト教的影響があったとのことらしい。
読み方はいろいろあるだろうが、宗教的な色合いを無視すれば、青少年なら自分の青春と照らしながら、そこそこの大人なら、郷愁に浸りながら読めるはず。
青春小説好きにはたまらない1冊だろう。
心に一燈をともす傑作
2015/10/29 07:00
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投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
電車の中でこの本を読みながら降車駅を乗り過ごしてしまった。戯曲の中で親鸞が人の業にであい語ります。人間はモータルなのだと。
私たちはどうしても避けられない本能の煩悩をただ押さ続けるというのではなく、ただ受け入れ、それでも救われることを説き歩く姿なのです。
私たちの心の奥底にあるものを鎮めることがきる稀有な本です。理屈や論理ではなくこのような劇の世界で解きそしてしみこませてくれる力があります。
このような稀有な哲学者である倉田百三氏が日本にいたことを心よりありがた思います。多くの人の心に一燈をともすものです。
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お も し ろ い !
え〜〜なにこれ?出家?弟子?なんか怪しい…とか思いながら読んでちょっとびっくりした
軽い!楽しい!そしておもしろ!
「他力本願」の本来の意味をこの本で知ったんだ…
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ずっと気になってはいたんだけど、ようやく読了。
一度読み始めると一気に読んでしまった。
読書好きならば「出会う」という体験が必ずあると思うんだけれども、なんというか、ああ、今読むべきだったのだな、とすとんと胸に落ちる――文中の表現でいえば、すっと腹に入る――物語だった。今読むべきだったのだろう。
若すぎても、年を取りすぎても、いけない。今ならばどの主人公にもこころをかたむけ、入り込んで読むことが出来た。
しかし新しい感覚。いっそ現代的と言ってもいいと思う。いわば”プロテスタント仏教”のような。社会のつくる人間心理の視点で非常に興味深い。
先人とは敬すべき。
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「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」に有名な悪人正機説(の解釈の一つ)を理解できたような気がする。
キリスト教の価値観を織り交ぜるなどにより、普遍的な作品となっている。
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2009年発刊の『日本思想史 75号』にある末木文美士先生の論稿、「迷走する親鸞~出家とその弟子考」を読んだのがきっかけ。
倉田百三の青年期の悩みが伝わり、胸を打つ。
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・・・・・書きかけ・・・・・
倉田百三は、ちょうど120年前の1891年(明治24年)2月23日に広島県の北東部にある庄原市で生まれた劇作家・評論家。
この本は、かつて教養主義的な香りたっぷりに、真剣に人生とは何かと真正面から問いかけ、悩み苦しんで感受性と思索を鍛え上げて自己を確立していこうとした若者たちが、思春期の必読本あるいは青春のバイブルみたいな感じで読んできた、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』や山本有三の『路傍の石』、阿部次郎の『三太郎の日記』などの系譜に連なる重要な著作だったのですが、教養や自己の確立よりも功利的実利的な価値観の支配する現代では、ほとんど誰も見向きもしない本かもしれません。
一高生の時から西田幾多郎に傾倒したという早熟な彼は、宗教文学のジャンルに新境地を切り開いた人ですが、これは代表作というよりこの本だけで今でも読み継がれているといっても過言ではないと思います。
浄土真宗を創出した親鸞が主人公とで、息子の善鶯生き方に悩む多くの若い人々の心を捉えた本書は,のち各国語に訳され,海外にも数多くの読者を得た.ロマン・ロランのフランス語版への序文を付す.改版.(解説=谷川徹三 注・年譜=鈴木範久)
内容(「BOOK」データベースより)
恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。本書には、青年がどうしても通らなければならない青春の一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その衝撃力は失われず、読む者に熱烈な感動を与え続けている。 --このテキ
「青春は短い 宝石の如くにして それを惜しめ 百三」
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非常に有名な戯曲作品だが、これまで読んだことがなかったのは、戯曲自体がさほど好きではないためと、宗教がテーマになっているのでつい敬遠してしまったためかもしれない。
しかしこれは日本文学が誇るべき傑作だった。誰もが読んでおくべき本である。
親鸞が登場し、一応浄土真宗の思想をベースにしているが、厳密に史実を追っている訳でもないし、浄土真宗を専門的に解説しているわけでもない。どうやら、この作品での親鸞の思想は、仏教とキリスト教が混ざり合ったような、一種の普遍的な「宗教」イメージである。その点、仏訳版に際しロマン・ロランが書いてある通りだ。
しかも宗教のドグマを一方的に示してくるわけではない。市井の人間のさまざまな悩みを普遍的なかたちで扱いながら、まさに「生きた」思想を生み出そうとしている。
感動的である。
最後の最後に至っても、親鸞の息子は信仰を拒否するが、そうしたすべての現実を認めつつ、親鸞は「それでよい。みな助かっておる」と微笑んで死んでゆく。意外で深みのあるラストだ。
この本は人生について考え始める若い頃に読んでおくべきだったかもしれないが、大半の人物が口をそろえて「寂しい、寂しい」とつぶやいているその心情は、私はこの年齢(42歳)にしてようやく身につまされたのかもしれない。
これを書いた作者は当時27歳。日本文学の奇跡のような作品である。
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「読書力」の35ページにある本…
法政大学第一中・高等学校で岩井歩教諭が実践した、定期テストに読書問題を取り入れた実践。
10冊目…高2の定期テストに
読みにくい本だった気がします。
文体が、古文?旧かな遣い?
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仏教の話かと思ったら、愛の話、友情の話、仏の国の話、いちいちキリスト教っぽい。恋愛崇拝がすごい。
他力の教えというのは独りで神と向き合うにあたっては焼き焦がすような罪悪感と戦わなければいけないものだが、共同体になってしまうと互いに互いを赦し合い恵まれた環境を享受し開き直り合う生ぬるさになってしまうように思う。
後半の恋愛と教えとの戦いは別に他力教である必要はなく、ありきたりな恋と制度の板挟みになっていたように思う。その点で、親鸞を活かせていたのは最初であろう。
何というか、他力の教えとキリスト教とロマン派の融合というよりはパッチワークという感想を抱いてしまった。おざなりで平板。
でも、きれいなものを高らかに歌い上げたものとして楽しくは読めるし、新しく芽生えつつあった感情をどう歴史の中に、あるいは論理、教理の中に位置づけようとしていたかという跡としてすごく面白い。
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厳しい物語だ。
生きることも、残ることも逝くことも。
否とも是とも言わぬラストの言葉をどうとらえるのか。
それがすべてだろう。
キリスト教では是でなければならず、浄土真宗では・・・・ふうむ。深い。
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親鸞の教えを独創的に解釈。キリスト教の味付け。ロマン・ロランが感動してフランス語版の序文を書いたという。他力本願、悪人正機、
古い本かつ戯曲で、読みにくいと思ったが、実際はスルスルと読めて面白い。
・信心に証拠はない。証拠を求めるのは信じているとは言わない。
・南無阿弥陀仏、愛しなさい、許しなさい、悲しみを耐え忍びなさい、業の催しに苦しみなさい、運命を直視しなさい。
・浄土門の信心は在家のままの信心。商人は商人、猟師は猟師のままの信心。
・学のあるなしは信仰とは関係ない。悲しみと、愛とに感ずる心さえあれば。
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親鸞の後半生を、弟子の唯円の視点から綴った戯曲。20世紀初頭にあって、浄土真宗の教えとキリスト教的慈愛と赦しとが通ずることを見抜いていた倉田百三の慧眼に感服します。
親鸞の教えは、とても純情です。
印象的だったのは恋愛に関する箇所。親鸞と唯円とのやりとりは、現代人の感覚でいえばウブだと思われるかもしれません。でも「何人も異性と関係を持った方が、経験値が上がる」とか「童貞乙www」なんてうそぶく人間よりも、親鸞や唯円はよほど愛について真剣で本質的なのだと思います。
ほんの200ページだけど、仕事や恋愛、親子関係や死など、言及されるテーマはとても広いです。まっすぐさ、純情さに胸を打たれました。
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浄土真宗の祖である親鸞とその弟子である唯円の苦悩を軸に、人間が向き合わねばならない様々な業や哀しみやその救いを描いている。自分も読んでいて色々と考えてしまった。
唯円は純真な心を持った遊女に恋をし、仏法と恋との間で悩み苦しむ。師である親鸞も義絶した息子に対して葛藤を抱えている。この作品の親鸞は決して完全無欠な人物ではなく、非常に多くの悩みを抱えたひとりの人間として描かれている。それがこの作品を奥深いものにしている。
最近はビジネス書ばかり読んでいたから、たまにはこういう本も読みたい。