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この人は、かなりの変態かも知れない
2019/01/28 14:29
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和を代表する大文豪で、ノーベル賞作家でもある川端康成氏に対して大変失礼な言い方ではこの人はまさしく変態だと思う。河野多恵子の「劇場」という短編を読んだとき、せむし男とその妻の関係に興味をしめして自分もその関係の一部となることによって欲求をみたすという描写に彼女が変態ということを確信したのだが、「眠れる美女」の昏睡している少女に添い寝をして楽しむ老人であるとか、若い女から預かった片腕と会話する男(「片腕」)であるとか、この人は天才であることには間違いないのであるが、この発想は常人にはできない。きっと、かなりの変態だったに違いない
霧と闇の妖しさ
2002/06/14 09:38
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投稿者:カズイ・ヤナギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題作の眠れる美女も雰囲気作りやオチの持っていき方などは申し分なく傑作なのですが、収録作の「片腕」も凄いのです。
まず、最初の科白が上手くてぞくっとします(ネタバレになるのでご紹介は出来ませんが…)。
霧に深い夜の中での出来事、書き様によっては俗な話になるのですが、幻想的でエロティックな雰囲気のままじんわりと繰り出される科白と怠惰なしぐさ。
昭和デカダンスの傑作だと思います。
昭和35年では67歳はりっぱな「老人」
2023/07/07 06:48
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ノーベル賞作家川端康成の代表作にして最高傑作といわれる『眠れる美女』を読んで、
まず初めて感じたのは、
この作品が書かれた昭和35年では67歳という年齢は「老人」と呼ばれていたという
驚きのようなものだった。
21世紀の現在、67歳の人をもって「おじいさん」と呼ばれることはあっても
「老人」と呼ばれることはないはずだ。
この中編小説の主人公江口「老人」は67歳。
知人の紹介で若い美女が一晩ただ眠っているだけの怪しい宿を訪れる。
「目覚めない娘のそばに一夜横たわろうとする老人ほどみにくいものがあろうか」、
江口「老人」はその老いの醜さの極みを求めて来たともいえる。
ただ江口「老人」は、他の客とちがって、「男としてふるまえるもの」が残っていると、
自身は思っている。
つまり、まだ女性と交わりができるという自信である。
江口「老人」が老人の醜さと呼ぶのは、性欲を失ったことをさすのだろう。
しかし、この宿で「眠れる美女」にその行為をしてはならないことになっている。
江口「老人」もまたその取り決めを越えることはない。
ただ、彼は「眠れる美女」の片側で、過去の女性たちのことを追慕していく。
江口「老人」がこの怪しい宿に入りこむたびに、彼は別の女性との思い出に浸っていく。
そのあたりの展開が、とてもいい。
物語としての完成度も高い。
そして、江口「老人」が自分にとっての最初の女と気づくのが、
17歳で死に別れた「母」という衝撃的な結末を迎える。
この中編をもって、川端康成の世界観を論じることは可能だろうが、
純粋に小説としても読み応えがる。
川端康成を読むなら、『雪国』よりも断然『眠れる美女』だろう。
柔和な夜毎の迷いは積もるもの
2018/08/11 00:42
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投稿者:おこめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
三作あります。どれもドキッとするエロスが垣間見れます。でもかならず横には恐怖も横たわっているのです。表題作は、絵にしたくなるほど触感や色が伝わって来ます。夏の夜長に是非
「死体フェチ」と呼ぶも「官能の美学」と称すも「エロス−タナトゥスの極限」と愛でるも自由だが、これら短篇はさすがにワールドクラスだわ。
2002/06/28 00:19
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投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
川端康成は顔が嫌いなので、真剣に読んだことがない。
『雪国』とノーベル賞記念講演をまとめた『美しい日本の私』——後者は国語の教科書にも取り上げられていた。ハワイのカハラ・ヒルトンの庭に伏せてあったコップの煌きが、この世で見た納得のいく最も美しいもの…とか何とか。正直、ノーベル賞作家の美意識としてはあまりパッとしないなと感じさせられた教材だった。あとは『掌の小説』をぱらぱら。
しかし、「日本の幻想小説」のような縛りのアンソロジーで、本書に2番めに収められた「片腕」だけは20代前半ぐらいに読んだことがあって、「これはすごい、美しい!」と雷に打たれたようになったのを覚えている。
今となっては、その時に何で他の作品を当たらなかったのだろうかと疑問に思う。それだけでもって高い美の水準で完結した世界に、いたく感動したから他を求める必要を感じなかったのか。あるいは、作品のなかに潜む、死へ向けて人を牽引していくような感じにとらわれたくなかったのか。確かに、その時期の自分は、あらゆるものに対して開かれる興味のために忙しかったし、危険な設定は好みだったが、川端的エロス−タナトゥスのように死の影がちらつくような男女関係は御免だった。
「片腕」は女性の体の部位である。それがどう扱われているか、扱いが特異であるから類い稀な幻想奇譚になっている様子は、直接当たってもらった方がいいに決まっている。この傑作とともに、「眠れる美女」と「散りぬるを」という明らかに死体愛好趣味(ネクロフィリー的だと解説でミシマも書いている)が顕著な短篇を、1冊に編んだことの凄さも味わえることだろう。
私の場合、その凄みを知るのに20年ほどが経ってしまったけれど。
「眠れる美女」は所謂「お人形遊び」の小説である。雇った乙女を薬で眠らせる。深く長い睡眠は、人体への危険を伴う仮死状態に達している。それを男性が楽しむという趣向で、この遊びは桐野夏生さん書くところの村野ミロのシリーズで登場していた。彼女の小説では、期待を裏切らない淫蕩な遊びとして書かれていたが、ここでは、男性を卒業した老人たちの哀しみに満ちた癒しになってしまっている。
この小説はローマ法王庁がもっとも嫌悪するところの邪悪、「愛」からもっとも遠い性慾の形というミシマの指摘に惹きつけられる。没道徳的な虚無に読者を連れ出し、これほど反人間主義の作品はないという記述もよく分かる。
「散りぬるを」では既に事件が起こっていて、主要登場人物として、死体となっている二人の女性が丁寧に書き込まれている。
生命の躍動として性をとらえるのではなく、それを徹底的に嫌悪していたのが川端康成だという言われ方をされることもある。死を身近に意識しつつ、それに向かって捧げられるような歪められた性をかかえた作家は、男性としては不幸であったかもしれないが、美にこだわり、美を尊重しつづけることで一矢を報いた。その矢は見事に世界文学の地平に突き刺さったのだと思う。