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恐るべし谷崎文学
2015/07/25 22:08
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
新潮文庫の100冊2015で限定カバー化されていたので購入しました。
本作は盲目の麗人春琴とそれを慕う佐助の生涯を描いた中篇で、話の展開はかなりシンプルで非常に読みやすかったです。一般的に古典作品は読みにくいイメージがありますが、本作に関しては主要人物が二人しか登場せず二人だけの世界が展開されていくため理解しやすいです。また、本作の特徴として、句読点が異常に少なく、描写が艶めかしく丁寧であることが挙げられます。そのため春琴抄の世界にどんどん没入していくことができます。
ひねりの効いた展開ではありませんが、一行一行味わうように読んでみてください。没入っぷりが癖になります。
耽美というにはあまりに健康な大変態
2019/03/29 12:38
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:休暇旅行 - この投稿者のレビュー一覧を見る
読むまえは、〈耽美〉もしくは〈純愛〉の小説なのだと思われる方が多いのではないだろうか。私もそう思って手に取った。もちろんそう称しても間違いではない。ただ、求めておられる〈耽美〉とは存外違うものだと思う。
ひとことでいえば、反道徳というより無道徳、知的というより健康なのだ。
耽美は理想の美を求め、理想の美は形而下では成立しない以上、どうしても観念性を帯びるきらいがある。耽美の反道徳性にしたところで、神だか大衆だかへの反逆それ自体が最大の目的と化しているような例は多い。してみれば、それは方向こそ反対にせよやはり道徳の範疇にあるふるまいなのだ。むしろ反俗の立場から真正の〈道徳〉にすがる者といってもいい。
誰しも結局、こういう形而上の価値に支えられなくては自分を肯定できない。世にいわゆる耽美作家も耽美愛好家も、案外頭がでかい。別に馬鹿にしているわけではなく、〈美〉にせよなんにせよ指針となり主義となる以上は当然のことだ。
しかしこの谷崎である。耽美というにはあまりに健康な、観念など必要としない、自己肯定の大変態である。
本書最大のよみどころは、単に美でも愛でもない。本来なら観念化されるはずのそれらを(汚すことで背徳に耽るのでもなく)融通無碍に肉の次元におとす、谷崎の無頓着ぶりだろう。
伝記に依拠してつづる第三者というかたちをとり、あるいは句読点の極端にすくないすぐれて型のある文章を用いることで、作者は登場人物を突き放しはるか上から、盤石な立場から記述する。この盤石ぶり、健康ぶりこそ、凡百の耽美に決して達しえない変態性である。
登場人物の息遣いまで聞こえそうなドラマが見えました
2016/02/18 13:11
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投稿者:crest - この投稿者のレビュー一覧を見る
冒頭の寂れたお墓探しの場面から一気に春琴の時代にさかのぼり、音曲に優れた才能を現すが両親の溺愛ゆえに我儘放題に育った春琴の少女時代から始まり佐助との出会い、とまるで情景が目の前に浮かぶようなドラマ仕立ての逸昨です。10代の頃映画化された際読んだのですが、数十年を経て読み返してみました。当時は読み切れなかった佐助の献身ぶりに思わずほろりと来ました。
春琴抄
2020/06/19 21:19
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
発表当時から絶賛された谷崎潤一郎の傑作。「鵙屋春琴伝」という小冊子を手にいれたという語り手が、伝聞形式で物語を語る。あまり広くは流通しない身内向けの小冊子という点がまたいい。
佐助は献身的に仕えるが、ただ琴が好きというより、美に盲目に仕えるような狂気がある。
映画でしかこの作品を知らない人は、原作を読むとびっくりすると思う
2020/03/16 21:30
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
1976年というから今から45年ほど前に山口百恵と三浦友和というゴールデンカップルで映画化されている。まあ、二人とファンのための文芸作品シリーズ(他に伊豆の踊子や潮騒もあったはず)だから谷崎作品の官能、耽美な世界は望むべくもなかったであろう、観ていないので知らないが。今の女優でいうと北川景子あたりが春琴をやってみたらいいのではないかと勝手に想像する。それにしても、私たちの世代だとみていなくても「春琴抄」といえば、あの二人が目に浮かんできてしまうので、映画しか知らない人はこの小説を甘ったるい恋愛小説と思い込んでいる人もいるかもしれない。原作はあの谷崎潤一郎氏であることを忘れてはいけない。彼がそんなものを書くはずがない
純愛
2016/01/26 17:44
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投稿者:狂人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
谷崎潤一郎は好きな作家のひとりですが、初めて読んだ作品がこちらでした。愛する人の為、自らの眼を潰す…究極の愛か!?はたまた狂気か!?確かめてみてください。
闇の中こそ至高の世界。
2002/06/30 01:04
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投稿者:凛珠 - この投稿者のレビュー一覧を見る
句読点や改行が非常に少なく、台詞の記号も殆ど無いという作品で、1頁丸々文字だけという頁もある。最初手に取った時は、正直「読み辛そう……」と思ったが、いざ読むと物語調の文章が流れるようで、スイスイと読めてしまった。
素人の推測でしかないが、前年に書かれた中里介山の「大菩薩峠」(顔面が焼け爛れたお嬢様、彼女の忠実な奉公人、盲目の男と結ばれる……)や、江戸川乱歩の「盲獣」の影響を受けているのだろうか?
妖しく凄絶なまでに奥深い至高の物語が、鬱陶しい心情説明無しに描かれており、完璧なまでの美の世界を構築している。本作品は心情描写がなされていないことで批判されたそうだが、本作品においては「心情描写」は必要無いのだ。いや、盲目の世界にこそ全てがあるというのが本作品の主題であり、それは取りも直さず、ストレートな心情描写(目に見えるもの)無しに、地の文章で十二分に佐助と春琴の心情を「理解出来る」作りになっているということなのだ。それが谷崎の狙いであろう。心情描写をすれば、佐助が崇める春琴も途端に俗っぽくなってしまうだろう。同時に作品自体も。
そして生への痛烈な問いかけと訴えがなされていない、という批判も当てはまらない。この作品は、これで完璧なのである。佐助と春琴の至高の世界に、部外者がどうして否を唱えることが出来ようか。それほどまで本作品は素晴らしい。佐助と春琴の至高の世界を描いているこの作品自体が、既に二人の世界になっているのである。その世界においては二人の間の子供などは、単なる副産物ですらない。全く存在意義が無いのだ。子供に価値を見出せば俗に堕してしまうだろう。佐助と春琴の至高の世界である盲目の世界は、俗からは解放された別天地なのである。
美しい文章の魔力を実感できる一冊
2002/07/30 21:46
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投稿者:しょいかごねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
特に女性など、谷崎潤一郎は苦手だと言う人がいる。たしかにかなり怪しい小説が多いかもしれない。また例えば細雪など、何が面白いのかわからない、という人もいる。谷崎は、僕は割と好きなほうなのだが、その好きな部分が凝縮されているのが、この春琴抄だと思う。100ページにも満たない、この短い小説を読めば、この人の美しい文章の、なんともいえない魅力、あるいは魔力が実感できると思う。
この小説を日本文学の最高傑作のひとつに数える人もいる。あるいは句読点が頻繁に省略された変な文章の代表として挙げる人もいる。好き嫌いはともかく、谷崎に抵抗を持っている人、あるいは、文学なんてあまり読まないと言う人にも、一読をお勧めしたい一冊である。
幸福への条件
2001/05/25 01:02
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投稿者:真鍋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
盲目の三味線師匠・春琴に一途に使える佐助。美貌を誇りにしていた春琴が、別の弟子に顔を傷つけられるや、彼女の面影を永遠に保つために、佐助は自らの目を針で突く。
しかしそれによって佐助は、それまで知らなかった強い幸福を得た。二人の間に満ちる濃密なエロスと、異形の愛。
永遠と官能を考えさせられる傑作。
なんて、エロイ…
2002/03/26 02:34
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投稿者:猫山 - この投稿者のレビュー一覧を見る
初めて『春琴抄』読んだ時、なんて儚げで耽美な世界なのとうっとりとしました。7年ぶりに読み返してみると、なんて、エロイ…。7年前は『痴人の愛』の生臭さに「なぜ、こんな美しい作品を書く人が、こんな話を?!」と思ったのだけど、なるほど『春琴抄』も『痴人の愛』も同じ線上にあるやん。確かに。と、思ったです。
この涼やかな文面で描かれる情景に、そのどことない生々しさが折り重なって、なんともいえない空気を醸し出しているのでしょうか。「きれいはきたない。きたないはきれい」ってこういうことですか?
完璧な美しさに生きる愛
2003/10/24 15:13
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投稿者:紅豆 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは、春琴と佐助の、静かで激しい愛の物語だ。
しかし、作中二人が睦言を言い合うことはない。
それどころか、肉体関係があり子もできたようだが、二人はけしてそのことに執着しない。
わたしは、この二人は人として何かが欠けているのではないか、という印象をもった。
まるで人形を眺めているような、リアリティに欠けた物語であるのに、なぜか官能的で美しい。
もしかしたら、「完璧な美しさ」は人間には創れないのかもしれない。
人間が生きている以上、醜いこともたくさんおかす(その醜さが人間の、人間たる証なのではないかとも私は思うが)。
一点の曇りもない「美しさ」を創れるのは、生きていないものだけだ。
この作品が世に出た当初、「心理描写がない」「いかに生きるべきかの痛烈な問いかけと訴えがない」と批判されたらしいが、そんなものがこの物語に必要であったとは私は思わない。
彼らはただ美しさの世界に生きる人形だからだ。
無明の中に見出した至高のエロス
2001/06/28 22:07
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投稿者:キーボー - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の主題は何か。それは春琴と佐助との「愛」といって間違いないだろう。
もちろん本書にえがかれている「愛」は、想像を絶するものだ。二人の間には肉体の交渉があった。それ以前に、そこに性欲があったかはともかく、佐助は春琴の身の回りの世話をすることで彼女の肉体のすべてを知っていたはずだ。佐助と春琴との子も生まれた。だがそれらは二人にとっては重要ではなかった(両者とも自分たちの子どもに未練がなかったのは、その象徴だと思う)。
ただ自分たちの感じる世界を共有すること、そこに究極のエロスを見出せる。