時は巡り、歴史のゴミ箱に捨てられかけた古典はアクチュアリティを増した
2007/02/24 21:49
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投稿者:虚無坊主 - この投稿者のレビュー一覧を見る
訳者は解説の中で少し遠慮がちにこう述べている。
「社会主義経済を意識する必要のなくなった資本主義は、マルクスの描いた資
本主義、つまりレーニンが理解していた資本主義に近づきつつあるようにも見
える」。
「見える」どころではない。
金融資本を取り上げた本書の中に出てくる「金融を操る『天才ども』」はディ
ーラーと名を変えた。「一般の資本家の事業内容に関して個別の正確な情報を
入手」して寡占・独占を推し進める独占資本家はM&Aという、専門職種とし
て確立された。
いずれもマスコミで「勝ち組」として華々しく取り上げられる名士たちだ。
苦労話や教訓をちりばめた記事は、一種の立志伝として少しずつ無害化されて
私たちの脳髄に刻まれていく。
レーニンはこうした見方に対して、別の見方がありうるといっているように思
う。アクチュアリティをまだ失ってはいないのである。
日本の世界に冠たる大企業が半公然と偽装請負を利用し、財界人は解雇要件を
緩和した労働法改正を、政府に実行させた。
日本資本主義は、自らの資本の再生産に欠かせないはずの労働力の再生産さえ、
経済のグローバル化に伴う競争の激化を理由に、かなぐり捨て始めている。
マルクスは、労働者にとって最も過酷であったと思われる資本主義勃興期の経
済を観察してさえ、賃金の構成要素として、労働者の子どもの教育費をも勘定
に入れることができたというのに。
現在その餌食となっているのは、収奪される若者たちだろう。今でこそまだ勤
勉な彼らがいずれ恒常的な犯罪者予備軍に転化していくのは時間の問題である。
いまこの古典から示唆を受け取ってもらいたいと、著者レーニン自身が望むの
は、疑いもなく「階級」という範疇からも漏れてしまったこの層に外ならない。
それが、昼飯を一食我慢すれば買える値段で、マルクスのマの字を知らなくと
も理解できる平易な日本語で読めるのである。
資本主義を再度正確に理解するためにお勧めの一冊です。
2016/07/31 10:42
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、レーニンによって20世紀初頭に書かれた最初の歴史的論文です。これは当時、花開こうしていた資本主義社会、経済を理解するには絶好に一冊です。現代においては資本主義が人間社会の基本であるような考え方が普及していますが、本書を読みことで、資本主義の問題や課題などを再度考えることができます。真の資本主義を理解するためには、ぜひともみなさんに読んでいただきたい一冊です。
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
独占と自由競争の調和という美辞麗句の下に巨大銀行を中心とした当時の新型の資本主義(植民地政策を含む)という名の金融資本による支配の時代に、利子や配当等で儲けることを批判的に分析しつつ、最終的には戦争を通した社会主義革命の実現を目指した現代では隔世の感がする書。
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レーニンによる資本主義の特殊段階としての帝国主義の分析、20世紀初頭に起こった金融資本による独占と、それにともなって起こる世界分割戦争が示されている。この書物はレーニンの時代における資本主義の分析であって、その国家像は示されていない。この点に関しては『国家と革命』を読む必要がある。
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当たり前のことを、わかりやすく書いてあります。
ただ普段分かっているようなことでも、改めて気づかされるということがあります。なるほどそうだったのか!と思わせる文言もあります。
マルクスの「資本論」が資本主義を徹底解明しているものであると同様、レーニンの「帝国主義論」は資本主義が成熟した帝国主義を徹底解明しているという本です。
ところどころ、レーニンの独断と偏見があるような本でもあります。
決して偏った本ではありません。
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著者であるレーニン(本名ウラジミール・イリイチ・ウリヤーノフ)は社会主義革命であるロシア革命で指導的役割を示し、ソビエト連邦の初代人民委員会議議長となった人物である。本書は資本主義が大企業への生産の集中であるとし(P.34)、一部の大企業が一国の労働力、資本、エネルギーの大半を独占し、その他中小企業を吸収することで混合化(もといカルテル、シンジゲートの形成)が資本主義によって起こるとする。このことによって生じる問題として、市場が競争から独占へと変容し、少数の資本家によるその他への支配がある(P.51-52)とレーニンは述べる。また、銀行の役割が産業と密接に結びつくことによって大企業もトラストの中に組み込まれるようになる(P.79-80)。このことによって独占体の支配が生じる。
資本主義は生産の独占(独占体の支配)による生産性の向上を特徴とするが、そのことによって過剰生産の輸出(P.123)が行われるようになる。このことは市場の植民地化を引き起こし、帝国主義独特の抑圧と搾取(P.126)を引き起こす。この過剰生産、資本の輸出を引き受けるのが企業であると同時に銀行である。資本の輸出による植民地化は世界の分割に繋がり、植民地国への寄生とそれによる腐敗へとなる。
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20世紀初頭に書かれたレーニンの代表的論文。変貌を続ける資本主義を徹底的に解剖。
内容云々の前に、堅苦しい話題なのと経済が苦手な私にはかなり難しかったです。最後まで読み切ったことだけでマシな方。資本主義が過渡になったときの「帝国主義」を批判しているのはよく分かったけど、カウツキーに対するレーニンの反論はホントすごいね・・・何か子供っぽいところもあったのかなと思う。私は資本主義を完全に肯定するわけでも社会主義者でもないけど、結局レーニンはどういう社会を望むのかが見えてこなかった気がします。独占のない資本主義社会がいいってこと?
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勝手に政治関連の話だと思って読み始めてみたら、実際は経済の話だった。当時の帝国主義や資本主義に関してよく分析してあるので中々におもしろい。
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独占に支えられた帝国主義的資本主義を「死に至る資本主義」と考え、マルクスのいう社会主義革命の必然性を説いたもの。一般向けに書かれているので、とても読みやすいです。やや単純化した見方ではあるものの、19世紀末(ことによると現代でも)という時代性から考えると、かなりのリアリティを感じます。
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【まとめ】
1860~1870年代、自由競争の支配する資本主義が驚異的な発達を遂げた。20世紀初頭、恐慌によって自由競争的な旧来の資本主義に代わって、生産と資本の集中化が徹底的に進む帝国主義が現れる。銀行は資本集中と取引高の増加を果たし、産業資本との融合を始め、実質的に産業に対する支配を強めた。帝国主義は資本主義が高度に発展した段階であり、金融資本が支配的となった体制である。従来の資本主義では商品の輸出が行なわれたのに対し、資本主義の最高の段階としての帝国主義では資本輸出が特徴となる。そこで大衆の生活は依然苦しい。しかし独占から生まれる莫大な過剰資本は、資本家の利益のため、後進国への資本輸出に用いられ、大衆の生活向上に費やされることはない。
金融資本の段階で、資本家は(その階級的利益に端を発する)経済的利益から独占体同士の同盟を結び一定の関係を保持しようとする。同時にそれにつられ国家間でも政治的な関係が構築される。私的独占と国家独占が一体化し、巨大独占資本家が世界分割を繰り広げる状況が生まれる。
金融資本における生産力の発展や資本蓄積の度合いは資本主義国家間の発展から不可避的に差が生じる。そして、その帝国本国の力は「勢力圏」の分割状況とは均衡しない。やがて力をつけた後発帝国主義国(植民地をもたざる国)は既存の世界支配での不均衡の是正を狙い、自らの力を反映する形で植民地獲得の分け前にありつこうとする。資本主義を維持しながら、分割された世界の再分割を巡る不均衡の解決は、独占的資本家=帝国主義国家間での不可避の戦争以外に存在しない。
【感想】
訳は非常に読み易く、訳者解説も本書内容理解を助ける良いものであった。訳者解説によると本書執筆時にレーニンがおかれた状況は、「ロシアは後進国であるので、社会主義革命を即座に成就するためにの前提条件を備えていない。したがって、ロシアのマルクス主義者は、帝政ロシアが戦争に敗北することを通じて社会主義革命を実現しなくてはならいない」。革命の前提条件として帝国主義戦争でロシアが敗北する必要があり、そのための戦争の必要性から「詭弁」的に革命理論を作り上げたのが本書(…その割には説得力ある主張が多々ある)。であるから、本書に散見されるやや感情的なカウツキーへの口撃は近親憎悪的なものである。
一方で、「ブルジョア経済学」であるホブソンを高く「評価」、というより敬意を払いつつ都合良く利用している点が興味深い。ホブソンの『帝国主義論』をよりいっそう読みたくさせる書きぶりである。
さて、またもや解説者の重要な視点を借りるが、本書を現在の国際情勢に照らして読む際に、注目されるべき点がある。それは、資本家の蓄えた資本を国内投資に振分け、所得再分配をするのであれば、植民地を保有せずともやって行けるという点である(レーニンは深くは言及しておらず可能性を否定するが)。実際、社会主義の可能性や、「改良主義」的な既存の枠組みを受け入れた社会民主主義的勢力の存在で資本主義の行き過ぎにたがをはめることが出来ていたことは事実であろう。であるからソ連崩壊後、資本主義が暴走している現在、尚更に読まれるべき本であるということだ。
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帝国主義とは、資本主義の独占段階のことである。
さらに、1.生産と資本の集中、2.金融寡占が成立、3.資本輸出、4.資本家の国際独占団体が形成、5.列強による領土分割が完了、という五つの特徴を持つ。
これは自由競争から始まる資本主義の向かう姿であり、結果として、列強による戦争は避けられるものではない。
今となってみれば外れた指摘もあるが、資本主義の本質をつく鋭い考察が多い。
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この本は今からおよそ百年前に書かれている
はずなのに、古臭さすら感じません。
そして、自国が富めるものになるためには
ただひたすらに外を侵略し、
そこから金の元を取らなければいけない時代。
そして富むものたちは…
そう思うとこの制度って
今の世界と全然変わりがないじゃないですのん。
100年近くたっているのに変化がないです。
植民地がなくなっただけ。
そして金の元が変わっただけ…
資本主義…当たり前の様に浸透している
主義だけれどもそこには
欠点があるものですね。
それを著者が指摘していたことに驚き。
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[なれの果てに]ロシア革命において主導的な役割を果たしたウラジーミル・レーニンが、第一次世界大戦中にチューリッヒにおいて脱稿した著作。資本主義が高度に発達すると独占が必然的に起こり、それが即ち帝国主義となることを主張し、社会主義や帝国主義を考えるに当たり大きな影響を与えた作品です。訳者は、身構えることなく本書を手に取ってもらえる訳を目指したという角田安正。
その使用に伴っては、常に何らかの政治的意図が見え隠れしてしまう「帝国主義」という言葉/考え方ですが、レーニンが喝破したその経済的な発生の仕組みには改めて注目する価値があるように思います。ソ連の崩壊に伴い、レーニンと言うといわゆる「過去の人」といった感がありますが、国際社会が刻一刻と変転する今日だからこそ、改めて読まれる価値が十二分にある一冊ではないでしょうか。
〜帝国主義とは、特殊な発展段階に達した資本主義のことである。その段階に至ると、独占帯と金融資本の支配が形成され、資本輸出が際立った意義を帯びるようになる。また、国際トラストが世界分割を開始し、資本主義列強が地球上の領土の分割を完了する。〜
古典の面白さを久々に堪能しました☆5つ
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社会主義関係の本といえば、マルクスにしろ、エンゲルスにしろ、とても難しくて、とても読みにくい。
用語が難解なこともあるけれども、なんだかこれらの本には、現代史上の思想的・政治的格闘による怨念がとりついているようで、おどろおどろしいところがある。
ロシア革命の立役者であるレーニンの書物も、もちろんそんな中の一つ。
有名な「帝国主義論」だから、読むには心してかからなければならない。
社会主義関係の本に共通なのは、本文が始まる前の「序文」がやたらと長くて煩雑なことで、「フランス語版への序文」とか「ドイツ語版への序文」だとか、「第1版への序文」とか「第2版への序文」とか「第3版への序文」とかいっぱいあって、こっちがまだ右も左も分からないでいるのに、すでに3回は読んでいるはずだという顔をして知らない人名や地名が多数出てくる難解な注釈をたくさんつけてきたりするので、そこでもうメゲてしまうのである。
序文なんか飛ばしてしまえばいいようなものだが、有名な本なので、一応はじめからキチンと読まなければならないと思うし、それに、訳者には申し訳ないが(注の作成はご苦労様でした)、もう二度と読むことはないだろうから、せめてすべてのページに眼だけは通しておこうと考えて、律儀に最初から読んでしまうのである。
ところが、本書を読んでびっくりした。
予想に反して、驚くほど平明なのである。
本書の「序文」はこうである。
本書は、一九一六年春にチューリヒで執筆した。執筆の場がチューリヒだっただけに、当然のことながらフランス語と英語の参考文献がいささか不足した。ロシア語の参考文献は、はなはだしく不足した。しかしそれでも、英語で書かれた帝国主義に関する重要文献、すなわちJ・A・ホブソンの『帝国主義論』は利用した。同書の扱いには、細心の注意を払った。それだけの価値があると確信したからである。(p11)
歯切れのいい文章だ。
序文は二つしかなくて、すぐに本文だ。
その出だしはこうである。
工業が飛躍的な成長を遂げている。また生産が大企業に集中している過程が、いちじるしく急速に進んでいる。そして、それら大企業の規模は拡大の一途をたどっている。
これは、資本主義の最大の特徴の一つである。この過程を示す遺漏のないデータは、現代の工業統計の中に見出せる。(p34)
まるで雑誌かなにかの経済記事を読んでいるみたいだ。
本書はこうした簡潔な文章で書かれている。
「帝国主義論」の正式な書名は「資本主義の最高の段階としての帝国主義ー一般向け概説書ー」である。概説書と言うからには、レーニンの立場と主張を分かりやすく説明して一般に普及させるのが目的だろうから、もともと原著そのものがやさしく書かれているのだろう。しかし飜訳された日本語の書物がそうなるとはかぎらない。防衛大学校教授の角田安正訳によるこの本は、その点でまったく素晴らしい。もしこれほど分かりやすい飜訳が50年前に出版されていたら、日本のマルクス・レーニン主義者はきっと倍ぐらいに増えていたに違いない。
こうい��ふうにスラスラ読めるせいか、レーニンの著作というのは、理論書というより、意外とジャーナリスティックな文章なんだということがわかる。雑誌の経済記事みたいといったけど、たしかに、エコノミストとか文藝春秋とかに連載されていてもおかしくない感じだ。当時のさまざまな社会経済情勢を取り上げ、批判と分析を行い、たたみこむように自説を展開している。論旨の明快さやスピード感はきわめて現代的だ。
考えてみれば革命の実践家レーニンにとっては、他の人々に自己の革命理論を学んでもらい、それに賛同して革命の戦線に参加してもらうことがなによりも重要だったはずだから、読んでもらいたいのかもらいたくないのか分からないようなヒトリゴト的プチブル的(この言葉を一度使ってみたかった!)文章を書くひまはなかったはずで、とにかく読んで理解してもらうことを目指していて、そして取りあげる対象が現実の社会の出来事ということになれば、スタイルが現代のジャーナリズムに近づくのも当然だろう。
そして有能な革命家として、優れた扇動家でもあったはずのレーンの文章だから、読んでいるこちらが次第にワクワクどきどきしてきて、いっちょ革命でも起こしてやろうかという気になってくるのも当然だろう。それは大げさだけど(この書物では革命についてはほとんど触れられてない)、たいへん面白い読み物であるのは間違いない。
ところで、この書物では、レーニンは資本主義の最高の段階として独占的資本主義=帝国主義が現れることを説いている。
この書物では触れていないが、そこからプロレタリアートによる革命→プロレタリアート独裁という道をたどって社会主義国家の実現をめざすということになるのだろう。
本書で述べられている、資本主義が最初の自由経済からはじまって、金融独占による帝国主義にまで至る道筋の説明は、きわめて説得的で反論の余地がないように思える。
ではどうして、それから先が彼の説いたとおりにならなかったのだろう。
つまり資本主義の最終段階である帝国主義から、社会主義に転化しなかったのだろう。転化するどころか、いまでは社会主義国家は消え去ろうとしている。生き残っているのは、レーニンやマルクスやエンゲルスが見たら恥ずかして首をくくりそうな国家ばかりである。
すなわち、どの資本主義国家よりも搾取と抑圧と貧富の差が激しいのではないかと疑われる中国。国民はお金儲けが大好きだ。独裁国家のカリカチュアとしての北朝鮮(漫画的なだけに現実の隣人には恐るべき存在である)。それに社会主義国の最長老カストロ議長がひきいるキューバ。
キューバの内情はよく知らないので除くとして、中国や北朝鮮のような国家ができたのは彼らの著作のせいだと言ったら、三人とも前非を悔いて頭を剃って出家するかもしれない。
現実の世界がかってレーニンが予測したとおりにならなかったのは、訳者があとがきで書いているように、ソ連という社会主義国が成立し、危機感を抱いた資本主義側が自らを修正して社会主義的要素を取り入れ、延命に成功したせいかもしれない。それは正しいのかもしれないが、では、資本主義の問題はそれで解決したのだろうか?
資本主義の最終形態が独占であり、それに一定の修正を施したのが現在のわれわれの社会だとして、はたしてこれで終わりなのだろうか。
まさか現在の状態が人類のめざした最高の段階だという人はいないと思う。
ではこの次の展開は?
現在、それを誰か語っているのだろうか?
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近代に誕生した資本主義は、形を変えて発展し続けて今でも存在する。レーニンがこの本で説いた「帝国主義」とは、金融の影響力が強まり、企業があらゆる面で独占したり、国内で余った資本を国外に輸出する資本主義である。そのため、産業資本主義のような自由競争はなされていないと言われる。このように、資本主義は発展するたびに、異なった性質を帯びるようになるのだが、本書がマルクス『資本論』では十分に考察されなかった「植民地」の記述が特徴的である。レーニンが生きた時代、日本を含む世界列強は、アジア・アフリカ地域をめぐって国同士が競争をした時代であった。この内容は第5〜7章にかけて考察されるが、ここで語られる内容は、今を生きる人たちも十分学べるのではないだろうか。20世紀頃と異なり、今世紀はかつての植民地が独立して跡形もなく消えたが、依然として国家は存在し、各国家が特定の資源をめぐって、とりわけ米中が競っている。ゆえに、本書を地政学の書として読み込むことができる。