『天草の霧 白狐魔記5』
2017/07/01 21:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:百書繚乱 - この投稿者のレビュー一覧を見る
白駒山の仙人から化身の術をさずかったきつねの白狐魔丸
織田信長の最期にたちあってから白駒山に戻って数十年
徳川三代家光の治世に九州は島原で切支丹の反乱にかかわることになる
一揆を率いる若者天草四郎時貞、対する幕府軍総大将は板倉重昌
重昌を思う狐の雅姫と重昌に仕える南蛮堂煙之丞
圧制への反抗と信仰と主君の仇討ちと
たがいに殺しあう人間を見つめる白狐魔丸の物語
読んでいるうちに歴史が好きになる1996年からの人気長寿シリーズ
既刊6冊の第5作は2010年初版
天草四郎ファンの私としては、このストーリーはあんまり好きじゃありません、南蛮堂煙之丞は好きだけど。でもねえ、私としては『ルーディーボール エピソード1 シュタードの伯爵』の続きが読みたいぞ!
2010/09/04 22:24
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が斉藤洋の作品に初めて出会ったのが、この『白狐魔記』でした。そのころ中学生だった次女に、これ面白いよ、と差し出すと、あっさり「この人、『ルドルフとイッパイアッテナ』書いた人だよ、知らなかったの」と斬り返されてしまいました。『源平の風 白狐魔記』が1996年、『蒙古の波 白狐魔記』が1998年、『洛中の火 白狐魔記』が2000年の出版で、いつ終わったといっても違和感のない作品ですから、ここで終わったと思っていました。
ところが、今まで二年に一冊だったペースを大きく狂わして2006年に『白狐魔記 戦国の雲』が出ました。正直、予想していなかったのですが、戦国時代と白狐魔記というのは、当然過ぎる組み合わせではありました。で、これを読んで私は「これでようやくこのシリーズも終わった」と思いました。なぜかといえば、日本国内の大きな争いは、明治維新で終わり、日清・日露、そして満州事変から第二次大戦という対外戦争が残るだけだからです。
どうも、このお話に幕末の動乱は似合わない、だからこれで終わり、そう思いました。それから四年、私の予想を覆してシリーズ新刊が出版されました。しかも、扱われるのが明治維新ではなくて、島原の乱、いやはや、渋いところを狙ってきたものです。そんなことを思ってよく利用する近所の市立図書館の司書さんに話たところ「あら、みーちゃんさん、だって前の巻だって終わっていなかったでしょ、続きが出て当然ですよ」と次女のようにバッサリ。
気付かないのは私だけなのでしょうか・・・。で、今回は島原の乱、天草四郎時貞が扱われますが、最近の世の中の風潮とはちょっと違い、四郎に対してかなり厳しい評価が下されます。これは意外でした。今までの巻では、よく知らない北條時輔はともかく、源義経、楠木正成、織田信長は、私たちがよく知る昔ながらの男たちであったわけです。でも、四郎については容赦なくバッサリ、そんな感じです。
装釘・挿絵は、おなじみの高畠 純、カバー折り返しの案内は
*
白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、
人間に化けることができるようになった狐、
白狐魔丸の人間探求の物語。
江戸に幕府がひらかれ三十余年。
九州島原で、飢饉や重税、そして
信仰の弾圧に苦しむ農民が一斉蜂起した。
一揆の大将は不思議な術と眼力をもつ若者。
名を天草四郎時貞という。
*
となっていて、物語全体は全32章からなります。
主人公は、白狐魔丸。白駒山の仙人のもとで化身を修業した狐です。今まで、源義経、北条時輔、楠木正成、織田信長、豊臣秀吉といった武将たちと時代を隔てて出遭ってきています。源平時代が1184年で、島原の乱が1637年ですから、450年以上の時が経っています。で、その間に彼? は体憑依、感憑依、魂憑依という三憑依のうち、体、感の二つを自在に操るようになっています。
これらの技を白狐魔丸に教えたのが、白駒山の仙人ですが、狐を弟子にし、白狐魔丸と名付け、術を教えたところまではいいのですが、そのまま気ままに旅をし日本にいることは少なく、このお話では360年ぶりに天竺から帰ってくることになっています。450年のうちの360年、弟子をほっぽっておくのですから、何だ、なんて思います。でも、白狐魔丸は仙人が留守の間、白駒山で無駄な殺生が起きないよう猟師たちの活動を妨げていました。
で、今回、特筆すべきキャラが登場しました。今まで、このお話に笑いを取るような人物が姿を見せることは少なかったのですが、今回は違います。それが南蛮堂煙之丞です。なんだか名前を見ただけで、こっけいです。彼は、たばこ、たばこ道具を商う男で、仙術を習いに白駒山の仙人のもとを訪れ、留守を守っていた白狐魔丸を仙人と思い込み、弟子入りを希望する、ここらは落語のような雰囲気です。
そして、勿論、雅姫も姿を見せます。彼女は、吉野の狐で、白狐魔丸とは360年以上前、文永九年に、北条時輔の屋敷で出会っています。雅姫は時輔が好きで忘れられず、その後も時輔に似た風情の平家顔の武将に好意を抱きます。小桜と名乗って、織田信長のところに出入りしていたこともあり、気性のはげしいのは許せるが、荒いのは嫌いといます。白狐魔丸の首を傾げる仕草などが狐丸出しだと言ってからかうなど、明るく妖艶な存在です。
彼らが島原の乱のなかで、天草四郎時貞や、人を見れば殺したくなる武士・宮本武蔵とどう絡んでいくのか。今回は、白駒山の仙人もかなり活躍します。四郎は救世主なのか、それとも人々を誑かす悪魔の生まれ変わりなのか、あなた自身の目で確かめてください。で、この流れからいくと、次は幕末篇となって、白狐魔丸が坂本竜馬と出会う、出版は2012年頃。なわけは、ないか・・・
それより、私としては『ルーディーボール エピソード1 シュタードの伯爵』の続きが読みたいぞ!
投稿元:
レビューを見る
シリーズ5巻の「天草の霧」は、文字通り天草四郎が登場します。
彼は、キリシタン一揆の大将として不思議な力の持ち主という設定です。
物語の最初は、南蛮堂という名のタバコ売りの人間が、白駒山にやってきて白狐魔丸に弟子入りします。その弟子が旅に出るというので、白狐魔丸も同行しますが、途中から南蛮堂は「用事ができた」と言って西へ向かいます。
このシリーズ1作目の源平は、笑いの要素多く子どもでも十分楽しめたのですが、人間と戦がテーマのような内容が作を重ねるにしたがってやや重たく感じられるかもしれません。しかし、大人にとっては読み応えがあり、このシリーズにますます魅かれていきます。
投稿元:
レビューを見る
白狐魔丸がどんどん意志を持って行動し始めました。
それにともないどんどん力が強くなってくる。
それでも仙人や、雅姫にでさえかなわないから、それがいい。
特に仙人のような、絶対の存在というものがいい。でもそれは宗教とは違う。今まで人と人との殺し合いについて考えてきた白狐魔丸が、宗教ってなんか変なものだと思いだす。
雅姫の恋が素敵。
投稿元:
レビューを見る
白駒山の仙人のもとで修業し、不老不死と人間に化けることができるようになった狐の白狐魔丸。
そんな白狐魔丸のもとへ、南蛮堂煙之丞となのる人間が弟子にしてくれとやってきた。断っても立ち去らない。仙人から教えるように言われしばらく修業させつつ共に京へと向かったが、用ができ、九州へむかうという。気になった白狐魔丸は、調べてみると、島原でキリシタンに不穏な動きがある。
今回は〈神の子〉だ自らいう天草四郎時貞が絡む物語。
今までに読んでいたこの天草四郎のイメージと違いますね。面白いです。
白狐魔丸は武士がすきではない。人を殺そうとす者同士が戦うのはほうっおく、しかし大多数はそうではない。その戦いをやめさせたい。城にもぐりこんで逃げたいものは逃げる手助けをしたり。
投稿元:
レビューを見る
この物語、「人間に化けることができるようになった狐、白狐魔丸の人間探究の物語」となっているけれど、とどのつまり白狐魔丸の人間探究っていうのは、「人はなぜ争わずにはいられないか?」という問いかけだったんですねぇ。 もちろん時代が時代だから戦(いくさ)と無縁の話にはなりえないわけだけど、「武士は嫌い」「人が死ぬのは見たくない」と言いつつも、結局のところ戦場に身を置くことになる白狐魔丸が見ているものは戦場とか戦そのものと言うよりは「人は何のために戦うのか?」というバックグラウンドのような気がします。
第1巻の源平合戦では「兄弟の争い」と「主君のために命を投げ出す家臣の姿」を、第2巻の元寇では権力の座にあるはずの「北条家の内紛」と「海外からの侵略に対峙する幕府」を、第3巻では「幕府と朝廷の覇権争い」を、第4巻では「一向一揆」という武士ではない人たちの争いを、そしてこの第5巻の「島原の乱」では「外来の宗教とそこに絡む西欧列強の思惑」やら「信仰のための戦い(と言いつつも実は飢饉と重税に喘ぐ一般の人の反乱)」を、それぞれ描いています。
「島原の乱」というやつは、KiKi の思い込みの世界では「キリスト教徒への江戸幕府の弾圧」というイメージが強かったんだけど、実はこの反乱で担ぎ上げられた大将が「天草四郎」だったことと、最後まで抵抗した人たちがクリスチャンであったことを除けばどちらかと言えば「市民革命的な事件」という側面もあったことを今回の読書で再認識しました。 もちろん時代背景として「宗教弾圧」の空気がなかったわけではないにしろ、白狐魔丸と一緒にKiKi 自身も「人は何のために戦うのか?」について、改めて考え直してみる1つのきっかけになったように思います。
今作で嬉しかったことの第一は、360年というなが~い年月を経てようやく白狐魔丸のお師匠様である白駒山の仙人がご帰還されたこと。 そして第二は白狐魔丸の成長を認めた仙人様が新たに「白狐大仙(びゃっこだいせん)」という大層なお名前を授けてくださったこと。 そして第三は晴れて白狐魔丸に「押しかけ弟子」(笑)ができたことでした。
久々のご登場の仙人様は相も変わらずのマイペースで、白狐魔丸とのやりとりなんぞはおよそ「ボケとツッコミのやりとり」といった風情です。 で、仙人様のご帰還と共に雅姫(つねひめ)の出番がなくなってしまうのか?といえばさにあらず、やっぱり色気も必要(?)ということで、今回も雅姫は歴史上のキーパーソンのお側近くに侍っておられました(笑)
かなりびっくりしたのが「宮本武蔵」の登場で、日本人の、それも特に日本男児にはファンも多い武蔵さんを白狐魔丸が体憑依して操っちゃうな~んていうプロットには意表をつかれました。 著者である斉藤さんはこのテのヒーローはあんまりお好きじゃないのかしら??
天草四郎の描き方に関しては、KiKi にはとても説得力のある描写だと感じられました。 もちろんホンモノの天草四郎時貞がどんな人物だったのか?に関しては、少なくとも KiKi が知る限りでは「よくわかっていない」というのが現時点での定説なんだろうと思うけれど、少年の身���反乱のシンボルに祀り上げられるあたりからしても、どこか「フツーじゃなかった」ことだけは確かなんだろうと思うんですよね。 そういう意味では「狂信的」と言ってもおかしくないような言動をとってもそれはそれで説得力があるんじゃないのかなぁ・・・・と。 実はこの物語の天草四郎の描写を読んでいる時、KiKi は以前読んだ岩波少年文庫の「ジーンズの少年十字軍」で描かれていた羊飼いニコラースのことを思い出していました。
ただ、天草四郎の最期の場面でキリストと同じ「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ(主よ、主よ、なぜ私をお見捨てになったのですか?)」というセリフを吐かせたのはちょっと悪ノリしすぎのような気がしないでもなかったけれど・・・・・・。
さて、次作は「元禄の雪」ということなので忠臣蔵がらみの物語になりそうです。 図書館から入荷の連絡があるのが今から待ち遠しいです。
投稿元:
レビューを見る
宗教家を送り込むのはその国を支配するため、といったかなりうがった?というか本質的な考察も書かれていて、ただの子供だましの歴史ものではないという感じ。とはいえファンタジーですが。
投稿元:
レビューを見る
今回は島原の乱。 白狐魔丸にも弟子ができ、仙人様が天竺から帰ってくる等、変化もありました。お茶目な仙人様と真面目な白狐魔丸との会話は、やっぱり楽しい^^
『元禄の雪』は最初に読んでしまったので、これで既刊の白狐魔記は読了。 早く新刊が出ないかな♪
投稿元:
レビューを見る
人間の弟子!
天草四郎は思い上がりすぎ、という立場なのだなあ
結局死ぬんだよねみんな
というところの虚無感から逃げられないなあ
真理はなんなんだろう 白狐魔丸さん
投稿元:
レビューを見る
天草の乱の背景を思うと当事者の農民の苦悩に胸が痛くなります。
天草四朗がとても傲慢に感じられました。
投稿元:
レビューを見る
白狐魔丸の魔物としての成長を感じるお話でした。
弟子が出来たり、久しぶりに師が帰って来たり。
雅姫はいつも可哀想ですね。彼女のことを思うと切なくなります。
投稿元:
レビューを見る
ついに・・・ついに全巻読んだぞーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
投稿元:
レビューを見る
九州島原でキリシタンが蜂起した。江戸幕府から鎮定の命を受けた諸藩の軍が結集する中、白狐魔丸も一人の忍びの行方を追って島原へと赴く。そこでは圧政に苦しむ百姓たちが救世主を求め、一人の若い男を熱狂的に崇めていた。その男の名は天草四郎。なんと白狐魔丸も知らない技を操る、術の使い手だった…。
投稿元:
レビューを見る
5巻になる本書はシリーズの中では長い方で、天草の乱を中心に比較的短い期間の出来事をほとんど時間を飛ばさないでじっくりと描いています。シリーズの中でもこの巻は超能力バトル的描写が多めです。これまでの巻では超能力者がほとんど歴史の傍観者に留まっていたのに対し、ここでは歴史の流れ自体に関わっていることもあって、超能力ものとして楽しいです。特に前半の超能力の修行のシーンが、私はなんだか好きでした。またフィクションとはいえ、日本史を習うときにはごく簡単に通り過ぎてしまう天草の乱が細かく描写され、実情とはかけ離れているかもしれないにしても想像をすることができたのも嬉しく思いました。時貞の未熟で不遜な性格には納得感を感じました一方で、彼の動機、狙い、周辺の人間との関係などもう少し描写して欲しかったように思いました。このシリーズではすべてのシーンが白狐魔丸の一人称描写なので、描写しきれない部分だったのかなと思います。特に泣かされたり笑わされたり、はらはらさせられるようなところはありませんでしたが、息子も普通に楽しんだようです。
投稿元:
レビューを見る
http://denki.txt-nifty.com/mitamond/2010/05/post-cf93.html