僕たちはこんな基準に囲まれている。
2016/04/09 19:37
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投稿者:朝に道を聞かば夕に死すとも。かなり。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
帯に書いているのが「想定・評価・判断の科学」初めての一般向け入門書 そんな決め方でいいの?、とあります。
安全は個人の主観的なものと喝破し、国際的な安全規格では安全を「受け入れられないリスクのないこと」なんだそうです。これはリスクゼロとイコールではなく、受け入れられないリスクがどれくらいか、という社会的な合意から基準値ができます。これが守られ、社会は安全を確保できます。
で、その基準値がどうやって生まれたのさ?ってところで文系でも読みやすい卑近な事例が多数挙げられています。
「基準値なんてもんは、お上が決めりゃいいんだよ」ってな冷笑的な私だったんですが、読み物として読んでみても、すごく面白いんです。偉い人が会議を開いて数値の値の範囲で「どれくらい安全か?」っていう議論が活発なのかと思いきや、現場の状況を踏まえて妥協していたりかなり「人間臭い」物語が垣間見られます。
水銀におけるキンメダイがマグロのスケープゴートっていうからくりを知った時には「そうなのかー」って思いました。中には他の世界が決めたからなんとなく決まったとか、基準値の根拠とかその誕生を知れば知るほど、その問題に対する考え方とか、背景がうかがい知れます。
慧眼だったのは、高速ツアーバスの過労運転についての基準でした。事故があれば大きく報道されますが、そういう基準だったのか!ってびっくりするのですが、基準を厳しくすれば、その利便性を代償にしなければならないし、基準値は私たちにとっての「可視化されたセーフティネット」ですが、社会の変化に応じて人の行動パターンも変化します。
ペースメーカーの人の前では絶対携帯禁止っていうのが携帯持つ人が多くなったから「この距離からは禁止」ってな感じですかね?悲しい事に事件や事故が起きてから、こうした見直しがされます。あとがきでは「基準値をどのお湯に設定すべきかについての科学は確立しているとはいえない」と述べ、社会的合意が必要なレギュラトリ―サイエンスであると指摘します。
行動経済学みたいに、科学と人間の恣意性を統合し、いかに社会が「まぁそれなら納得するわ」って基準値が生み出される物語。「これまでの安全神話崩壊」って恐れおののくのではなく、「安全神話」がどれくらい制度疲労をおこしているのか?もともと基準値はどうして成り立ったのか?という読み進めていくうちに「裏が取れるまで、鵜呑みにして行動しない」っていう知的好奇心がムクムク湧き出るおもしろい本です。
ホントに文系が読んでも、スイスイ読める本ですので、ぜひ。
身の回りにある様々な基準値の「からくり」を暴いた画期的で興味深い一冊です!
2020/02/05 12:25
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、科学に関する知識を分かり易く教示してくれることで好評の「ブルーバックス」シリーズの一冊で、同巻は、私たちの身の回りにある様々な基準値のからくりについて教えてくれる興味深い書です。毎日の生活の中で、私たちは、例えば、食品の賞味期限や健康診断における各項目の基準値などの数字に取り巻かれています。そして、こうした数値を「超えた!」、「超えなかった!」と一喜一憂している状況です。しかし、こうした基準値はどのようにしてはじき出されているのでしょうか。こうした基準値をよく検討してみると、実に不思議な決め方をされているものが少なくないことがわかってきたと著者は言います。同書は、こうした身に周りの基準値の「からくり」を暴いてくれる画期的な一冊です!
人騒がせな報道番組の価値を判断できます。
2016/10/18 08:07
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投稿者:せいけん - この投稿者のレビュー一覧を見る
基準値を超えたという報道に意味があるのかどうか、よくわかります。例として長寿国日本で主食であるコメを欧米では、発ガン性のある危険な食品と見る向きがあるバカバカしさや、水道水の基準値が非常に厳しいこと、ヒ素が基準値を超えたと言っても法的な問題であって、状況によっては全くどうでもよい量であることなど丁寧に解説してあります。
知識を備えれば悩み少なし
2016/04/30 19:41
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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
基準値をめぐる議論はともすれば専門家の間でも不毛になりがちで、一般の人にはなかなか理解がむずかしいこともある。健康や環境、災害等に関わる事柄であれば一般の人々に直接影響するものであり、次の行動のための判断材料になるうるものだ。
この本は4人の専門家が基準値についての考え方や適応範囲などを解説しており、福一原発事故に関係する放射線汚染の問題にも多くのページを割いている。飲食物、環境、交通事故関係分野の基準値について記されているが、どこから読んでもよく、参考文献も豊富に示されているのでさらに理解を深めることができる。
地震、気象などによる災害、工事や火災などによる事故に関する基準値、規制値等について同種の本が手元にあると助かるだろう。
身の周りに溢れる「基準値」と危機管理を再考するに最適の本
2015/02/02 18:39
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投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
私たちの身の回りにはいろいろな基準値があります。食品の消費期限や、大気汚染の基準、そして放射性物質による被爆基準など。でもこれらの基準が守られていても「本当に安全なの?」と疑問に思うことはよくありますよね。福島第一原発事故の後、枝野官房長官(当時)が「ただちに健康に影響はありません」とよく言ってましたが、「じゃあ長期的にはどうやねん」と疑問に思った方も多いのでは。
本書は様々な基準値がどのような根拠で決定され(非科学的な決め方が多くて驚きます)、それを私たちがいかに受け止めるべきかの指針を与えてくれます。「基準というのは 考えるという行為を遠ざけてしまう道具である」という本書にある言葉どおり、単に基準以下かどうかという極論に陥らず、「○○基準の何倍!」というような新聞等の見出しに必要以上に煽られることのないように心がけたいですね。
「必要以上に危険を煽るつもりもないし、安全を強調するつもりもない。基準値のありのままの姿を知ることで身の回りのリスクの大きさを知ってほしい。リスクを知らないまま不安になるよりは、知っている方が安心だ」という著者の姿勢には強く共感できます。
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放射能汚染物質やPM2.5等タイムリーな話題をからめつつ、各種基準値の設定の背景等を説明。結構マニアックではあるが、自分は「やむをえない点は多いが、結構アバウトなところ多いな」という感想を持つ。驚くのは多くの規制値、規格が海外の臨床結果なり、実験結果なりのそのままパクリであること。あきらかに基準として使用不能なものにもそのまま流用していることがあるのには驚く。検証には10年単位の地道なデータ集めと分析が必要なのは確かだろうが、それこそ国税を持ってしっかり実施してほしい、と読後思った。環境関連ばかりではなく、JISなども多くはIEC、ASME等のまるごとコピーというのが結構ある点からも、日本は標準、規格設定が得意ではない国なのかも。
しかし、色々勉強になった。根拠を求めてあまりにマニアックな追求をする必要はないと思うが、視点が大きく変わる場合があることを今回知ったので、今後、ある指針が出たときに、その根拠を問うてみたいところ。
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国民の安全を守る基準値。食品,環境,事故の各分野で定められる基準値のしくみを詳しく解説。「基準値の〇倍!」という叫びに何の意味もないことが分かるし,およそ基準値というものが科学のようでいて科学だけでは決まらない「レギュラトリーサイエンス」であることも丁寧に教えてくれる。大筋・大枠は科学でも,基準値を決める際の数値の使い回し,リスクだけでなく達成可能性をも加味する必要性,決めた後になかなか変更できないという硬直性などの実例を見ると,科学が社会を律するというイメージは打ち砕かれ,まさに社会と科学の相互作用でやっているんだなと感じる。こういうことは社会の側にいる我々市民も,前提として共有しておかなくてはならないはず。お薦め本です。
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基準値とは黄門様の印籠のようなもので、物事を決める上での神様的存在。だから誰も疑問に思わない。しかし福島原発事故や食にまつわる事件で、我々は考えることを教えられた。でもそこから一歩踏み込んで検証するとなると、さすがにまだまだ。そういう意味では貴重な一冊なのかも。
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食品に限らず、行政が設定するいろんな基準値について、その根拠と考え方が説明されている。
一番気になるのは食品に関する放射性物質に関する基準値。他の記載はなんとなく分かった気になれるが、この部分だけはうまく理解出来ない。いったいどう読めば自分なりに安全かどうかを判断できるのか、自分なりにどう折り合いをつけることができるのか、自分の考えを持つことが出来ない。
読み手の理解力の問題も多分にあるだろうが、基準そのものに想定要素が多すぎて、私達が考えているほど確定的に決めることが出来ないからだろう。
著者は現在流通している食品の摂取は許容できるリスクと考えているようだが、それは事故以来放射性物質が放出されていないことが前提のようだ。しかし、どうやらF1からは事故以来ずっと現在までもいろんな形で放射性物質が放出され続いている。それでも、許容できるリスクと考えられるのか?疑問に思える。
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タイトルに偽りなし。というところでしょうか。以前に気になっていた「こんにゃく畑ゼリー」の話も載ってて、なぜそういうことになるのかとても腑に落ちる説明がされていました。
ある意味、「基準値」ってあくまで目安でしかないのだな~ということと、結局は自分でどう判断をするのか。自分がどういう知識を持つべきなのかということを考えさせられる内容でもありました。
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良書。面白い。
なぜ、お酒は20才からと決まったのか。元は、明治まで遡り、根拠は曖昧。
安全とは、受け入れられないリスクのないこと。
根拠の曖昧なものも多いが、実績があれば、信じていいのではないか。一度決まるとなかなか変更にならないのも基準値の特徴だが。
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私たちの身の回りにはいろいろな基準値があります。食品の消費期限や、大気汚染の基準、そして放射性物質による被爆基準など。でもこれらの基準が守られていても「本当に安全なの?」と疑問に思うことはよくありますよね。福島第一原発事故の後、枝野官房長官(当時)が「ただちに健康に影響はありません」とよく言ってましたが、「じゃあ長期的にはどうやねん」と疑問に思った方も多いのでは。
本書は様々な基準値がどのような根拠で決定され(非科学的な決め方が多くて驚きます)、それを私たちがいかに受け止めるべきかの指針を与えてくれます。「基準というのは 考えるという行為を遠ざけてしまう道具である」という本書にある言葉どおり、単に基準以下かどうかという極論に陥らず、「○○基準の何倍!」というような新聞等の見出しに必要以上に煽られることのないように心がけたいですね。
「必要以上に危険を煽るつもりもないし、安全を強調するつもりもない。基準値のありのままの姿を知ることで身の回りのリスクの大きさを知ってほしい。リスクを知らないまま不安になるよりは、知っている方が安心だ」という著者の姿勢には強く共感できます。
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◆放射線量をはじめ、社会的に認めることができるリスクとしての基準値について、その根拠にさかのぼって考えている本です。こんにちでは安全の代名詞として考えられがちな「基準値」ですが、必ずしも「科学的」に導き出されるものでもなければ、「人体への影響」に対して「安全」を保証するものとも限りません。この本には、基準値の根拠にさかのぼったときに初めて見えてくる、驚くべき事実が盛り込まれています。「安全」が話題になる一方でさまざまな見解が錯綜するいま、「安全」の根拠とされがちな基準値の世界に踏み込んで考えてみるというのは、いかがでしょうか。
* 感想 *
◆この本を読むと、基準値を定めるときと読み解くときにそれぞれ問題があるのだと思いました。◆前者の問題は、基準値とは「科学的」に求められるだけではなく、文化(例:こんにゃくゼリーとモチ、塩分摂取目安量など)や利潤(例:食品の安全係数など)、実現可能性といった点、そして時には(科学的根拠に欠いた)行政的な判断が下されたり、誤った運用によって厳格すぎる基準値が設定されてしまうこともあるということです。著者が繰り返し述べていることは、境的に「受け入れられないリスク」として基準値を定めるべきだということです。この点で、厳しすぎる基準値というのも妥当ではないのです。
◆後者の問題は、基準値にはさまざまな性質があるということです。たとえば、水中の亜鉛濃度一つをとっても、環境や人体への影響、色や味わいなどさまざまな管理基準があり、それぞれの基準値が示すものは異なります。にもかかわらず、基準値を「安全」の閾値として捉えてしまえば、「基準値の○○倍!」といった記述に衝撃を受け、ただちに人体に対して有害であるかのような反発をしてしまう恐れがあります。そこで前者の問題に立ち返ってみると、じつはその基準が実証を欠いた「念のため」を重ねた極めて厳しい数値だということに気がつかず、それによって「受け入れられるリスク」を不当に過大に評価してしまう恐れもあるのです。
◆その基準値は、”わたしたちにとって”「受け入れられるリスク」を評価しているのでしょうか? このように問いかけてみることの大切さを感じました。
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基準値の決め方が千差万別であることが理解できたが、それにしても人為的な値であることは間違いない.その数値だけがマスコミで飛び回ることに注意する必要があるのを痛感した.原発事故にからむ避難の基準の追加被曝線量20 mSv/年と除染の目標値1 mSv/年の開きを説明した部分(p177-178)は興味を持って読んだ.
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リスク評価とか、それをどう社会に導入するのか、とかについて、基準値を足がかりにいろんな具体例にそって解説した本。
基準値の決め方(あるいはリスクの評価方法)というのは対象によって実にいろいろで、何か一つ決まったやり方というものがあるわけではない。一つの対象についても、立場によっていろんな評価の仕方が提案できるんだろう。そういう意味で、絶対的な真実を追求する科学とは違うものであり、わざわざ「レギュラトリーサイエンス」と名付けていわゆる科学とは区別したりする。人類の歴史においては比較的新しい分野なんだろう。特に、分析技術の進展によってそれまで測れなかったような微量成分の定量が可能になり、リスクの有無を分ける閾値が存在しないケースがあることが明らかになって、我々は「受容可能なリスクはどこまでなのか」を決めなければならなくなった(ここら辺の歴史についてもふれられている)。つまり、基準値は、リスクの有無を分けるものではなくて、そのリスクが受容可能な範囲にあるかどうかを分けるものとなったのである。
このリスクに関する新しい考え方は、まだまだ一般にはなじみがない。それゆえに、基準値に関する誤解も広く見られる。しかしながら「受容可能なリスクがどこまでなのか」というのは科学では決められない、人々の合意として社会的に決めるよりほかに決め方が存在しない問題だ。ゆえに、リスクに関する正しい認識が人々に広く伝えられることは、どうしても必要なことなのだと思う。
著者たちは基準値オタクなのだそうで、盛り上がるポイントがいまいちシロウトにはわかり難かったりした。あと、網羅的な話題が多く、俯瞰的な話がもっと読みたいとも思った。でも、それはまだまだこの分野がこなれていないためなのかもしれない。