紙の本
アホな男の物語
2023/02/01 10:26
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
大阪弁でよくいうアホな男の一代記である。国民的作家として名声が高い司馬遼太郎であるが、比較的初期にはこの作品のようにいわゆるエンタメっぽい気楽なものも書いたのだなと再認識させられた。とは言うものの司馬史観はすでにしっかりとしている。主人公の正反対の、幕末の一般武士の情けなさを辛辣なユーモアを持って描き出している。
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投稿者:井沢ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の作品は全部読もうと思って買った一冊。俄という意味も分からずに読んでみた。事前の調べもせず読み込んでいったが、幕末に明石家万吉という義侠人の半生記で史実であることがわかり興味を覚えた。さらに奇妙な人生と義侠の深さでどんどん引き込まれ、気が付いた時には上巻がを読み終わっていた。結構面白い内容だった。
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このお話は、”明石屋万吉”という江戸末期の任侠道に生きた人物物語です。この上巻は、万吉少年期から20代の成人までの話。生きるために殴られ屋をやり、死ぬか生きるかの瀬戸際からはいあがってきて、大阪で一目おかれる人物になる。成人後は、侍と任侠の間で、何が正しいかで悩んでゆく。しかし、万吉ならでわの生き方・さばき方で世の中をアタリアルてゆく痛快な物語。はじめは成り上がり者物語かと思ったが、どんどん引き込まれてゆく。
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司馬遼太郎の任侠ものかな。最初はどうなることかと思ったが、堂島米相場を壊してから、東奉行所隠密をやったり、大坂の取り締まりをやったりして盛り上がってきた。いけるかも。
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読んでる時は気が付かなかったけどこれ司馬さんの小説なのね。
幕末に生きた任侠物のすかっとしたお話です。
こんなキモの座った人間がいたんだな〜。
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久しぶりの司馬遼太郎さん。
動機は単純で、折角だから大阪に住んでいる間に再読しようかな、と。
地名に馴染みがあって雰囲気がわかるだけでも、結構違うものです。
司馬遼太郎さんの長編は中学生くらいまでに、もうホントにほぼ全部読んでいて、これもそうです。
ただ、改めて読み直すと、「いやあ、この面白さは絶対子供の頃にはわかってなかったなあ」ということがあるので。
江戸末期から大正時代まで生きた、実在の大阪の侠客、「明石屋万吉」という人のお話。
司馬遼太郎さんにしては、人物が小さい(笑)。坂本龍馬とか豊臣秀吉とかに比べれば、ですが。
なんだけど、再読すると矢張り司馬さんらしい。基本、「この男子の生き様、カッコイイ!」という情熱があります。
でも描写は天の目線から。司馬史観。
そのギャップが良いんですね。
無茶苦茶な人の話です。
最貧の町人の生まれで、丁稚奉公中に父親が失踪。
母と妹を飢えから救うために、アウトローの生き方をすることを決意。わずか9歳。
なんだけど、母と妹はほぼ出てきません(笑)。そのへんが、司馬遼太郎、すごい。
見せたいのは万吉の無茶苦茶な痛快さだけなんですよね。で、ウェットなコト、司馬さん嫌いなんで(笑)。人情物にはしないんですね。
このあたりが、いいか悪いか別として、山本周五郎でも藤沢周平でもない。正直、稀有ですね。驚嘆です。
で、明石屋万吉とは何か、という、この小説なりの本質を、剥き身にブレなく貫きます。
それは、「命とか安定とかを捨ててかかる。肉体の痛みを捨ててかかる」という信念。ココに司馬さんは、万吉の魅力を定めて、一切ブレません。
言ってみれば、馬鹿なんですよね。その馬鹿さ加減、馬鹿を貫く痛快さ。
で、実際の万吉さんがドウだったかは知りませんが、司馬さんが好意的に描くからには、司馬万吉は、根っこはやっぱり大阪町人らしいあっけらかんとした合理主義がある。
なんだけど、「阿呆に死ぬのが自分の商売」と割り切る。
決して、大義名分や思想のためじゃないんですね。「たまたま」「ご縁」「頼まれたから」「かわいそうだから」という理由なら、死ぬ。なぜならそれが商売だから。
それが商売、というところが大阪らしい町人らしい合理主義。ただ、基本が大アホな、我が身を投げ打ってるので、何かがねじ曲がって来る。それが痛快。
見方によっては、後年は民権運動潰しをしたり、要は要人に良いように利用される右翼ヤクザみたいなもの、という一面もあると思いますが。
子供の頃の万吉の面倒を見る色っぽい江戸芸者のお姐さんが出てきて。あー、司馬小説的には後半出てこないんだろうなあ、と思ってたらやっぱり出てこない(笑)。
一応備忘録で以下ネタバレ。粗筋。
9歳で、捨て身の賭場荒しから始まって、10代で頼まれて米相場を喧嘩で崩壊させる。
これは幕府の相場操作から大阪商人を守った行為。拷問に耐えて何も言わずに放免。一躍、街のヒーロー、親分に。
なんと小藩に頼まれて、武士になってしまい、「大阪の新選組的な警護組織」の親��に。
その間、何度も無茶苦茶な死線を渡っては、生き延びる。
といったあたりが上巻ですね。
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江戸末期の任侠モノです。明石屋万吉、晩年の小林左兵衛という実在の人物を描いています。左兵衛は晩年、自分の一生を振り返って、”わが一生は、一場の俄のようなものだ”と言った言葉から題名が付けられている。”俄”とは、路上でやる即興喜劇のことだ。当時、大阪で大いにもてはやされていたようだ。
万吉は一生、智恵より大事なものは覚悟だと思って生きた。この覚悟が万吉を日本一の侠客にしたと言っても過言ではない。万吉のたった一つの特技は、殴られることだ。半殺しの目に合わされても、音一つあげないのである。最初は憎み、次いで驚嘆し、遂には憎悪や驚嘆が尊敬にかわっていくのだ。あいつは度胸の化け物だとも言われた。ただ、万吉は貧乏人が救われることなら、命を張って悪と戦った。入牢も拷問も”行”のように心得ているのだ。幕府に、当時一番ひどい拷問とされた蝦責めの刑にも耐え、知らず知らず、大阪庶民からあがめられる存在になっていった。
明石屋万吉は”無官のお奉行”と呼ばれたり”北町奉行”と呼ばれたりした。むろん、大阪には東西奉行はいるが、北町奉行はいない。明石屋のためなら命を捨てるという男達が大阪には3千人いると言われた。万吉は、江戸や他国の博徒のように直属の子分を持たない。ただ、困っている連中に米をくれてやったり、飯を食わせてやったりしているだけだ。彼らはいざという時、万吉の私兵になり、発揮しようとすれば町奉行所以上の武力が十分に出せるほどの身代となっていたのだった。
そんな万吉の力を、蛤御門の変や戊辰戦争では幕府方が利用する。万吉は幕府方の一柳家の雇われ藩士となったものの、蛤御門の変で都落ちしている長州兵を匿い、逃がした。万吉は自分の役目として、”往来安全”を第一に考え、幕府、長州わけ隔てなく、負傷者を助けた。長州藩の遠藤謹介や桂小五郎なども万吉に助けられたのである。これが維新後、万吉におとずれる様々な災厄から万吉を救うことになるとは本人も考えても見なかったし、そんなことを考えて人助けをしたわけでもなかろう。
結局、万吉が生涯を通して貫いたのは、与え続けることであった。自分の命・金を困っている人を見たら何も考えず投げ出してしまう。一度会った縁を大切にし、そこに自分の命をかけ、そうすることで、日本一の任侠者と名声を得るようになったのだろう。今まさに生きているときにしか使いようがない自分の命を与えることによって、実はそれより大きな、後世にわたる永遠の名誉を得たのである。
全2巻
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いや。テンポがいい。スラスラ読める。
司馬遼太郎の筆がさえている。
幕末の 転換期に 極道として 生きる。
素手にして闘うことは,殴られることだ。
それに耐え抜いて 評価を得る。
こんな男は 命がいくつあっても 足りないぐらいだ。
知恵よりも覚悟。
身体よりも命。
江戸幕府の侍たちの 情けなさが うきたつ。
300年も 維持した 武士が あまりにも 無様。
明石屋万吉の活躍が こっけいで 機知に富んでいる。
この柔軟性は どこから来ているのだろうか。
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どうも良いですね。やはり司馬さんは性に合いますね。
しかも司馬さんの作品の中でも、私の好みからすれば1、2を争う作品です。
最近の作家さんの作品を読むと、ショーウインドに飾ってる服を眺めて「良いな〜」って感じ。ところが司馬さんの作品だと、それを着て肌にしっくりなじんだ感じがします。
司馬さんといえば、どうしても歴史上の武将を初めとした偉人伝のイメージ(忍者ものも有りますけど)です。でもこの作品は、実在の人物とはいえ一介の侠客を描いたもの。そのせいもあるのでしょうか、肩から力が抜けたような、自由で奔放な感じが良く出ていて、堅苦しさが無い。その分、物語としての面白さに充溢した、隠れた名作では無いかと思います。
久しぶりの再読。後半、ややダレた感じもするのですが、十分に楽しませて貰いました。
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破天荒で、いつ死んでもおかしくない。でも、愛嬌があり、憎めない。こんなキャラが、歴史に名を残す幕末期。面白い。
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国民的作家司馬遼太郎は大阪の出身。本書の主役明石家万吉には筆者の祖父の生涯が反映されているという。町人の街大阪から見た明治維新。
「手掘り日本史」に紹介されていたのを機に本書を手に取る。江戸とは異なり大阪は一部の町奉行のほかはほとんどの町人の街。司馬遼太郎が大阪の出身ということもあり、心地よい関西弁のリズムが楽しめる。大上段に構えた代表的作品に比べれば、どこか肩の力を抜いて筆者自身が楽しんで書いたように思われる。それだけテンポが良い。
”どつかれ屋”として名を上げた極道屋の明石家万吉の生涯。上下巻の上巻は西大阪の港一帯の警備を請け負った万吉が長州藩士たちの上京に出くわし維新の動乱に巻き込まれるところまで。
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「そんなこと」
小春は当惑した。めっさと惚れるな、といわれたところで、どうにもならぬことだ。
「深いのはいかん」
情愛の深いのは、である。
「サラサラと行け。万事、水が浅瀬を流れるがごとくさらさらと人の世を過ぎてゆく。そいつで行ってもらいたい。淀みの水のようなおなごは、わいはきらいや」
「さあ」
小春は、、くびをひねっている。どうもこの花婿のいうことは片言でよくわからない。
「要するにやな」
万吉は、いった。
「わいは極道屋という稼業がら、いつ死ぬかわからん。あすにも、すぱっと」
頸を煙管でたたいた。
「飛ぶかもしれん。その時、わしを偲んで泣きくさる奴が、この世で一人でも居たらかなわん。ぞっとする」
小春は、ぼう然とした。
「そやがな。そういうときは、万吉も死にくさったかとさらさらと笑い、あくる日からけろっと忘れてくれるような嫁がええ」
(やっぱり怪態なお人や」
小春は万吉をじっと見ている。どう理解しようにも理解しようのない人物であるようだった。