紙の本
日本教ルーツ・・それは怨霊信仰
2019/11/10 17:40
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:だい - この投稿者のレビュー一覧を見る
□聖徳太子
聖徳太子の一般的なイメージは、いつも穏やかで人の話を良く聴き、決して怒らない立派な人
後世、なぜ太子が神格化・超人化され、聖徳と呼ばれたか
推古天皇の息子の竹田皇子が若死にし、摂政として活躍したが推古天皇が75歳の長寿であったため622年49歳で亡くなった
問題は死の事情である
叡福寺磯長陵には母間人皇后、右に太子、左に膳部夫人が安置されている
非業の死を遂げた高貴な人は、もがりも短く、合葬される傾向にある
明らかに異常死である
太子ゆかりの遺品「玉虫厨子」には捨身の側面図がある
古代のある時期から、徳という字を含む諡号は、無念の死を遂げた人に贈るものになった
聖というのは、本来怨霊となるべき人が、善なる神に転化した状態を表現した文字
□天智天皇
天武に暗殺された天智天皇
日本書記には天智天皇は病死だが、扶桑略記には暗殺と記述されている
三井寺(園城寺)は、天智・大友親子の怨霊鎮魂のために創建された
日本書記は、天武天皇が指示した正史
暗殺犯の天武の仕業をまともに書くはずがない
天智陵の所在が記述されてない
扶桑略記には、天智が遠乗りに出て山科で行方不明になった(暗殺された)と記載されている
天武の年齢が分からない
一代要記などには65歳と記述され、生年は622年となり、天智天皇(626年)の兄となる
当時記載できなかった事実「天智暗殺と非兄弟」が、後世書けるようになったのではないか
天武天皇は正当な後継者になる資格がなく、反逆により壬申の乱(易姓革命)を起こし、それを正当化するために日本書記は作られた
天武系から天智系(桓武天皇)に血統が戻った時に、平城京から平安京に遷都された
□持統女帝
持統天皇は、息子の草壁皇子が急逝すると、他の有力候補を差し置いて強引に即位した
それは、孫の軽皇子(文武天皇)に皇位を継がせるためである
文武の死後、母親(元明天皇)が即位し、孫の首皇子(聖武天皇)に皇位を継承した
万世一系を守るために、正当な皇位継承者でない天武と持統天皇以外の女性から生まれた男子がを皇位に就かせることはできなかった
この方針に藤原不比等は、一族をあげて協力した
そして、持統系男子が皇位に就いた際には、皇后を藤原氏から出すという見返りをつけた
文武天皇=藤原宮子、聖武天皇=藤原光明子(光明皇后)
不比等は、記紀編纂にも積極的に関わり、祖母から孫へという変則的相続を天孫降臨という神話により正当化した
アマテラス(=卑弥呼→持統)の子孫でなければ、天皇になる資格がないという原則を作りあげた
□平城京と奈良の大仏
聖武天皇は、仏教の力で天下を安泰にし国民を幸福にするために、当時世界最大の金銅仏を造った
当時、新興宗教でしかなかった仏教に金を注ぎ込んだのか?
聖武の後継者は、血を引いた男子(安積親王)ではなく、藤原系女子の光明皇后の生んだ阿部内親王(称徳天皇)となった
安積親王は、藤原系以外の天皇を排除するために藤原氏により暗殺された
非藤原の皇族に皇位を渡さない藤原氏に、正当な皇位継承者であった長屋王も身に覚えのない謀反の罪で自殺させられた
長屋王のタタリが藤原四兄弟を疫病により殺し、その怨霊鎮魂を妹である光明皇后は仏教に求めたのだ
しかし、聖武・光明夫妻に後継者の男子は生まれず、称徳女帝で持統王朝は断絶する
天武・持統王朝から、第二次天智王朝は全く系統が異なる
桓武天皇は怨霊封じに失敗した大仏のある平城京を捨て、平安京という怨霊シェルターを造ったのである
紙の本
面白いよ これ!
2016/12/15 21:49
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
梅原猛「隠された十字架」を読んだ時の興奮を思い出した。日本の歴史はベールの向こうに暗闇を隠してるんだな。
投稿元:
レビューを見る
逆説の日本史第二巻
聖徳太子、天智天皇、天武天皇と持統女帝を扱っている。天皇家の覇権争いで生まれた悲劇を著者独自の視点と切り口で論じている。
相変わらず、読むたびに目から鱗状態である(笑)
「聖徳」という称号にこめられた歴史の事実と陰謀にただただ感心するのみであった。また、天皇家の覇権争いの凄まじさ…。奈良の大仏建立にはどんな意味があったか?そして、日本人しか持たない独特の宗教観…う〜ん
そーいえばそう言う民族だなぁ日本人て…と思わずにはいられなかった。
とにかく面白い!
投稿元:
レビューを見る
井沢元彦というひとは、歴史学者でもないのに、よくこれだけ調べて自分の説を作れるなぁ、と、力量に感心するやら呆れるやらです。この本では、聖徳太子から始まって、怨霊についてそのほかの謎解きをしてみせてくれている。怨霊というキーワードは、日本史には欠かせないウラの知識だから、これを鍵にして読み解く日本史は、眼からウロコです。
投稿元:
レビューを見る
天皇の送り名に「徳」があるのは憤死した天皇だから。すごい!
今読んでいる『The Da Vinci Code』と共鳴して私の頭の中はカッカ状態。睡眠時間が減ってしまう。大変!
投稿元:
レビューを見る
なんか、もっともらしい説を聞くと、なんでも、
「そうだったのか!!」
とか思ってしまう今日この頃。
簡単に、信じてしまってはいけません(笑)
でも、こういうお話を聞くのは、やっぱり楽しいのです。
このあたりのわたしの歴史の知識は、山田ミネコと長岡良子でてきています(笑)
投稿元:
レビューを見る
聖徳太子の死因をごぞんじですか?
奈良の大仏の存在理由は?
天皇家の秘密。。。
ハマります
投稿元:
レビューを見る
2008年2月読書分。
30代最初の読書です。
教科書では学べない日本史を教えてくれます。
歴史を考えるきっかけをくれます。
投稿元:
レビューを見る
1巻に引き続き、夢中になって読み進めてしまった。新しい視点で見ることができるようになると、その視点から実際にその場所へ足を運びたくなってくる。興味が広がる本。
(2008/02/25読了)
投稿元:
レビューを見る
3月10日読。 日本史が勉強したくなります。
投稿元:
レビューを見る
話があちこち飛ぶところなど、まあ連載をまとめた本だから仕方ないのか、読みにくいところやくどいところがある。
しかし、内容は興味深いものであった。
聖徳太子、天智天皇、天武天皇、持統天皇、聖武天皇、平城京、大仏の謎がわかる。
怨霊信仰の国。日本。
教科書には載らないことがたくさん。
2008年04月26日読了。
投稿元:
レビューを見る
聖徳太子以降、徳の字がおくられた天皇は不幸な死に方をしていることに注目し、聖徳太子がなぜ聖徳という字がおくられたのかを解明している。
また、奈良の大仏の意味を解説したところも納得させられたところが多い。
投稿元:
レビューを見る
聖徳太子は本当に徳高き人であったのかというのを,代々”徳”の付く天皇の死と対比しながら読み解いて行く。すると,徳という諡が与えられるのは,みな不遇な死を遂げた天皇ばかりであることに気付く。徳という諡を付けて,怨霊を鎮魂しようとしたのである。
次に,天智天皇の死について,天武天皇のクーデターにより天智は暗殺されたと,文献での記述の不可解さや墓の場所,当時の朝鮮とのかかわりなどを元に,現代の認識と逆説的に解き明かしていく。
投稿元:
レビューを見る
怨霊、言霊、穢れから日本史を見据える《赤松正雄の読書録ブログ》
日本史をおさらいするうえで比類なき面白本をようやく見つけた。歴史の書というよりも歴史推理小説といった方がいいかもしれない。かねてからの「歴史通」や、今はやりの「歴女」には、何を今更と言われよう。このシリーズが世に出てもう10有余年も経っているのだから。しかし、恥ずかしながらその存在を私は知らなかった。井沢元彦『逆説の日本史』1~12である。未読の方は、まず文庫の第一巻を購入されることをおすすめしたい。
日本史を追う井沢さんのキーワードは、怨霊、言霊、穢れの三つ。彼はことごとくをこれで抑えていく。見事なまでに。彼にかかれば歴史学者は形無し。木っ端微塵にやっつけている。宗教の本来的な役割を知らずに、文献至上主義に陥ってることの弊害を事細かにまた繰り返し飽きもせずに説く。読んでる端から忘れがちな私のようなものには、まことにこれは助かる。しかし、この手法ではさぞかし正統な歴史学者や同業他者から嫌われよう。であるがゆえに、あまり世の中に評価されていないように思われるのは、著者ならずとも口惜しい。
近眼の人が寝ぼけ眼に顔を洗ってメガネをかけた時のように、ぼんやりしていた歴史絵巻が忽然と姿を現すのは嬉しい限り。というのは少々ほめすぎかも。だが、古代から中世にかけての日本人たちにとっての、様々なる神社仏閣の存在や「和歌」の持つ意味が判明するのは大きな収穫であった。軍事について現代日本人がとかく敬遠しがちなのは、何も戦後に始まったことではなく、古代からの歴史に根ざした伝統であることを知ったことも大きい。
投稿元:
レビューを見る
聖徳太子の称号の謎
・聖徳太子編―「徳」の諡号と怨霊信仰のメカニズム
・天智天皇編―暗殺説を裏付ける朝鮮半島への軍事介入
・天武天皇と持統女帝編―天皇家の血統と『日本書紀』の”作為”
・平城京と奈良の大仏編―聖武天皇の後継者問題と大仏建立
主張がブレるところもあるが、この章がいちばん井沢元彦の真骨頂を読めるのではないだろうか。
時代が下るにつれ、単純に事実を追う記述が多くなっていくが、ここではまだ怨霊についての記述で厚みがある。