自己破壊としての勉強
2021/09/29 15:25
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投稿者:ひるお - この投稿者のレビュー一覧を見る
「人生の根底に革命を起こす」勉強のしかたを、原理と実践の両方から教えてくれるガイドブック。学ぶことを愛しそれなしでは生きられないとも思いつつ、しかしそれゆえに苦しい人を救ってくれるであろう本。自分のことが書かれている! と思う読者も少なくないだろう。長く積読状態だったが、ラカン理論(特に本書でも参考文献とされている松本卓也氏の著書)を参照した今だからこそ興味深く読めた。自分が“学ぶこと”を面白いと思うその理由もわかった。「享楽年表」作りも楽しい。楽しんでいるうちに自然と現代思想の森へと誘われる構造も見事。さらには、学術的・専門的でありながら詩的な文体も本書の魅力。学ぶことは言語表現の可能性の拡張であり、「文学的になるまでに言語の自由度を上げること」である(:49)という主張を体現している。
哲学者による究極の勉強論です!
2019/01/18 13:16
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、哲学者である著者による究極の勉強論です。「究極の」というのは、他の類書とは根本的にその内容が異なっているかたです。著者はいいます。「勉強とは自己破壊である」と。これまでこのように考えた人はいたでしょうか。同書を読んでいくと、非常に強い言葉が次々に出てきますが、読み進めていくと、それも納得できてしまいます。それだけ、同書には人を惹きつける、共感させる哲学思考が流れていると言えるでしょう。ぜひ、一風変わった勉強論についての書を読んでみられては如何でしょうか。
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投稿者:右ソルデ - この投稿者のレビュー一覧を見る
私には難しくて理解できなかった。
だからこそ勉強になった。私にとっては感覚的にも理解できない言葉達『器官なき言語』に溢れていて、私は壊され勉強になった。
内容は易しくない
2019/10/10 22:31
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投稿者:Lily - この投稿者のレビュー一覧を見る
読みやすい雰囲気、易しい言葉で書かれていますが、内容は易しくないと感じました。専門分野の入門に関する内容を活かしたいと思いました。最初に入門書を読むのが良いそうです。複数の入門書の次が教科書、その次は基本書の順番だとわかりました。
もっと勉強したくなる本
2017/10/13 22:57
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投稿者:ミカモ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日常に知らないことが、まだまだたくさんあることに気が付ける本でした。目につくもの、耳にするもの、起きてから眠るまで、全ての行動が勉強(研究)の対象になると気がつきます。
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僕もともとノレない人なんで、分かる分かるーといった感じで詰まらんかったです。コードを共有できない環境に身を置き、共有しようとする為にはメタ的な視点が必須なので、そのような物理的な環境に身を置けば、最も単純かつ原始的な実践方法を取れるかと
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知的好奇心は際限がなく拡大する一方でありキリがない。その最たる例が積読の増加である。そこで著者は勉強の「有限化」を重視し、決断主義(独我論)に対する相対主義(言語ゲーム論)の優位性を説き、アイロニー(懐疑)からユーモア(連想)への転回を提唱する。そして、結果としての享楽的こだわりがナンセンスへの中断化を促すわけだが、そこにアイロニーをかけるというアクロバティックなプロセスにより「勉強の三角形」のサイクルをまわし続け、縦横に膨張するナンセンスを回避し、「有限化」する事が重要であるとする。(尚、amazonのオススメが無限化を進めているのは言うまでもない)
現代思想を用いたこの辺の整理の仕方は唸らされるものがあるが、現実的には学問領域は専門性で細分化されタコツボ化している。よって、この「勉強の三角形」のサイクルもタコツボの中で回り続けているに過ぎない。それはそれで専門分野内では「真理が収束する」というメリットはあるのかもしれない。しかしながら、今求められているのは「ユーモアの学際性」であり「タコツボからの脱却」である。また、「勉強の三角形」のサイクルをまわすだけでは「現実社会への適用」という課題が残されたままである。昨今話題になっている学術会議の問題も「タコツボからの脱却」と「現実社会への適用」という2点が問われているのではないだろうか。
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【気鋭の哲学者が追究した本格的勉強論】勉強ができるようになるためには、変身が必要だ! なぜ人は勉強するのか。勉強の本質とは何か。勉強の概念を覆す哲学的勉強論。
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勉強とは何か、ということについて哲学的に書かれた本。途中何度か見失いそうになったけど、何とか最後まで読み終えた…。全く詳しい訳ではないけど、構造主義的な立場、なのかな。
印象に残った点は3つ。
・深く勉強するというのは、ノリが悪くなることである。
勉強によって自由になるとは、キモい人になることである。
・ツッコミ=アイロニーとボケ=ユーモアが、環境から自由になり、外部へと向かうための本質的な思考スキルである。
・信頼に値する他者は、粘り強く比較を続けている人である。
最後に結論としてまとめがあったのでだいぶ助かった。
こういう本、考えることについて考えるみたいな、ある行動や概念について構造的に多角的に見た本はなかなか難しいけど、好きだ。
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ノリの良いバカは勉強を通してノリの悪い小賢しい人間になり、またそのうちノリの良いバカになる。
ノリとはその場の環境が持っている「コード」を読むことでありその場その時で変化するし、勉強によるアイロニー、ユーモア、ナンセンスでその「コード」を乱していく。
なぜ乱すのか。より深く、より広く、根源へと向かうため。でも根源へと辿り着くことは出来ず、勉強を継続していくことが重要。
ゲンロンゼロの扱う観光客の一つの表れが本書での「勉強」であるかな、と思いつつ読みつつ、どう呼応するのか、しないのか、についてを「勉強」していこう、と思っている。
iPad proを買っていたのは良いタイミングだったけど、本はお風呂で読むことが多いから、どうやって勉強に取り入れるかも考えよう。
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身も蓋もなく「勉強」することの意味が書かれている。勉強しなくていいや、と思う人には結局届かないかもしれないが、勉強したくてモヤモヤしている人にはよいガイドブックだ。高校生とか、大学入りたてとか。
これを、そうそう、あるあると、感じながら読めたなら、「知的な相互信頼の空間」p.188 のとば口に立っているといえるだろう。
アイロニー、ユーモア、ナンセンス p.114 や
勉強の三角形のダイアグラム p.151 にある
1. 懐疑(アイロニー) →深追い
2. 連想(ユーモア)→目移り
3. 享楽 →こだわり 中断
の三角関係は、パースのアブダクションの話と重ね合わせても面白そうだ。
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ある「無根拠」ないし「有限性」(=環境への適応・没入・ノリのよさ)の外に出る方法を考察した本。
保守的な無根拠→アイロニー(その根拠を問う)→決断主義(すべての根拠を疑ってしまい、無根拠に置かれる、そこから一つの他者を盲信することになる)に陥りそうになる→拡張的ユーモア(横に広げてさまざまな選択肢を考えてみる、連想)→どれを選ぶかの根拠の不在→収縮的ユーモア(享楽的なこだわりによってさまざまな選択肢のどれかに絞ることができる)=中断→アイロニー(享楽的なこだわりを遡ってみる)→……という形で、循環に身を置くことを提唱する。
とりわけ、決断ではなく中断というところに重点。デタッチメントからのコミットメントは決断という決定的なものではなく、中断というしょせんは一時的なものである、だから勉強の継続が要請される、ということだろうか。
個人的に、第一章の「ノリ」の定義がむしろ面白かった。「ノリ」とは環境とのパターンであるが、不適応ないし苦しみに居心地がよくなるという形で、マゾヒズム的なパターンが形成されることもある、それも「ノリ」の一種である、と。
であるならば、千葉雅也が露悪的・逆説的に書くように「勉強はノリを悪くする・キモくする」(周囲から浮く)だけではなく、「ノリがよくなる」(周囲と調和する、これまでの自分からは浮く)という結果を招くことにもなるのだろう。僕はそのために勉強したいと思った。
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私は勉強が好きなつもりだ。
その「勉強」について深く考えて見たくて読んだ。
ちょっと難しかったかな。
しかし、「勉強とは自分を破壊して、違うノリにうつることだ」という考え方は、転職を目前にしている自分としてはなんとなく共感できる部分があった。
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勉強してノリが悪くなり、さらに勉強して新たなノリへ。
序文で言っている意味がすんごくよくわかってぴかりーんと天啓を打たれた気分だった。
あらゆることに造詣が深くユーモアたっぷりなのにたまにアイロニーの渋さのある知り合いの数々が思い浮かんだ。
私の教科書となった。
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アイロニーとユーモアのくだりはよかった。
ただ、全体的に内容はうすかった。
まあ、でもよかった。