現代に生きる過去の話
2017/08/31 09:59
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投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
アイヒマン裁判は、世界の注目を浴びました。ホロコーストに加担した、それも重要な役割を果たしたアイヒマンは、ユダヤ人からすれば悪魔に等しいです。それをアーレントは平凡な人間だと言い、ユダヤ人仲間から批判を浴びます。しかし、彼女は、ホロコーストを肯定したのではないのです。平凡な人間が悪に走ることが問題なのだというのです。アイヒマンを悪魔だと言えば、そこで思考が停止します。しかし、平凡な人間であれば、なぜ彼が悪に走ったのか、もっと考えねばならないのです。平凡な人間が大悪に走ることは、現在でも繰り返されています。それのメカニズムを解明することこそ、それを防ぐ第一歩なのです。それをアーレントは、知らしめてくれます。
誰もが持つ陳腐さ
2021/05/22 21:22
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投稿者:第一楽章 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ナチ政権下のドイツで、強制収容所に集められたユダヤ人をアウシュヴィッツをはじめとする絶滅収容所に移送する実務の責任者だった、そして第二次世界大戦後は身分を隠しアルゼンチンで潜伏生活をしていたアイヒマンの裁判報告です。ただ単なる報告に収まるものではなく、多くの突き刺さるメッセージが散りばめられているので、諦めずに読んで良かったです。巻末の訳者解説から読むと、“読みどころ”が見えていいかもしれません。
副題の”陳腐さ”というのは奇妙に響きます。本書は英語版を基本にしていますが、英語版タイトルで「陳腐さ」に相当する単語は banality です。オックスフォード英英辞典によれば、それは the fact or condition of being banal; unoriginality と説明されています。banal は so lacking in originality as to be obvious and boring とのこと。特別なものではなく、むしろ退屈なものを指す語です。
ホロコーストという歴史に悪い意味で残る(そして忘れてはいけない)所業の実務者であったアイヒマンの何が「陳腐」なのか。アーレントは次のように断じます。
「彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった。(中略)彼は愚かではなかった。まったく思考していないことーこれは愚かさとは決して同じではないー、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。」(P.395)
アーレントはアイヒマンを、何かとんでもない「モンスター」でもナチの大立者でもなく、その犯した罪に比べれば極めて小物の公務員として見ており、考えることなしに無批判にシステムに最適化しようとしたその姿勢を「陳腐」だと断じています。こうした見方に加え、国際法廷ではなくイスラエルの地方裁判所で開かれた裁判自体の正当性、アイヒマンの移送実務に協力したユダヤ人団体の存在など、アーレントは極めて冷静で公正な視点で裁判を見つめています。
例えば、旧軍人や叙勲されたユダヤ人などは、他のユダヤ人とは異なる特恵的な扱いを受けたことに対しアーレントは、
「以前からナチが認めていたはっきりしたカテゴリーに応じて苦しみを免除することのほうだったということである。これらのカテゴリーをドイツのユダヤ人は最初から抗議もせずに受け容れていた。(中略)これらの特恵的カテゴリーの容認において最も有害なことは、自分を<例外>とすることを要求する者はすべて、暗黙のうちに原則を認めてしまっていたことである。しかしこのことは、優遇的な処置を要求し得る<特例>のことで頭がいっぱいになっているこれらの<善良な人々>ーユダヤ人たると非ユダヤ人たるとを問わずーにはどうも全然理解されなかったらしい。」(P.184~185)
と、皮肉を込めて難じています。わたし自身だったらこうした<特例>を求めずにいられるだろうか…と胸に手を当てたくなるくらいですが、身に覚えのある当事者であれば同胞から自身に矛が向けられていると感じても致し方ないでしょう。
こうした眼差しゆえに、また上述のように誰もが心穏やかでいられなくなる鋭い思索ゆえにという点もあると思うのですが、この本の出版前から一大スキャンダルとなり、ユダヤ人の友人たちを失うという代償を払わされることになります(矢野久美子『ハンナ・アーレント』、中公新書)。
過ちを繰り返さないために
2020/11/22 14:37
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
善悪二元化を許さない、アーレントの深い洞察力に脱帽します。歴史の流れによって、第2第3のアイヒマンが生まれてくる危険性を感じました。
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
元々「イェルサレムのアイヒマン」という邦題だったのを一般的な「エルサレム」という表記に合わせて改題して装丁もA5から四六判に変えたが訳文は同じ。なので文体が硬いし古臭い。おまけに読みづらい。みすず書房は「ユダヤ人問題の最終的解決」を専門にする研究者の手で改訳した上で最新の研究成果に合わせた解説を入れたらどうだろうか?「兵士というもの」のように大木毅は中田整一の「ドクター・ハック」を読んでいるので平凡社の編集者が書いたのであろう著者紹介で「トレイシー」の存在を知る事が出来たのに明らかに読まないで邦訳者に「多くの非常に有益な助言をいただいた」ような事や「〈和解〉のリアル・ポリティクス」の著者のようにドイツ民主共和国のあり方は無視した上に、みすず書房の公式ホームページの連載でドイツの国籍を論じた時にヴォルフ・ビーアマンのDDR国籍剥奪は触れなかったり「スペイン内戦と国際旅団」のように売買春を禁止したはずのスペイン共和国の軍隊に身内が国民戦線に投じた女性を慰安所に送り込んだのに「慰安婦」ではなく「街娼」と訳したりした事はやめてほしい。
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ナチス親衛隊の中佐として、アウシュビッツを始めとする各収容所へのユダヤ人移送責任者として、ホロコーストの最高責任者とされたアドルフ・アイヒマンは、1961年に潜伏先にアルゼンチンでイスラエルの秘密部隊モサドにより捕らえられ、イスラエルでの裁判の結果死刑となる。
「ドイツ万歳。アルゼンチン万歳。オーストリア万歳。この3つの国は私が最も親しく結びついていた国々です。これからも忘れることはありません。妻、家族、そして友人たちに挨拶を送ります。私は戦争と軍旗の掟に従わなくてはならなかった。覚悟はできています。」と語って絞首台に向かったアイヒマンとこの裁判について、20世紀を代表する政治思想家であるハンナ・アレントがニューヨーカー誌への連載という形でまとめた記録集が本書である。
本書の歴史的な意義は2つある。それは、ホロコーストという人類の歴史における最大の”悪”が、実はアドルフ・アイヒマンという極めて陳腐な人間によってもたらされたという点を明らかにした点である。イスラエルによる裁判で語られたアイヒマンの供述からは、彼が自らの昇進のことしか考えられない(しかし、だからといって社会を欺いたり、巨悪を働くようなずる賢さもない)小役人であるという姿が浮かび上がってくる。
もう一つは、1点目に関連して、いかにナチスという組織が官僚的なメカニズムで組成されており、システマティックにホロコーストがなされたか、ということを示した点である。本書の中でアイヒマンが語ったホロコーストの実態とは、
・欧州各地で収容所に送られるべきユダヤ人は誰で人数はどの程度か?
・割り当てる収容所をどこにするか?
・収容所へ移送する鉄道のラインとスケジュールは?
・収容所での虐殺の計画と空きキャパシティから、いつ新たなユダヤ人を送り込むべきか?
といった極めてオペレーショナルな問題への諸対応であった。さしずめ国際物流を営むオペレーターのような形で、アイヒマンは淡々とそうした問題を片付けていく。そこには自らが悪をなしているという実感はなく、単に官僚制的なシステムが人を動かしているようにも見える。
概念としては理解していた上記のようなポイントが、本書を読むことにより、リアルなものとして伝わってきて、様々なことを考えさせられるProvokingな一冊。
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ちょうどこの本を読み終わった日の朝刊にポーランドで、ナチスによるユダヤ人のホロコーストに「ポーランド人が加担した」などと記載すること禁ずる(罰則付き)法案が可決されたという報道が。
アーレントが読んだらどう思うだろうか?
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やっと読み終えることができた。全部読んだ自分に拍手。
訳者である大久保和郎さんの解説、その後にある、山田正行さんの新版への解説の二つを読んで、本編に入ることをお勧めする。基本的にエピローグと追記以外は、アイヒマン裁判を傍聴したアーレントの報告書的な感じなので、彼女の思想だったり、悪って何?みたいな問いは登場しない。最初からそういうのが出てくると思ってた自分は、肩透かしを食らった。なので、二つの解説を読んで、本書の流れ、時代的立ち位置、出版後の論争などを知った上で、読んだ方が数倍面白いはず。
にしても、ドイツ生まれのユダヤ人である彼女が、全く感情的にならずに、どちらかに肩入れすることもなく、客観的な視点で、人間の本来の悪の陳腐さを分析したことが凄まじい。ただ一貫して彼女の文章の背後に、アイヒマンへの並々ならぬ怒り、正確に言えば彼のような人間を作り出した社会システムへの怒り、を感じた。
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アルゼンチンから拉致したアイヒマンをエルサレムで法廷に引きずり出した、その裁判の話。前代未聞の犯罪と、一方で国際法を無視してのこの裁判という、法哲学的にも深い本。
ヒトラー暗殺計画に携わった人たちは道徳的な問題についてではなく、無謀な戦争でドイツを敗北させてしまうことからヒトラー暗殺を企だてた。アイヒマンもユダヤ人を殺害することそのものには良心の呵責を感じなくなっていて、それは他の多くのドイツ人もそうだったという指摘。ナチに属さない政府高官もヴァンゼー会議で全く反対しなかったことや、ユダヤ人自身が絶滅に協力していたこと。デンマークやイタリア、ブルガリアの抵抗や、反対に過剰に協力したルーマニアやスロヴァキアなど国ごとの違い。そういった話もこの本を読むまで知らなかった。
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ナチスの大量虐殺がどのように生まれたのか、その主犯格の裁判の様子を本にしたもの。
悪の陳腐さの副題通り、ハイヒマンはただヒトラー、ナチスに認めて貰いたかっただけ。
入党の理由として、就職難でたまたま入っただけ。
それが、虐殺の理由。途中から人を殺す感覚が麻痺して来た。
自分で考えなくなることがいかに危ないか、また人は認められたいという理由でも人を簡単に殺せる。
人の本質的な一面を捉えた本。
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誰もがアイヒマン状態になるのか?自分の出世を考え、自分はユダヤ人の専門家であることを誇りに思っていた。どこで間違った道に進んでいたのか?
単なる歯車ではなかったとアーレントは言う。上からの命令を無視してまでして実行する。
そして結果として六百万を越えるユダヤ人の死者が出る。色んな国からユダヤ人を鉄道に乗せ移送する、ただこれだけのことをして直接には手を下していない。
また、ユダヤ人の国民国家イスラエルでの裁判でもあった。アイヒマンが生贄となってユダヤ人が連帯感を持ったようにも思える。
本書の大半は報告書になっていて事実関係の羅列になっている。そして、あまり面白くない。最後のエピローグと追記で、考察を行っている。ここがなければ、評価はもっと下がっていただろう。
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カタチ的には一周したが、まだ読めていない。
読んでよかったし、今読んでよかった(若いころだとたぶん、ほとんど、今よりもずっと、この本の意義がわからなかったと思う。いまは、意義があることだけは、すごくわかる)
ヒトラー率いるドイツ帝国の、ユダヤ人問題の〈最終的解決=絶滅〉において、ユダヤ人を殺戮収容所に輸送する任務に着いていた、アドルフ・アイヒマンについて書かれているこの本は、ずっと思っていたように、舌鋒鋭く「陳腐な悪」を断罪するものではなかった。これは裁判記録ーーしかも、不親切なほど注釈が少ないーーである。
「ザ・ニューヨーカー」で連載されたこの報告(レポート)は、エルサレム裁判の法廷のようすからはじまり、主に、裁判で(または裁判の前に)明らかになっている「ユダヤ人の輸送」について、順を追って述べている。
正直なところ、歴史や地理、人名がほとんど分からないので、「本書の大部分には、ユダヤ人の輸送が、各国や地域の状況に応じて進められてきたことが書かれている」ことしか読み取れていないが、これらの部分の、アイヒマンのどちらかといえばつまらない人物像と、「その裁判の場がどのような意味を帯びていたのか」「裁判でなにが裁かれているのか」を語るとき、筆者の思いが強くなっている、気がした。
また、ドイツ帝国のユダヤ人絶滅にかかわる要求に対して、各国が軒並み肯首するなかで、政治的理由からデンマークが、人間的?文化的状況からイタリアが、簡単にユダヤ人の迫害に協力しなかったこと、また、逆に、ルーマニアはドイツより早く、むごい形でユダヤ人を虐殺し、引き際もドイツより早かった、という部分が印象的だった。
たぶん、この本の宣伝文句に取られている、読みどころでもある部分は、「エピローグ」と「追記」だろう。「エピローグ」でアーレントは、けっきょくアイヒマンが何によって裁かれるべきだったのか、その唯一の理由を、判事による仮定の呼びかけの形で語る。また、「追記」では、この本が巻き起こした論争を整理したうえで、この本が扱っている問題について、改めて述べている。
彼女によると、アイヒマンは、かつて例のない、そして、人類の未来に再び起こりうる、起こった時点の法では裁き得ない罪、すなわち「人類に対する罪」によって裁かれるべきである。たとえば、国家の政策としてある民族を追い出すとか、利害関係のある国の人間を大量に殺すとかではなく、その必要がないのに、無意味に、ある民族を地球から殲滅する計画に服従(服従とは支持である)した、というのが、彼の罪であるという。
また、後者について、アーレントは「どの程度までエルサレムの法廷が正義の要求を満たすのに成功したかということ以外には何も語っていない」という。すごく俗っぽく大雑把に、言葉ではなくこの部分から受けた印象を述べるならば、「あることを一般化しすぎたり矮小化しすぎたりするのではなく、ひとつの、この事象のなかに、人間が正義や法を考えるための『なにか』がある」という感覚とか、「それが何なのかという考えを拙速に導こうとしたり、本に書かれてい��ことの一部を取り出して賞賛とか批判とかを加えたりするのではなく、ただ、きちんと事実関係と関連する文脈を追って、ひとのことばやアリモノの思考に頼らず、自分で意味づけすべきだ」という信念とかを、このあたりは述べている気がする。
いずれにせよ、まごうことなき名著だし、この本が世界にある意味とか、人が思考し語り残すことの意味みたいなことをきちんと思ったはじめての本かもしれない。
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思ったのは、それが官僚的組織の宿痾であれば、なにをどうすれば正しいことが行われるようになるんだろうということ。
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まったく思考していないこと、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。
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エルサレムでのアイヒマンの裁判ー元ナチ親衛隊中佐でユダヤ人移住局長であったアイヒマンのユダヤ人強制移送を裁く裁判ーの取材報告。
著者は心理学者アーレント。アイヒマンと同い年でナチ政権発足後にアメリカに亡命した人物だ。
アイヒマンの犯した罪は、出世欲の強い人物の思考停止、想像力欠如が生んだとアーレントは指摘している。
たとえその背景に全体主義的統治、あるいは官僚制が人間を「行政装置の中の単なる歯車」に変える実態があったとしても、その罪は赦されるものではないとも書いている。
アイヒマンは裁判中、口元を不自然に歪めていたそうだ。恐らく神経症状ではないだろうか。
それで官僚制的日本企業に勤めていた頃に大嫌いだった上司を思い出した。その上司も出世欲が強く、上層部の指示に絶対服従し、自分の言葉を持たない人物で、目元が時折不自然に釣り上がる癖があった。
私自身が感じていたその上司や官僚制的日本企業に対する嫌悪感の正体を本書に見たように思う。
文章が読みにくいので星4つとしたが、日本の官僚制的組織で働く人に勧めたい本だ。
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特に思想もない平凡な人間が、想像力の欠如により、ただ保身に走り非道な行為をすることの衝撃。思考しないことの恐ろしさ。