長州藩が滅びるべきだった
2017/08/26 22:50
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投稿者:hiroyuki - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治維新(という言葉はないと著者は言うが)を成し遂げた薩摩と長州が、如何に非道でいい加減だったかが良く分かる。総理を一番出しているのも長州だし、今の日本の堕落の元凶である。
明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト
2023/04/29 09:34
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投稿者:キクちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
3部作のうちの最初の巻。小中高校と大学2年までの教養過程では、全く教えられていないこの国の真実が、記されている。ぜひシリーズで3巻目まで読んでほしい。文学小説による間違った歴史の姿に翻弄されている御仁の目が開かれること必至。
歴史に疑問を持てば・・・
2019/05/08 10:10
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投稿者:若鷲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
教えれれてきた歴史に疑問を持てば、筆者の述べていることは大いに納得できる。
少々偏りすぎな感じはしますが・・・
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この手の本は私見の塊で偏見の見本と言っていい。公平な歴史評価をしたいといいながら偏った意見に満ちている。歴史を再評価したいなら根拠を冷静に紹介すべきである。また歴史家にありがちな司馬遼太郎からの呪縛にも憑りつかれている。
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投稿者:kotom - この投稿者のレビュー一覧を見る
面白いが、トンデモの類い。トンデモ好きの人にはおすすめ。
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投稿者:Ted - この投稿者のレビュー一覧を見る
文章が下手な人だなあと思った。こんなんでよく歴史学者を語るものだ。奇書怪書、トンデモ本と呼ぶにも値しない。
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官軍史観・百五十年の偽りを暴く刮目の書
明治維新とは、日本を近代に導いた無条件の正義なのか? 幕末動乱期ほど、いい加減な美談が歴史としてまかり通る時代はない。維新の成り立ちに疑義を申し立て、この国の「近代」の歩みの偽りを暴く超話題作。
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言いたい事はわかるのですが、文章が情緒的でいろんな事象、意見が散見。歴史を違った側面から見よ!いう事が残念ながら読者に届かないかと思います。
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言いたいことは分かるが、文章が感情的。また、真実であるとするなら、1次史料を中心に挙げるべき。論文ではなく随筆になってしまい、真実味が薄れる。これでは、長州というテロリストに洗脳されている人達には響かない。
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著者の原田伊織氏は、京都に生まれ、大阪外大を卒業し、広告代理店勤務、編集ライター等を経て、2005年に私小説『夏が逝く瞬間』で作家デビューした。本書は、2012年に発刊、2015年の改訂増補版がベストセラーとなり、2017年に文庫化されたもの。本作品発表後、幕末維新をテーマにした多数の本を執筆している。
本作品は、著者によれば、「私たちが子供の頃から教えられ、学んできた幕末維新に関わる歴史とは、「長州・薩摩の書いた歴史」である・・・本書は、「長州・薩摩の書いた歴史」のポイントには触れるものの、それを改めて克明になぞろうとするものではない。読者諸兄は、学校教育やその後に接した著作物などを通してそれは十分ご存知であるとの前提に立ち、それが御一新の史実とどういう、或いはどれほどのギャップをもっているかを整理しようと試みるものである。即ち、大仰にいえば世にいう明治維新を一度「総括」しようという試みである」
E.H.カーは歴史学の古典『歴史とは何か』の中で「歴史とは現在と過去との対話である」と述べているが、歴史とは、“史実(真実・事実)”を、その歴史を書いた時点において、書いた人間・集団にとって有用と考えられる視点から“解釈”した(因果関係を見出した)ものである。従って、幕末維新の歴史が、その後権力を握った長州・薩摩(・土佐・肥後)に都合よく書かれたとする、著者の主張に相応の納得性はあり、私も、石光真人の『ある明治人の記録』や大河ドラマ「八重の桜」などの様々な記録・作品に触れて、明治維新の表面的な記述に偏りがあると感じているのは事実である。
本書で取り上げられた個々の事柄の史実がどうであったかについて、現在の我々は残念ながら明確な判断材料を持ちえないが、多くのケースは一つの史実をどのように“解釈”するかに差異があり、結果として、その史実の(更には、多数の史実を包括した“明治維新”)の捉え方が肯定的であったり、否定的であったりするのではあるまいか。
過去を多角的に捉え、自らの歴史観(日本近代史観)を作り上げる上で、有用な一冊と言えるのではないだろうか。
(2017年7月了)
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今まで歴史として教わってきた幕末から明治維新の出来事が勝者である薩長によって「都合のよい」ように伝えられたものであるという論調でまとめられていて興味深いものだった。幕末の英雄と呼ばれる人物たちの見方も変わってくるような印象を受けた。
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最初は全く理解出来なかったが
読み進めているうちにわかってきた。
歴史を知らなさすぎる
自分を恥じた。
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う~ん。。。。
恥ずかしながら日本史には全く疎い身であっても
幕末薩長の非道ぶりについては、会津関連の読み物をいくつか読んできてある程度の理解はあった。
筆者の言う「維新志士=成功したテロリスト」論も、なるほど確かに納得もいく。
薩長が中心となって為された御一新であるためその後の歴史教育は必然的に“官軍教育”でしかない・・・という筆者の主張も、なるほどなと思う部分は多々あった。
しかし!
しかし、いかんせん、論調が激しすぎやしまいか?
薩長土肥を悉くテロリストだの逆賊だの、維新志士と呼ばれてきた者たちをならず者だの出自は身分の卑しい者だの・・・。
主張の大筋(方向性)が共感に値するだけに、その極端な表現手法が残念だ。こういう書かれ方をしたら、著者曰くの官軍教育を受けてきた者には、反感が先に立ち 冷静に筆者の主張を深く考えようとしない者の方がお多いだろう。
反感を買わない論調で、「こういう歴史の捉え方もあるのだと知っておいてよ」的な表現がなされていたら、より多くの賛同も得られるだろうと思った。
★3つ、7ポイント半。
2017.08.31.新。
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佐幕派を善玉・討幕派(特に長州・水戸)を悪玉に見立てて描いた明治維新。
長州藩をテロリストだとか、水戸学は滅茶苦茶だとかボロクソにけなしていて痛快。
長州藩はその後も日本を牛耳り続け、大東亜戦争の敗北をもたらしたという悪玉史観です。
戊辰戦争時の長州軍の悪行も描いています。こういった暴行・略奪の伝統が続いていたとしたら、大東亜戦争中に中国大陸で日本軍が同じようなことをすることも十分あり得ると思うのですが、著者原田伊織氏はその辺どう考えておられるのでしょうか。
思えば長州閥は今でも日本を支配しているようなもんで、戦後日本で最低最悪の総理大臣・安倍晋三などはその代表例でしょう。
いうまでもなく安倍晋三は山口県出身であるし、著者が本書でボロクソけなしている吉田松陰を尊敬しているというし、「明治150年」とか言い出しています。
原田伊織氏は本書の中の随所で民主党鳩山政権を批判しています。本書執筆時は民主党鳩山政権時代だったのでしょうか。
しかし、本書の論調からいくと、その批判は戦後日本で最低最悪の安倍政権に向けられるのが順当だと思います。
思えば、2017(平成29)年現在の日本は幕末から明治維新の時代と相似形を成しています。
佐幕派が護憲派で、倒幕派がジャパンハンドラーに操られた改憲派と例えることができます。
現代の水戸学というか、歴史修正主義の愛国ポルノが書店で山積みになっています。
そして現代の長州テロリストまたは言論テロリストとでも言うべき連中が言論界やネット界を支配しています。
世良修蔵の如き者はどの時代にもいるのですね。大東亜戦争時にも蓑田胸喜などがいたのですが、今の世にもネトウヨ養成番組を見ればウヨウヨしています。
我々良識ある者はそういった連中に屈してはなりません。
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20171031/p1
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明治維新、太平洋戦争、そして安倍政権に至る現在まで、長州の影がずっと射しているんだよなあ。
この怨念はどうにかならぬものか。