理科系人と “一般人” とのギャップに気づかせてくれる
2011/03/17 20:38
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投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
科学者と一般人とのコミュニケーションについての本だが,理科系の自分にとってはかんがえてもいなかった部分がある. こどもに科学がきらわれていることは感じていた. しかし,この本ではとくに物理がきらわれているが,その理由がそれがむずかしいことにあって,著者の分析によれば物理が論理的であり抽象数学的で知覚との対応がつかないことだという. たしかに相対性理論や量子力学を知覚するのは困難だが,高校までの物理は論理というより直感的なものだとかんがえてきたので,私の理解とは正反対だ. このギャップをどうやってうめればよいかはわからないが,うめるべきギャップに気づかせてくれた.
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投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
オープンサイエンスの高まりから、科学的知見をわかりやすく説明する職業?(趣味に近い)につく人が増えてきている。よくテレビや軽い書籍の執筆を行っている人は本書のように、科学コミュニケーターであろう。その実際と理論がかかれている珍しい書籍。
正念場を迎える科学コミュニケーション
2011/04/19 22:04
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の刊行日は2011年2月15日。著者も出版社も、刊行後すぐに科学コミュニケーションの「正念場」を迎えることになろうとは、想像すらしなかったであろう。著者の元々の専門は「素粒子物理学」「原子物理学」という。おそらく原発にかかわったことなどないであろう。しかし、3月11日を境にして、多くの一般人にとっては、著者は「向こう側」の人になってしまっているのである。
この東日本大震災においては、地震や津波予知や防災そして原子力発電と、現代の科学技術をめぐる論争も巻き起こしつつある。「やっぱり、原子力は危ないのだ」と「今、ここ」で批判をすることは、実は容易なことであろう。ましてや、原子力による電力の恩恵を少なからず得てきたことを自覚しているのであれば、なおのことである。「今、ここ」で考えるべきことは、もっと他にあるのではないか、と足踏みをせざるを得ない。かといって批判の対象を、東京電力や政府の対応に絞ることも、それが必須のことであったとしても、問題を矮小化してしまってはいないかと感じてしまう。
実は本書の趣旨も、同じようなところにあるのではないだろうか。
本書が展開するのは、単に「理科離れをふせぎましょう」「科学をもっと身近なものに」といったレベルの話ではないし、ましてや科学コミュニケーションの正しいあり方、を示すものでもない。まずは、コミュニケーションとはどのようなものか、といったところから思索を深めている。従来の類書が、科学史や科学社会学などの蓄積に立って、「科学とは何か」といった視点から論じようとしていたことに対し、本書は心理学や脳科学などの知見にも視野を広げた上で、共感と共有を重視する論旨を展開する。著者自身の出自は物理学なだけに、精密科学からほど遠いと思われる心理学までの目配りを行なうのは、やや意外な展開と言ってよいかもしれない。いわば物理学者から歩み寄ろうとしているのである。たとえば、「物理学が難しい理由」というタイトルで1章を設けているところにもそれがよく現れている。
コミュニケーションとは、相手があってはじめて成立するものである以上、著者の論旨はごくまっとうな道と言えよう。この「震災」や「原発」が大いに問題化している現在、どのような科学コミュニケーションが行なわれるべきなのか、志ある人はきっと賢明に考え、行動しているものと信じたい。実際に、この状況下でも成功事例をいくつか見出すことができる。津波時の避難指導を学童に行ない、そのほぼすべてが生き残ったという防災教育の話は、文字通りのコミュニケーションの成果であろう。そして、福島第1原発で冷却活動を行った東京消防庁。危険な地に乗り込んだという行為以上に、マスコミを前にした明快な説明と率直な感想は、成果以上の説得力をもった。そして、対策の現場というものへの想像力や共感というものを、多くの国民に教えてくれたのではないだろうか。
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前半の、科学コミュニケーションが今後の社会において大事であること、日本はそれが育ちにくい土壌であることなどの考察は非常にいい。
しかし、後半でその回答が提示されるのかと思いきや、科学コミュニケーションが環境のために大切とかいうイデオロギーを語るだけになってしまって、特に回答は示されない。
前半の文章に非常に期待を感じただけにガッカリ感が凄まじい。
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[日販MARCより]
そもそも人間は論理的ではなく、日本人の科学への関心は低い。ますます必要とされるのに、どうすればいいのか。科学と人間のあり方を根本から問い直す、新しい「科学コミュニケーション」論。
[BOOKデータベースより]
科学の専門家と一般の人をつなぐ—そんな試みが、いま世界中で行われている。だが、なぜ科学と向き合う必要があるのだろうか。そもそも、どうして科学はわかりにくいのか。“人間”と“科学”を改めて見つめ直すなかで、科学と、科学とともに歩むことの意味を考える。
第1章 科学コミュニケーションとは何か—情報伝達と共感・共有の違い;
第2章 物理学が難しい理由—人間の脳と思考の傾向;
第3章 アダムとイブの子孫としての私たち—進化による考え方の形成;
第4章 合理と神秘の間に揺れてきた歴史—科学という強力な道具;
第5章 科学への向き合い方—文と理の分裂の地域差;
第6章 第三の方法へ向けて—共感・共有のための可能性;
第7章 バベルの塔—人類と科学の責任
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題名は『科学コミュニケーション』だが、科学コミュニケーション活動や手法ついて書かれたものではない。
科学コミュニケーションがいかに難しいか(なぜ科学は難しいのか)、その理由を様々な視点から解説している。
「物理学が難しい理由」、「進化論を交えた人間の考え方の傾向や適正」、「科学の歴史」、そして「国による文化の違い」。
いずれも科学コミュニケーションを行う上で頭に入れておくべき内容だと思う。
後半は、「科学はつまらないもの」であり、コミュニケーションギャップを埋めるためには、お互いの世界観の共有と共感が大事とのことで、教育と宗教を事例にあげ解決策を考察している。
ただ、終わりに向けてやや感情的な印象を受ける。
これは、あとがきにある、作者が科学コミュニケーションについて考えるきっかけになったエピソードを読むと納得するのだが、前半に比べると読みづらい。
前半だけ読んで、解決策は自分なりにを模索するのもいいだろう。
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人間は進化の過程で集団で生きることを選択してきた。集団にとってプラスになることを考えることが自分の生存につながる。つまり「相手の心をわかりたい」。新しい刺激が入ってきたとき、脳内の「わかるための枠組み」に位置付けて分かろうとする私たち。その枠組みが世界観。枠組みは個人の経験によって違うから刺激に対する解釈も無数。世界観には日常的・歴史物語的・科学的・神話的いろいろ。教育では、いかにおもしろい世界観を提供して子どもたちに事実から何かを発見したり気づいたりかんがえたりを楽しんでもらうかだよね!
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第1章 科学コミュニケーションとは何かー情報伝達と共感・共有の違い
第2章 物理学が難しい理由ー人間の脳と思考の傾向
第3章 アダムとイブの子孫としての私たちー進化による考え方の形成
第4章 合理と神秘の間に揺れてきた歴史ー科学という強力な道具
第5章 科学への向き合い方ー文と理の分裂の地域差
第6章 第三の方法へ向けてー共感・共有のための可能性
第7章 バベルの塔ー人類と科学の責任
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サイエンスコミュニケーションの教科書というよりは、比較文化、世界観的なところで風呂敷が広がっていて面白かった。
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サイエンスカフェに対する違和感の正体がわかった。
日本人はまだその段階に達することができていないのだな。
2~5章の話なら、村上陽一郎の本を読んだほうが良い。
あとがきの参考図書だけ、参考にさせてもらおうと思う。
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数あるコミュ力向上の啓発本を読んだ人、これを読め。
コミュニケーションとは発注と納品で、その齟齬を改善するしかない。
科学を好きにさせる。そう意気込む人はいるが、それは発注されているものなのか。理系の人は発注と納品の観念が薄い。
一般人はそもそも科学を本質的に好きじゃない。なのに「科学はいいぞー。」「科学たーのしー。」と価値観を押し付けても決して伝わらない。
そこで必要なのが、「方法と世界観」だという。もっと非理系のひとが分かりやすい具体例と経験を与えることがよりよい「科学コミュニケーション」になるという。
この本は教育の本にカテゴライズされるのかな。科学的思考を一般人にとって身近なものにする。科学サイドが一般人にとってわかりやすいものになるように譲歩するようにする。
けっきょく、教育の革新ってマイノリティを育てるだけである。そういう寂しさも覚えた。ここにあるような科学的な思考とかをご老公たちにどれだけ身に着けてもらえるか。それをしなければ日本社会、いや世界規模の社会は大きく動かない。子供たちは変えることができるんだ。マジョリティである大人たちが変わらなきゃあ、世の中良くならない。大人たちへのアプローチ、その「大人へのコミュニケーション」が大事だなと思った。
これからのネット利用は、知的レベルが低いほど情報の偏りが大きくなるであろう。だからこそ科学コミュニケーションという名のニュートラルでリアリスティックな見方も重要視される。そう思った。
「時間の使い方」本当に大事。ネットの登場で情報処理が加速して、情報の扱いが雑になった。効率化とはいえ、丁寧さを失っては本末転倒だということを心に刻みたい。
あと「おわりに」の去り方が颯爽としている。
この著者の今後の本も読みたい。そう思える人柄が本の内容から伝わってきた。よかった。
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科学コミュニケーションそのものというよりは、科学コミュニケーション以前に身に着けるべき心構えについて、著者独自の考察から書かれた本。
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科学側にいるものとして、どう伝えていくべきか考えることもあり、図書館で借りました。
1,2章あたりは科学コミュニケーションの定義やなぜ伝わらないのかといった内容で、興味深く読めました。人間は論理だったことは本来苦手だったり、情報はなかなか伝わらないため共感を生むのが大事、など。
中盤以降は科学の歴史や事例を紹介しているのですが、科学コミュニケーションのための手引きとかではなく背景的な内容が多く、読むのが疲れました。
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タイトルに反して科学コミュニケーションそのものについての話は少なく、そこに到るまで前置きがかなりの部分を占めている。
前置き部分には過剰な単純化を疑わせる部分がいくつかあり、そのまま受け入れることはできなかった。
科学コミュニケーションそのものについては、
(1) 科学コミュニケーションの手段として共感・共有のコミュニケーションを採用した場合に、それがカルト宗教や軍国主義に見られるのと同様の洗脳に近づいてしまう危険があるという指摘。
(2) 科学嫌いの人がいることを是認することの重要性の指摘。
に関しては有用だと感じたが、それ以外にはあまり意義深いものを見いだせなかった。
逆に著者が(2)を念頭に置いて半強制力な科学コミュニケーションの方法を模索している点は理解に苦しむ。