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投稿者:なま - この投稿者のレビュー一覧を見る
筆者が京都大学に入学したとき「京都大学は諸君に何も教えません」という祝辞をいただき、度肝を抜かれたそうです。大学と、それまでの教育の違いをはっきりとさせる言葉だなあと思いました。
高校生、大学生に読んでもらいたい。
2018/09/28 12:13
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投稿者:ら君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
学習と学問の違い、高校までと大学との違い、社会に出てからは答えがひとつではないことを読んでわかりやすく述べておられます。
だからと言って、学生だけに向けた本ではありません。
形容詞と予測変換に頼るラインやメールのやり取りへの疑問など、社会人も深く考えさせられる内容でした。
学生も社会人も、これからの自分のために読む価値のある本だと思います。
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
正しい答えと答えのない問題に対して学習から学問へ、勉強や読書は世界と向き合うための基盤を作ってゆくといったことを通して、自らが考えて最善手を模索するための知の体力をつけることを希求している書。
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
理系の典型的な学者さんだと思っていましたが、ちょっとイメージが違ってきました。数年前に、読んだ時、「答えは必ずある」などと思ってはいけない。「出来あいの言葉で満足するな」「群れるな、孤独になる時間を持ちなさい」などなど。
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大学生全員に読ませたい本。今の若者たちは、「知」への意欲が低すぎる。それは、大学側、国側の責任でもあるが。
大学で学ばないことの責任を引き受けるのは若者自身。ぜひ、欲的に学問をやってほしい。
私は大学4回生であるが、筆者の意見には大いに賛同する。以下、参考になった部分。
*外国の研究者は発表が上手い。皆、その研究が社会的にどういう位置づけにあるのか、どういう観点で意義があるのかを丁寧に説明している
*研究者としての適性は、他人の研究をどれほど面白がれるかで決まる
・その適性が測れるのが、他人の発表を聞いたときにどれだけ質問できるか、ということである
*講義の内容にウソを入れ込む
・「時々、講義の終わりに近く、『さて今日、私が話した内容にはウソが一つあります。次回までに、どこがまちがっていたか、考えておいてください』などと言って、学生を驚かせている。」
*そもそも大学で試験をするのに、なんの意味があるのかと、私は思っている
・大学が、学生の質を保証などする必要はないだろう
・森先生などは、そこに何らかの価値を置いていなかっただろう
・大学は、学生が主体的に学ぶ場である。なぜ大学側から、試験などをして、その人の学習量を測る必要があろうか
*らしくは「同調」を強要するミームだ
*孤独を恐れてはならない。友達など、数だけ多くても意味がない
*二足のわらじを履く意味は、自分を相対化して見れること
*言葉にする前は、何か深遠なことを考えているようでも、実はほとんど何も考えていないに等しかったということはよくあることだ
*一緒にいることによって、自分のいい面がどんどん出てくると感じられる相手こそが、ほんとうの意味での伴侶となるべき存在なのだと、わたしは思っている
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研究者は誰でも、自分の仕事(研究)は面白いし、大きな意味を持っていると思っている。自身がある。研究はハードだ。自分の研究だけでなく、他人の研究にも関心を示す。
勉強するのは、自分では持ちえない他の時間を持つこと。
大学院は能動的に学ぶところ。
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新しい発見がある訳ではないが,高校生から大学生に対する重要な古今東西のメッセージがまとめられている.佐藤優氏の強力なメッセージがこれでもかとまとめられている昨今では,ちと分が悪いか.細胞生物学者兼歌人の立場としてしか発せられないメッセージだと,また雰囲気が変わったのかも知れない.
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大きな期待をして読んだわけではないけど、残念。若者理解が浅いというか、抽象的・二次的にしか分かっていないのに論じている、という印象。老化なのだろうか。大学で接しているから分かっている、と思っているのか。
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二足の草鞋―二つの世界の「私」が相対化しあう
質問をされるからには何か答えなければ、というのは自分への視点(相談事というのは、聞いてもらうだけでいい)
親はおだて上手であること
そんな中で、ある特定の相手の前に立つと、自分が最も輝いていると感じられることがあるとすれば、それはすなわち相手を「愛している」ということなのだろう。
ほんのちょっとした自分の行為を心から褒めてくれる存在があるとき、自分がそれまでの自分とは違った輝きに包まれているのを感じることができる。
どんなに自分が無邪気に輝いていたか
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最近,本を最後まで読む力がめっきり衰え,読了しない本や,読了までとても長くかかる本が続出している.この本もその一つ.
歌人,細胞生物学者の永田和宏さんの京都新聞での連載をまとめたもの.出自からもわかるように,あまり全体にまとまりは強くなくて,話題も分散しがちだが,「知」の現場である大学と教育の話,大学生の話が中心.うんなるほどと頷けるところもあれば,そうでないところもある.京大で研究一筋の生活をしてきた人だからこそ言える正論に,ちょっと私は戸惑い気味.
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堅苦しい本かと思いきや読みやすくてあっという間に読み終えてしまった。
そして永田さんならではの立場から、とてもいい問題提起や意見、エピソードをおっしゃっていて、読み応えがあった。
高校卒業前の親子や大学生にぜひ読んでもらいたい内容であるが、内容は30代超えないと共感・響かないかもしれない。それこそ大学生活を無駄に過ごしてしまった自省からくる共感かもしれないが。
この本で1000円以内の値段でとてもよい読書体験をさせてもらえて感謝である。永田さんがおっしゃるとおり、著者や著書への感謝や尊敬の思いを最近忘れていたかもしれない…。お金払って買ったんだから当たり前、ってなりがちな傲慢な態度は、みんな気を付けた方がいいなと自省もこめ思いました。
コラーゲンを飲むだけ意味ないという話も知らなかったのでびっくり、タメになりました。学習や勉強したことは日々の生活に活用、アウトップットして「知の体力」をつけ、生きていく力をつける。このこと、肝に銘じます。学習や勉強にすべてに意味をもたせようとすることもやめます!
あと、斎藤茂吉が無性に読みたくなりました。笑
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斜に構えた一冊だったけど、おもしろかった。言葉で感情を表現することなど、自分もなかなかその時々にあった言葉を見つけるのに苦労することがあるので、たしかになと納得した。大学教育についても同感だった。大学の選び方については、教授の授業を受けたいという理由で選ぶという視点が新しいと思った。偏差値主義になり、試験の成績だけで大学を選んでしまいがちだが、人間を求めて大学を選ぶのはありだなと思う。親の子離れ。自立を促すのに必要だ。なかなか勉強になった。
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細胞生物学者と歌人を生業とする著者の、理性と感性に満ちた言葉の贈り物だった。
人間は1ミクロンほどの細胞60兆個からなる。長さにして60万キロメートル。地球15周。0-1ミリの受精卵が20年足らずで地球15周もできるだけの長さに成長する。知ることの驚きと感動は、自分という存在を見る目に変更を迫る。このまま何も知らずに人生を漫然と送っていてはダメだ。こんな喜びに出会えないなんて損だと、人を学問へ向かわせる。
学んでから始まるより、始めつつ学ぶ。その都度必要になった知識を仕入れていくことが最も大切な知識への接近
の仕方。
なんだ自分でもやれるじゃないか。世界と自分は地続きだと知ること。安全な方を選び続けていく人生はどんどん人生を小さなものにしていく。面白い方を選べば大抵上手くいく。
第三者の評価はその人が勝手にやっていること自分には関係ないと解き放しておく。自分を位置づけない。敢えて宙づり状態の不安のなかに位置づける。その未決定状態こそ、なにかのきっかけがあった時に推進力となる。
もっと自分の可能性を信じて広げていけ。他人の視線や評価で自分の可能性を小さく限定してはダメ。失敗を恐れて安全な方へ行ってはダメ。
ここだけが世界ではない。逃げ場を作る。すぐ横には別の世界があって、別の涼しい風が吹いている。
自分が最も輝いていると感じるなら、それはすなわち相手を愛しているということなのだろう。輝いている自分に出会うには、鎧わなくてもいい、生身の自分がさらけ出せると、自分の可能性がどんどん開けていく。そんな相手が伴侶となるべき存在。心から愛する人を得ることは、自分の最もいい部分を発見すること。だから愛する人を失ったときに痛みとして堪えるのは、その相手の前で輝いていた自分を失ったから。
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著者も言うように、若い人たちに向けて書かれた一冊。無論、評価のとおり若くなくても著者の考えにうなずけるし、得るものあり。2人の子、特に高3には大学入学前に手にとってほしい、と伝えよう。
207頁は深く同意。銀婚式前に亡くなった妻。後悔ばかりだ。
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知識ではなく、知。知の精神力ではなく、知の体力。ちょっとやそっとでへこたれない、本物の「知」。規定の回答へ収束するのではなく、答えのないことに中腰で耐えられること。大学にもう一度行きたくなるような書物。