差別する側の、差別を必要とする心理。「差別」という古くて新しい問題。
2008/03/23 21:25
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
何かの本に引用されていたので、古い本を探し出して読んだのだが、「差別」という古くて新しい問題にストレートに入っていく本であった。
発表は1947年、原題はReflextion sure la Question Juive「ユダヤ人問題についての考察」。20世紀の戦争で顕著に現れたヨーロッパの「反ユダヤ主義」について書かれたものである。しかし差別を生み出す人間共通の性質を鋭くついていて、読み出すとどうしてももっと普遍的なさまざまな問題を考えさせられることになった。
第一章「なぜユダヤ人を嫌うのか」では、反ユダヤ主義者のいい分が綴られる。「ユダヤ人が、どうしても必要だったのである。でなければ、彼等は、一体誰よりも優っていることが出来よう。・・・打ち砕こうとしていながら、しかも生かしておかなくてはならないという不幸に悩まされている(p28)」。この文章は、江戸時代の「非人」制度を思い起させないだろうか。「人通りの少ない道で、よってたかって、一人のユダヤ人を殴るあの乱暴な若僧達のひとりにたずねてみるがいい。彼は言うに違いない。もっと強力な権力が出来て、自分などがこんなことを考えなければならないという大責任から開放して貰えたら願ったりかなったりなのだと。(p32)」という文章は、ホームレスを「掃除」するといった若者の言葉といっても通るかもしれない。あるいは前の戦争の頃あった、同じアジア人への日本人の差別的な行動と。
サルトルの、作家としての素晴らしい才能の綴る文章に感情を引きずられてしまっただけかもしれないが、、どうして人間はこういう行動に落ち込んでいくのだろう、という怒りや悲しさを感じる。人間は「より下」を作ることで、自分のポジションを確認し安心することがある。異なる誰かを「貶める」ことでなく、「容認」しさらに「共存」となれるほどは差がない、自分に余裕がないときにそうなるということだろうか。人間というよりは「社会性動物」の性質としてそうなのだろうか。
中盤になると少々冗長な感じもでてくる。要点だけもう少しだしてほしいといいたくなるような、筆が走っている描写が続くところもある。「ユダヤ人とはなにか」の章はフランスの、書かれた時代の特殊性が強いこともあるだろう。解決方法に「社会主義革命」が出てくるあたりにもサルトルの、というかあの時代の限界のようなものも感じた。
それでも、「ユダヤ人があるのではなく、反ユダヤ主義がある」というサルトルの観点は意味が深い。もちろんユダヤ民族が宗教的に「選ばれて苦しむ」という考えを持ってきたことにも関係がないとは思わない。しかしそのことは「差別する側の心理」を無効にするわけではないのである。
もしかして「いじめ」にも通じる「差別の心理」。古くて新しい問題である。
差別はなくなりませんよ。
2006/08/25 01:25
10人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BCKT - この投稿者のレビュー一覧を見る
I なぜユダヤ人を嫌うのか
II ユダヤ人と「民主主義」
III ユダヤ人とはなにか
IV ユダヤ人問題はわれわれの問題だ
Jean-Paul Sartreはパリ生まれ(1905-80年)。妻はシモーヌ・ド・ボーヴォワール。フッサール(現象学)とハイデッガー(存在論)に影響された。第2次世界大戦中には捕虜を経験し,脱走に成功(41年)。共産主義への傾斜が,アルベール・カミュやメルロ・ポンティと決別させた。構造主義の台頭とともに,サルトルの実存主義は思想的に退潮。なんだ,おフランス思想も流行なのか・・・。原著_Reflextion sure la Question Juive_は,53年刊行。著者49歳の作品。訳者は東京生まれ(27年)。早大文卒(51年)。ソルボンヌ大学文学部留学(52‐4年)。専攻はフランス演劇史。訳書刊行当時は,早稲田大学文学部教授。生きているなら,06年で79歳。
趣旨は,ユダヤ人差別の現状への告発。共産主義にのめり込む哲学者らしく,理性的かつ論理的かつ実証的に,ユダヤ人差別がいかに無根拠かを論じている。ユダヤ人のあくどさって,捏造された虚像というのが現在の研究者たちの共通理解のよう。でも,サルトル先生,反差別論=理想的平等論が理念的であり,したがって唯物的ではありえない限り,妥当性は持ちえません。ユダヤ人が誰なんだか,僕の友人にもいるのかどうか,僕はわかりませんし,あんまり気にもなりません。でも,そういや,在日の朝鮮・韓国人に対する差別も似たようなもんだ。在日の奴とは付き合った経験はありますが,だからと言って,僕が理想的反差別論者だということにはならないでしょう。差別はなくなりませんよ。転職先である現職での僕の立場は,ドイツの不法滞在トルコ人とほぼ同じです。石こそぶつけられてはいませんが,同僚諸氏によるパワーハラスメントは強烈です。市場のイドラがいかに強烈か,まざまざと感じられる今日この頃です。(812字)
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:藤和 - この投稿者のレビュー一覧を見る
取り敢えずなんというか、ユダヤ人が抱えている問題が想像以上に重い物だというのがこの本でわかった。
理解出来たかと言われると多分理解は出来ないのだろうけど、読んでぼんやりと思ったのが、この問題が起こる原因を小さい単位で見ていくと、いじめとかと繋がる物が有るなと思った。
産まれながらにして自分は一定の他者よりも優位に立っているという考え方はどこにでもあるのだなって感じだし、スケープゴートにされた方からしたらたまった物では無いなと。
これは根深い。
投稿元:
レビューを見る
日本人にはとっつきにくいかも。ただ、迫害される者は、何らかの理由によって迫害されるのではなく、ただ単に迫害者がいるから迫害される、というのは正しいと思う。
投稿元:
レビューを見る
授業で原文を一部読んだのでついでに続きを邦訳で読んでみた。サルトルは熱い。他の著作は殆ど読んでないからわからないけど、これはまるでたたき売りのような文章だ。しかも、その主張も暑苦しいくらいに熱い。彼にとって「人間である」とはつねに自らの責任において自らを選び取っていくことと同じで、カッコいい考え方だけど、それに従うとぼくなんかはまさしく「人でなし」になってしまうのです。
とにかくユダヤ人についてだけの本ではない。もっと広いです。
投稿元:
レビューを見る
-本当はそうでなく、他人に対して厳格な秩序を要求しながら、自分に対しては、責任のない無秩序を求めている-
サルトルといえば、「実存は本質に先立つ」とした実存主義の思想家。「なんだかな〜難しいんじゃないの〜?」と思うあなた!大丈夫。この「ユダヤ人」は、わかりやすいっ!見事なまでに論理的=論旨が明快。散在する、短くも説得力をもつ名言は珠玉。「ユダヤ人問題」として読むのでなく、自分自身のココロの歪を「ユダヤ人」という存在(あるいは概念)をテーマにして問われていると思いながら、サルトルの名言を拾い読みするのも有!
投稿元:
レビューを見る
反ユダヤ主義者にとって、ユダヤ人は敵であり、かつ存在理由である。彼らは、ユダヤ人なくして存在し得ない。彼らは、敵を自ら作り、自分を正当な人間であると評価することで、自らの安泰を得る。敵たるユダヤ人と彼らは表裏一体であり、ユダヤ人に自由を認めない限り、彼らにも自由がないことに気づいていない。いや、むしろ自由を恐れている。自由に基づく責任から逃げている。
以上のようなことが書いてあるわけですが、考えさせられる本であるといえます。ユダヤ人を迫害する人にかかわらず、我々は、他者なしに自己を認識できるのでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
ユダヤ共同体は、国家的でも、国際的でも、宗教的でも、人種的でも、政治的でもない。それは、一つの半ば歴史的な共同体なのである。ユダヤ人をユダヤ人たらしめているものは、その具体的な状況であり、彼を他のユダヤ人達と結びつけているのは、状況の一致なのである。
・・・・・・『ユダヤ人』180頁
反ユダヤ主義、日本では馴染みのない問題かもしれないが、世界中に蔓延り、確実に存在している問題。ユダヤ人というものがいかに造られ、利用されてきたのか。その現実とその原因を知るためにとても役立つと思う。
理性的で批判的な態度は、ユダヤ人の特徴とされているらしい。だが、これも、非理性的な反ユダヤ主義者によって造られた性格といっていい。
彼が相手と推論し、論争するのも、出発点において精神の一致を得るためである。彼は、すべての論争以前に、出発点となる原則について意見の一致を見ることを希望する。・・・・・・人が非難するあの絶え間ない批判行為も実は理性の中で、相手と共感しようという素朴な愛と、人間関係では、暴力は全く無用であるという、更に素朴な信仰とを求めているのである。
・・・・・・『ユダヤ人』143頁
非理性的な人間は、理性的な論争を嫌う。それでも、理性的な人間は、理性的な解決を望む。理性的な人間と非理性的な人間との食い違いは、何もユダヤ人問題に限ったことではない。より身近で、いつでも、いつまでもある問題だ。
何故、理性的な人間がより理性的になろうとするか。
その原因を私はこう想像する。
非理性的な人間によって、非理性的な迫害、理不尽な中傷を浴びせられ生きてきた人間は、理性的にならざるを得ない。理性的に自己の正しさを確立しなければ生きていけないのだ。もしそれができなければ、全てを諦めるしかない。
無知と無理解と無思慮が、人を貶めるのだ。
著者サルトルは、これはわれわれの問題だと言っている。
彼にとってはフランスの問題であり、我々にとっては我々の問題なのだ。黒人作家のリチャード・ライトの言葉、「合衆国には、黒人問題など存在しない。あるのは白人問題だ」本書でも引用されている(187頁)この言葉を使うなら、「ユダヤ人問題は存在しない。あるのは反ユダヤ主義問題だ」ということになるだろう。
非理性的で利己的な人間が齎す過ちを、見つめ直さなければならない。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
世界中の人びとがユダヤ人に対して抱いている偏見は、実に古くかつ根強い。
サルトルは、まったく新しい観点から、数々の具体的事実をあげて、この根深い偏見の源をつきとめ、ユダヤ人問題の本質をはじめて明らかにした。
たんにユダヤ人問題のみならず、今日の人種問題に対して正しい解決の方途を示唆した画期的な書。
[ 目次 ]
1 なぜユダヤ人を嫌うのか(ユダヤ人を嫌うのは自由だろうか;嫌う理由があるのだろうか ほか)
2 ユダヤ人と「民主主義」(抽象的民主主義の弱味;抽象的人間と具体的ユダヤ人 ほか)
3 ユダヤ人とはなにか(人間の違いは、その状況と選択による;ユダヤ人の状況、人種、宗教、国家、歴史 ほか)
4 ユダヤ人問題はわれわれの問題だ(真の敵は反ユダヤ主義者;われわれの目標は具体的な自由主義 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
ものすごく人種差別がわかる。
ユダヤと反ユダヤ
読んでいくうちに、凹みます
筆者である サルトルが怒りに満ちています。
もう何世紀も
人種差別や偏見が続いてるという事実。
とても昔の本だけど
読みごたえはあります。
ただ
ものすごく句読点が多いのが気になりました。
投稿元:
レビューを見る
ジャン=ポール・サルトルの「ユダヤ人」問題論。欧米社会に根強いユダヤ人差別問題を真正面から捉えた論文である。
「ユダヤ人」という存在について、社会における反ユダヤ主義の構造・心理・思わくなどをベースに分析するとともに、それに対するユダヤ人自身の受け入れの在り方をも考察し、その差別の本質をサルトル的な皮肉を交えた文学的表現にて説明、「ユダヤ人」問題は非ユダヤ人自身の問題であり、われわれ自身の自由の問題でもあるとして、解決の道筋をサルトルならではのアンガージュマンの見地(社会主義革命、連盟結成など)にて指し示す。
率直に言って「ユダヤ人」については日本ではそれほど馴染みのある話ではないと思われるが、差別行為に対する分析は「ユダヤ人」を例えば、いじめや同和問題などといった話に置き換えてもよく、人間社会における負のあり様を鋭く突き付ける内容であると感じた。
投稿元:
レビューを見る
ユダヤ人問題について平易に解説した本。しかしやや単純化の趣があり、最終的な解決方法が社会主義革命であるというのはいただけない。
投稿元:
レビューを見る
作中でサルトルが引用する、リチャード・ライトのことば「合衆国には、黒人問題など存在しない。あるのは白人問題だ」。この考え方には目を見開かされる思いがする。
投稿元:
レビューを見る
今も色褪せない差別論の古典。差別は加差別側が生み出す。加差別と被差別の双方の人間を精緻に描出している。最後の社会主義革命によるユダヤ人問題解決の十分性への言及が唐突で、実効性に疑問が残るがそれ以外はどのくだりも傾聴に値する。
・反ユダヤ主義者は恐怖にとらわれ、それもユダヤ人に対してではなく、自分自身に対して、自覚に対して、自分の自由に対して、自分の本能に対して、自分の責任に対して、変化に対して、社会に対して、世界に対して、恐怖を抱いているのである。しかもかれは殺すときには群衆に紛れて、集団的処刑に加わるに過ぎない。
・反ユダヤ主義者は、ユダヤ人がユダヤ人であることを非難するのだが、民主主義者はユダヤ人が、自分をユダヤ人と考えることを非難しがちなのである。
・ところが家庭では、ユダヤ人であることに誇りを持てと言われる。恥辱と苦悩と傲慢の間をさまよう他はない。
・ユダヤ人の野心が根本的に、安全性への欲求だからである。
・人種という観念そのものが、不平等の観念を含んでいる以上、その観念の機構の深い部分には、既に価値判断が含まれているのではあるまいか。
・ユダヤ人がなによりもその所有形態(金銭)を好むのは、それが普遍的だからである。
・形而上的不安が、今日、ユダヤ人や労働者には、許されていない贅沢品であると言いたい。世界における人間の位置とその運命について、反省しうるためには、自分の権利を確信し、世界に深く根を下ろしていなければならない。
・ユダヤ人の関心の普通の対象は、まだ、世界における人間の位置ではなく、社会における彼の位置なのである。
・ユダヤ人の性格が反ユダヤ主義を引き越しているのではなく、反対に反ユダヤ主義者がユダヤ人を作りあげたのだ。
・宣伝や教育や法的禁止によって、反ユダヤ主義者の自由に呼びかけるだけでは不充分であろう。他の人間同様、彼もまた状況の中における自由体なのであるから、完全に改革しなければならないのはその状況なのである。
投稿元:
レビューを見る
「ユダヤ人とは、他の人々が、ユダヤ人と考えている人間である。これが、単純な真理であり、ここから出発すべきなのである。・・・反ユダヤ主義者が、ユダヤ人を作るのである。」私のユダヤ人に関する知見のほとんどは内田樹氏の『私家版・ユダヤ文化論』に負っているので、サルトルの主張には与しない。しかし、このような思考法も、たまには、必要である。