紙の本
山水郷で生きるとは
2019/11/17 17:34
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投稿者:つばめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書のタイトルから、社会資本の整備や維持管理を通じて、日本列島の国土強靭化計画を推進する内容をイメージされたとすれば、その内容は全く異なる。著者の問題意識は、「低成長の今は大企業でも倒産、リストラの時代であり、かつての稼ぎというセーフティネットが弱る中、拠って立つ安心の基盤を見出せないことが、今の日本を覆う漠然とした不安感や閉塞感の大元にある。人が未知のことに挑戦するには、安心の基盤が必要である。」というものである。その安心の基盤を築く手段を著者は、山水の恵みと人の恵みに求めている。山水の恵み豊かな地域を著者は、山水郷と称している。
本書では、貧困の実態、給与労働者の平均給与やGDPの伸び悩み等を背景に、将来に先行き明るい要素がなく、不安に支配されている日本の現状分析に始まる。次に、安心の基盤をどこに求めるか、山水郷の持つ力を縄文時代から現代に至るまで歴史的に俯瞰し、最終的に水と緑の山水郷で生きていくことを提案している。フーテンの寅さん、唱歌ふるさと、最近人気のTV番組「ポツンと一軒家」を例示しながら、広範にわたる考察が、元官僚らしく冷静かつ抑制のきいた筆致で展開され、執筆に4年間を要したというのもうなずける内容である。
ただし、愛知県豊田市の取り組み事例の紹介では、「世界のトヨタ」の本拠地である豊田市という記述が4箇所もでてくるが、愛知県豊田市で十分であり、「世界の・・・」と媚びを売る必要もないと思うが、せっかく格調の高い本書には、相応しくない記述のように思えて残念であった。
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日本列島改造論に続け
2020/01/10 11:11
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「誰も置き去りにしない」というSDGsの基本理念を身近な問題と捉え、、日本列島からの山水の恵みと互助による人の恵みを通して安心して豊かに生きることの大切さを年頭に考えさせてくれたことに感謝したい。改めて、唱歌『ふるさと』に癒される。
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山水郷に未来を託す。
利権をどう手放せるか?持て余してる人も相当数居るので再分配にアイディアが必要かな。
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筆者の造語である山水郷。自然豊かで、しがらみや 競合企業がない、課題先進地であるがゆえに規制緩和をモデル的に進めやすい。そううまくはいかないだろうが、地域に住む人間にとっては勇気づけられる気がした。
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昔から、洪水が起こりやすい平野部ではなく、山の麓「山水郷」がもっとも住みやすい場所であり、それは今でも豊富な資源な源であると。それが明治維新以降、唱歌「ふるさと」や学問のすすめなどに表れているように、地方から都会に出てくることが美徳とされ、山水郷は「想うもの」となってしまった。しかし高度経済成長が終わり、人口減少社会となった今、山水郷にまた回帰しよう。そういうことかな。
山水郷に限定するつもりもないが、最先端技術こそ地方部で始めるべきというのは賛成するところで、人口減少や高齢化など課題が先進的であるためその解決法となる技術の実験に適していること、人がすくないため規制緩和しても問題が大きくならないことなど、society5.0を実証するのに適していると思う。地方は積極的にそうした動きをフォローし、手を上げていくべきだろう。
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山水郷に帰ろう、山水郷を生かそう。
(方向性は分かりますが、おじさんの作文です)
山水と共同体のつながり、そして山水を生かす知恵と業がある地域で、人はポスト資本主義でも豊かになれる。
■現状分析、問題指摘が鋭い(しかし冗長)
筆者はネオリベに警鐘を鳴らすポジションを取っており、小泉・竹中平蔵改革以降の分断社会を是としていない。
それだけでなく、本書のネタとなった(対極の概念の)日本列島改造論にある国土強靭化計画、土建国家のモデルの限界も指摘している。道を作り、ミニ東京を地域が目指しても、若者は皮肉にも故郷から出ていくだけだったと。この指摘は示唆に富んでおり、本書のタイトルの付け方もcool &smartに見えた。
■対応仮説、筆者のビジョン(あるべき)
精神論。具体性に乏しく根拠もない。
・山水郷を生かす。
・農山村のアイデンティティを観光資源に。
・風の谷構想。
⇒結局は意識改革も必要だが、意識とは"無意識に"醸成されてきたものなので、そう簡単には変わらない。アーリーアダプターのような活動家を増やし、地方でも(むしろ地方の方が)QOLも経済的にも合理的だと、感覚的に伝わるようにしていくことが大切なのではないだろうか。
●全体の評価
長い。要点をまとめて構造的に書いてほしい。おじさんの作文だ。せっかく良いこと書いてある所と埋もれてしまう。
〜また事実誤認とまでは言わないが、感想と事実を分けて書けてないのが致命的に残念。〜
大手シンクタンクの幹部でありながら、筆者の主観をあたかも事実のようにして論理展開を進めるので、賛同できる部分でもかえって気持ち悪い。ホリエモンも村上ファンドも、当時は拝金主義のように報道されたが、よく考えを聞けば、そうとは言い切れない。にもかかわらず、当時の報道ベースのまま筆者の主観を引っ張ってくるのは、理解に苦しむ。
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この列島の至るところで、人々はそうやって先人達から受け継いだものを引き受けて生きてきたのでしょう。その営みが郷土の風景を守り、恵み豊かな山水をつくりあげてきたのです。無数の無名の人々の引き受ける覚悟と努力がこの列島を支えてきたと言っても過言ではありません。
(引用)日本列島回復論ーこの国で生き続けるために、著者:井上岳一、発行:2019年10月25日、発行者:佐藤隆信、発行所:株式会社新潮社、263
山水郷。何と美しい日本語の響きなのだろう。この言葉は、日本列島回復論を著された井上岳一氏の造語である。我が国の7割が山に囲まれているため、都市部や平地農村を除けば、ほとんどが山水郷と呼ぶべき場所であると井上氏は言われる(同書、101)。大学で林業を学ばれた井上氏は、我が国の抱える社会的課題について、その解を”山水の恵み”と”人の恵み”に求めた。近年、その山水郷の多くが限界集落に近くなってきたと耳にする。では、なぜいま山水郷なのだろうか。昨年出版された本書を、改めて拝読させていただくこととした。
我が国では、人口減少、高齢化、グローバル化が進む。特に井上氏は、人口減少、高齢化が経済を直撃しているとし、生活保護受給者のデータなどを用い、日本は隠れた貧困大国であると指摘する。これらの課題は、社会構造的なものとも相まって、人間関係の希薄化や若者の低所得者の増加等が根底にあることがわかってくる。なぜ人々は、都市部を中心として働く場を得ているにも関わらず、幸せを感じられなくなったのだろうか。戦後、人々は、高度成長期において、こぞって都市を目指した。用地が限られた都市空間では、建物が大型化・高層化し、人々がひしめき合って暮らしている。確かに私も昭和、平成、そして令和と生きているが、子供のころ(昭和の50年代)は、地方都市に住んでいるせいか「向こう三件両隣」の世界があった。今でこそ、防災のキーワードで「自助・共助・公助」と言われているが、子供のころには、隣に誰が住んでいるのかを勿論知っていたし、冠婚葬祭等があればムラをあげての行事となった。無論、人とのコミュニケーション不足のみが「隠れた貧困大国」の要因にはならない。しかし、都会には、人としての温かさを喪失してしまった感があることは、誰も否めないことだろう。
井上氏は、山水郷を”天賦のベーシックインカム”としている。ベーシックインカムとは、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を定期的に支給するという政策である。確かに、山水郷がマイナーな存在になったのは、ここ60~70年である。本書を読み進めていくうちに、私は母の実家を思い出した。母の実家は豊かな自然が残るところで、祖父は農協(現JA)に務めながら、兼業で農業を営んでいた。うちの母は、早くから運転免許を取得していたので、実家に帰ると、まだ保育園児だった私をスーパーカブの後ろに乗せて、色々と連れ回してくれた。カブで牛舎の近くを通ると、田舎臭いというか、独特の匂いがしたことを覚えている。また、実家には、隣のお兄ちゃんらと三輪車や自転車に乗って走り回った。さらに夜には、現代人の殆どが知らないであろう”五右衛門風呂”に祖父と入るのが楽しみだった。そこには、複数の収入源を持って、自給自足に近い生活をしながらも、笑いに囲まれた幸せな空間があった。人と触れ合い、山水による恵みを享受し、精神的な豊かさがあったように思う。井上氏は、古来から人々が生活を営み、この日本の原風景とも言うべき山水郷こそが、我が国を”回復”させる特効薬であると見出した。私も母の実家を思い出し、井上氏の主張に賛成するところだ。
本書では、AIやIoTに象徴される情報科学技術の進展により、その始まりの場所としても山水郷を推奨している。その後、この井上氏に著された本が出版された後に、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、テレワークの普及などで地方移住者が増加することとなった。内閣府による「新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査(令和2年6月21日)」によれば、年代別では20歳代、地域別では東京都23区に住む者の地方移住への関心は高まっているとある。アフターコロナの時代について、建築家の隈研吾氏が「20世紀型『大箱都市』の終焉」1)と言われているとおり、人々は、再び、地方都市や山水郷に向かいつつある。本を出版した時点で井上氏が想像していた以上に、人々が再び山水郷に移動するスピードが速まっているのではないかと思う。
事実、株式会社パソナグループは、働く人々の「真に豊かな生き方・働き方」の実現と、グループ全体のBCP対策の一環として、主に東京・千代田区の本部で行ってきた人事・財務経理・経営企画・新規事業開発・グローバル・IT/DX等の本社機能業務を、兵庫県淡路島の拠点に分散し、この9月から段階的に移転を開始していくという。その数は、グループ全体の本社機能社員約1,800名のうち、約1,200名が今後淡路島で活躍するという。2)このように、”地方への回帰”は、新型コロナや情報科学技術の進展を契機として、様々なリスク分散を鑑み、個人のみならず、大規模な事業所単位のシフトさえも加速している。
「空き家は劣化が早い」とよく言われる。それと同じように、先人たちが築き上げてきた山水郷も同様のことが言えるのではないだろうか。人工林などの手入れも含め、豊かな自然を守っていくため、人々が住み続ける必要がある。私の住む都市にも、市街地から車で1時間ほど走れば、山水郷と呼ぶべきところが残っている。私の知り合いは、その地区で空き家になりそうな一軒家を借りて、週末に暮らしている。年に数度、私もお誘いを受けて行くのだが、同じ市に暮らしているとは思えないほど、空気も気温も違ってくる。美味しい空気を吸いながら、ホタルが飛び交う季節には、その淡い光を楽しむ。そこを訪れるたびに思うことは、山々で囲まれ、田園風景が広がり、ゆっくりとした人間らしい暮らし方が実現できているということだ。かと言って、スマホも圏外にもならず、ネット環境も整備されていて、快適で不自由がない。不自由がないどころか、山水郷では、贅沢な、ゆっくりとした時間が流れている。
行政による山水郷対策も進む。本書にも登場する愛知県豊田市は、「山村地域在住職員」を採用している。職員として採用されれば、豊田市が平成17年度に合併した町村のうち、旭、足助、稲武、小原、下山に在住���、主に地域の観光イベントの調整やツキノワグマの生息状況の把握と被害防止対策などの任務に当たるという。3)そのほか、井上氏は、本書の中で行政の役割についても複数提案している。
20世紀は、人間と自然が共生できなかったのかもしれない。しかし、21世紀は、再び、人間と自然が共生し、古より大切にしてきた貴重な資源の享受を受けるながれになる。本書を読み、自分たちの故郷が持続可能な社会となること、そして日本列島が回復するためには、再び”自然回帰”がキーワードになるのだと認識するに至った。
(資料)
1)アフターコロナ 20世紀型「大箱都市」の終焉、建築家・隈研吾氏が語る都市の再編成、坂本曜平、日経クロステック/日経アーキテクチュア、2020.05.27配信
2)株式会社パソナグループホームページ 2020.09.01配信 ニュースリリース
3)豊田市ホームページ 山村地域在住職員採用(2021年4月採用) 募集要項
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今日本のサーキュラーエコノミーやローカルエコノミー、サステナビリティに関わる人たちの背景をうまく整理してある一冊。主に50代以上の世代の方の地方への見方を変えるために、高校や大学の若者たちにおすすめしたい。
特に歴史は教師がこういう風に解説できたらいいのだが…偏見を恐れずにいうと、日本史教員は史学科の人や政治学の人がやらない方がいい。
経済学か民俗学的な人の暮らしを軸に、これから生きていくのに必要な知恵として学ぶべきだろう。そういう意味でわかりやすくまとめてくださっていておすすめ。
ただ、この本になんらかソリューションがあるわけではない。それはこれから作られていくということ。
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あとがきで著者の個人的体験が綴られているのが、とても印象的でした。それが本書への原点だったのかと。あとがき→最終章を先に読んで、それから1章に戻って読むと良いかもしれません。
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著者を直接知っているだけに、他人風に感想を書くのにも抵抗があり、まずは本人に直接申し上げたが、山水郷のみだと片手落ちだろう。と。日本列島を語るのであれば海も含めより詳細に海の経済活動も含め論じた方が良いだろう!と。だが、後書きにも書いてあったが執筆四年。海も含めるとまとめきれない。と言う本人談もを含めると、海は別立てかなぁ。と思えば非常に良い示唆に富んだ内容だった。時の総理も直接著者よりレクチャーを受けたそうだから活かされることを望みたい◎コロナ禍以降の本国の予言的書籍(^^)