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持統天皇 壬申の乱の「真の勝者」 みんなのレビュー

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一般書

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みんなのレビュー13件

みんなの評価3.9

評価内訳

13 件中 1 件~ 13 件を表示

女傑の天皇

2019/12/24 08:52

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:nobita - この投稿者のレビュー一覧を見る

持統とは系統を保持したという意味であろう。飛鳥時代で壬申の乱を戦い抜け、女性天皇として庚午年籍や万葉集作成を助け、最後は自らを火葬にした。日本を方向付けた人である。持統天皇を理解できる良い本である。

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皇室が実際に政治をしていた頃のお話

2021/02/17 12:07

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る

皇室が血みどろになりながら実際に政治をしていた千三百年以上前の頃のお話である。近年の女性天皇論や女性宮家論とはまるっきり次元の異なる話だな 感じてしまった。本書のヒロイン 持統天皇を始め 天智天皇 天武天皇 他 一般的な意味の善悪を超越した、じつに個性豊かな人々であったことが生き生きと描き出されている。
それにしても飛鳥朝 奈良朝の頃の皇室の近親交配は凄まじい。心身の弱い皇族が続出するのも仕方ないや という気がする。

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持統天皇

2022/09/24 19:22

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る

永井路子さんの本を読んでから持統天皇にとても興味があったので面白く読みました。親戚同士で結婚しているのでややこしいのですが、天智天皇、天武天皇それぞれの妃とその父親、子女の系図が出ていてわかりやすくて良かったです。持統天皇が大化の改新の年に生まれたことなど初めて知り興味深かったです。

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持統天皇は

2021/01/17 01:03

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

父が、天智天皇、夫が、天武天皇というので以前から大変関心持っていた女性です。これは、壬申の乱のことなど詳しくて、よく、わかりました!

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著者の「光明皇后 平城京にかけた夢と祈り」とは異なり、やや熱気を帯びた筆致です・・・

2020/02/02 21:59

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:多摩のおじさん - この投稿者のレビュー一覧を見る

武澤 秀一氏の「建築から見た日本古代史」で持統天皇の父天智天皇との複雑な境遇の一方で、その強靭な意思にすっかり驚嘆
させられ、改めて持統天皇について探ってみたいところで、運良く本書に出会いました。
著者には以前に「光明皇后 平城京にかけた夢と祈り」での女性歴史学者としての冷静で緻密な分析で迫る姿勢に脱帽させられた
のですが、本書ではやや熱気を帯びた筆致です。

同書では、光明皇后によって草壁皇子から聖武天皇に繋がる「黒作懸佩刀」を聖武天皇で打ち切りることで、淳仁天皇にはおろか娘
孝謙天皇にも継がせまいと「国家珍宝帳」から除物した光明皇后の信念の強さを伝えていましたが、本書では持統(鵜野)の乙巳の変
の645年の誕生から702年の没するまでを8章に分け、推古天皇をはじめとした女帝誕生の経緯を絡めて描かれています。

これまでの持統天皇を扱った他の書籍とは異なったアプローチが、特に第7章「『万葉集』に託されたメッセージ」以降で見られます。
それは、即位後から譲位前までの31回に亘る夫の天武天皇との思い深い吉野への行幸が、その前後の天武天皇と不可分の行事
や儀式が行われたこと、同天皇の2年3ヵ月に及ぶ殯宮儀礼と同様に、天武天皇の後継者たることのデモンストレーションであり、さらに
吉野行幸が譲位後の「万葉集」編纂という政治的帰結、特に3巻以降には見られない「母体万葉」(第1、2巻)は、宮号を基準と
した記紀に通じる時代観で持統天皇が記紀を意識した「歌による天皇列伝」、また即位前後に詠まれたとされる冒頭の「春過ぎて夏
来るらし白栲の」で始まる御製を愛息・草壁皇子を失った悲しみを喪服から齋衣に替え、新たな政務に取組む持統の決意との指摘
(p.216-225)、また孫である珂瑠皇子の「安騎野の冬猟歌」を天武→草壁→珂瑠(文武)とする継承の正当性の主張とする指摘、
また、2巻にある持統天皇の命で柿本人麻呂の作の「草壁挽歌」では、「日の御子」としての天武天皇、「皇子の命」草壁が即位
しておれば立派な世となっていたとする「草壁皇統」つまり天武→草壁→珂瑠(文武)の継承が謳われ、天皇の神格化が「万葉集」で
はじめて見られる指摘(p.229-236)や、譲位後の遣唐使の派遣(702年出発)で、「史記正義」に残るそれまでのヤマト「倭」を「日
本」としての通告、同使節団の一員の山上憶良の歌での「日本」の紹介があり、目から鱗でした。

また、三河から伊賀への最後の行幸で、「壬申の乱」において大海人皇子が桑名に草壁、大津、忍壁皇子と共に鵜野を留めおき
大友皇子の首実検した不破にも立ち寄ったのは死の予感ではとの指摘には感慨深いものがありました。

ただ、疑問に残った点も幾つかあります。
・30歳の中大兄皇子の即位の躊躇は、間人皇后を立后し、皇太子の地位を保持するためだが間人皇后が即位を拒否(p.72)
 との根拠は?
・大極殿近くのトイレ遺構発見、京の内外に穢れた悪臭を役所が取り締まらないからとの「続日本紀」の都市公害の記述を紹介
 しながら京と役人の居宅地が近く集住化に失敗したのが藤原京の廃都の理由(p.196)
 →居宅地が近いのは造営前の宮地の視察段階で判るのでは?
・藤原京が廃都され平城京遷都したのは藤原不比等が事実上の推進者としながら個人的手腕で実現されるなどあり得ない(p.196)
 としながら「黒作懸佩刀」の不比等への下賜、歴代天皇から鎌足、不比等への「しのびことの書」の紹介(p.200-201)

なお、各章の冒頭と巻末にある持統天皇の年齢付き年表は、読み進むにあたり助かりますね。
だだ、索引が付いていれば更に良かったですね・・・

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2019/12/23 12:12

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2023/05/11 14:57

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2020/01/07 22:49

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2020/01/15 13:14

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2020/02/13 21:58

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2021/02/25 00:27

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2021/07/31 05:57

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2024/07/28 23:24

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