石高制成立の必然性
2020/07/04 12:05
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投稿者:K2 - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦国大名の収支から説き起こし、石高制への移行を解説。銭立から米立への税制の移行を、明の海禁政策→国内の銭不足→悪銭の利用→精銭と悪銭の換算率の必要性や悪銭忌避の意識→商取引現場の混乱→安定した価値を持つ米への注目→貨幣の代替としての米の利用→基準としての米の利用、という具合に整理。石高制成立の必然性がよく理解できた。
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦国大名が戦をするときの支出はどれくらいのものなのか、税としての年貢やその他貿易や鉱山といった収入はどうしてたのかなどお金の面から見た戦国時代が面白い
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦国大名を経済的な面から分析されていて、興味深く読むことができました。戦うにも、お金がものをいう世界なのですね。
戦国時代を経済的視点から俯瞰
2020/07/11 16:28
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投稿者:つばめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、戦国時代をお金の視点から俯瞰した歴史解説書である。鉄砲1挺や兵士の装備一式の値段、捕虜の身代金、戦国大名の戦の収支・平時の支出・鉱山開発・海外貿易の利潤、城下町の誕生など広範な経済的分野を網羅し、楽市令などの当時の法令文書などは、現代語で記述され、一般読者が抵抗なく読める配慮がされている。織田信長というと、楽市楽座政策で経済を活性化させた先進的なイメージがあるが、信長以前に近江の六角氏が楽市令を発布していた。さらに、信長は領国全体で楽座政策を展開したわけではないとして、著者は信長の革新性に懐疑的であるなど、従来の視点と異なる歴史的解説もある。ただし、「安土城の石垣造成では、一万人余りが動員され、三日で組まれた。」との趣旨の記述があるが、果たして事実であろうか? 事実とするならば、一般読者もすんなり納得できるもう少し懇切丁寧な解説が必要ではないだろうか。
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今年(2024)のGWの大掃除で発掘された本のレビューは大方終わりましたが、その前に娘夫婦が宿泊した時に大慌てでスースケースにしまい込んだ本があり、それらの本のレビュー書きを終了させたく思っています。記録によれば、まだまだ世の中がコロナ騒動の真っ最中だった、2年前(2022.5)に読み終わった本です。
現代も過去においても戦争にはお金が必要で、それが用意できない限り戦争に勝つことができないか、負けていなくても撤退することになるのが常のようです。この本は読み終わってから2年も経過しているので、レビューを書きながら戦国時代にを生き抜くためにどのような経済においてお金や、それに代わる米と関わっていたのかを振り返りたいと思います。
以下は気になったポイントです。
・室町時代(足利義政)の幕府の財源は、守護出銭(守護が自らの地位を確保するため)と土倉の営業勢(土倉税)に大きく依存していたので、土倉の没落と幕府が発した徳政令が金融不安を起こして、公家や寺院の間では資金繰りに行き詰まって破産するものさえ出ていた(p13)
・戦国大名は、ある特定の地域を独占的に支配した武家勢力(軍事政権)であり、その支配地域は領国と呼ばれる。朝廷や幕府の権力が及ばない領国は、小規模ながら独立国家であったとみる研究者もいる(p16)当時の経済価値は、銭6−7文が、60−70円相当と考えられる(p20)8貫500文で50−60万円、1貫はおよそ60万円強(p29)
・銀一貫目は、1000匁にあたり、これは約37.5グラムに相当する、当時は銀1文目は、銭にすると約200文の価値となり、銀一貫目は銭200貫文(20万文)、現在の価値にすると、1200−1400万円程度となる。参考:銀1グラム=173円(p31)
・史料によると武田方は当時の男女を生け取りにして、甲斐国へ連行したという。親類によって見受け(身代金)の支払いがあれば解放して帰したようだが、それにはそれぞれ2−10貫(10−70万円)の金額が支払われた(p44)
・北条氏の税率は、現在の米の値段(1キロ=五百円)で考えると、10%程度強であり、それほど過酷な基準ではなかったと言える(p70)
・桶狭間の戦いで勝利した織田信長は小牧城へ本拠を移した永禄6(1563)年に「国中闕所(けっしょ)」を命じた・荘園など中世を通じて構築された様々な利権を全て白紙にして、信長のもとに権利を一元化し、直轄地としたり、新たに家臣に再配分するなどした、このような中世的な土地権利関係の否定は、中世の土地制度の根幹である荘園制の解体と言ってよい(p83)
・安土城普請において、瓦職人、設計建築の指揮を執る大工などの技術者は報酬が支払われていた。京都の大工に対して、一日金1両が支払われる例があった、当時の金1両=銭2貫=12-14万円、末端の労働者は無報酬だったが、食糧は支給されていた、1万人の場合、1日だけで60石=200万円かかる、年間で6−7億円である(p98)
・伊達政宗が上洛した際、京都へ持参した砂金380両について、当時の京都では、金1両=5匁(1匁=3.75グラム)なので、1両=18.5グラム(12−14万円)とすると、現代では5000魔万円程度となる(105)
・楽市楽座とは、荒廃した市場は新規に設置される市場に対して、その商売に関わる一切の特権を排除した、いわば自由市場とすることを権力が規定するもので、特権を持たない人々にも経済活動への参入を促すことになり、商取引の活性化を期する政策であった(p133)既存の市での特権剥奪を狙っていたとも言い難い(p134)近江での楽市楽座は、地域的な商人集団のナワバリ争いからの解放を念頭においての政策で、激化していたローカルな商売活動と権力が癒着することによって経済成長が鈍化しないように出されていたものであった(p144)
・度重なる対応を行なっていたが、1560年代ついに行き詰まりを見せて、永禄7(1564)年頃には、過度な悪い銭で百姓が迷惑を被っているので、コメでの代納を認めるように、品川の代官に通達している(p229)精銭の消滅と、ビタの登場によって銭相場が混乱していた1570年台は、銭立てで組み立てられていた税制は大混乱をきたした、その結果、品質に大きな差がなく、桝も統一されて量りやすくなった米が注目されるようになった、石高制の採用が促されることになり、豊臣秀吉はこの時流に上手く乗った(p262)
・金銀は庶民にはあまりにも価値が高すぎた、銀ですら、1両(約16グラム)で200文の価値があった。現在価値で1万円、これを小銭と呼ぶには現代人の感覚からしてもかけ離れれていいる。それに比べてコメは、1合=2文だったのでコメは銭の代わりを十分に果たせるようになっていた(p249)
2022年5月9日読破
2024年7月15日作成
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著者の先生は存じ上げないが、貨幣経済史のご専門とか。戦国時代における大名たちの領国経営については類書も多いのでさほど目新しい記述はなかったように思うが、ところどころ最新の研究成果も盛り込まれていて、興味深い部分も多かった。とくに第7章「混乱する銭の経済—織田信長上洛以前の貨幣」と第8章「銭から米へー金・銀・米の「貨幣化」と税制改革」の部分。ほかにも第5章で論じられている織田信長の楽市令に関する考察なども。
結論はごくごく当たり前の話になってしまうのだが、旧来の秩序再編成に当たっての戦国大名の革新性について、過大評価はできないということ。とくに市場経済・貨幣経済のコントロールは、戦国大名といえどもそう簡単ではなく、旧来の秩序と折り合いを付けながら漸進的なものであった。
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お金は大事だ。最近の研究を反映したこういうのっておもしろいわよね。まあ日本史で「撰り銭」みたいなのおぼえさせられた理由がわかる、というよりこういう解説してもらわないとそういうのの重要性がわからない。
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戦国時代でも下部構造としての経済が上部構造の政治に影響を与えていたんだな。応仁の乱も下降気味の経済で縮小するパイを奪い合う競争の激化によるものと捉えることもできそう。大航海時代が日本の経済に、ひいては政治史に大きな影響を与えていたこともわかった。大名の財源、貫高性が革新的だったが銭不足から石高性の米ベースに回帰したこと、南蛮貿易と銀の生産、楽市楽座と徳政の実際、実効性を持たなかった信長の貨幣政策など。
武器や日当やその他の品々の当時の価値を現代に置き換えてくれるので、もちろん当時と生活の水準が違うことは知ったうえで、実感を持って考えることができる。元来の戦国時代のイメージをひっくり返してくれた良著。
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何故戦国時代に貨幣経済になってまた米が使われる様になったとか時代の背景を含めて書いてある。作者の言う様に信長の場合天才というより現実的に手を打っていった(ミスって放置してるのもあるけど)のが要因とか説得力があるし、戦争に1回幾らかかるとか鐚一文の由来とか読んでいて楽しかった。
あとがきにもあるけど参考資料、論文の多さ!お疲れ様でした。
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貫高制から石高制への移行について、学生時代の時にはモヤモヤしてたが、この本を読んでとても腹落ちした。
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”腹が減っては戦はできぬ”ように、本書オビ文にある通り「銭がなくては戦はできぬ」。戦争をするためには兵士、その装備、糧食等が必要であるが、戦国時代には、兵士の装備一式70万円、鉄砲一丁50~60万円、兵糧米代1000万、捕虜の身代金10~70万円といった塩梅だったようだ。戦国大名はこれらをどのように用立てたのだろうか。
本書では、戦国大名の経済面について焦点を当て、その収支の状況や具体的な活動について具体的に分かりやすく説明をしてくれる。
特に「第七章 混乱する銭の経済ー織田信長上洛以前の貨幣」「第八章 銭から米へー金・銀・米の「貨幣化」と税制改革」を読んで、撰銭令の意義や、貫高制・石高制それぞれが採用された背景事情などについて、理解を進めることができた。
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貫高制から石高制への移行は、税金を通過で納め、企業の年商や従業員への給与を金額で表示するのが当たり前な現代人の感覚からすると、何だか逆行しているように感じていたが、この本を読んでスッキリした。