家族って何だろう
2020/07/03 07:17
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
太宰治の短い作品で、難破した男が灯台の窓際から助けを求めようとしたところ「今しも燈台守の夫婦とその幼き女児とが、つつましくも仕合せな夕食の最中」で、今助けの声をあげたらこの一家の団欒が壊れてしまう。男はそのため助けの声をあげないまま遭難する。
太宰はこの燈台守の家族を「仕合せ」と表現しているが、家族はそんなたやすいものではないことを、太宰自身が一番知っていたはず。
桜木紫乃さんの連作短編集を読みながら、太宰が描いた一家にも実は人にいえない愛憎のようなものがあったかもしれない、いや「家族」とはそんな愛憎を潜めながら「つつましくも仕合せな夕食」を囲んでいるのではないかと、問われているように感じた。
「ふたりを単位にして始まった家族は、子供を産んで巣立ちを迎え、またふたりに戻る。そして。最後はひとりになって記憶も散り、家族としての役割を終える。人の世は伸びて縮む蛇腹のようだ」と、最初の章に書かれている。
物語はともに八十歳を越えた老夫婦と二人の娘、そして娘たちの家族の姿を描きながら、家族がどのようになくなっていくかを、過剰ではなく静かに描いていく。
認知症になって記憶が薄れていく妻をかつて自分の好き放題に生きた夫が面倒をみている。そんな父とうまく折り合いのつかない長女、そんな長女を冷たいと攻める次女。
どんなにいがみあっても、最後は誰かが面倒を見るしかない。
「家族って、いったいなんの単位なんだろう、よくわからなくなってきた」。
長女のそんなつぶやきが心の奥底で震える。
短編のようで実は長編
2020/06/29 07:16
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投稿者:リンドウ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ホテルローヤル」で直木賞を受賞してから、ほぼ全ての桜木紫乃作品を読んでいます。
この作品は、桜木紫乃の得意とする、各短編が有機的な繋がりを持った長編作品となってます。
認知症になってしまった母と、年老いてなお横暴で頑固な父を軸に、娘や姉、婿、夫婦が乗船したフェリーのステージのサックス奏者などの登場人物の心の機微が描かれています。
認知症というシリアスなテーマなのに、どこかからりとした読み応えでした。
「家族じまい」というタイトルですが、年老いてもなお、少しずつ歪みながらでも人生は終わらない、そんなメッセージが込められているように感じました。
家族という絡まった糸
2021/01/25 20:14
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投稿者:ピーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
短編集かと思って読んでいたら、登場人物が次の章にも現われて、全部を読み終えたとき、初めのページに戻りこの主人公はこの人だったのか・・・
と相関図がようやく解った感じ。
家族とはいえ独立してそれぞれが又家族を持ち、考え方が違ったり、色々とわだかまりがあったりと複雑な糸が絡み合う。
冷静に見つめる目
2021/01/10 00:26
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投稿者:うみしま - この投稿者のレビュー一覧を見る
桜木さんの小説は、いつ読んでも冷静に見つめる目を感じます。家族のことを淡々と語る智代は冷静な目で家族も自分も見つめています。しかし、いくら冷静な目で見つめても、否応なしに巻き込まれるのが家族。両親の老いによって今までとは違う新年を迎える最初の物語から、緩やかに繋がる物語には、それぞれ女性の様々なステージでの生き様が見事に描かれています。そして家族以外の視点から描かれた紀和の章で、老いた両親の別の面が描き出されています。そしてその紀和の家族の物語も見えてきます。桜木さんと同世代であることもあり、非常に身につまされる部分もあり、改めて自分の家族への想いに気が付かされた感じがします。つくづく巧い文章だなと思いました。
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家族は祝福であると同時に罪でもある。
この本を読んだ後に思い浮かんだのは、そんなことでした。
認知症になったサトミを中心として、その長女や次女をはじめとした周囲の人々の視点から、「家族」を描く作品です。
各章の題が(その章で視点の中心となる)人物名になっており、連作短編のような形をとっています。
「家族じまい」に関連する話が出てくるのは最後の最後で、しかもサトミの直接の関係者ではありません。
結局のところ、そこが引っかかる。
私は娘という立場上、どうしても娘二人と近い視点で物語を読み進めてしまったのですが、「結局のところ、猛夫が周りを振り回している」という印象をいちばんに(そして最後の最後まで)受けました。
紐解いていく物語の先々で、「父親の勝手で~」というようなことが書かれていると同時に、もちろん父には父の苦悩があるのですが、その辺りは(猛夫の章がないこともあり)あまり詳しくは描写されません。
登場人物の年齢から察するに、猛夫は昭和の人間で、その時代の常識と今の常識がかけ離れているとはいえ、玉に見せる悲しさや優しさが仇だなと思うほどに、彼は周りの人々を困らせ、落ち込ませ、怒らせ、心配させるのです(しかももっと悪い癖もある)。
「昭和の荒くれた父親」というと表現は悪いですが、あの時代の「負の遺産」ともいえる男性像が、そしてその男性像が周囲にもたらす弊害が、恐ろしくリアルに描写されています。乃理のこじれ具合とは比較にならないくらい、この人のせいで家族がこじれている。
恐らく母親を緩衝材として成り立っていた家族が、母親の認知症によって崩壊したもので、これは当然といえば当然の結果なのですが……。
と同時に、この緩衝材であったはずの母親が逃避を繰り返した先にたどり着いたのが認知症だったというのも、心に迫る切なさがあります。
もしかして、こういう家庭、多いのか……だとしたら悲しすぎる。
余談ですが、個人的に乃理の考えや方向性が私にはない発想だったので「そういう考え方をする人がいるのか~」と大変参考になりました。
しつこくメッセージを送ってくるのは、いずれ気持ちが解けて返事をしてくれると信じている……俄かには信じがたいことですが、そう考えている人がいてもおかしくないです(相手にとってはいい迷惑でしょうが)。
「家族じまい」という強烈なタイトルに惹かれて手に取りましたが、実際のところ、タイトルと内容が少し合っていないような感じは否めませんでした。
家族じまいを宣言するのは一人だけで、それ以外の人たちはみんな「しまえない家族を持て余している」「家族をやめられずに続けている」ように見えます。どちらかというと「家族しまえない」です。
うーん……人の細かな機微や描写表現など、良いところもありますが、私としては期待外れでした。
ドロドロ系ドラマとかが好きな人は好きそうな内容です。
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2020/06/06リクエスト
借りたのに2020/06/24間違えて返却してしまった!また借りて読みたい、ラスト数ページだったのに...
ラスト数ページを、すみません、本屋さんで立ち読みしました。
図書館のリクエストは70人待ちだったので。
両親の老いを何とかしようとする、姉妹。
あまり好きではないタイプの両親が出てくる。
家族にも姉妹にも、誰にでも、考えが及ばない事情がある。当たり前のことに気付かされる。
いつもの桜木紫乃さんらしい作品ではないように感じた。
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「ママがね、ボケちゃったみたいなんだよ」
子供たちが巣立ち夫婦二人の生活になった智代のもとに、突然かかってきた妹・乃理のりからの電話。
借金や放蕩を重ねてきた横暴な父・猛夫と、そんな夫と共に歳を重ね、記憶を失くしつつある母・サトミ。両親の老いに直面して戸惑う姉妹とその家族、そして彼らと交差する人々・・・・・・。
北海道を舞台に、家族の形に正面から取り組んだ5編の連作短編は「ホテルローヤル」のその後を・・・ということで描かれた作品のようです。
凄く良かった!およそ家族に関わる問題が様々に盛り込まれ、深い、そして自らに引き寄せ考えさせられる。そのくせ決して重苦しくなく、老いてものを忘れていくことに何故だか光すら見いだせる不思議な作品。
「家族って、いったい何の単位なんだろう」という言葉に立ち止まって考える。幼い頃は親と兄弟、結婚して二人になり、子供が生まれ、巣立ってまた二人になり、そして最後は一人になる・・・親はどこまで家族で、子供はいつまで家族か・・・ウム。
標題「家族じまい」の「しまう」は、物事を終わりにする「終う」ではなく、畳んだり片付けたりする「仕舞う」、家族を改めて振り返ることだという。家族を振り返り、今の自分を見つめ、自分の生き方を考える。
家族って「ほどよく集まり、ほどよく付き合い、ほどよく離れていっていいものなんだ」という気楽さに、がんじがらめにならない明るさが見えるラストはどこまでも明るい。
「忘れてよいものは、老いと病の力を借りてちゃんと肩から落ちてゆくようになっているのかもしれない」という登美子の言葉になんだかボケることも悪くないと思えるようになりました(←介護は大変だけど)
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認知症になったサトミ。娘たちや夫との関わり合いを描いたお話。5篇のそれぞれの女性からサトミ夫婦を描いてありました。サトミの長女智代と夫の啓介の関係がとてもいいなと思いました。そしてサトミの姉登美子とのとても素敵な姉妹を描いたお話で終わります。
認知症できっと介護は大変なんだろうけど、サトミがとても可愛らしいおばあちゃんでした。
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なんというか、読むのがつらかったな。
自分に重ね合わせてしまってどうにもこうにも。自分、というか、自分と年老いていく親に、か。
子どもはいくつになっても親に対しては「親」を求めるし、親は子どもに対して自分の方が上の立場だと思いたがる。
あるところでその関係がひっくり返ってしまっているというのに。お互いに認めたくない、認められない。そこでぐるりと立場と意識を入れ替えれられたらお互いに楽なのに。
職人で山師でDVの父親、そんな父親に耐え続けて今は痴ほうが入っている母親、父親の職を受け継ぎながらもその元を逃げ出した姉、姉をうらやみあるいは恨みながらも親の近くで面倒を見ている妹。それぞれの過去と今。
それぞれに自分の思う「家族」を経験できなかった4人。新しく作り上げた「家族」もなんだかしっくりこない。
家族ってむずかしい。他人同士の二人が出会って夫婦になり、子どもが生まれて親になる。だけど、どこまでいっても自分は親にとっての子どものままで。気持ちがリアルについていけないということなのか。
桜木紫乃の小説には強かで毅然と生きる自立しているけど母親との関係に屈託を抱いた女が出てくることが多い。母親と娘の関係。どこかでお互いに精神的にも物理的にも距離を保っていた方がいいのかもしれない。その距離感が難しいのだけど。
姉妹の関係というのも難しい。兄弟もそうなのだけど、どちらの側にも相手に対しての優越感と嫉妬が入り混じった複雑な思いがある。同性だからこそなのだろうけどそのネガティブな感情を超えたところにある、フラットな関係。そこにたどり着ける人たちっていったいどれくらいいるのだろうか。その小さな光にも似た平和な関係を最後の最後に見た。
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いずれ亡くなる家族の暗いイメージがつきまとう5話から成る連作小説
印象に残った文章
⒈ ふたりを単位にして始まった家族は、子供を産んで巣立ちを迎え、またふたりに戻る。そして、最後はひとりになって記憶も散り、家族としての役割を終える。人の世は伸びては縮む蛇腹のようだ。
⒉ 俺ね、毛の抜けたところから、いろんなものが抜けてっちゃった気がするんだ。
⒊ わたし、このプリンの味、一生忘れない。
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やや陰鬱な連作短編集。
「智代」父親の理容室で働くつもりだったのが借金だらけで潰れてしまい、実家から離れ結婚し、美容院のパートをしている。夫の啓介の弟が50を過ぎて結婚するという。そして、実家の母サトミが認知症になったらしい。
「陽紅」農協の受付で働く陽紅はバツイチ。55歳の息子と結婚してくれと執拗に頼む80を過ぎた老婆。結婚してみたが・・・
「乃理」智代の妹は夫子供二人とカツカツの生活。しかし母サトミが呆けて、父が二世帯住宅を買ってもいいと言い始めた。
「紀和」稼ぐのが難しいサックス奏者、フェリーのラウンジで吹いていると、拍手喝采。智代と乃理の父親と母親が二人で乗船していた。二人の話を聞くと・・・
「登美子」サトミの姉は82歳、娘から縁を切りたいと言われた。
うーむ。読んでも救われない。癒しはそこにはなかった。登場人物に感情移入しても第三者的に見ても、暗くなる。しかしリアリティはありまくりだった。50代や80代なんて遠い未来だと思っていると、すぐそこに足音が聞こえて来る。老化+人生を考えさせる秀作。
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身近な家族それぞれの視点だけでなく、後半は全く他人の視点、そしてまた少し近い血縁と、いろいろな立場での家族の関係性のとらえ方、考え方が描かれている。
家族の面倒くささ、親の介護、少し他人の血縁、表現しきれない負の部分を見事に表現している。
あまり難しく考えず、ドライに老後を過ごすことが出来そうな気もしてきた。家族とは、本当に面倒なのだ・・・
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桜木紫乃さん 家族の問題、考えるヒントに
2020/7/20付日本経済新聞 夕刊
北海道でラブホテルを経営する家族などを描いた連作短編集「ホテルローヤル」で、2013年に直木賞を受賞した。6月刊行の「家族じまい」(集英社)は「編集者から『ホテルローヤル』のその後を書きませんか、と言われて取り組んだ作品」という。「それは家族に向き合うことであり、やりたくなかったが、避けて通れないとは思っていました」
露木 聡子撮影
露木 聡子撮影
短編5編で構成し、第1章は子供が巣立ち、夫と2人で北海道江別市に暮らす48歳の智代が主人公。函館市に住む妹の乃理から「ママがね、ボケちゃったみたいなんだよ」という電話がかかってくる。理容店からラブホテルまで様々な商売に手を出し、家族を振り回してきた父の猛夫、そんな横暴な夫に苦労してきた母のサトミ。釧路市に住む父母の老いに悩む姉妹を中心に、家族とはいつまで続くものかを問う。「私の父母はともに80代で、母に私の名前を忘れられたことも。智代の家族構成とほぼ一緒です」
第2章は智代の義弟の涼介と結婚した陽紅、第3章は乃理、第4章はサックス奏者の紀和、第5章はサトミの姉である登美子という5人の女性の視点から書かれる。「智代が最も自分に近いかもしれないが、5人とも私の一部です」
紀和だけは親族でなく、名古屋から苫小牧へと向かうフェリーで猛夫とサトミと知り合う。「一度しか会わない関係だから、娘たちとは違う視点で老夫婦の姿が見られる。2年ほど前からサックスを習っているのが役立ちました」
「この小説を書いているうちに、今まで分からなかった両親の気持ちに思い当たることもありました。家族の問題を考える上で参考になればうれしい」と期待を寄せる。(さくらぎ・しの=作家)
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親の認知症、老々介護、高齢化がすすんだこの国でこれからたくさんの人が否応なしに直面せざるを得ない問題であり、いずれかは自分の事として対峙する日が刻々と近寄ってきている
でも家族がいればなんとかなる場合もあるし、そもそも家族だからこそ、その前に絡まりまくってしまった過去に足をとられて思うようにならずつい感情がおさえられない自分に落ち込む人もいるだろう
『死』以外で家族をおしまいにするなんて事は想像もつかない自分のこれまでを少しは褒めてやってもいいのかも
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認知症を患った妻と、家族のことなど省みることなく好き勝手に生きてきた夫、2人の娘たち、妻の姉、遠い縁でつながった人、まったくの他人……。それぞれに問題を抱え、悩みながら暮らしている人達を主人公にした5編の連作短編集である。また認知症かあ……と思いながら読んだが、やはりこの病気はつらい。病に冒されるまでを知っている人達には耐えられない苦痛である。そして家族ってなんだろう? 共に暮らし生きてきた中で起きたいろいろなことと、どのように折り合いをつけるのか。それが鍵なのかなと思う。