フロイトの論証はかなり強引なのでは。
2023/03/23 18:05
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投稿者:L療法 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『旧約聖書』並びに、ユダヤ教、ユダヤ人の歴史をほとんど知らないけど、フロイトの論証はかなり強引なのでは。
一応資料にあたっているようだから、それを文章にまとめ上げる力量の問題かもしれない。
本書は、フロイトがまとめた最後の本であるらしい。
専門分野から、民族性への傾斜は、強まりゆくユダヤへの排斥がどこかにあったんだろう。
オーストリアからイギリスへの亡命を挟んでの二つの前書きが付された、第三論文で、ようやく精神分析的な検討が始まる。
キリスト教の保守性に守られていることを感じていたが、それは風にそよぐ葦のように、大きな力には逆らわぬものだった。
イギリスに行く前にフロイトの不安は人生最悪の状態に達したことだろう。
宗教的なものに疎いために、フロイトによる宗教の解体は奇妙なものに思える。
父親殺しとその残響。心理学的紐解きはいいとして、民俗学的な考え方について、迂闊すぎないか?
パウロによる、キリスト教の成立は、本書で一番納得のいくものだが、『幻想の未来』と、『トーテムとタブー』を読む必要があるっぽい。
フロイトの「遺書」とも言われる晩年最後の著作です!
2020/05/09 09:41
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、精神分析学の創始者であるフロイトによる最後の著作です。同書の中では、当時、猛威をふるっていた反ユダヤ主義の由来について、彼自身の仮説をもとにユダヤ教の成立と歴史を考察し、みずからの精神分析の理論を援用してキリスト教の誕生との関係から読み解いていきます。彼は言います。「モーセ(ユダヤ民族の解放者かつ立法者)が、実はユダヤ人ではなくエジプト人であったというフロイト自身の仮説において、モーセの一神教がエジプトの王イクナートンのアトン教を継承するものであり、ユダヤ人は神に選ばれたのではなく、その一神教を信仰させるためにモーセによって選ばれた民であった」と。。。同書の構成は、「第一論文 モーセ、一人のエジプト人」、「第二論文 もしもモーセがエジプト人であったなら」、「第三論文 モーセ、その民族、一神教」となっており、読むほどにフロントの恐るべき洞察力を知ることができます!
フロイトの頭の中
2020/04/27 22:21
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投稿者:ゆきき - この投稿者のレビュー一覧を見る
何度読んでもなかなか難しい。
フロイトの思想が難解すぎるのか、それとも支離滅裂すぎるのか・・・。
いずれにしろ、何度も読んでみたくなる一冊。
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フロイト最晩年の著作。支離滅裂な部分があり全面的に信じることはできないものの、真実を含んでいるのではないか。
・唯一神教の起源をエジプトにみる。若いファラオであるアメンヘテプ(後のイクナートン)は、それまでの多神教を捨て太陽神のみ(アトン教)を信仰するようになるが、エジプトの地では衰退した。
・エジプト脱出を指揮したモーセは高貴な生まれのエジプト人と推測する。イクナートンが亡くなり多神教信仰者から迫害を受け、アトン教は滅ぼされつつあった。そのときアトン教を信仰していたモーセ(政府の高官)がユダヤ人を引き連れ脱出した。モーセが口下手とされるのはユダヤ人と言語が通じず、通訳を通していたため。
・割礼は中近東では見られない風習であり、当時のエジプト人は一般的に行われていた。異民族と距離をとるためのユダヤ人に割礼を行うことで「聖別された民」とした。モーセによる宗教理念はアトン教よりも厳しく、脱出当初からユダヤ人の反発を受けた。そしてモーセはユダヤ人によって殺害された。
・エジプトを脱出したユダヤ人は近隣の民族と合流し宗教的にも混合した(カデシュ)。このとき導入された神がヤハウェであり、もともとは火の神である。モーセの信じた神とは全く性質の異なる民族神である。聖書の原文が確定されるまで800年ほどかかり、当時は歴史を事実通り残すという考えはもちろんなかったことから、モーセはユダヤ人ということになり、またカデシュのものと同化していった。
・モーセは殺害されたものの、モーセの教えを知っていたレビ人(モーセの仲間の子孫?)が口頭伝承にてユダヤ人に伝えていった。不遇にあえぐユダヤ人が生き抜く力を与えたのは、ヤハウェではなくモーセの神の理念であった。ユダヤ人にとってはおそらく、モーセという人物の姿と神の姿を区別するのは困難であったであろう。預言者を通し過去の信仰が復活していった。
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フロイト最晩年の書として有名な本書をやっと読むことができた。ユダヤ教成立の事情を、モーセの人物を推論して解き明かしていく。その立論の当否を論じる能力はないが、ユダヤ人フロイトがどうしても書き残したかった思いが強く感じられた。
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アテン賛歌(エジプト):汝のわざのなせるものはいかに多いことか。おお唯一の神よ、汝に比すべきものは他にない。汝は思いのままに世界を創造された。
旧約聖書(ヘブライ):御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。詩篇104章
アテン賛歌(エジプト):汝が西の果てに沈むとき、地は死のごとく闇にとらわれる。獅子はみなその穴より出で、這うものが出てきて人を刺す。
旧約聖書(ヘブライ):太陽は沈む時を知っている。あなたが闇を置かれると夜になり、森の獣は皆、忍び出てくる。詩篇104章
前14cアメンホテプ4。一神教を発明。その息子ツタンカーメン時代に多神教へ戻る。▼前13cモーセ。一神教再び。モーセはエジプト人であり、エジプトのアテン神はユダヤの神ヤハウェの原形。フロイト『モーセと一神教』1939
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オーストリアの高名な精神分析学者ジークムントフロイトの書いた最晩年の遺書的論文。彼自身がユダヤ人でもありナチスの迫害を受け親族のうちの何人かが強制収容所に送られている。
モーセがエジプト人でありアメンホテプ4世の一神教時代の神官であったという大胆な仮説を前提に、原始宗教のあり方やフロイトのエディプスコンプレックスをはじめとする精神分析論と絡めながら考察を展開している。世界史でも特異な人物として登場するアメンホテプ4世への当時の欧州での見方について(一神教であるキリスト教が価値観の前提にある欧州社会において多神教の古代エジプトの中で一神教を主張したアクエナテンは好意的にみられていたのかもしれない)見ることができ興味深かった。
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・原罪とイエスの犠牲となった死による救済という理論は、パウロが確立した新しい宗教の支柱となった。原父に反抗して反抗を起こした兄弟たちのうちに、実際に父親殺しの首謀者や扇動者がいたのかどうか、あるいはこうした人物像は、ある特別な人物を英雄として描くために、詩人の空想によって後の時代に創造され、これが伝承の中に組み込まれるようになったのかどうか、これは結論がでないままにしておかねばならない。
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・「モーセはエジプト人だった」または「モーセがエジプト人だったら?」
・「ユダヤ教の元ネタはイクナートン(アクエンアテン/アメンホテプ4世)のアトン(アテン)信仰」
みたいなことがつらつら書いてあるジークムント・フロイトの遺著。
あとはユダヤ教発発生の経緯(考察)とか。
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モーセの名前のエジプト起源: 「この指導者の名前モーセがエジプト語であったことは注目に値する。エジプト語のモーセはたんに子供を意味するにすぎない。」(p. 26) この事実は、モーセのエジプトとのつながりを示唆する重要な点として挙げられています。
イクナートンの一神教的改革: エジプト第18王朝時代のイクナートンによるアトン崇拝への改革が、世界史における最初の一神教的試みの一つとして言及されています。「紀元前一三五〇年頃、イクナートンがその名前をアメンホテプ四世から変えた(アメンヘテプ四世)。」 (p. 38)
モーセの教えの厳格さ: モーセがユダヤ人に課した教義がイクナートンのものよりも厳格であった可能性が示唆されています。「モーセは命令を下し、彼の民族に彼の信仰を強制した。」 (p. 86)
割礼のエジプト起源とユダヤ人の特徴: 割礼がエジプトに起源を持ち、ユダヤ人を他の民族から隔絶する役割を果たしたことが述べられています。「実除にエジプト人はこの割礼によって、他のあらゆる異民族との間に距離を作りだしていたのである。」 (p. 58) また、ユダヤ人の初期の神観念の厳格さは、モーセという人物から生まれた可能性も否定できないとされています。「ユダヤ人の初期の神観念のうちには、熱狂的であるとか、厳格であるとか、残酷であるなどの性格が神に与えられているが、これはもともとはモーセという人物についての記憶から生まれたものであるという可能性も否定できない。」 (p. 62)
モーセ殺害の伝承とパウロ: モーセがユダヤ人によって殺害されたという伝承の痕跡が言及されており、この出来事がその後のユダヤ民族の歴史に大きな影響を与えたと考えられています。「モーセが、みずからの率いたユダヤの民によって殺害されたという事実は、E・ゼリンが伝承の痕跡のうちから発見したことであり、奇妙なことに、若きゲーテも明確な根拠もなしにそう考えていた。」 (p. 198) さらに、このモーセ殺害の無意識的な記憶が、キリスト教におけるキリストの犠牲という概念に繋がった可能性が示唆されています。「救済者が罪なくして生贄となったというのは、あまりにも理解しがたいものであり、論理的には理解しがたいものである。」 (p. 194)
ユダヤ教の改革とキリスト教: ユダヤ教がモーセ殺害の罪悪感を抑圧する中で改革を進め、その結果としてキリスト教が成立したという視点が提示されています。「救済者の死をめぐる論理的な矛盾は、ユダヤ教の改革の究極的な帰結のうちに表現されている。」 (p. 196)
反ユダヤ主義の心理的根拠: 反ユダヤ主義の根底には、歴史的・社会的な要因だけでなく、無意識的な心理的要因が存在することが強調されています。「ユダヤ人嫌いの根深いい動機は、はるかに過去の時代に根ざしたものであり、諸民族の無意識のところに揺りおこる。」 (p. 329) 具体的な無意識の根拠として、割礼に対する嫌悪感などが挙げられています。「ユダヤ人を他の民族と区別するさまざまな風習があるが、その中でも割礼は忌まわしく不気味な印象を与えるのである。これは幼児の頃に恐れていた去勢の警告を思いだすからなのだろう。」 (p. 204)
精神分析におけるトラウマと集団心理: 幼児期のトラウマ(特に性的な内容を含むもの)が完全に忘れ去られても、その痕跡が残るという精神分析の知見が、歴史的な出来事や集団心理にも応用できる可能性が示唆されています。「この経験は攻撃的で性的な意味をもつ印象によるものであり、自我の早期の損傷(ナルシシズム的な傷)によるものである。」 (p. 168) 「抑圧されたものの回帰は、人類の文化史を満たしているさまざまな生活条件のあらゆる変動の影響を受けながら幾度も起こるのであり、自然発生的に起こるものではないかと思う。しかしこのアナロジーは個人心理学から集団心理学への移行を伴うものである。」 (p. 302)