紙の本
膨大な選択に直面する時代
2017/09/02 17:19
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投稿者:ルイージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
能動的選択とデフォルト・ルールとの対比。自由選択こそが全てにおいて善という主張もある一方で、日々膨大な選択肢に直面する我々が必ずしも能動的選択を望まない場合もある。例えばパソコンの全ての初期設定にデフォルトが無く、全てを選択しなければならないとしたら、必ずしも消費者は喜ばないだろう。しかしデフォルトルールの使い方には注意が必要だ。情報の非対称性により、誘導されることが必ずしも当事者にとっての利益になるとは限らないし、当事者が自由に選択しさえすれば社会全体にとっての公共の福祉に叶うとも限らない。JSミルの自由論と合わせて読むと興味深い。
紙の本
制度、自由論、行動経済学の融合
2020/05/31 22:43
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投稿者:ただの人間 - この投稿者のレビュー一覧を見る
能動的選択、(個別化された、されない)デフォルトルールを対比し、これらの制度設計に関する行動経済学や自由論を絡めて論じていく。デフォルトを設計することの意味、設計の仕方による影響、設計する前提としてどのような情報をどのように取るかなど、検討すべき論点に幅広く触れられていた。他方で、大屋解説も指摘する通り、必ずしも結論部分で踏み込んだ主張があるわけではない
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ナッジ
P22 個別化したデフォルト・ルールは学習を促さない。選択とは筋肉を動かすことであり、その筋肉を鍛えて動かすことはよいことだとみなすことができる。個別化したデフォルトは、過去の選択と矛盾しない結果となるように促すことによって、視野を広げるというよりはむしろ、狭める可能性がある。
このようなデフォルトルールは潜在的選択者の利益よりも自己の利益に動かされる人々によって、都合よく利用されるかもしれない。
P61 低学歴もしくは教養の低い人のほうがデフォルトにとどまる傾向が強かった。
P92 有害なデフォルトは多大な負担とコストを課す。それは惰性を克服するのがそれほど容易ではないかもしれないという理由だけでなく、デフォルトは正当でもっともな理由で選ばれたのだと多くの消費者が考えているかもしれないからである。少なくともある種の状況で、低所得者はことのほかオプト・アウトする可能性が低いという事例をとくに思い出してほしい。この結果は、損害をこうむっている余裕が誰よりもない人にとって、デフォルト・ルールがとりわけ有害となるかもしれないことを示唆している。
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人はデフォルトに依存しやすい。
デフォルトルールは人の学習と能力開発を妨げる。
快適さと快楽の追求は行為主体性を損なう。
能動的選択を主張するのは、パターナリズムの代案ではなく、パターナリズムの一種である。なぜなら、選択しないことを選択できなくなるから。
選択したくない場合でも、選択を奨励するのは、パターナリズム的。
個別化したデフォルトルールは視野狭窄を生む。デフォルトに留まる傾向があり、個別化していてもいなくても同じ。
選択が間違ったと感じた場合、受動的にデフォルトにとどまる場合、能動的選択よりも後悔することが多い。
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テーマとしては面白いのだが些末な話の繰り返しが多く、訳語もやや不適切で気になる部分が多い。今ひとつ頭に入ってこなかった。
・時間や注意力というのは貴重なリソースであり、たとえ自分の利益や価値にとって重要な選択であってもその全てに注意を向けるのは難しい。選択しないことを選択することで自分のための時間を生み出すことができる。
・選択を促すためにはインセンティブを設定することも重要であるが、ビッグデータの時代にあってはデフォルトを設定することも重要である。個人個人が何を望んでいるか、ビッグデータを利用することで最適なデフォルトが設定できる。
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文章ばっかで、グラフとか表とか、具体的なデータが殆どなくて、何が言いたいのか、よく分からなかった。
途中、ハイエクのことが引き合いにだされているとこを注意深く読んだんだけど、ここでハイエクの言葉を引用する意味があるの?自分の言葉で語れよ、って思った。
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いまという時代は、歴史上どの時代にも増して「あなたは何が欲しいのか?」と問いかけることが容易になった。一方でどの時代にも増して、個々人の状況にあわせてデフォルトをカスタマイズできるようになった。それが著者の時代認識である。
言い換えれば、多くの領域で能動的選択が可能になる一方で、選択しないことを選択することが可能になってきた。
著者は選択しないという選択が恩恵をもたらすと主張する。ただしそのためには、能動的選択とデフォルトルールが我々の社会にうまく結びつく必要がある。そのための細かい検討がなされる。
著者は概ね楽観的。デフォルトルールによって人間は多くの時間を無駄にせずに済み、時間があればあるほど自由になると考えているからだ。
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最大限の自由を実現しようとするリバタリアニズムと、相手の利益のための干渉というパターナリズムとを両立させる”リバタリアン・パターナリズム”という概念。
現代社会では、ひとは常に複雑多様な選択肢にさらされているので、自分にとってそれほど重要ではなかったり、十分な判断能力を備えていない問題については、”自分の利益が相当程度に守られることを前提として他者に委ねられる”ことを”選択できる”=”選択しないという選択ができる”=、ほうが個々人にとって幸福なのではという考え方である。安全な空気や水があらかじめ選ばれているように。
個々の利益が保護されよりよく実現するために公的主体やサービス提供者が、強制するのでなくさりげなく”ナッジする”というイメージ。
デフォルト設定と人間の行動の関係、オプトインとオプトアウト、制御アーキテクチャとセレンディピティアーキテクチャ、興味深い話が様々論じられている。
しかし・・・訳がちょっときつい。もしかすると巻末の解説を先に読むほうがわかりやすいかもしれない・・
P39 法律上のデフォルトルールに追加休暇が含まれない場合、人は休暇を買うためにあまりカネを払おうとしない。法律上のデフォルトルールに追加の休暇が含まれる場合、休暇を放棄するためにはかなりの金額を要求する。具体的には、進んで支払う金額の中央値は6000ドル、快く受け取る金額の中央値は13000ドルだった。既に所有しているものを売りたいかどうか尋ねると、所有していない場合に進んで払おうとする金額の約2倍を提示することが多い。
P53 損失回避が人類に(そしてほかの種にも同様に)どうやら生まれつき備わっているらしい
P64 低所得層は自分の判断に自信がなく、そのためにデフォルトの割り当てが固着するままにしておくのかもしれない。経験が豊富で自分の欲しいものが分かっている人は、デフォルトルールに影響されにくいという例をこれまでに見てきた。その理由の一つは、こういう人にとって努力税は払う価値があるからである。貧困層は自信がないために、努力税を負担したくないのかもしれない。
P96 能動的選択を支持するためにまずは3つの複雑な重要事項に注目してほしい。第一に、人が選択することを拒んだ時にどうなるかを明らかにしなければならない。その答えがデフォルトルールだというかもしれないが、選択を表明しない限り本当に欲しいものや必要なものを失ったり、手に入れられなくなることもありうるという意味で能動的選択を要求されるのだ。事情の2つ目はひとによっては選択しないことを好むというものだ。3つ目に、能動的選択は、人の選考を中立的な方法で引き出すことを目的にしているが、能動的選択を要求するという判断そのものが「シグナル」を含む可能性があり、そのシグナルが選択者に影響を及ぼすかもしれない。
P135 授かり効果=財貨を購入しなければならない場合よりも、それが最初から割り当てられている場合のほうが、人はその財貨を高く評価する傾向がある。【中略】授かり効果があるために、最初にだれが権利を手にするかを人や組織が判断する限りにおいて、人の選考および価値観が影響されないようにするのは困難もしくは不可能かもしれないということである。
P155 まともに機能している社会では、安全な飲み水や安全な空気をどうやって確保するか、あるいはそれらを確保するべきかどうかについて、人は判断する必要がない。【中略】我々は多くの場合、選択が他社によってなされるという事実に頼ることができ、そのような選択に煩わされずに自分の仕事に取り組める。これは、災いではなくありがたいことである。
P173 (制御アーキテクチャが行き過ぎた)自分がすでに賛同した意見や考えとだけ出会う、個別化した「共鳴室(エコーチェンバー)」は、個人と社会の両方に害を及ぼす恐れがある。【中略】個人及び社会的な観点から、セレンディピティ・アーキテクチャは制御アーキテクチャよりもかなり有利である。というのは、セレンディピティ・アーキテクチャでは、明確に選択していないあらゆる種類の物事と確実に出会えるからである。
P236(解説) 選ばないことを能動的に選択することと、単に何も選択しないこととは異なるのだ。
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この本の内容の前提として、
一般経済学
→ゲーム理論での合理的人間による市場の失敗の発見
→そもそも人間は合理的な行動はしない行動経済学、という流れがあるのですが略。
そこでサンスティーンが提案しているのが「選択しない選択」です。
人間は選択すると失敗するなら、選択しなければ良い。
ここで出てくるのが「デフォルト・ルール」で「何もしなければデフォルトを選択することになる」です。
人間行動には「固着性」があり、変化を促して行動させるにはそれなりの労力がかかります。
そこで、より望ましいほうにデフォルト・ルールを変えてしまう。
例えば、プリンターのデフォルト設定を片面→両面印刷にしただけで紙の消費が44%削減された事例などが掲載されています。
あるいは、臓器移植について、何の意思表示もしない場合は提供を認め(デフォルト)、拒否するには意思表示(オプト・アウト)が必要な国では臓器提供に賛同する比率が高く、逆に日本のようにデフォルトでは提供を認めず、提供には賛同する意思表示(オプト・イン)が必要な国では賛同の比率が低い。
これは日本人が臓器提供を嫌っているのでなく、単なるデフォルト設定の問題と考えられています。
以上のような場合はデフォルトは強力です。
市場ではデータの蓄積により、相手が欲しいものを先回りして提案することもできます。
(トイレットペーパーを送ってくるなど)
しかしデフォルトが適さないものもある(例えば進学先の選択)し、デフォルトには問題もあろます。
著者が必死で相手にしているのが『自由論』のJ・S・ミルです。
ミルは、人間の「自分で考えて自由に選ぶ力の大切さ」を訴えており、これに反論の余地はあまりありません。
デフォルトは、人から考える力や学習の機会を奪い、悪い場合にはデフォルト設定者に有利なほうへ誘導させるため、ミルの主張に反します。
例えば、カーナビはデフォルトで道を決めて案内するので運転に関する能力を奪います。
あるいは、Amazonで買い物をしたらいつの間にかプライム会員になってたり、楽天市場では最下部にメルマガ受信を認めるチェックボックスに最初からチェックが入っています。
一方で、人の時間は有限で「どうでも良い選択」をデフォルトに任せれば、より重要な選択に力を注げます。
そこでミルの主張を取り入れる形で「いつでもデフォルトから離脱できる」「デフォルトに参加する意思を示してもらう」という選択の自由を取り入れていることを強調します。
(しかしこれ自体も選択であるという問題もあります)
もう1つの「選択しない選択」は「他人に選択を任せること」です。
社長は営業部長に営業を任せます。任せることで、社長が「営業について選択するコスト」を削減できればより重要な問題を考えることができます。
ただし、重要な選択は営業部長だけでは決められず社長の決定が必要だったりします。この場合の問題は「社長は、営業部長より、営業について知らない」という点です。
この顕著な例が行政で、議員や公務員は国民のことを良く知らず、全く的外れなことをしたりします。
(市町村はまだマシで、国会や国家公務員のほうが的外れが多いのはこのためでしょう)
結論としては、デフォルト・ルールの設定が適している場合もあれば、適さない場合もある。
最初からデフォルトに参加(プリンターの両面印刷など)してもらいオプト・アウトする自由を認めたほうが良い場合もあれば、最初はデフォルトに参加せず、希望する人だけデフォルトに参加(オプト・イン)してもらう選択をしてもらったほうが良い場合もある。
しかも、同じ選択でも人による(車選びが好きな人もいれば、詳しくないので決めてほしい人もいる)。
…という歯切れの悪い結論なのですが、歯切れが良い主張よりは信頼できるでしょう。