最貧国と呼ばれている国を札束で顔を撫でに来る中国
2023/06/01 11:51
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の山形氏は「21世紀に入り20年がたった今でも、世界は理不尽な悲惨さに満ちている」と嘆く、ロシアのウクライナ侵攻、イエメンの内戦、マダガスカルの干ばつ、シリア難民、ロヒンギャ難民、そして最貧国と呼ばれている国々は札束で顔を撫でに来る中国の罠にはまってしまうのか、問題は山積みのようだ
開発経済学というだけで拒否反応するのはもったいない
2023/05/27 19:46
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投稿者:雑多な本読み - この投稿者のレビュー一覧を見る
1945年に第二次世界大戦が終了し、多くの植民地が独立していくが、経済的に劣位な状況はかわらず、自分たちの国を興すということで、経済再建が進められた。その時代から開発経済学が登場する。私たちもその時代の感覚しかないのであろうか。戦後の世界、とりわけアジア等の経済発展の経過が語られる。世界的に見ると貧困削減が進んでいく。国際的な経済支援が不完全なりにも成果があったことは間違いない。特に東アジア、大洋州であるが、サハラ以南のアフリカ、特定の国はまだまだという事実がある。マダガスカル、コンゴ、ブルジン、マラウイ等が続いていく。また、国という括りが適切かという意味で、女性、性的少数者、障害者等のグループで見ると風景が変わる。たしかに、生活水準が向上したことは多くの努力があったが、新しい時代では機会、エンパワーメント、安全保障という角度でアプローチが続く。より豊かになるための取り上げ方は、開発途上国だけの問題であろうかと思う。また、新型コロナ感染拡大で、ワクチン、治療薬の普及での課題も長期で続くことが理解できる。目次を見ると、
はじめに
第1章 開発経済学の始まりと終わり
第2章 21世紀の貧困―開発の成果と課題
第3章 より豊かになるために―経済成長とイノベーションのメカニズム
第4章 国際社会と開発途上国―援助と国際目標
おわりに となっている。
開発経済學は、世界的な貧困削減が進み、必要性はどうだろうかという課題に当たってくる。政府開発援助で日本は、戦後の復旧を経て援助側にまわり、ひも付きで日本企業ばかり儲けているという批判があり、その国の条件に応じて、ひも付きの割合は大きく減少する。現在は、また日本企業参加の割合が結果として高いようだが。その効果についての議論が続き、評価の仕方に変化がある。
さらに、国際的な援助のなかに、中国の影響の大きさが触れられる。援助というより融資しているというのが近い姿かもしれない。中国の援助は罠か果実かという話がある。それでも、国際協調の側面も見せており、今後の動向いかんということになるのだろうか。
開発経済学で、MDGSというミレニアムというところから、SDGSに移っているが、テーマが多く部分的に対応すればOKということから、開発途上国への支援をしなくても問題なしという風潮を指摘する。また、日本はアメリカ等の動きに引きずられているのか、大きく方針を変えている、非軍事といいながら、海上警備等の軍事安全保障に関わる支援、日本の国益重視の姿勢(相手国のことを考えることにより、日本の立場がよくなる等とは違った観点で)で、目先の利益を求める姿勢に変わっていることを指摘する。相手国、住民のことを考え、共感を持って取り組む姿勢を忘れていくかのように。手段ばかり考えずに、価値追及ということで、国際的な支援に関わる人にエールを送る姿勢は見習いたい。一読してほしい本である。
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
手を差し伸べる人と自然災害等で悲惨さに直面する当事者との関係を、携帯電話浸透の寄与と後発性の利益、外交の視点という国益の視点、中国の融資契約、さらにポストSDGsにまで言及して伝えている。情けは人の為ならずですね。
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悲惨に満ちた世界を少しでも良くするために!当事者の求めるものとは、効果的な支援とは何か。理論と現状を解説し、協力の理念を提言
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クルーグマン「開発経済学は役割を終えた」
二重経済論=支配する国と支配される国に分ける。
発展段階論=国内総生産に占める投資の割合が5%から10%に増加することが、離陸の条件、とした。
ガーナなどは、輸入代替工業化戦略をとった。
二重為替レート制度。加工度が上がると税率が上昇する関税制度をとった=クリフエスカレーション。
韓国や台湾は、輸出志向工業化で成功した。
「ワシントンコンセンサス」=IMFの指導によるコンディショナリティ。構造調整貸付の条件となったが、緊縮的財政運営を強いたため、成功した国は少ない。
国際貧困線は一日1.9ドル。貧困比率は低下している。
ジェンダーとは社会的に作り出される性差のこと。
キャッチアップ=後発性の利益。
経済成長は、技術進歩と資本蓄積で決定される=貯蓄率と生産性。
緑の革命=品種改良で技術進歩があった。逆に穀物メジャーが種子を独占している。
ケニアのMペサ=携帯電話による送金サービス。
経口補水塩療法=下痢のリスクから救った。
マラリアの新しい薬。キニーネに対する耐性菌を治癒する。
ヨーロッパは東西に広がっているため技術が伝播しやすい。アメリカは南北のため新品種、技術が変わる必要がある。
シュンペーターの技術革新論。
アローの技術革新論
リーフブロッキング現象で、既存のインフラが充実していると革新が起こりにくく、なければ先に最新技術が発展する。
バングラデシュの電気自動車=中国製の小型電気自動車の改良型。LNGが北西部には届いていなかった。
為政者は技術革新を奨励しない=中国の例、イギリスで産業革命がおこったことの背景、など。
HIVの薬は、ドーハ宣言で、特許保護が弱められて途上国に広がった。特許保護を強めるか弱めるか。ワクチン買取補助金事前保証制度で、その均衡を図る。
中国のコロナワクチンは第三相試験の結果を公表していなかったので世界には受け入れられなかった。
コロナワクチンの需要減で、南アフリカのワクチン工場は不振。
援助の必要性=貯蓄投資ギャップ=投資するお金がない。外貨がない=外貨ギャップ。
投資支出原則=援助は投資支出に限定する。
外貨原則=国外から調達するものに限る。
要請主義=要請された場合のみ援助する。
アンタイド化=日本製に限らない原則。
中国の援助は、商業借款に近い形。融資条件が厳しいが額は大きい。
中国の援助には罠がある。
返済の行き詰まりには、パリクラブで調整するが中国はパリクラブに加盟していない=差し押さえを実行する。
新開発銀行、アジアインフラ投資銀行、などで主導権を握っている。
MDGSからSDGSに変わったことで国際開発の側面が弱められ、環境保護、自国の開発の面が強まった。
目標が17に増えたことから、どれかに該当すればよくなった。
SDGSには価値追求型と手段追行型が混在している。2030年の期限切れでは、価値追求型に統一すべき。
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1970年代、80年代に学生時代を過ごし(学舎も同じ)、その後、アジ研等を経て、現在、立命館アジア太平洋大学で教鞭を揮う著者。
専門は、開発経済学。開発途上国が、現状を回復し、物質的に豊かに、社会制度的に高度に発展するよう、その仕組みを開発し、その開発上の諸問題に応えていく学問が国際開発論、その中で経済的なメカニズムに着目するのが開発経済学だそうだ。
とはいえ、開発途上国が独自に豊かに高度になる仕組みを開発というより、先進国からの援助、支援を如何に効率よく行うか、富の再分配の効率化によって底上げを図る有効な手段を探る学問と言っても良さそうだ。
同年代の著者が、その分野に興味を持った時代的背景も良く判る。
1970~80年代、イケイケどんどんの日本社会に育ち、我々日本は、貧困国に援助をする立場、という思いが身に染みている。
1960年初頭に日本は、経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)に加盟、当時の自由主義陣営の援助供与国(ドナー)の仲間入りを果たす。当初は、アメリカの25分の1程度の援助額だったが、1990年代に世界1位の援助国となる(1993年~2000年までTOPドナー)。そういう時代を過ごし、日本政府からの援助が、どのように使われ、如何に対象国の発展に寄与したのか(あるいはしなかったのか)を検証する、そして、より効率化を求める研究は、楽しかったに違いない。
が、その開発経済学も、役目を終えた(by ノーベル経済学賞のポール・クルーグマン)というワケではないが、ひとつの岐路に立っている感はある。ゆえの、このタイミングでの本書執筆なのだろう。敢えて、「入門」と冠し、その歴史、過去の功罪を含めて振り返ってみたもの。そして、今後の開発援助の行方、有り方を探る好著。
昨今、気になるのは、中国の政府援助は是か非か? 西側目線では、質の悪い高利貸し、マチキンの類で、いずれ身ぐるみはがされる、みたいな議論をよく耳にするが、「中国政府による開発途上国への公的資金供与は、融資条件は比較的厳しいものの、規模が大きいという特徴がある」と、冷静に分析している。
あと、かつての国際援助は、今やSDGSという言葉に置き換えられているという実態。そのことで、開発の側面が弱まり、環境保護や、独自開発が奨励されるようになったが、果たしてその効率、有効性はどうかと疑問を呈する。目標が多岐にわたり、なんでもSDGSだということにも、著者は異を唱える。
また、南北縦方向の援助の難しさの指摘は面白い。ヨーロッパが均一に発展してきたのも(もちろん差はあるが)、東西、すなわち横展開は、技術も伝播しやすいという側面がある。一方、南北アメリカ大陸の格差、アフリカや南アジアへは、いわゆる西側諸国が蓄えた、技術、智恵、あるいは農業で使ってた種、品種でさえ、縦ほうこうへ伝えていくには、新品種の改良や技術の開発、刷新が必要となるなど、いっそうハードルが上がる。なるほど。
そうした、東西、南北の貧富の差、技術力の差、時差を含め、あらゆるギャップを利益の源泉としてきた時代に社会人生活を送ってきた身��しては、今後の世界の在り方は如何に!?と、ついつい考えてしまう。その為の、基本情報を整理して伝えてくれている。
あとがきにある、著者が今の学生に感じる意識の差が、面白い(2108年から立命館アジア太平洋大学@大分県別府市に勤務)。
「学生たちはしばしば、「現実」が常に優位に立つと思い込む。また国際協力の実務者の側も「理想だけでは多くの人々の意見の一致(コンセンサス)が得られず、物事が前に進まない」という経験則を振りかざし、理想の意義を相対的に低めるメッセージを発しがちである。」
これに対し、本書で言いたかったことは、「理想こそが、すべての原動力であった」と強調する著者。右肩上がりの時代を駆け抜けてきた著者の思い、大いに同意できるが、それを、ストレートにぶつけても、停滞の四半世紀を過ごしてきた若者には伝わりにくいのかなとも思う。
が、今、時代は、ひとつの岐路にあると思う。これからは、「現実」がこうだからと、停滞していては時代に乗り遅れるのかもしれない。「理想」を掲げ、猪突猛進する時が来ているのかもしれない。
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戦後はじまった先進国から途上国への援助が、その理想に向かってどのように変わってきたかをコンパクトにまとめている。ただ最近の「自国中心主義」「SDGs」に現れる反理想傾向に熱く憂いていて共感できる。
「第三者が中立的に行うかのように見える外務省の第三者評価でさえ、(外務省の)ODA評価ガイドラインにより、日本の国益に合致しているかどうかという観点から評価することが義務付けられている」そうで、世の中の事件でよく言われる「第三者委員会」の捉え方にも疑問が出てくる。