「下山もまた登山なり」
2015/08/17 17:25
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投稿者:しろくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間をまるごと放り込んだような作品。
難解だという前評判から、いつかは読んでみたいと、しばらく「登頂」する機会を探っていたのですが、いざ読んでみると、愛すべきキャラクターばかりで、楽しく読め、深く感動しました。
確かに、上巻と異なり、下巻に入ると当時のヨーロッパの論点を網羅せんとした議論(政治、法学、政治学、歴史学、芸術、音楽、天文学…)が続き、果たして今小説を読んでいるのかと道に迷いそうになるかもしれません。しかし、あきらめず歩を進めてください。その道中、マンはすてきなエピソードをたくさん用意しており、小説の可能性に対する大いなる希望と人間の本質に迫らんとする彼の気概が感じることができるはずです。
そして、作品全体を貫く深くて暗いテーマを抱えながら、物語はやがて最後を迎えるのですが…、私自身、あの最後でしか最後たりえないのではないかと思います。
多くの人に「魔の山」を読んでほしい、そして、あの頂からの景色を見てほしいと思います。
人生の宿題にすることなく、ぜひすぐにでも読み始めてほしいです。
なるほど、これが『魔の山』ですか・・・・・・
2024/06/10 18:14
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投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る
本日、ようやく下巻を読了。なんとも名状しがたい作品。「解説」によると、ハンス・カストルプの成長を描いた「教養小説の系列に属する」(803頁)一作とのことであるが、単にそれにはとどまらない深みが間違いなくある。(例えば、人間世界(社会)の複雑さそのものを切り取っているとか。)また、主人公の覚醒と最後の終わり方という点では、トルストイの『戦争と平和』におけるピエールの行蔵と似たものを感じながら読み終えた。本来は再読三読すべき作品と解するが、その気力はもうないかも(笑)。
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ハンス・カストルプ青年は山での暮らしに相当慣れ、周囲の人々から多くの物を得ようとする。セテムブリーニとナフタの議論、ぺーペルコルンの持つ人間性、山での先輩ヨーアヒムの強行的な出発と帰還、オカルト的な死者の呼び出しと対話、決闘、様々な要因による死別。これらを乗り越えてハンス・カストルプ青年は確かに成長するのだが、その先に彼がどういう目に会ったのか、明確には描かれていないが、ラストを思い返すと心が暗くなる。
山の下に待つものは
2022/10/01 18:13
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
7年間の療養生活の中でも、虚無的なナフタの言葉が特に印象的です。健全な肉体を手にしたハンスが、やがては戦争へと巻き込まれていくような不吉な予感も漂っていました。
下界から切り離された
2018/05/30 05:05
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
サナトリウムの風景が味わい深かったです。不条理な滞在を迫られる中でも、自らの生きる意味を見つめ直す青年の姿が感動的でした。
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ドイツ文学の三大名作の一つ。とにかく大変でした。自分にはめずらしく読破するのに1ヶ月かかりました。内容は面白かったのですが、一つの作品に盛り込むには内容の種類が多すぎると思いますね
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ナフタがとても好きだ。
現実的なのは病であとは精神的世界と教養的世界で語られていたように思う。
ナフタの最期とハンス・カストルプを目覚めさせた戦争がそれまでの世界とのギャップでくらくらした。
ナフタが出て来てから物語は飛躍的に面白くなったけど、上滑りしたら意味ないのでじっくり読んだ。
作中語られるように確かに錬金術的物語だけど、重要なテーマの一つとなっている「時間」についてをあの魔の山の上で描くのなら理想的な長さの作品だと感じた。
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1924年に出版された小説にこんなに共感出来るなんて意外でした。「精神と肉体」だとか「生と死」だとか「愛」だとか「時間」だとか、そういったかたちのないもの、理屈で解明出来ないものとはやはりいつの時代にも不変のテーマなんですね。そしていつの時代の人々も、同じようなことを感じ同じようなことに苦しみ同じような結論を出す。面白い。本当に面白い。
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読んだ。面白かった。長かったなあ。執筆に12年の歳月を要したとのこと。
心身にこたえたタイプの面白さです。
難解な哲学的思索・論争を展開するのみならず、そこかしこにユーモア・諧謔精神までもが散りばめられているのです。このウィットに富んだところがにくい。富野作品のザブングル(古い)を思い出したりしました。
「ファウスト」(未読)、「ツァラトストラ」(既読)、と並ぶ20世紀文学の名作と言われているらしいけれど、“三枚目”で好感が持てました。サンバルカン(古い)で言うところのバルパンサー(イエロー)感があったような無いような。
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はっきり言って、よく分からなかった。
・文章が分かりづらく、頭に入って来ない
・宗教や共産主義あたりに関する知識がついていけない
・やり取りというか論争が形式的で何処まで真面目に取り合うべきなのか分からない
・童貞臭い
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若い頃でないと読み切ることが難しい。
それほど本書は読者に背景を理解するためのハードルを上げる。
宗教家と教師との長い論争は最たるもの。読者もまたその理解を求められる。
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堪能しました。
人文学者で合理主義者、ハンス・カストルプの師であるところのセテムブリーニの長々しい語りだけでも充分興味深かったのに、彼に強烈なライバルが現れる。
イエズス会の会員であり、宗教のためならテロやむなしとするナフタ。
この二人がそれぞれハンスを自分の陣営に引き込もうと語る語る。
ふたりに挟まれた形のハンスは、お互いに極論ばかり言わないで、何とか妥協点を見つけることはできないのだろうかとこっそり思うくらい。
現在の日本に生きる私は、やはりセテムブリーニの言い分の方が近しいと思える。
人間の尊厳であるとか、文学が持つ力であるとか、注意深く政治を見つめることとか、経済の重要性とか。
神の前にはすべてが等しいというナフタの理論は一見素晴らしく思えるけれども、神のためなら自分の命も他人の命もなんということはないという、テロリズムを容認するような考えは、宗派を問わずとても恐ろしい。
けれど、それが宗教の中心にあった時代は確かに存在し、それはキリスト教だけではなく、日本にだってあったのだから、まさに人間の問題なのかもしれないと思えてしまったり。
この二人のやり取りで格段に面白くなってきたぞと思ったら、もっと上を行く強烈な人物ペーペルコルン氏登場。
とにかく主語と述語がかみ合わないというか、文章を最後まで言わないで次の文脈に進んでしまうので、読んでも読んでも何を言っているのかわからない。
実際にそばにいたら、絶対イライラすると思うけれど、よくわからないことを自信たっぷりに語る大金持ちでやりたい放題のペーペルコルンは、なかなかに憎めなかったりする。
それが、唐突に療養所に持ち込まれた蓄音機によって、音楽について語られる章があり、心霊術の章があり、終焉に向けて一気に物語が動き出す。
ドイツ人であるトーマス・マンにとって、民主主義は最初単なる政治形態にすぎなかったのだが、第一次世界大戦後に民主主義と人間性の尊厳が結びついたとき、ナチスに抵抗する者としてアメリカに亡命するに至るのだということを解説で読み、改めてセテムブリーニとナフタのやり取りが重みをもって迫ってくる。
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ドイツ教養小説。
ドイツにはそんなジャンルがあるのかと尻込みしてしまう。
職場が変わって1年。
『文章の改行は文節ごとに。単語の途中など、意味上の切れ目でない場所で改行するのは美しくない』という社内のルールに、どうも馴染めない。任意の場所で改行して良いなんて学校では習わないはずなのに。
そんな時、上巻322-323頁を開いて唸った。1度も改行のない見開き。これだ、これだよ。
いつか読んだネットの記事で、保守と革新の分岐点についての解説があった。
曰く、人類の進歩の可能性をどう評価するか、にあると言う。
人類は過ちを犯すし堕落もしてしまう。従って過去の教訓を活かして再発防止を積み重ねるしかない。特定個人に依存するのは危険であると考え、過去から学ぶ、あるいは(堕落する前の)過去に戻ろうとすると、保守的になる。
いや、人類は進歩することができるし、これまでにない新たな価値や枠組みを構築できる。過去にはなかった何かを提げた特別な誰かが現れる日が来る。進歩を信じて新しいものを求めると、革新的になる。
確か、そんな話。
俗世から離れて療養に専念するする環境で、直子とレイコさんにも出会うんじゃないか思っていたら、順番はその逆。ワタナベが阿美寮に持っていくのが魔の山だった。
なんだってそんな本を、とレイコさんは言う。そりゃ言うよな、無事には出られぬ天国地獄。
(物語を終えるのに)まさか7年とはかかるまい、とまえがきで筆者が言い、3週間で旅は終わると主人公が繰り返し言う。結局主人公は7年滞在し、筆者は物語を終えるのに12年を費やした。
最初の数日がたっぷり時間をかけて描写される。
変化に富む毎日とは、その時はあっという間に過ぎていくように感じるかもしれないが、振り返れば長く感じる。一方で規則的で単調な時間は、振り返って見ればただの1日に過ぎないように感じられる。そんな話が挿入される。
すると、物語の中の時間がどんどんスピードアップして行く。まさに規則的な毎日が圧縮されて進んで行く。
物語の中で、時間は完全に支配されている。
話の中で、人類の進歩を信じた教師は、ライバルを失い、生徒も失った。自身の命もそう長くはなく、仕事は達せられそうにない。
人類に懐疑的だった宗教家は、傷つき憤った挙句に自死を選んだ。
その後には、保守も革新もない。戦争がやってくる。
主人公の内面に寄り添って来たところから一変。
従軍が始まるや、描写は急に彼から距離が取られる。よく知った家族・友人が・知人が戦場を駆けて行く。一体何の為に?
そして堪らず作者が主人公に語りかける、『さようなら』。
長く困難な物語に付き合うのは率直にいって退屈で苦痛でもあったが、こうして終わる頃には感慨も少なくない。不思議なもので、物語を通していつしか心情も支配されていたんだろうか。
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くっそムカつくしイライラする展開ばっかりなんだけど文学作品として最高峰のレベルに位置しているのはわかる。不条理をありありと描いた小説。
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なるほど、詰め詰めに詰め込まれている。
科学と自然、病と健康、人文主義と虚無主義。西欧と東洋。富。隷属。音楽。恋愛。戦争。
これだけてんこ盛りにされていれば、この本を脳内に分類始末をつけるに際して、気圧されたように「これは教養文学である」と言って逃げたくなる気は分かる。
逃げずに、ここに書いてあったことを整理してみようとすると、時間をくださいと言いたくなるのが正直なところ。しばらくかけて(下手したらこの後の人生をかけて)考えてみる。