紙の本
恐れずに。しかし、気をつけて。
2023/06/16 06:57
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
とうとうここまで来た、そんな感じ。
はじまりがあれば、終わりはある。
沢木耕太郎さんの長い旅行記もこの文庫版『深夜特急』第6巻が最終巻。
第13章「使者として」と一対をなすような
つまりそこで描かれた妻ある男性の愛人に対して、
ここではその妻の姿を描く第16章「ローマの休日」、
ポルトガルの岬でついに「旅の終り」をつかまえることになる第17章「果ての岬」、
そして旅の終わりとなるパリからロンドンの行程を描く
第18章「飛光よ、飛光よ」で構成されている。
この巻の沢木さんは
いかに旅を終えようかと模索し、悩む。
それだけでなく、旅の意義と向き合うことになる。
それは、自分自身との対話といっていい。
この旅で得たものもあれば、喪ったものもある。
それこそが年を重ねるということだろう。
そもそもこの旅行記に『深夜特急』とつけたのは、
刑務所から脱獄することの隠語「ミッドナイト・エクスプレス」からだが、
当時26歳だった沢木さんは
何から脱獄しようとしたのだろうか。
そして、旅を終えたあと、
沢木さんは自由を得たのだろうか、それとも
ふたたび収監されたのだろうか。
1992年9月に綴った「あとがき」で
沢木さんは最後にこう記した。
「恐れずに。しかし、気をつけて。」と。
すでに70代後半にさしかかった沢木さんは
今ならこう言うそうだ。
「気をつけて。だけど、恐れずに。」と。
電子書籍
ついに最終章
2023/01/16 20:28
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投稿者:マー君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本を出て1年以上。遂に最終章。それにしても沢木氏の旅は人との出会い。至る所で助けてくれる人に出会う沢木氏。すごいなあ。
最後の日本への電報は秀逸。
紙の本
深夜特急6
2022/09/16 20:50
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
旅はついにヨーロッパへ。物価が高くなり、旅が終盤に近づくにつれて金を払ってできることが少なくなってくる。イタリアから北へ、フランス・パリからロンドンを目指すのかと思いきや、南仏、スペイン、ポルトガルへと旅が続く。そして最後、ロンドンの中央郵便局から電報が打てるか、というところも含めて面白かった。
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沢木耕太郎が好きなスペイン、ポルトガルが舞台。ユーラシア大陸最西端の地、まさに情景が目に浮かんで見えた。
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ポルトガルでは、茶のことをCHAと言うと知る下りが良かった。
世界はぐるっと繋がっているんだな。
ポルトガルのサグレス。いつか行ってみたい。
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最後の最後まで楽しく、一緒に旅をしてるような気分で読むことができた。これで、旅がついに終わるのか、というさびしさを感じながらも最後は結局、やっぱり、旅がつづく予感。つくづく、旅の魅力にとりつかれてる感じは素敵。モナコで破産しないか心配だったけど、ジャケットなくてカジノに入れないシーンも偶発的な旅ならではいいし、ポルトガルの先っぽで、素敵なペンションにご厚意で宿泊させてもらったのもうらやましい。あの紅茶、きっと、すごくおいしいだろうに。ポルトガルは、Cの国だったのね。
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Cの国からTの国に入って寂しさを感じ、行き着いた先は再びCの国…
なんて美しい巡り合わせなんだろう。
そしてオチの清々しさ。いつまでもこの世界に浸っていたくなる…
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・ふと、私はここにくるために長い旅を続けてきたのではないだろうか、と思った。いくつもの偶然が私をここに連れてきてくれた。その偶然を神などという言葉で置き換える日つようはない。それは、風であり、水であり、そう、バスなのだ。私は乗合バスに揺られてここまで来た。乗合バスがここまで連れてきてくれたのだ・・・。
私はそのゴツゴツ下岩の上に寝そべり、いつまでも岸に打ち寄せる大西洋の波の音を聞いていた。n1861
(中略)
ポルトガルでは、chaは茶ではなくシャと発音するということだったが、「c」の仲間であることに変わりはなかった。
私は髭の息子が入れてくれた香り高い紅茶を飲みながら、これはあの懐かしい「c」の紅茶なのだと、笑いたくなるのをこらえながら思っていた。私は「c」より出て、今ふたたび「c」に至ったのだ・・・。
翌朝、朝の光降り注ぐテラスで食事をとりながら、これで終わりにしようかな、と思った。n1894
→終わりを決めていない人が、何によって終わりにしようと思うのか。5巻の対談で著者が言っていたけど、旅する中で擦れていった著者が再び旅の初期衝動を思い出したところで蹴りが着いたっけことかな。
・クックック、と笑いが洩れそうになる。私はそれを抑えるのに苦労した。これからまだ旅を続けたって構わないのだ。旅を終えようと思ったところ、そこが私の中央郵便局なのだ。 通りに旅行代理店が何軒か並んでいた。私は安いチケットを売っていそうな一軒に入り、船のチケットはあるかと訊ねてみた。応対してくれた女性は、そんなことは当然というように頷いて、訊ねてきた。 「どこ?」 「…………」 「どこに行きたいの?」 どこがいいだろう。そういえば、パリの屋根裏部屋の隣にいた若者がアイスランドの話をしていたことがあった。アイスランドに行けば魚の運搬の仕事があるというのだ。仕事はきついが、それは信じられないくらい高額なアルバイト料を払ってくれるということだった。しばらくアイスランドで働いてみたらどうだろう。 「そう、アイスランドは?」 私が言うと、相手の女性もにっこり笑って言った。 「もちろん、あるわ」 私はそこを出ると、近くの公衆電話のボックスに入った。そして、受話器を取り上げると、コインも入れずに、ダイヤルを廻した。 《9273──80824258──7308》 それはダイヤル盤についているアルファベットでは、こうなるはずだった。W、A、R、E──T、O、U、C、H、A、K、U──S、E、Z、U。 《ワレ到着セズ》 と。n2250
→5巻の対談であった、実際は帰ってきているけど、作品上は帰ってこないという文学作品としての「漂白」は、多くの人のガス抜きのための装置として必要。終わり方としては美しい。
・「第一便」と「第二便」を同時に刊行したときには、「第三便」もすぐに出せるものと信じていた。だが、それは実に長い「すぐ」ではあった。ゆうに6年はかかってしまったのだから。
理由は幾つかあるが、書き終えた今はどうでもいいことのように思える。この6年が、この「第三便」には必要だったのだという気さえする。
人は、深く身を浸したことのある経験から自由になるのに、ある程度の時間を必要とするものらしい。n2841
→部活で辛くても、後から振り返ると「悪くなかったなぁ」と思えるように、過去の経験を客観的に評価するには、一定の期間をかけてその経験を消化する必要があるんだろうな。
・しかし、そうした旅を気軽にできるようになった若者たちに対して、私が微かに危惧を抱く点があるとすれば、旅の目的が単に「行く」ことだけになってしまっているのではないかということです。大事なのは、「行く」過程で、何を「感じ」られたかということであるはずだからです。目的地に着くことよりも、そこに吹いている風を、流れている水を、降り注いでいる光を、そして行き交う人をどのように感受できたかということの方がはるかに重要なのです。 もし、あなたが旅をしようかどうしようか迷っているとすれば、私はたぶんこう言うでしょう。 「恐れずに」 それと同時にこう付け加えるはずです。 「しかし、気をつけて」 異国はもちろんのこと、自国においてさえ、未知の土地というものは危険なものです。まったく予期しない落とし穴がそこここにあります。しかし、旅の危険を察知する能力も、旅をする中でしか身につかないものなのです。旅は、自分が人間としていかに小さいかを教えてくれる場であると共に、大きくなるための力をつけてくれる場でもあります。つまり、旅はもうひとつの学校でもあるのです。
入るのも自由なら出るのも自由な学校。大きなものを得ることもできるが失うこともある学校。教師は世界中の人々であり教室は世界そのものであるという学校。 もし、いま、あなたがそうした学校としての旅に出ようとしているのなら、もうひとつ言葉を贈りたいと思います。 「旅に教科書はない。教科書を作るのはあなたなのだ」 と。n2878
→いく過程が大事だよな。話したくなる経験も、後から思い返していいなと思えるのも、大体家庭に起こる出来だったりする。
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知人から紹介された女性のおかげでローマを満喫することができたと思う。心の中のわずかなわだかまりも消え、ミケランジェロに心を奪われ、よってあっさりとイタリアを離れるのだ。
私にとって、この「深夜特急」のクライマックスはスペインからポルトガルへの旅だと感じた。私自身が旅をしているように入り込んでいたと思う。そして旅の終わりの結末は…。
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単なる誇らしげな旅行記ではなく、旅という一つの人生を良くも悪くも飾らずに語っているところが好き。
後書き対談にもあったが、旅行直後に記したのではなく沢木さん自身がじっくりと咀嚼し時間をかけて構成を練り書き上げた意味を感じさせる最終巻だった。
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読み終わってしまった、旅が終わってしまった。アイスランド行ったのだろうか。また「C」の国に戻ったというのがよかったな。
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政情や感染症の影響で2021年時点では行けない国も沢山ある一昔前の旅行記。一年をかけて、ユーラシア大陸をバスで横断すると言う素敵な旅。同じような旅に出たくなる。
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インドのデリーからイギリスのロンドンまで乗合バスで2万キロを行く。26歳の沢木耕太郎による大旅行記。多くの若者たちが熱狂したひとり旅の面白さを堪能できる。他の本は意外とつまらない沢木唯一の傑作。そして何よりインドに行くまでの前半のアジア圏の旅が非常にエキサイティング。その勢いで最後まで一気に読むことになる
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あらすじ
ノンフィクション作家である沢木耕太郎による紀行小説です。
1986年に1便が新潮社から刊行され、新潮文庫からは全6冊の文庫本として出版されています。
感想
時間があればこんな旅が出来るんだなって感じ。
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最終巻。ローマから地中海沿岸部を通ってマドリード、リスボンへ。ユーラシア大陸の果てを味わい、パリ、ロンドンへ。長旅のため気持ちの上で終わりを決めかねる。1年2ヶ月に渡るひとり旅。ただゴールを目指すのではなく、その土地その土地の空気、街、人を体感する。終了の仕方が今ひとつだったのが残念だったが、感覚が鈍らない若いうちの旅の経験は貴重だ。2022.2.25