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紙の本
ポストモダン的寓話と19世紀的物語の絶妙な融合
2002/09/23 13:54
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひろぐう - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ガープの世界』と『サイダーハウス・ルール』のあいだに位置する本作は、出世作である前者のヴォネガット的寓話世界を一層ソフィスティケートさせ、後者の19世紀ディケンズ的「物語」のリニアで明快な小説世界へとつながる好編だと思います。スタイルの模索による橋渡し的作品という意味ではなく、両者の良いところを取ったような感じです。ちなみに、これら三作はいずれも映画化されています。
『ガープの世界』同様、この作品も「こんなヤツいない。そんなことあるわけない」のに、現実以上にリアルで生き生きとしています。レイプ、近親相姦、同性愛、暴力、死、といったグロテスクで過激なテーマやエピソードにもかかわらず、独特のやさしさ・ユーモア・哀しみが横溢していて、ギラついた生々しさが感じられないというアーヴィング特有の寓話的世界が展開されるのも同様です。
まず、主人公一家のキャラの個性が強烈です。夢にしか生きられない父親、ホモの長男、互いに恋する姉と弟の主人公、小人症の次女と難聴の三男、そして、死んでから剥製となって存在感を増していくペットの犬。脇役もまた強烈で、ひとりとして「まとも」な人間はいないといってもいいくらいです。しかし、それがレイプ犯であろうと大量殺人を計画するテロリストであろうと、だれひとり憎めない。人間や生き物に対する哀しくも愛しいという、この作者の優しい視線を感じ取ることができるからです。
本作がよりソフィスティケートされたという印象は、前作にはなかった静かな諦観のようなものが流れているように感じたからでしょうか。加えて、意味が掴めそうで掴めない寓意・アレゴリーに充ちていて、ある意味では難解な部分もあるのですが、全体のストーリーとしては平易・明快で、リーダビリティが増しているということもあるのかもしれません。とにかく、「いい小説を読んだ」という豊かな充足感を与えてくれる一編でした。(→ホームページ)
紙の本
映画版もおすすめです
2019/02/11 22:31
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
近親相姦、レイプ、家族の死と彼の作品には悲しい出来事がいつも登場する。でも、読んでいると悲しい気持ちより楽しい気持ちになる。こんな家族のありかたもいいなと思えてくる。映画版もおすすめです
紙の本
悲しい出来事、なのに明るい
2002/07/08 21:50
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ポーリィーン - この投稿者のレビュー一覧を見る
熊のいる海辺のホテルでロマンチックに出会った両親と、それぞれに問題を抱えるその子供たち、ホモの長男、生意気な長女、長女を慕う次男、小人症の次女、難聴の末っ子。その上に次々と起こる暗い事件…なのに不思議と明るく妙に爽やかな読後感を残す魅惑の長編作品となっている。トニー・リチャードソン監督が映画化し、映画を先に見てその奇妙な前向きさや明るさといった魅力にとりつかれたのだが、映画と違わず原作も素晴らしく面白かった。
紙の本
開いた窓の前で立ち止まるな
2015/11/26 20:54
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:つよし - この投稿者のレビュー一覧を見る
家族でホテルを経営するという夢にとりつかれた家族の年代記。家族の一人一人が残酷なまでに運命に翻弄され、よわくて純粋なものほどあっけなく死ぬ。とはいえ湿っぽさはまるでなく、むしろユーモアと喧騒に満ちている。このあたりの語り口が、レンタルビデオ店で「ヒューマンドラマ」の棚に置かれたアメリカ映画を見ているような感覚で、あまり好みではない。だが、ストーリーテーリングの技術はさすがだ。緩急の付け方、ユーモアとペーソスのまぶしかたも一流。よく言われることだが、熊の着ぐるみを着たスージーは村上春樹の羊男を連想させるし、リフレインする言葉「悲しみは漂う(sorrow floats)」は、ヴォネガットの小説「スローターハウス5」での「そういうものだ(so it goes)」と同じ効果を与えている。印象的なのは、最後の頁。「しかしこれがぼくたちのすることである。夢を見続け、そしてぼくたちの夢はそれをありありと想像できるのと同じくらい鮮やかに目の前から消え去る。(中略)それが起こることであるから、僕たちには利口な、よい熊が必要なのだ(中略)開いた窓の前で立ち止まってはいけないのだ」。作中で引用されているフィッツジェラルドの名作「グレートギャツビー」のラストにある「緑の灯火」=見果てぬ夢が、重要なモチーフになっている。それにしても、自分にとっての「熊」はなんだろう。再読することで魅力が増す小説かもしれない。
紙の本
紛れもなくこの物語は現代の神話なのだ
2001/02/11 16:05
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
昔、某大学院で組織論を勉強していた頃のこと、教授やゼミの仲間と酒を酌み交わしながら談論する機会が何度かあった。教授は東京と宝塚に住居を持ち、東京へ行くたびに新着の洋画を観ては私達に感想を聞かせてくれ、それを肴に話が弾むことがたびたびあった。
なかでも「ホテル・ニューハンプシャー」を話題にした時は面白かった。確か教授が、一つ一つを取り上げれば荒唐無稽な出来事が唐突に次から次へと生起し、アメリカの片田舎からウィーンへそしてニューヨークへと舞台は転変する、まるで分裂病者の妄想のように物語は進行するのだが、観終わると奇妙に一貫している不思議な映画だった、というような話をしてくれた。私達は教授の評言に刺激を受けて、雑談はやがて「リゾーム状組織」の可能性といったところへ落ち着いていった。
その後実際に映画を観て、あ、これは現代の神話を造形しようと目論まれた物語なのだと思った。家族をめぐる神話、いや神話とはそもそも家族の物語なのだから神話そのものを造形(再現ではない)することが、アーヴィングの意図だったのだと。
もっとも今思い返すと私にとって映画「ホテル・ニューハンプシャー」は、フラニー役のジョディ・フォスターの強烈な存在感に尽きるものだった。今回原作を読んでいて、これは紛れもなくジョディの(正確に言えばもちろんジョディ・フォスターによって演じられたフラニーの)イメージそのままだと、一種のファン心理からわくわくしながら読みふけった。そういうわけで私にとっての『ホテル・ニューハンプシャー』は、ほとんどフラニーの物語となった(フラニーをめぐる愛の物語。語り手たる「私」つまりフラニーの弟にして近親婚の相手方となったジョンは、神話の語り部である。アーヴィングがこの作品は現代の「おとぎ話」だと言ったのは、そういうわけなのだ)。
ところで、神なき時代における神話とはスキャンダルに他ならない。──登場するのは多かれ少なかれフリークめいた人物ばかりだし、出来事はことごとくスキャンダラスだ。とは言えフリークの証であるスティグマは聖痕と記すのは気が引けるほど卑俗で、時として滑稽なしろものである。スキャンダルはアーヴィング独特の語り口(些末な細部の不当な拡大や何でもない語彙の意味あり気な反復、事件の予告と回顧談の挿入による過剰なまでの物語性の付与など)によって、常に象徴的な高みから引きずり降ろされる。
アーヴィングが造形しようとする神話は、私達が知っているそれから限りなくずれていく。だが、紛れもなくこの物語は現代の神話なのだ。ホテルとは家族が傷つけ合いながらも夢を育むべき神殿なのだし、狂暴性と滑稽なまでの優しさを併せ持つ半人半熊のスージーは、死とレイプからの救済を司る司祭なのである。
紙の本
非凡な人達の家族物語
2001/11/15 23:49
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浅倉南 - この投稿者のレビュー一覧を見る
個性的な家族の物語です。何より子供達がとても魅力的な性格で読み手を引きこませます。古き良き時代の風景がバックに流れていて、日本にはない独特な雰囲気をもつ1冊でした。「熊」を飼うホテルなんて、なんてステキなんでしょう!
終盤は幸せだった家族の突然の知らせでショックを受けました。下巻へ引っ張られそうな勢いです。
紙の本
ホテル・ニューハンプシャー
2020/08/25 20:14
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
誰かの小説の中に出てきて興味を持って読みましたが、最初はあまり面白いと思いませんでした。後からじわじわと感慨深くなるような本でした。