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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2003/08/01
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/253p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-401303-X

紙の本

博士の愛した数式

著者 小川 洋子 (著)

【日本数学会出版賞(第1回)】【全国書店員が選んだいちばん!売りたい本本屋大賞(第1回)】【読売文学賞小説賞(第55回)】この世界は驚きと歓びに満ちていると、博士はたった...

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博士の愛した数式

税込 1,650 15pt

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商品説明

【日本数学会出版賞(第1回)】【全国書店員が選んだいちばん!売りたい本本屋大賞(第1回)】【読売文学賞小説賞(第55回)】この世界は驚きと歓びに満ちていると、博士はたったひとつの数式で示してくれた−。記憶力を失った天才数学者、と私、阪神タイガースファンの息子の3人の奇妙な関係を軸にした物語。『新潮』掲載作。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

小川 洋子

略歴
〈小川洋子〉1962年岡山市生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞、「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞。他の著書に「偶然の祝福」など。

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みんなの評価4.2

評価内訳

紙の本

過去の非共有からくる浅い関係

2004/05/30 06:12

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:13オミ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 喫茶店でこの本を読んでいて、たまたまある曲が流れてきた。宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」だった。曲調・歌詞が本書の内容・雰囲気にピタリと来て落涙しそうになり急いで店を出た。

 心に残る本というのは「ひっかかり」がある本だと思う。私にとってのひっかかりとは、登場人物が現実を受け入れることの出来ない心をもち、それに抗うために行動し発言することだ。そうした言動が私の心に烙印を押し永遠に記憶を残す。悲劇とも言う。博士はどうしたわけか自分の現実を受け入れてしまっているように家政婦とその子には振舞う。完読して自分に聞いてみると、本書は永遠性を私の心に刻み込まなかったと言った。家政婦とその子ルートの思い出が博士の心に刻みこまれないのと一緒だ。

 殺人事件の原因は過去にある。生い立ちというものにその原因をもってくる小説は多い。過去に縛られる人間の性といってもいい。しかし、博士と家政婦とその子ルートは過去を共有できない。博士の新しい記憶は80分しか持たないから。確かに数学の定理や阪神タイガースの江夏は過去として共有が可能だが、その共有感はどこまでも浅い。

 博士の過去が明らかにならない。母屋に住む未亡人との関係がキーポイントになると予想されるにも関わらず、最後まで博士は未亡人との関係を語らないし家政婦もその子も博士の深いパーソナルな過去を自ら聞くことができない。これでは浅い人間関係にしか至らないだろう。小説の面白さが半減するはずだ。善悪の彼岸にある真理(数学)を持ち出してしまえば、なんだかよくわからない瞬間の美しさは描けるが話は前に進まない。ここに深い友愛や親愛というものが存在するだろうか? 博士の過去を聞かなかったことに家政婦は後悔の念すらもたない。過去を語る単なる家政婦のお話だった。深みを根こそぎ削った設定だった。

 スマートな作品に仕上がった本書とは対極に位置する小説。過去が次々暴かれて、それを受け入れられない人間同士の葛藤。戦いの末、相互受容していく物語を小川氏には描いてほしい。
 

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紙の本

ルーティーンワークを繰り返しているように思えて読むのがつらかった。

2004/01/13 16:57

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:山  - この投稿者のレビュー一覧を見る

 長編小説というのは短編のようにワンアイデアで押し切るなんてことでは長くならない。
 だからいろんなアイデアや材料が必要で、それらが上手に交差したり絡み合っていたり、時にはほどけたり、また太い柱が出てきてその周辺で調和をもたらしたりなど、長くなる「要素」と「必然性」が不可欠となる。

 この物語は「数学」というのが要素を越えて、テーマにまでなっているわけだけど、僕には壮大なテーマを用いすぎたように感じた。

 一般的にはとても高い評価を得ているみたいだけど、読み進みめるにつれ「ルーティーンワーク」してるなと思った。
 「章」というか「ククリ」というか、ある小さいサブストーリーの連なりとして、大きな長編が書かれるわけですが、「数学」にこだわるあまり、書き手(作者)がテーマに負けまいとして物語を書くのではなく「整合性」という名のルーティーンワークを繰り返しているように思えて読むのがつらかった。

 「読み手(読者)」というのは「書き手」が想像する以上に、文章の微細な表情から書かれたときの「書き手」の気分とか精神状態まで読み取ってしまうものだと思います。
 この小説、出だしはよかったけど、作者(書き手)は途中から「手に余ることをしてしまった」と暗に描いている。なんだか偉そうなことを言って申し訳ないんですが、そういうことを感じさせてしまう作品はあまり良い小説とは呼べない気がする。カメラワークばかりが気になる映画がくだらないように(意図してそういうふうに撮ってる場合は別だけど)、小説も技術や創作周辺のことなんか気にさせちゃいけない。読者をまるごと物語に没頭させる小説、そんなふうに書いてほしかった。

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紙の本

記憶が少ないのに数式は忘れない

2005/07/01 21:33

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:GKO - この投稿者のレビュー一覧を見る

博士の愛した数式は
ベストセラーと言うことで読んだけれども
そんなベストセラーになるとは思えるほどには感動できなかった。
ベストセラーだからといって読もうとする人は
あまりオススメできない。
でもすごく読みやすかったし
人間の皮肉さがでていたのはとても滑稽だった。
最初の方で数字がきれいになっていて
本当にそんなところがあるのかなあ
と言うほどすごかった。

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紙の本

大人の泣ける本

2004/12/02 20:35

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:mikage - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本を爆笑問題のススメという番組で知りました。“大人の泣ける本”という紹介だったのでとても気になり読んでみたのですが、私は最後まで読み終わっても泣くことができませんでした。物語全体の雰囲気はとてもすきで、それぞれの愛情が詰まっていて良かったと思います。料理をする横で博士が√に算数を教えているところは何だか温かくて、でも博士をみているととても切ない気持ちになりました。私が泣けなかった理由のひとつは、私が本当の意味で大人になれていないからだと思います。大人とはいつからなのでしょうか? 年齢とは関係なく、別のところにあると思います。もし私が本当の意味での大人になれた時、この本をもう一度読んで泣くことができたらいいなと思いました。

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紙の本

数学を勉強しようとしている中高生に読ませたい

2008/02/07 01:38

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:redhelink - この投稿者のレビュー一覧を見る

 私は数学が好きでした。でも日本史にも興味があったので文系へ行ったので3Cまでやりませんでした。大学でも数学系の授業は教職関係程度でした。それでも懲りずに授業を受けて、どのように教えたらいいのか、○○の単元では△△がポイントなんだな、と思いながらノートを作った記憶があります。

 そんな淡い記憶を蘇らせてくれた作品でありました。この本は勿論数学についても触れられています。そしてそれは読み終えたとき、数学が好きな人も、数学が好きでない人にも読んでほしいという作者の(私が勝手に感じ取った)意図があるように思いました。決して数学の『○○の公式』について熱く語っているとかそのような学術書ではないけれど、つい調べたくなる書き方がされていることにも注目してほしいです。

 登場人物は、80分しか記憶がもたない「博士」、家政婦として派遣された「母」、母の息子で博士がつけたあだ名が「ルート」の三人で構成されています。登場人物が少ないのは読み手にとっては、一人ひとりにより注目できるのでいいことだと思います(勿論多いものはそれはそれでいいところがありますが割愛)。この本では特に感情移入がしやすいことが特徴ではないでしょうか。博士の記憶のリズムをつかむまでの母の試行錯誤、家政婦規則に反するけれど、人道的に後回しにしたことで色々指摘されるやるせなさ、突然の雇用先変更などがあります。人と接していくことの難しさを考えさせられた場面でもありました。将来の自分の職業を思うと憂鬱です(笑)。

 また個人的に印象に残ったのは、博士がルートに数学を教えるときの姿勢や褒め方でした。ヒントの与え方、考え方について、答えが導き出されたときのリアクションや賛美の仕方は、私にとっては授業のうまい先生の学術書でも読んでいる気分でした。私はまだまだ拙い教え方しかできないので、生徒一人ひとりに教え方を使い分けることがうまくできませんが、そのようなこともしなければならないとか、考えるときの間の与え方や褒め方には、本文で描かれているような方法もあるのだと博士に教えられたのが印象に残りました。

 これを書いている時点では、本屋大賞を2冊ほど読んだことになります。『東京タワー』と共通して言えるのは、「いい話(感動もの)」であったということです。本屋大賞(票を入れた書店員)が今後もこのような話ばかり選ぶと、読者は本屋大賞そのものに対して飽きてくるのではないかとも思ってしまった私がいます。感動ものは確かに売れます。しかし、言葉はストレートにしか表現できないものではありません。たまには悲しい話、あるときは強烈な印象を与える話(例としては『バトル・ロワイヤル』なんかがそれにあたると思います。)を選ぶことで、

本屋大賞=感動ものしか選ばれない

ということを否定してほしいと思います。性格のひねくれた私の独り言として聞き流してもらえると幸いです。

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紙の本

「いい話」というだけの物語ではない。

2008/01/27 03:02

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ばー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 小川洋子は、今作品『博士の愛した数式』で第一回本屋大賞を受賞。小川自身は、『妊娠カレンダー』で第104回芥川賞を受賞。

 ここでいまさら言う必要が無いほど有名で、蛇足かもしれないが、念の為に。
 本屋大賞とは、2004年に創設された文学賞の一つであり、他の文学賞と大きく違うのは、「新刊を扱う書店の書店員が選考委員」という特徴である。現在の所の受賞作品を見てみると、「女性作家が多い」、「文学性云々よりもエンタメ性が重視されている」、「受賞作品全てが映像化されている」などの特徴が見られる(一部、ウィキぺディアを参照)。
 2008年一月末現在までの所、四作品が受賞作として知られているが、もうすぐ最新受賞作が決まるはずである。選考委員が書店員、という特徴からも、やはりというかなんというか、次世代の書物、文学を牽引する役割を担っているだろう。大きく拓かれた文学の誕生(又は再誕?)である。
 
 …などと、評論ぶった偉そう口調が出てしまってすいません。直木、芥川、メフィストと並んで、個人的に注目してるんで。

 前置きが長くなったのは、実は書く事があんま無いからだったりする。

 事故で記憶を80分しか保てなくなった元数学教授の老人、「博士」。家政婦紹介組合を介して、彼の義姉に雇われたシングルマザーの美人家政婦。その家政婦の息子であり、博士に溺愛される少年、「ルート」。彼らが紡ぐ、美しく、どこか悲しい話。

 これが概観であり、大体全てを表現していると思うんだけど、そういう「感動系のお話」として、物語らしい物語で、現代の良いおとぎ話だな、というのが一点。そっち系のお話として読んだらこれは、「小川洋子が書いた」というだけで一流で、外れるわけがない。小川洋子が『妊娠カレンダー』で見せたブラックさが無い分少し物足りないと私は感じるが(おとぎ話として、博士の「性質」にブラックさを求めることも出来るかもしれないが、そこに対する言及は避けたい。というか、したくない)。もちろん、「博士から【私】へ」、「博士からルートへ」、「ルートから【私】へ」、「ルートから博士へ」、「【私】からルートへ」、「【私】から博士へ」、と三人の間でそれぞれが「親子」どちらにもなりえる、という構成にも注目できる。

 我らがげんちゃん(高橋源一郎)が、どこかで小川洋子について触れた事を覚えている。詳しくは覚えてないが、おそらく褒めているような内容だった。
  
 この作品で大きく扱われているのは、さきほど述べた「いい話」であると共に、それでいて、細かすぎるほどの数学に対しての描写である。話の全てに数学が絡んでいると言っていいだろう。数学の「美しさ」の上に、「いい話」が置かれている。
 この作品が「いい話」で終わらないのは、この数学の描写という特徴のおかげである。

 数学という部門の真理に生きる人間が博士なのであるが、その博士が語る「真理について」は、こちらの心に大きく響く。
 私の印象としては、「いい話」だな、という一点であり、特別良いとも思えなかったが(これは私がひねくれているからであろう)、この博士が語る「真理」についての語りは一番光って見えた。

 彼が語った「真理」の対象は、「数学」であったが、私はそれを「文学」と置き換えて、小川洋子はやっぱりすごい、と一人で感じていた。この一冊でした「数学」への試みは、遠まわしな「文学」への試みじゃないのかな。それを博士という「特殊な運命を背負った人間」が滅びながらも実践し、それを小川はこんなにも「いい話」にしたんだから。

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紙の本

心あたたまるー

2013/02/18 20:47

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:はだかの王様 - この投稿者のレビュー一覧を見る

80分しか記憶が持たない博士、家政婦、その息子ルートとの間に数学の美しさを通して広がるヒューマンドラマ。

博士の数学を通したぎこちないコミュニケーションと、素直で優しいルートのやりとりに心温まる。

たまに読みづらい文章がある。

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紙の本

記憶が80分しか持たない数学の博士との心の交流を描く

2004/10/05 01:35

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:格  - この投稿者のレビュー一覧を見る

 舞台は瀬戸内海に面した小さな街,1993年.登場人物は四人だけ.家政婦をしている“私”と,その私が家政婦として勤める六十四歳の博士と呼ばれる元数論専攻の大学教授.そして,その義姉と私の10歳の息子である.博士は17年前の交通事故で,頭を打ち,以後,記憶が80分しか持たない状態になっている.すなわち17年前以降の新しい記憶がまったくない.たとえば阪神の江夏の大ファンなのだが,未だに江夏が現役と信じている.家政婦が毎日来ても,いつも新しい人がきたと思う.

 博士には,数学の面白さ,数字のもつ美しさを平易に語る能力がある.「質問した相手に誇りを与えることができる」というのは素晴らしい.見習いたいものであるが,単に心がければいい,というものではなく,一つの能力とでも呼ぶべきものかもしれない.博士の言葉を通して語られる,完全数,友愛数などの不思議さ,美しさには,数学をあまり知らない人でも理解出来るだろう.

 博士の愛した数式とはオイラーの公式である.まったく無関係と思われる自然対数eと円周率πが虚数によって結びつけられる数式.この数式を提示することによってなぜ変化が起こるのか,いま一つ分からないのだが,この数式のもつ不思議さと美しさはだれにでもなんとなく理解できるものだろう.自然対数がだれで,円周率がだれで,などと考える必要もない.

 博士の子供への愛情,私のだれにでも優しく接する気持ちと好奇心の強さ,そして,私の子供の博士に対して気持ちよく接する態度,どの登場人物の気持ちも清々しく,心地よい.ほのぼのとした気持ちになれる小説である. 

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紙の本

芥川賞作家の新境地?

2005/03/13 14:50

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ツキ カオリ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 作者の小川氏が芥川賞を受賞したのは、1991年、『妊娠カレンダー』という作品にて、だった。

 『妊娠カレンダー』を読んだ方はご存知だと思うが、この話は、グレープフルーツがキーワードの、怖い話なのである。未読の方は、ぜひ読んでみていたただきたい。この作品のイメージが強烈だったことに加え、例えば氏のある短編には、ケーキにたかった蟻の描写が出てくるものがあるのだが、そういったイメージが重なり合って、氏の作品群に対して、私は勝手なイメージを付与していたようだ。

 なので、この『博士の愛した数式』が、一昨年の、読売文学賞の小説賞を受賞しただとか、昨年の、第1回本屋大賞も受賞した、などという話を聞くにつけ、そうか、小川さんの怖い話が巷では流行ってるのか、何せ、ホラー・ブームだし、などと呑気に構えていたのであった(笑)。だが、本屋大賞というのは、確か、本屋さんが一番売りたい本に与えられる賞のはずだし、泣ける話という噂も伝わってきて、どういう内容なのか知りかったのだが、入手できたのは、つい最近のことだ。

 で、この本だ。この本を読んで、残念ながら、泣けはしなかった。もちろん、涙腺は大いに刺戟されたのだったが。

 小川氏は、人間のもつ、えぐみや渋みを抽出することに長けている作家だ。だが、あえて今回は、そう言う部分は抑制して書いている、というよりは、人物を動かしているうちに、まるで、炭火焼にすると肉の余計な脂が落ちてしまうように、自然に、えぐみや渋みが、なくなっていったのではないか、とも思った。

 唯一、博士が、感情を強く出す場面が、最初のほうにある。
 家政婦の「私」が、博士の食の好みを知ろうとして、声を掛けるところだ。

 「言うべきことなど何もない」
 不意に博士が振り向き大きな声を出した。
 「僕は今考えているんだ。考えているのを邪魔されるのは、首を絞められるより苦しいんだ。数字と愛を交わしているところにずかずか踏み込んでくるなんて、トイレを覗くより失礼じゃないか、君」

 これは、博士の、唯一見せた狷介な部分である。だが、この無二の我侭も、数字、数学を考えるためなのだから、いとおしいではないか。
 これ以外の大きな動きとしては、例えば、「私」の息子、「√(ルート)」が怪我をした際に、博士は大層慌てるのだが、それも「√」を思いやってのことだし、博士は終始、温和な性格として描かれている。

 かつて、こんなに優しい目線のみで、小川氏作品が描かれたことがあっただろうか。むしろ、これまでの氏の真骨頂なら、博士の狷介さを、いっそう、膨らませそうなものなのだが。「裏切り(?)」とも感じられるこの展開を、私は、いい意味として受け止めた。

 そもそも、80分しか記憶がもたない、とは、どういうことなのか。例えば、こうやって書評を書いているうちにも、5分、10分と、時間は過ぎていく。ある時点を「0」として、その目盛りを分単位とした場合、それが「80」に達した段階で、博士は「0」以前の記憶はなくなってしまうのだ。その論理でいくと、ある瞬間は、始点と考えれば全て「0」、終点と考えれば全て「80」である。ある瞬間を始点として、終点を追ってみると、もしくは、ある瞬間を終点として、始点を遡ると、などと連続して考えていくと、段々、思考の塊が、スパイラル状に、上へ上へと、動いていくような錯覚に囚われた(笑)。

 こんな、博士のような人が夫だったら、きっと私も、主人公の「私」のように、いかに、人参を人参とわからせずに食べさせるか腐心するだろうなと思う。何せ、「考える」ためには、栄養は、重要な要素だからだ(笑)。

 数学が、かつて嫌いだった、今嫌い、徐々に嫌いになりかけている、人達が、きっと、数学に対する新しい発見をするに違いない、本書である。
 

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紙の本

完璧な美しさとその悲しさを静かに味わえる小説

2004/12/04 13:20

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る

 人はなぜ数学を学ぶのか、という問いに対してよく世間では「論理的な思考方法を養うため」などともっともらしいことを言いがちです。私が中高生の時にもそんな理屈がまことしやかに流布されましたが、おそらく今でも状況は同じでしょう。

 このまやかしに対して御茶の水女子大の数学教授・藤原正彦氏がそのエッセイの中で敢然と矢を放っているのを私が目にしたのは大学に入った頃でしたでしょうか。分数の計算すらろくに出来ないアメリカ人が、議論となると日本人には歯が立たないほどとうとうと自論を述べる。だから数学の出来不出来と論理的思考との間には何の関係もないのだと氏は綴った後で、それではなぜ我々は数学を学ぶのか、と改めて問い掛けます。その答えは「数学が美しいから。その美しさを味わうために」。
 目から鱗が落ちるというのはまさにこのことです。数学は永遠の美しさをたたえている。でもそれは常に世界のどこかに姿を隠していて、我々が積極的に関わっていかないことには見抜くことが出来ないものです。

 本書「博士の愛した数式」は、事故によって記憶を蓄積できなくなった初老の元数学者「博士」と、彼に雇われたシングルマザーの家政婦「私」との交流を描いた小説です。記憶力を失ったことで永遠に循環する時の中に閉じ込められたかのような「博士」の真の姿は、家政婦である私にとって少しずつ解き明かされていく数式のようなものです。

 彼がかつて隠した秘密が物語の終盤に「私」の前に姿を現しますが、それはまさに数式のように永遠の美しさをたたえていて、読者の心にも迫ってきます。

 そして「博士」とともに「閉じられた永遠」の中に生き続けていたもう一人の人物が姿を現すに至って、その永遠の完璧なまでの美しさと悲しみを私たちは知ることになります。

 大きな起伏のある物語ではありませんが、しっとりと静かに胸にしみてくる思いを味わえる小説であると思います。

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紙の本

この世が出現する前からもう存在していたピュアな世界

2003/09/07 21:03

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 無性に数学の本が読みたくなって、それも、これまでから散々読み散らかしてきた(それにしては、いまだほとんど身につかない)数論関係の入門書、啓蒙書の類にどっぷりとつかりたくなって、休日の午後、前々から目をつけていた『なっとくするオイラーとフェルマー』(小林昭七著)を買いに近所の本屋に出かけたけれども在庫切れ。しかたなく新刊書の棚をひやかしていて『博士の愛した数式』というタイトルに惹かれ手にとってぱらぱら眺めていたら、あの「オイラーの公式」が出てきたので瞬発力で買い求め、その日のうちに一気に読んだ。戸田ノブコの淡い色調の挿画とも響き合う静かで透明で忘れ難い味わいを持つちょっと不思議な作品だった。

 自動車事故の後遺症で八十分しか記憶が続かなくなった六十四歳の元数学教授「博士」と父親を知らない二十八歳の未婚で子持ちの「家政婦さん」、その十歳になる息子で熱烈なタイガースファンの「ルート」(頭のてっぺんが平らなので「博士」がつけた愛称)を交えてのプラトニックでイノセントな交情を、1992年(ワイルズによってフェルマー予想が文字通り最終定理になる前年)の元気だった阪神の戦いの軌跡に重ね合わせながら淡々と描いた『博士の愛した数式』には、あの川上弘美の『センセイの鞄』とどこか似通った雰囲気がある。それが深いのか浅いのか、濃いのか薄いのかは別にして、魂のようなものが身体と言葉を通り越して直接交わり相互に浸透しあうピュアな抽象世界が「あわあわと」と形容するしかないリアリティでもって作品のうちにくっきりと設えられていた。

 ──ところで「博士の愛した数式」とは何かというと、「1−1=0」や江夏の背番号28が完全数であることを示す「28=1+2+4+7+14」もその候補なのだが、やはり(吉田武が『オイラーの贈り物』で「人類の至宝」と名づけた)オイラーの公式「e^iπ+1=0」(eは自然対数の底、πは円周率、iは虚数で√−1)のことだろう。

《πとiを掛け合わせた数でeを累乗し、1を足すと0になる。
 私はもう一度博士のメモを見直した。果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、恥ずかしがり屋のiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足し算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱き留められる。
 オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗黒の洞窟に刻まれた詩の一行だった。》

 ここでたとえば「博士」をπに、「家政婦さん」をeに、「ルート」をiにあてはめ、1は一神教の父なる神の、0は仏教でいう空もしくは母胎(マトリックス)の象徴であるなどとこじつけて、父親不在の家族小説とも言うべきこの作品を分析したみせたところで、何も語ったことにはならない。「数は人間が出現する以前から、いや、この世が出現する前からもう存在していたんだ」。小川洋子がこの数学的プラトニズムを標榜する「博士」を記憶障害者として描き、事故以前の凍結された記憶のうちに(「生涯で最も早い球を投げていた江夏」とともに)「永遠に愛するN」を封印させたことの意味をそこに読み取るべきだ。この世が出現する前からもう存在していた抽象世界でのピュアなラブ・ストーリー。

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紙の本

愛の物語、永遠に心に響く

2004/10/22 02:35

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:辻斬り - この投稿者のレビュー一覧を見る

これは、愛の物語だった。

博士の、数学に対する愛。
博士の、ルートに対する愛。
博士の、江夏豊に対する愛。

博士の記憶が80分しか持たないことも、ルートのことを毎日忘れてしまう
ことも、江夏豊がもうマウンドに立たないことも、すべて愛の前では無意味
なのである。

私の心の中には江夏のカードを首からぶら下げてルートを抱きしめる博士が
今でも鮮明に色をなしている。

久々にいい作品に出会えたことに感謝。

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紙の本

第1回本屋大賞受賞作

2018/05/23 05:29

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る

80分間しか記憶を保てない数学者が斬新な設定でした。数の秩序によって生きてきた博士が、人間的な優しさに触れ合っていく様子が感動的でした。

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紙の本

無くした歳月の重さ

2017/01/27 19:48

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る

数学が不倶戴天の敵だったため、小難しい数学の話を挟んだ作品かと思ったら痛いほどの悲しみの物語だった。博士とあの人が失ってしまったものの重さは胸を抉る。

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紙の本

ルートと素数のように

2004/07/29 19:28

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:祐樹一依 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 過去に負った事故により、記憶を80分しか保てない数学博士の下に派遣された家政婦の「私」。コミュニケーションにすら数学の知識を持ち出す博士は、確かにそうせざるを得ない事情によるもの。博士から「ルート」と呼ばれるようになった息子を加え、3人の普通で不思議な日常が始まる…。

 世界は驚きと喜びに満ちている…。登場人物が数学博士である、というそのものな要因もさることながら、難くて得体の知れないもの、というイメージがありがちな「数学」が巧く物語の中に染み込ませられています。確かに風変わりだけれども(いやいや、凄く奇妙だけれども)、不思議な日常は数学の美しさに裏打ちされた、当たり前の日常とは少し違った素敵な日々にもなり得るのです。

 別れて80分後に再開すると、博士とは初対面になってしまう。なんてもどかしいのか、と読んでいて何度も思いました。相手を目の前にしていないと考えを共有することも出来ない人間関係を、思ったことはありませんでした。「私」の人柄や、博士の思いやり、ルートの応える想い…、それらをひしひしと感じ、それゆえに、切なくて暖かい、つかの間のコミュニティには和まされ、小さなトラブルが起きたときの彼らの行動には息を飲み、その思考を少しだけ追ってみたくなるのです。

 多くの数字を包み込むことが出来るルートと、孤独な存在であるのに有限であるかは証明出来ない素数の関係のように、一見、相容れない二つの要素が混ざり合う可能性を求めて、数学者は、或いは人は、数式では表現出来ない奇跡を作り出すのでしょう。そして本作では、ある数学博士が、一つの公式を提示することで奇跡を見せている。その奇跡の正体は、己の目で見てください。

(初出:CANARYCAGE)

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