「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
紙の本
世界は分けてもわからない (講談社現代新書)
著者 福岡 伸一 (著)
生命に「部分」はあるか? なぜ存在しないはずの境界線を見てしまうのか? 脳が持つ認識の癖に切り込み、生命の本質をとらえ直すスリリングな科学ミステリー。【「TRC MARC...
世界は分けてもわからない (講談社現代新書)
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
生命に「部分」はあるか? なぜ存在しないはずの境界線を見てしまうのか? 脳が持つ認識の癖に切り込み、生命の本質をとらえ直すスリリングな科学ミステリー。【「TRC MARC」の商品解説】
60万部のベストセラー『生物と無生物のあいだ』続編が登場! 生命は、ミクロな「部品」の集合体なのか? 私たちが無意識に陥る思考の罠に切り込み、新たな科学の見方を示す。 美しい文章で、いま読書界がもっとも注目する福岡ハカセ、待望の新刊。【商品解説】
目次
- プロローグ パドヴァ、2002年6月
- 第1章 ランゲルハンス島、1869年2月
- 第2章 ヴェネツィア、2002年6月
- 第3章 相模原、2008年6月
- 第4章 ES細胞とガン細胞
- 第5章 トランス・プランテーション
- 第6章 細胞のなかの墓場
- 第7章 脳のなかの古い水路
- 第8章 ニューヨーク州イサカ、1980年1月
- 第9章 細胞の指紋を求めて
著者紹介
福岡 伸一
- 略歴
- 〈福岡伸一〉1959年東京生まれ。京都大学卒。青山学院大学教授。専攻は分子生物学。「もう牛を食べても安心か」で科学ジャーナリスト賞、「生物と無生物のあいだ」でサントリー学芸賞・新書大賞を受賞。
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
上質のミステリの味わい。詩的な美しさを持った文章のきらめき。
2009/07/26 19:32
12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:東の風 - この投稿者のレビュー一覧を見る
“部分と全体”“切断と連続”という、本書の重要なテーマになっている構図が、著者の話の持って行き方、話の構成の仕方にも生かされているところが見事。一例を挙げれば、第8章から展開される、ラッカーとスペクターによるATP(アデノシン三リン酸)分解酵素の精製実験の件りが、本書の前半で紹介された須賀敦子の「ザッテレの河岸で」の中の水路の名前とつながるところ。ジグソーパズルのピースが組み合わさり、はめ込まれて、ひとつの絵柄の完成を見たような思いにとらわれました。
何かこう、上質の本格ミステリの謎解きを味わったような心地と言ってもいいでしょうか。エラリー・クイーンの『Xの悲劇』『Yの悲劇』『十日間の不思議』といった傑作にある、部分の謎が寄り集まり、するすると合わさり、それが解き明かされた時の面白さ。それに通じる妙味を感じたんですね。一見バラバラに見えた話の中の点と点が結ばれ、あたかも星座のような絵柄を最後に生み出す本書の仕掛けと構成に、わくわくしました。
細胞を擬人化して表現したり、ジグソーパズルやトランプ・タワー(トランプカードで作る城)を引き合いに出しながら、生命のミクロのことを文学的に語っていく文章もいいですね。第1章「ランゲルハンス島、一八六九年二月」、第2章「ヴェネツィア、二〇〇二年六月」の件りは、特に素晴らしかった。詩的な美しさを持った文章のきらめき。<彼女の視線は私におそらく赤い光の粒子を投げかける>p.33 というところなど、思わず、ぞくぞくしてしまいました。
紙の本
分子生物学の門外漢である私も魅了してやまない、後幾度も読み返したくなる好著。
2010/01/04 08:26
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
前著『生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)』同様、あまりの面白さに2日で読了。
もう少し若ければ徹夜して一気呵成に読み終えたところです。
生化学を研究する著者が自己の専門分野の事例を引きながら論じようとするのは、かなり思い切って簡略化するなら、以下のようなこと。
部分を見ても全体は分からない。しかしそれでも全体を理解しようとして人間は便宜的に部分(パーツ)に分解して観察しようと努めるものだ。その方法論の限界を認めつつも、部分と全体、双方を見る視点を常に往還することの意味について考えたい。
著者が生化学の研究を進める途上で上述のように感じていく姿を読み、人間生活における言語の役割との相似性が私の頭をよぎりました。
世界を認知するために人間は言語というツールを使って世界を分節します。アプリオリに区分されているわけではないこの世界を、「名づけ」を通してパーツに分解していくのです。
目や鼻といった部位。桜や薔薇といった種類。名前によって切り分けることで私たちはそれを理解したと思うのです。
しかし私たちが「薔薇」と名づけて世界から切り出した花を十全に理解することは実はかないません。私たちが理解したのは「薔薇」そのものではなくて、「薔薇の名前」でしかないのですから。
こうした言語の分節機能に引き寄せて考えると、著者が論じる私にとって埒外の事柄も、より理解が進むように思われます。
さらにいえば、前著同様、著者の品位あふれ、なおかつ衒学に溺れない筆致は大変好ましいものです。
どこか馴染みのある美しい文体ですが、その「どこか」がいずこにあるのか、今回ようやくわかりました。
著者は本書で、須賀敦子の名を引いてその文章の虜になったことを告白しています。そう、あの端正で流麗な文章に私も魅かれた覚えがあります。あの筆遣いと似た調べが著者・福岡伸一にあり、私の心に心地よく添うのです。
紙の本
「人は自分が見たいと思ったものしか見ない」とカエサルは言った
2009/10/25 22:35
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「人間は自分が見たいものしか見ない」とカエサルが昔言ったと、塩野七生の本で読んだ記憶がある。
福岡が カエサルの言葉を知っているかどうかは僕には分からない。但し福岡が本書で書いている内容は カエサルが喝破した内容に見事に重なる。
連続している物事に対して 人間は それに区切りを入れて Map化することで 事態を認識するという手法を得た。
人間は 他の動物に比べて 驚くべき体力や繁殖力があるわけでも無い。にも関わらず その認識力で地球に君臨することが可能になったのがこの星の歴史だ。但し 物には裏表がある。その認識力によって 逆に 人間は自分の見たいと思っているものを 実際に見たかのように構成する力も得てしまった。そうして「そんな構成力が 時として現実を歪める」という「治すすべのない病気」に罹ってしまったのが人間であると福岡は主張する。本書で紹介されるデータ捏造事件の本質も カエサルが2000年前に言ったことの変奏曲だ。
この病気の治療法について福岡は その有無も含めて答えを出してはいない。但し そういう病気に自分が掛っていることをきちんと知っていることはとても重要だと福岡は言っている。
僕はそう読んだ。
福岡の本は面白い。こういう書き手を得たことは生物学にとっても 僕らにとっても幸せなことだ。「人間とは何か」という人類最大のテーマには色々なアプローチがある。哲学、経済学、心理学、社会学といった様々なアプローチに並んで 生物学というアプローチには 驚くべき豊かな可能性がある。福岡の本にはいつも そんな可能性が満ちている。
紙の本
生命の神秘も宇宙の神秘とともにミステリアスである
2009/09/13 11:02
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作者の文章は、詩的である。それでいて、ちゃんと科学を語っている。今回の新書も『生物と無生物のあいだ』に続き、素敵な作品である。
人は、全体を見ている時には部分が見えない。そして、部分を見ている時には全体が見えない。それをどう紡いでいけばいいのだろうかと考えさせられる。それは、科学の分野だけに言えることではないだろう。経済、歴史、言語などのあらゆる研究において、同じ壁が立ちはだかっていると思う。
ヴィットーレ・カルパッチョの「コルティジャーネ」と「ラグーンのハンティング」の話は、『ダヴィンチ・コード』のような上質なミステリー小説を読むようであり、マーク・スペクターの章は一級の犯罪ドキュメンタリー、コンビニのサンドイッチの話は、身近な食品で語られる科学の講義と1冊でいろんな味を楽しめるのも魅力である。
それにしても、生物とはなんと不思議な現象なのだろう。その神秘に接する時、我々がいかに何も知り得ていないのかを痛感する。極大も極小もいまだ人類には謎なのである。
紙の本
全体と部分
2011/06/11 23:37
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る
人は大きく「マップラバー」と「マップヘイター」に分類できるらしい。
「マップラバー」というのは「地図大好き人間」
自分の位置と目的の場所の位置を定めないと動けない、というタイプの人。鳥瞰的に世界を知る事が好きな人である。
「マップヘイター」というのは、その逆。
全体像には興味がなく、自分の前後左右などの関係性だけ分かっていれば十分、という人。
一見、「マップラバー」の方が良さそうに見えるが、実は道に迷いやすいのはこちら。自分の位置が特定できないと動くこともできなくなってしまうものらしい。
時と場合によるかもしれないが、自分は「マップラバー」の方であると思う。
「これについて調べなさい」と言われたら、まず全体の概要を把握して、その上で調査対象が、いくつかに分割できるなら分割し、それぞれの部分ごとに分解して機能を調べるだろう。
おそらくは、多くのひとがこのような方法でやるだろうと思う。
何かについて調べる時、それを細かく分けていかないと、どんな性質を持つものか分からない。
だが、分けたものを単純に合計したものが全体か、というとそうでもない。(特に生き物の場合)
そのような意味で「世界は分けてもわからない」のである。ただし、「分けないと理解できない」が・・・
紙の本
生命現象に「部分」は存在しない
2024/04/20 09:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界は連続していて、動的平衡の状態にあるにもかかわらず、
人間が認識するために、見える範囲、理解できる範囲を切り取って、
「部分」と定義しているだけ。
「部分」を取り出すために、どんどん切断していく。切断して失われるもの。情報、エネルギーの流れ。
切断され失われるもの、それが生命の本質なのではないか。ということ。
明らかにしようとして、逆に失われる皮肉。
紙の本
分子生物学者が語る生命科学の限界
2022/05/04 04:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:穴部 - この投稿者のレビュー一覧を見る
生命はもともと動的であるにもかかわらず、科学は生命を停止させて見ることでしか分析できない。それでも生命科学者たちは生命現象を明らかにしようと限界に挑み続けている。
紙の本
タイトルは著者の言葉の前半分。
2010/01/22 17:11
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の書き方は生命科学の一般解説書としては独特だと思う。本書にもその特徴ははっきりでている。最初の2つの章などは学会の話とか膵臓の話をしているのに、美しい文章は「科学の説明」というより「文学作品」の雰囲気である。そして一見関係のなさそうな章が並び、最後の章でこれまでの章のキーワードがはめ込まれてまとめ上げられていく。
この形式を「推理小説かジグソーパズルの面白さ」と評価するか、「論理的でなく散漫」と感じるか。最後のまとめ方を「斬新」とおもうか、「こじつけ」と思うか。このあたりで読者の反応が大きく変わる気がする。
「福岡節」は読者を選ぶ。
内容的には生物学のこの方面に少し携わった人にはそんなに目新しい着眼点でもないだろう。後半、8章からの数章で語られているのは、生命科学の最近の負の話題としてはわりに知られているデータ捏造問題である。その中、第9章では10数ページに渡り電気泳動のゲルの作成から結果の解析まで、原理ではなく操作手順が延々と書かれている。経験のある人の中には「いまさら思い出したくもない」と感じる人もいそうであるが、知らない人には面白く読めるところにもなるだろう。読んだり聞いたりするだけではカッコよさそうな職業も、実際は単調作業、地道な作業、汚れ作業が結構ある、という例に漏れない、と言うだけかもしれないが。
表題の「世界は分けてもわからない」も、自然科学では随分とりあげられ、そんなに目新しい議論ではない。しかし、「わからない」で終わってしまうこのタイトルでは、少々自然科学への否定的な意見にとられかねないのが残念と思いつつ読み進んだ。
じつは著者は、エピローグのあとのページ数もついていない最終頁を、以下のような言葉で終えている。
「分けても分からないと知りつつ、今日もなお私は世界を分けようとしている。それは世界を認識することの契機がその往還にしかないからである。」
世界を分け、切り取って理解するしかない、と言う意味では科学も言葉を使う人間の営みの一つである、という意味なのだと思う。yukkiebeerさんの書評も同様のことをさしているのだろう。(言葉という網で世界をすくうのだが、当然網の目からこぼれ落ちるものもある、と言うようなことを言っていたのはベイトソンだっただろうか。)
タイトルは、著者の言葉の前半分だったようだ。著者の意見が最後の最後でやっと見えた気がした。ストレートには話を運ばない、一癖も二癖もある書き方をする著者である。
著者の美しい文章で読むことで、生物学のやっていることをはじめて興味深く読んだ、それにより生き物をより理解できたと感じる人も多いようである。それで正しい理解が深まればそれに越したことはない。しかし、読み手が思っていたような面だけが強調されて読み取られてしまうことが少しこわい。著者も書いている通り、「人はみたいものしかみない」ものであるから。
蛇足ながら、「帯」について一言。現在店頭に並んでいる版には、全体の4分の3に及ぶかと言う「帯」がついている。こうなるともう「帯ではなく」カバーがもう一枚ある、という感じである。そして「科学者たちはなぜ見誤るのか?」などの文字がちょっとセンセーショナルに並んでいる。帯には「こんな風に読んで欲しい」という出版側のメッセージが刻まれるものであると思っているが、この帯もタイトルと同様、内容の一面しか見ていない感を否めなかった。