紙の本
異国の生活
2020/01/21 23:27
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
巻末にボリュームある解説があってかなり参考になる。それに丁寧な注釈はそのページにあって、イボ族の歌詞も日本語に訳され、付属の栞には登場人物まで載っていて良心的な本作り。慣れないアフリカ文学という敷居の高そうな本だが、その丁寧さには好感。ウォムフィア村のオコンクウォという男が、村の中で声望を得て財をなし妻も3人と子供たちといちおう平和に暮らしているが、その男性的な権威と力に頼る頑なさのために罪を犯して転落していき、最後には(この文化の中では忌み嫌われる)自殺を遂げる。当時のアミニズムの世界観での人々の暮らしと、迫りくるヨーロッパのキリスト教による侵略との対比の中で簡潔に描いて力強い。その文化は異様にも映り始めはとっつきづらいが、読み進むうちに独自の一貫した論理もあって洗練されていることがわかり、この小説が垣間見せてくれたその世界は忘れ難い。
これが3部作の最初の小説なら、その後の作品も合わせて訳してくれたらと思うのは贅沢というものだろうか。
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崩壊と転落
2020/07/26 17:44
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
アフリカ固有の文化や風習が失われていく過程が、淡々と描かれています。すべてを手にした後で破滅へ向かう、主人公・オコンクゥワに現代の成功者を重ねてしまいます。
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アフリカから西洋を批判した作品
2019/01/26 23:26
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ナイジェリアの作家、アチェベの作品。未開の地を舞台にした作品というと想像してしまうのが「アラビアのロレンス」のように、知恵も勇気もなくて、ただ列強のされるがままになっている現地人を率いて戦う白人という図式しか想像できなかったのだが、この作品ではイギリスに支配されているナイジェリアのあっても、イギリス人が野蛮としか理解できない(キリスト教以外は野蛮な邪宗だと思い込んでいる)崇高な宗教が存在し、その宗教を基盤とした村社会が成立していたという前提から話が始まる。主人公・オコンクウォは戦士として死んでいきたいという苦悩の末に自殺という村では隠避といわれる方法を選択してしまう。その過程でのイギリス人(白人)の狡猾さは、なぜもっと後世に批判されないのか
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民俗学的な語りのおもしろさ
2015/12/19 22:01
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投稿者:アトレーユ - この投稿者のレビュー一覧を見る
大好きな民話の語りのような話の流れ、そして少しダレそうになるあたりから一気に、起承転結の“転・結”がくる。小説としての完成度が高いというのかな。アト的に一部(アフリカの地域住民の慣習・伝承という基礎の上に成り立っている日常生活のお話。民俗学的)だけでも満足だけど。日本でもアイヌや蝦夷の話がある。同じように征討されて終わるのかと思いきや、意外な結末。だが、きちんと行く末を描かないことが、あからさまな政治臭を消し、小説としての浄化させてる、と思った。
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解り合う努力を放棄して力で押さえつける安易さ…
2017/01/18 11:00
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投稿者:sin - この投稿者のレビュー一覧を見る
自然と共に生きるすべを呪術信仰に昇華したアフリカ人と、民族の衝突と私利私欲により洗練された宗教を持つ白人の、各々の神の正当性の主張はその背景にある武力の差によって優劣を決定された。白人は博愛の神の代弁者として圧政を敷きアフリカの風習を野蛮として退けたが、悲しいかな主張の隔たりが或る場合のお定まりの成り行きとは云えないだろうか?解り合う努力を放棄して力で押さえつける安易さ…
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アフリカ伝統社会が西欧文明の流入により壊れてゆく様子を描いた小説。前半は伝統社会の描写で入り込むまで時間がかかるが、それでも読み進むねうちはある。映画「セデック・バレ」や、明治日本の近代化、さらには高度経済成長以後の日本の変化にも重ね合わせて読んでみたい。
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最後は痛烈。日本の明治維新における、漱石を初めとする文豪の問題意識や西郷隆盛の西南戦争と共通するところがあり、特に日本人にとっては、古くて新しい問題である。それは、第二次世界対戦後という現況にも問題を提起している
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少し前に文庫化されぜひ読みたいと思っていた一冊。アフリカ文学の父といわれる、チヌア・アチェベの記念碑的一冊ということ。アフリカ文学には聡くないので、そういう意味での評価はできないが、歴史的背景も合わせて様々な学びを与え、人間と歴史の気づかない側面を教えてくれた。
未開のアフリカ、一部族を取り巻く現代の侵入とりわけ西洋、キリスト教の侵入を描いている。レヴィ=ストロースをはじめとする文化人類学の発展は、未開の兄弟たちに対する人権的な意味での理解を進めてくれた。キリスト教主義からの絶対史観がよろめいてしばらくたったところに新たに相対的な視点を与えてくれた。この作品はそういう視点に立っているといえば少し違うのかと思う。文化人類学はあくまでも西洋が見た未開の人間に対する学であるが、アチェベは現地イボ人の作家であるのだから。アチェベ自身はキリスト教化の後のアフリカに生まれ、熱心な信徒である両親の愛を受け育った文化人であるが、この作品から漂う土と血と鉄の臭いは、アフリカの血を受け、人と信仰と歴史の交差路に悩む生きた人間の生臭さがある。
一様にキリスト教を非難しているわけではない。土着の文化の非人道的な解釈も痛々しさは隠せない。こういう文化の中には明確に人間個人に先んじる価値が存在していて、それを守るためなら人間を殺すことにも躊躇はしない。しかしイケメフナを神託を持って殺したオコンクォには抑えることの出来ない葛藤と後悔があふれていた。
『崩れゆく絆』とはよく作品を表したタイトルである。部族の伝統と宗教が西洋の侵入によって崩れていく。しかしそこに描かれるのは、人間自体が持っている悲しさである。部族の価値にとどまるも、キリスト教に染まるも、悲しき人間の生き方、歴史である。
15/3/26
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「アフリカ文学の父」と言われるチヌア・アチェベの作。
アチェベはナイジェリア・イボ族出身で、ロンドン大学のカレッジにあたるイバダン大学(ナイジェリア最古の大学)で学んでいる。
アチェベはコンラッドの『闇の奥』を批判したことで知られる。アフリカの人間性に目を向けず「ヨーロッパすなわち文明のアンチテーゼ」としたというものである。アフリカ人を「野蛮」としか見ていなかったというわけだ。
アフリカを描写する「異なる物語が必要」として、実際に創作したのが「アフリカ三部作」と呼ばれる作品群で、この『崩れゆく絆』が最もよく知られる(他の2編、『もう安らぎは得られない』『神の矢』に関しては、少なくとも入手しやすい邦訳は出ていないようである)。本作は別の出版社から数十年前に旧訳が出ていたようだが、この版は2013年刊行と新しい。原著は1958年初版。
物語は1900年前後のナイジェリアが舞台。
呪術や慣習に支配される地で、「男らしく」畑を耕し、勇猛に戦って名を築いていたオコンクウォ。強き男、頼りになる夫、恐い父である彼は、古くからのやり方で、精霊や祖先を崇め、一族の秩序を脅かすものと戦ってきた。役立たずだった父親からは多くのものを受け継ぐことは出来なかったが、彼は強い心で働き、自力で名声や財産を勝ち取ってきた。
妻は3人、広い屋敷も出来た。一族の最高位に登り詰める日も遠くないはずだったが、不運に見舞われ、村を追われた。
村に戻れる日を待つオコンクウォは、よからぬ噂を耳にする。得体の知れない白い男たちがやってきて、禍をもたらしているようなのだ。
時が満ち、ようやく故郷の地を踏んだオコンクウォ。凱旋さながら華々しい帰郷を祝うはずだったが、白い男たちのせいで、村はすっかり変わってしまっていた。
やがて、強い男、オコンクウォは悲劇に見舞われることになる。
前半は伝説や言い伝えに支配される呪術社会を鮮やかに描き出す。
動物たちが登場する昔話は想像力豊かで美しいが、こうしたお話は女向けとされている。
オコンクウォの息子、ンウォイェは実のところ、こうしたお話の方が、父の武勇伝より好きなのだが、男らしくあれと期待する父に背かぬようにそれを隠している。
世が世ならば、父と子の小さな齟齬は表に出ぬまま、世代が引き継がれていくはずだった。
この社会はこの社会として秩序を保ち、この社会の論理で物事を解決し、幾分の揺らぎを含みながらも大きくは平穏に過ぎていくはずだった。
そこに突如、白い人々の論理が持ち込まれた。
論理と論理がぶつかり合ったとき、そこに武力も加わったとき、社会はがらがらと轟音を立てて崩れ去る。
軋みの中で、オコンクウォは滅びへと転がり落ちていく。
残酷なまでの鮮烈さで。
物語の時代設定は、アチェベ本人が生まれるより前のことである。アチェベ自身は言うなれば欧州流の教育を受けている。
本作に関しては、「村」の描写が正確でないという批判もあったという。確かに幾分か「鮮やかすぎる」ような印象は受ける。しかし、「村」の「空気」やオコンクウォの「気質」は如実に描き出���れているのではないか。それがフィクションというものだろう。
原作には一切の注がないという。訳者には注を付すことにいささかの躊躇いもあったようだが、本文に添えられた詳細な注と解説が作品のよい導き手となっていることは間違いないように思う。あとがきに記された訳者の真摯さに敬意を表したい。
読み通してみると、三部作の残りの2作品が読めないのは残念なことに思う。なかなか困難なことなのかもしれないが、もしも訳書が出るようであれば手に取ってみたいものだ。
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ヤムイモのリアリズム。アチュべはナイジェリア出身の作家。ナイジェリアはヤムイモ産出量世界1位。なによりもまず重要なのはイモであり、あらゆる食事にヤムイモなのである。
客人がやってきてに「コーラあるよ」ともてなすのだが、これはコカコーラの原料の「コーラの実」のようである。覚醒作用があるようなのでやっぱりお酒かドラッグみたいなものなのか。
ナイジェリアの生活様式が興味深い。村で生活するためのシキタリ。それを決めるのは長老かお告げ師である。長生きできることが尊敬に値する、というのは子供の生存率が低いということからも分かる。
コミュニティでは親分から種イモをもらって小作は畑を肥やしそれが生活の糧となる。一夫多妻制で、主人公の妻は3人いる。家屋は主人を中心とし放射線状に離れがあり、妻はそこで子供と暮し、毎日主人の食事を用意する。家長はとても威張っている。作ってくれた食事に文句を言うし、安易に妻へ暴力もふるう。いろいろとしょうがない。
村の余興はレスリング。もちろん強い男が評価される。村人たちはそれを見るのが娯楽。村には巫女がいて「憑かれていない」ときは普通に生活している。(←これはあとで豹変する)
近隣のコミュニティとの軋轢もある。おそらく生贄状態でやってきたよその村の子供を囲って主人公は息子同然に育てるが、村の長からお告げによりそいつは殺すべしと指示され、親代わりだった男が自ら手をくだすことになる。ひどい。それは成長した他所の男が女を孕ませることができる歳になっているという危機感による、原始的な男らしさでもある。
女性は16歳で嫁に行く。婿希望者は持参金を持って女性の父親とかけあう。男同士は椰子酒を飲んで仲良くなる。嗅ぎ煙草を入れている「山羊の革の袋」がよく出てくるが、これはおそらく山羊の胃袋で携帯するポーチのような役割として使われているのではないだろうか。
一夫多妻なので、男子を生むことが女性の地位をあげることになる。子供をたくさん産んでも成長させることが難しいのは悪霊のせいなのであったりする。あるいは大事な石をどこかに埋めてしまったからであったりする。
(登場人物がどんどん増えていく。舞台はアフリカなので「ン」ではじまる名前も多く、慣れないと覚えるのが難しい)
そして後半、突如外部から白人が宗教を布教しにやってきて、長く続いていた土着コミュニティはもろく崩れていく……。ここからですよキモは。キリスト教と白人の欺瞞が。ああ、アフリカの文学。コンラッド『闇の奥』が苦手だった人にもお勧め。今の時代、わたしたちが知るべきはこっちの世界だ。
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チヌア・アチェベ『崩れゆく絆』光文社古典新訳文庫、読了。呪術と慣習の根深い伝統社会で生きる人々とそこに忍び寄る「文明」としてのキリスト教の植民地支配。
伝統的な価値観の崩壊と変化に抗あらがう男の悲劇を描く本作は、「アフリカ文学の父」と呼ばれる著者の代表作。
著者のコンラッド批判は有名だが、ただ著者の筆致は単純な否定と肯定でもない。カウンターとは違うそのたたずまいに多元主義の徴が光る。
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https://twitter.com/africakotowaza/status/972963632064573440
「他人の物語が気に入らないなら、自分の物語を書け」 チヌア・アチェベ(ナイジェリア人作家)
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アフリカ文学というくくりが正しいのか、自信が持てないが、疑いの余地なく、優れた文学である。
未知の世界。加えて、読みにくい、非直線的な書き口。私から見ると、非情で、矛盾を感じる文化。
しかし、最後まで読み通し、その言われようのない悲劇的結末に接し、全てに予期せぬ意図を感じたのだ。人間社会、人間とはいかに信頼に値しないか。
社会分裂、変化、崩壊の触媒としてのキリスト教。
『ルーツ』で書かれた世界は一面に過ぎなかった。
語り手が、登場人物の視点が、内と外を往還し、不条理をあぶり出す。その文学性に感嘆した。
くり返すが、深い次元で声を失った作品であった。
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ひとことで言うと部族の価値観をやや過剰に体現していた男がそれ故に居場所を失う話。出来事は突然に起こる(銃が暴発するがごとく)、但しその予兆、萌芽が十分に感じさせられるのでオコンクウォ、ウムオフィアの運命に必然性を感じられる。
部ごとの変奏がすばらしく、ラストは美しく冷徹。
作者やイボの実存を問う作品で歴史的な作品なのだと思う。
訳も原書と比較したわけではないが、とても丁寧で愛を感じる。訳者あとがきも同様。ただ本編読了後早く読みすぎないほうがいい気がする。素晴らしいので自分の感想が抑圧されてしまう気さえする。
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民族誌半分、物語半分。カメの昔話、家族の仕組み、ヤム芋の農業。歌や市場や巫女の存在意義、アフリカ文化の基礎知識がないから、珍しい。
キリスト教の西欧がアフリカの人々の信仰を無慈悲に蔑み侵入してきたのを当事者の目から書いた、アフリカの人々 可哀想、なだけで終わらない文学。
村人たち、とくに主人公オコンクォが男らしく(横暴とも言う)自分勝手で他人の心情を解さない男で。伝統を重んじ自分の力で長になろうと努力した主人公が、自分の今までの行いから、自分の精霊(チ)の運命に逆らえず結局超えられない、というところに皮肉と悲哀を感じる。