オールド・メディアへの訣別宣言(読みごたえあり)
2022/06/01 20:19
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジャーナリズム(ジャーナリスト)論としても、企業組織論としても、日本政治論(史)としても読める大変読みごたえのあった一書。付箋だらけになった一冊ですが、肝心のいわゆる「吉田調書」問題について、背景・経緯や社内のドロドロをはじめとして実に明快に理解できた。(他の場所に行った東電社員が、「結果的に」命令に違反していたことは明白なので、要は原稿に「逃げ道」を作り忘れたところをさまざまな思惑を有する方々に利用されただけの話に過ぎないとの印象。元を辿れば、ある意味巷間よくある話であり、「のりしろ」と「鷹揚さ」を失くした日本社会や各種組織、職業人などのすさまじい「劣化」とレベルの低下を改めて感得。)著者のますますの活躍を願っています。
企業小説に近い話
2022/11/18 07:47
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投稿者:GORI - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分が会社人間に過ぎなかったと気づいた著者が、ジャーナリストとして立ち上がって書き上げた告発本。
新聞記者の仕事、大企業の新聞社の内部などが分かりやすく書かれていて面白く読めた。
著者が朝日新聞社の中で転落する契機となった吉田調書が新聞賞に匹敵するスクープから誤報にされた経緯も描かれている。
わずかな隙を広げて悪者に仕立てるようなやり方に恐怖を覚える。善良な市民がある時犯罪者にされた様な恐怖だ。
国家の意図なのか、組織の意図なのか、自分が知らないところで裁かれてしまう。
そんな所から著者はジャーナリストでありたいと力を蓄え、牙を研いで待っていた。
これからも真実を暴く仕事に期待します。
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本を代表する大新聞だけにその報道姿勢はもちろん、中にいる記者一人一人にも、厳しい眼差しが向けられる。
中には立派な記者もいるし、そうでない記者もいる。いい報道も首を傾げたくなる報道もある。
それでもやはり、朝日は一つの権力である。
2014年以降、世間のバッシングにさらされ、それに対して組織としておかしな対応をした朝日新聞の内情について、
中枢(渦中)にいた元エース記者が書いた本書は、さすがに筆力も臨場感もあり、ぐいぐい読ませる。あっという間に読んでしまった。
描かれている政界や、組織の勢力争いは、新聞に限らず、多かれ少なかれ日本の組織にあることだろう。
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投稿者:にゃあこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝日新聞社で著者寄りではない者にとっては面白くない内容だろうが、新聞業界人にとっては、「へー」と思う程度で、とりたてて衝撃的ではない。「自分は有能なのに報いられなかった」という、この種の作品にありがちな述懐が各所に伺える。自らが失脚する原因となった福島第一原発の報道のくだりは、言い訳めいている。文中に実名で登場させた人物のその後についても、回収しきれていないなどスッキリしない部分が多々ある。
朝日新聞の迷走の舞台裏に迫るノンフィクション
2024/02/15 17:36
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投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
福島原発事故に関する報道で、「吉田調書」という文書の名前を記憶されている人は、今では少ないかもしれません。東京電力がひた隠しにしていた事実が、故吉田所長の証言で明らかになったスクープでした。ところが、それが「誤報」であったと訂正されてしまったのです。当時私は朝日新聞にはちょっと否定的な心証もあったのですが、「吉田調書」のスクープを読みたいがために、オンライン会員登録をした記憶があります。
本書著者は「吉田調書」がスクープとして取り上げられ、当時発行部数を減らしていた新聞の救世主と持ち上げられた直後、「誤報」と訂正され、さらにはその責任を全て負う形で朝日新聞を去ることになります。その経緯が、当時の朝日新聞経営層や、編集の要職にいた人々を全て実名で登場させて描かれています。
国家権力を監視し、批判するべき新聞が、国家権力を忖度して言いなりなっていく様、大新聞社が記者個人に責任を負わせようとまさに襲い掛かって来る様をリアルに描写しており、引き込まれてしまいました。
本書のもう一つの読みどころは、政治部記者がどのように政治家との信頼関係を持ち、取材をしている(していた)かが述べられている部分です。番記者と政治家との緊張感あふれる駆け引きや、登庁前の早朝から夜の会食を終えて帰宅するまで、まさに「夜討ち・朝駆け」の現場の描写は、これも著者が番記者として関わった政治家が与謝野馨、古賀誠、竹中平蔵、菅直人とかなりの大物だけに非常に興味深い内容でした。特に印象的なのは古賀氏との関わりです。ニュースなどで見る限り、それほど派手に立ち回る印象のなかった古賀氏が、なぜ派閥の領袖として存在感を維持したのか、全てではないにしてもその一端が紹介されています。
全体を通じて硬派な内容のノンフィクションですが、著者が元新聞記者だけに、過度に脚色することなく、読みやすい文章で構成されています。
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「ヤメ朝」による内幕暴露本。エリート主義、官僚主義的統治が深々と浸透し、ジャーナリズムの実践よりも自身の出世と権力掌握を行動原理とする「記者」たちの集団である朝日新聞社の実態がリアルに綴られた出色の作品だ。自慢話っぽい部分もあるが、政治取材の生臭さや新聞社が権力に屈服して行くサマが克明に記録された意義は大きい。ただ、こういうことが知れ渡ると、ただでさえ少ない新聞記者志望者がさらに減るだろうな、とは思う。そもそも、大学を出たばかりの若者をリクルートして記者にしよう、という発想が間違いなのだ。当の新聞社がそれに気づいていないのだ。
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やはり、こういった特殊な仕事をしている方の自伝はおもしろい。政治家の振る舞いや言動も人それぞれで楽しかった。一気に読めてしまった。
自伝を書くくらいだから著者の個性も相当なものなんだろう。基本的には自分に相当な自信があり、自分が中心だったのだろうなぁと想像した。記者は、そういう方が多いのだろう。組織やチームにいたら面倒なんだろうが、離れて活躍を見る分にはとてもおもしろい。
物書きって、読者があってのものだと思うが、著者がトラブルにあうまでは一切読者が出てこない。スクープを取ることも他社なり他のチームなりを意識して競争しているが、それを読む者は一切関係ない。エリート記者による民衆の啓蒙、といったものを私はひしひしと感じた。その後、ネットを気にするようになり新聞の凋落を体験した著者が読者を考えていくように変化していくところが、個人的にはよかった。
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新聞はどれも読んだ情報そのまま鵜呑みにしてはいけないと改めて感じた。
私は以前、某新聞社に取材を受けた経験がある。その際、自分ではなく周囲の政治に関する関心度合いについて話した内容をあたかも私自身がそう思っていると、話をすり替えられて掲載された。
事実であるか、本人の主張とは異なっていないかどうかなどインターネットやTwitter等を活用しながらダブルチェック、トリプルチェックして自分自身で判断することが今ではかなり求められていると思う。
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著者は朝日新聞の政治部エース記者として長年活躍しながらも2014年に福島原発の「吉田調書問題」の責任を取る形でそのポジションを降り、2021年に退社したのち、現在はメディア「SAMEJIMA TIMES」を運営している。そんな著者が朝日新聞で一体何が起きたのかを、反省と共に綴る一種の内部告発とも言えるのが本書である。
朝日新聞の実態については既に様々な言説が飛び交っているし、本書で詳にされる内実も、そうした言説と大きな違いはなく、それらに対する裏付けであると言える。そうした点で、既に死につつある朝日新聞という企業がこのまま本当に死んでいくのだろうという思いを私個人は抱いたが、それ自体は本書の面白さというわけではない。
むしろ、個人的に本書から強く印象に残ったのは、著者自らの「私は傲慢であった」という強い内省である。
件の問題の責任を負う形で、誰もが羨むエース記者から落伍して落ち込む著者に対して、妻から投げられたのは「あなたは傲慢罪よ」という強い投げかけであった。その言葉で自らの傲慢さに気づき、内省と共に自身が次になすべきことを見つけていくプロセスは、1人の人間として極めて称賛に値するものだと感じた。
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朝日新聞社政治部→全社の暴露本 類書にない切り口 政治部の本質と時代変革
著者はバリバリの政治記者だが、吉田調書・SNS経験を経て、自身の視野を広げ
新たなメデイア創造に夢を開く
外岡さんに感想を聞きたかったところ
1.政治部の本質は 政治記者と政治家の個人的結びつき
担当した政治家の栄達=記者の立身出世 政権交代は望まない
特ダネを抜く競争だが、政治の根幹・本質を詰めることはない 勉強も不足
日本のシステムは属人的癒着 Globalに堪え得ない
2.個別イベントと朝日新聞社社内の対応
個々の案件対応が社内政治に反映する 猛烈な権力闘争 社内エネルギー
しかしコップの中の嵐に過ぎない
「東京オリンピック」朝日の経営問題絡むと記者は主張できない「社説」
カネと論説が分離できなくなる
3.New Media 登場
新聞・テレビ既成マスコミのステータスが弱まる
事実報道であればSNSが優位になる スピード・コスト・価格
「論壇」の価値で競う
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時代は変わっていく。しかも加速度的に。しっかり仕事をして、頭を使っていれば、分かるはずなのに、その変化を見ようとしない人たちが実に多い。気づいても気づかないふりをして、変わりたくない人たちが実に多い。
朝日新聞は崩壊のカウントダウンを始めた。ひょっとしたら会社は残るかもしれないが、良質なジャーナリストが集う媒体ではなくなるのは必至だろう。しっかりした人ほどやめていく。そういう現実が、この本ではっきりと描かれている。
さて、この手の「新聞社崩壊」系の本は最近よく出てきたけれども、問題はその先だろう。玉石混交となった政治報道・社会報道のその先に、健全な民主主義社会とか、あるいは秩序があって自由な社会とか、そういうものが維持されるだろうか。実は、国民生活の大きな崩壊が待ってやしないか。新聞がなくなってもまったく構わないが、そこだけが心配だ。
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崩壊する大新聞の中枢。「池上コラム掲載拒否」「吉田調書問題」「慰安婦記事取り消し」、政治部出身の経営陣はどこで何を間違えたのか?鮫島浩氏がすべて実名で綴る内部告発のノンフィクション。
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去年が毎日新聞150周年、日本に新聞制度が生まれた年ってことになっていて、本書の舞台の朝日新聞も1879年創刊だから140年以上の歴史を持っています。同じ頃生まれたのが鉄道だったり学校制度だったり郵便制度だったりするのを横目で見ると新聞って近代社会のインフラだったのでしょう。でも今、改めての新聞ってなに?って問いへの答えは実は新聞経営者も新聞記者も持っていないのではないか…思っています。本書は朝日新聞「吉田調書」問題の当事者の赤裸々な回顧録として生々しい記録です。生々しさと同時に感じる鼻につく匂いもあります。その発生源は、冒頭で著者が妻に指摘される「傲慢罪」というキーワードにあるように思われます。権力に対抗し、同時に権力に取り込まれることから生まれる傲慢、それがこの本の奥底にずっと流れている裏テーマなのではないでしょうか?それは著者だけのものでなく朝日新聞という会社のものでもあり、それ以上に「社会の公器」を自認する新聞という存在の発する権力のものかもしれません。全体で序章、終章除いて七章建てですが、それぞれの章の扉の裏に小さく記載されている新聞の発行部数が、この本の影の主人公だと思いました。1994年朝日新聞822万3523部、前年比-9872部、1999年朝日新聞829万4751部、前年比-2万3104部、2005年朝日新聞818万5581部、前年比-6万9335部、2008年朝日新聞803万8100部、前年比-2万2489部、2015年朝日新聞675万3912部、前年比-51万3414部、2021年朝日新聞466万3183部、前年比-39万1536部…この衰退は朝日新聞だけではなく新聞というメディア全体の一直線の下り道なのであるのです。たぶん構造的に新聞の「傲慢」が端的に現れているのが朝日新聞なのでしょう。そして朝日の「傲慢」の発生源が本書に生々しく描かれている社内の権力闘争に由来することが詳細に描かれています。これをもって朝日叩きの材料とする人もいるでしょうが、政治部という権力と密着することによって存在しているシステムの根本問題がある限り、この問題は解決できないかも、と思ってしまいました。ロシアのウクライナ侵攻でも露になりましたがタス通信や新華社通信のような国策報道一社ではなく、報道機関が複数存在している国の幸せを感じていますが、それはそれで危機なのだと思います。折しも外務省機密文書問題の元毎日新聞記者、西山太吉が亡くなりました。記事を書かずに国を動かした読売新聞主筆、渡辺恒雄の鏡面対称の存在だと思っています。彼らを含めたすべての新聞記者の本書についての批評を聞きたいと思います。
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新聞の凋落ぶりが著しい。本年4月全国紙5紙は、この1年間に総計114万部もの定期購読者を失い、とりわけ朝日は44万部減のワーストで、ついに500万部の大台を割り込んだ。
著者は朝日新聞の元政治部記者。在職期間と新聞の衰退は重なる。1994年は822万部、退社した2021年は466万部。27年間で356万部の大激減。まさしく坂道を転げ落ちる勢いで部数(読者)を減らし、3月の連結決算で創業以来最悪の442億円の大赤字を叩き出し、経営を揺るがすレベルでは止まらず、新聞メディアが瀕死の状態であることを知らしめた。
著者は1994年京大法学部から朝日新聞社に入社。27歳で政治部に配属され、政治記者として竹中平蔵・菅直人・古賀誠・与謝野馨・町村信孝らの与野党政治家の番記者を務め、2010年39歳の若さで政治部デスクに就任。
その後、朝日新聞社の将来を見据え新設された調査報道専門チーム〈特別報道部〉のデスクに移り、2013年には福島原発事故後の除染作業の不正を暴き代表して新聞協会賞を受賞。
翌年、栄に浴したばかりの著者に激震が襲う。デスクとして関わった福島原発事故を巡る『吉田調書』スクープが取り沙汰され、大の朝日嫌いの安倍首相及び保守派の政治家・論客からの『誤報』『捏造』の猛烈なバッシング。
それに加えて朝日新聞は、一連の慰安婦報道を誤報と認め、当時朝日新聞に連載をしていた池上彰氏が綴った朝日批判のコラムを木村社長自らが掲載拒否を指示した、所謂『池上コラム問題』で窮地に立たされていた。
同年9月、木村社長は緊急記者会見を開く。肝心の『慰安婦』『池上コラム』には一切触れず、あろうことか『吉田調書』のスクープは誤報と見なし、記事の取り消し並びに関係者を処罰、自身の辞任を表明。
大新聞社の社長が記者会見を開いた上で、役員でもない一介の社員を槍玉に上げ、『誤報記者』の烙印を押し責任の一切を被せる。ガバナンスやマネジメントなんてあって無きに等しく、機能不全ぶりを社長自らが大プレゼンしたようなもの。著者はこのスケープゴートを指し『朝日新聞が死んだ日』と述懐。
本書にはこれ以外にも、朝日政治部のエリート中のエリートたちに渦巻く嫉妬、掌返しの裏切り、エグいまで足の引っ張り合い…を仔細に実名で語られ、読者は呆れとやり切れない思いが募る。
大醜態の顔見世興行の中で、惜しむらくは『調査報道』の蹉跌である。調査報道とは、報道機関が独自の調査によって問題を発掘し,自らの責任で報道する方法。
凋落一途の朝日にとっては、調査報道は生き残りをかけた『これぞジャーナリストの仕事!』と面目躍如となる鉱脈であった。にもかかわらず自ら放逐。
安倍首相が政権の座に返り咲き、安部一強と言われ出した頃から、政権はメディアに対し強権を発動。以来、為政者の顔色を窺い、反権力の論陣を自制。国民もリベラルを標榜する共産を除く野党が単なる立ち位置でしかないことを看破して以降『是々非々』を良しとした。
『是々非々』という中火の弱火みたいなどっちつかずを上手く取り込んだ日本維新の会。巧妙かつ狡猾な戦略はある意味見事。
かつてニュースステーションの久米宏��自民党幹事長 梶山静六に向かって牙を剥き激怒させた件なんて、MCと局の一貫した反権力志向があってこそ。役割を任じ、強い矜持を覚えたもの。それが、今や『つわものどもが夢の跡』状態…。
記者が失敗を恐れて萎縮し、無難な記事しか載らない紙面を誰が読むというのか。それなら玉石混淆を承知で無料のネットニュースを読む。タイタニック号よろしく新聞はこのまま沈みゆくのか。
ジャーナリズムとは『権力者が知られたくない事を報じること。それ以外は広報に過ぎない』。今こそ、この言葉を噛み締める時である。
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本書の前半から中盤までは警察からの情報の取り方、政治家からの情報の取り方の方法が書かれている。方法というよりもどうやって懐に入ったかの方が近い。平成の時代の新聞の記事はこうやってできていたのかと流れを知ることができる。警察も政治家もメディアを使って情報を流す。その時に鵜呑みにするか、どういう意図がありその情報を教えてくれるのかをよく考え、どのような切り口で論じ、タイトルをつけるのかは記者の手腕が分かれるところだと思った。
本書の後半は吉田調書のスクープから作者が朝日新聞社内で受けた仕打ちに対する総括になっている。本人も公開処刑という言葉を用いているが、私にはここに実名で記載されている方も公開処刑にあっているようにうつった。鋭い刀なのか鈍い刀なのかよくわからなかった。