紙の本
思想家としての本
2023/02/13 09:03
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投稿者:とらとら - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんとなく経済学としての本だと思って読んでいたけど、読んでいって中身を理解してゆくにつれて、経済学というよりも思想家としての本なんだと思った。別に悪い意味ではなく、そう考えて読むと、その主張や言っていることが腹に落ちた気がしました。確かに、いまのままでの世界は心配なことが多すぎます。
紙の本
わかりやすい
2023/02/04 17:39
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
マルクスの資本論が、現代的視点で解説されていて、よかったです。現在の課題にも通用しそうで、再認識できました。
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<目次>
はじめに 『資本論』と赤いインク
第1章 「商品」に振り回される私たち
第2章 なぜ過労死は亡くならないのか
第3章 イノベーションが「クソどうでもいい仕事」を生む
第4章 緑の資本主義というおとぎ話
第5章 グッバイ・レーニン!
第6章 コミュニズムが不可能だなんて誰が言った?
<内容>
「NHK100分de名著」の『カールマルクスの資本論』を大幅加筆したもの。小難しいところが多いが、これは原著を参考にしているから。全体で言っていることは、里山資本主義やポツンと一軒家的な話と変わらない。一人でいろいろなことを自給的にやり、最低限のインフラを除いて、身の回りで完結させれば、資本主義には負けないで生きてゆける、というもの。もう既に実現している人がいるのだから、実現可能。「小さな政府」を実行している自民党も、お先真っ暗なので、日本のあちこちで起こっているこうした実践で日本は変わっていくのだろう。
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今、自分が一番興味のある「労働」について書かれていてとても面白かった。
なぜここまで長時間労働が蔓延するのか?そのカラクリが分かりやすく説明されていて、ひとつひとつ腑に落ちた。
資本主義社会では労働者は自発的な責任感や向上心、主体性を強いられるため残業も厭わず働き続ける。
それは構想する仕事と実行する仕事を分業化したことに起因している。
労働者が富を取り戻すためには賃上げより労働時間を短縮すべきという考え方も興味深い。
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なんと読みやすい本だろう。学生時代に買って本棚に置いたままの『資本論』を少しずつ読んでみようかなという気になります。著者の文章はとってもわかりやすくて,こういうタイプのホントしては珍しいですね。
レポートにもたくさん引用させてもらいました。
資本主義がこのまま進めば,地球の環境を後戻りできないほどに破壊してしまいます。その前に,コミュニズムのよさを考えていきましょう。脱成長の社会を描いていきましょう。そんな内容の本でした。
そうそう,先日の親戚の49日のお参りの際,お坊さんの説教があったんですが,そのときに,この斎藤さんの本からのお話がありました。作者も著書名も言っていませんでしたが,例としてあげていたのは,まさに本書の中の一節です。資本主義がどうやって生まれたのかという話でした。
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使用価値が大事なのに貨幣に換算される価値の方が重視されている現代は明らかにおかしい。行きすぎた資本主義の矛盾や残念な部分を的確に示してくれており、その点はとても面白かった。
ではどうするか。相互の助け合いが根幹にあるコミュニズムは確かにヒントになると思った。全員が一定規模のコミュニティに参加し、その中で自分の能力に見合った活動をする。各人にできることは異なるが、そこに年収のような優劣は持ち込まない。理想的だと思う。
一方、マルクスに学ぶべきところは多い、のは同意だが、やはり時代が違うので世論へのアプローチとしてはマルクスを全面に押し出しすぎないほうがウケるのではないか。本書を読む前の自分はマルクスが言っていたというだけで引っ掛かりを覚えていたので。
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斎藤幸平著「大洪水の前に」や「人新生の資本論」が難しいと感じた方が対象の本。逆に言えば、上記2冊である程度理解できている人には物足りなさを感じてしまうかも。(この本は、NHK100分de名著のテキストを元に加筆した本です)
物足りなさを感じた人は、いよいよ『資本論』を手に取る方時がきたかもしれません。
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資本論を全く読んだことがないため、ところどころ理解しがたいところもあったが、著者が言わんとしていることはざっくり分かった。
・資本主義の下では「使用価値」よりも「価値」を重視し、「必要なもの」より「儲かるもの」が溢れている。
・給料を上げても、労働時間が短縮されなければ忙しさは増大する一方である。(利益追求は上限がなく永遠に終わらないため)
・職人がこなしていた作業を、細分化して機械的に労働者たちに分業させることで、画一的な単純作業となり、低賃金で大量にモノづくりができるようになった。
・人間として誰も平等に利用できる自然も、一部の人間により商品化され利益を搾取する。
・なんでもコスパ優先されると、コミュニティや相互扶助は衰退し社会の富がやせ細る。
・コミュニズムに対するソ連イメージの誤解
そもそも、資本論を読んだことのない私が、斎藤氏の説を賛否できること知識もないが、確かに「限定品」や「ブランド」など商品の付加価値に翻弄されっぱなしであったこと見気づかされたことは間違いない。
資本主義が衰退したとき、どんな社会になるのか想像もつかないが、自然と調和した社会になってほしいとは思う。
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資本主義が発展による技術の向上は、労働による肉体的な苦痛からひとを開放したかもしれないが、労働による苦痛から開放するものではなかった。
資本主義のモノを中心とする考え方は、ひとが古くから築いてきたコミュニティや、当たり前のようにアクセスしてきた自然などの富を搾取する。
マルクス=社会主義という構図もありましたが、あくまでひとが幸せになるための学問や考え方の1つ。
行き過ぎた資本主義の弊害に目が行ってしまうけど、ひとの手を大きく離れて、操作の効かない怪物のようなもの。
人の手を離れた存在である以上、情緒や情けといったブレーキが効くはずもないのかもしれない。
と様々なことを考えてしまいましたが、著書の中にあったコスパやタイパへの批判は、頷く部分もありました。時間を浪費するばかりでは良くありませんが、無駄な時間が新たな世界を救うイノベーションに繋がるのではと思いました。
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『人新生の資本論』、『22世紀の民主主義』についで3つ目の資本主義の本だ!と勇んで買って、人新生の〜に内容が近くて、噛み砕いた初心者もとっつきやすい感じだなと思っていたら、著者同じなことに結構後半で気付きました。遅い…。
というわけで概ね内容は著者が同じなだけあり『人新生の資本論』に近いですがよりわかりやすく丁寧(人新生の〜がわかりにくい訳ではなく、より噛み砕いている感じ…?)な気がします。
ただ、脱成長としてのその後のビジョン、結局なくないか?と気になってしまいました。
『22世紀の民主主義』では、アラブの春とかあったけど結局鎮圧されたみたいな感じで民主主義の運動が起きても制圧されるだけ、何も変わらない、負けるみたいなニュアンスを感じ取ったのですが、一時は負けたとしても、その動きが起きたことはどこかに誰かに受け継がれて未来への変化に繋がるんじゃないか、そこかしこの国々で起きていることも繋がって行動のきっかけになるんじゃないかなんてお花畑頭でポジティブになりそうでした。
こんなんだとまた成田さんに馬鹿にされるんでしょうか(直接バカになんてされてないですが笑)。
個人的に一番興味を持ったのが給食の話。
引用されていた本を手に取ってみようかなと思えました。
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著者には賛同するのですが、著者の本を読むと無力感しか覚えないのは私だけでしょうか…それでどうする?というのが見えないのです…
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「なんか分かる」と思いながら読んでいたが、結局こうして感想を書こうとすると、うまくことばが出てこない。「価値」と「使用価値」の違いは理解できたように思うが、説明しろと言われると苦しい。「物象化」とかはボヤ―としたままである。まあでも、「使用価値」の方が大事だと思うし、みんながそう思う世の中になった方がいいだろうと思う。僕も、昔は高くても良いものを買って長く使う(着る)ようにしていた。しかし最近は、何でも安いものが出ているので、「安物買いの銭失い」をしているような気がする。とは言え、安い服でも、破れでもしない限り捨てられないので、箪笥があふれかえって困っている。「脱成長」それが良いと思う。いつまでも「右肩上がり」ばかりを目指す意味が分からない。お金がなさすぎるのは困るけれど、ある程度あればあくせく働くよりも自分の時間を大切にしたい。ところで、最近職場では、「受験を通して子どもも親も成長する」と言っている。「成長を見守ってあげてほしい」とも言っている。それで「脱成長」ということばを見てちょっと悩んでいる。人間は日々成長しなければいけないのだろうか。毎日変わっていくのは間違いないが、停滞するときもあれば、下降するときもある。でも、きっと総体としては、毎日いろいろ経験を積んでいるわけで、そういう意味では何らか上昇はしているのかもしれない。それを「成長」と呼ぶのならば、人はやはり毎日成長していくのだろう。そう思うことにしておこう。
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【まとめ】
1 資本論の成り立ち
人間は、ほかの生き物と同様に、絶えず自然に働きかけ、様々な物を生み出しながら生を営んできた。家、洋服、食べ物などを得るために、人間は積極的に自然に働きかけ、その姿を変容し、自らの欲求を満たしていく。こうした自然と人間との相互作用を、マルクスは生理学の用語を用いて、「人間と自然との物質代謝」と呼んだ。
「物質代謝」とは元来は化学・生理学の用語で、「生体に取り込まれた物質が、多様な化学変化を経て、異なった物質となって体外に排出される過程」を指す言葉。どんな時代にも人間は、労働を通じて自然と物質代謝を行ってきた。
空気や水の豊かさといった、貨幣だけでは計測できない、一人ひとりが豊かに生きるための物、それを「社会の富」と呼ぶ。
マルクスは、そうした社会の富が、資本主義経済では次々と「商品」に姿を変えていくと論じている。お金を出せば、いつでも何でも手に入るようになったことで、私たちの暮らしは「豊かになった」ようにも見える。しかし、かつてのコモンだった「社会の富」が、商品化によって資本を持つ者に独占され、社会の富の潤沢さとしてはむしろ「貧しくなっている」ことを、マルクスは一貫して問題視している。
現代資本主義では、労働が「人間の欲求を満たす」ためのものから「資本を増やす」ためのものに変わってしまった。マルクスは商品には「使用価値(有用性)」と「価値(労働投入量から算出される純粋価値)」の2つがあると言っている。資本主義のもとでは後者ばかりが優先されてしまい、その結果モノに振り回され、モノに支配されている。
資本主義のもとでは、「価値」を増やすことが生産活動の最優先事項であり、「使用価値」はないがしろにされる。こうした「使用価値と価値の対立」、「富と商品の対立」が、人間にも自然にも破壊的な帰結をもたらすと、マルクスは警告している。
大勢の人々が富へのアクセスを失うような状況を意図的に作り出すことで、一部の企業や富裕層はますますお金を貯め込んでいる。この対立と格差を生み出し、拡大し続けているのが、「資本主義的生産様式」つまり、価値を増やし、資本を増やすことを目的とする商品生産の特徴である。格差を始めとした社会問題を、個人の問題というより社会構造の問題だと指摘するのが、『資本論』なのだ。
2 労働時間の延長による絶対的剰余価値の増加
マルクスは、資本はお金や物ではなく「運動」と定義した。
どんな運動かというと、絶えず価値を増やしながら自己増殖していく運動だ。この運動を「G-W-G’(ゲー・ヴェー・ゲー)」という式で表し、マルクスはこれを「資本の一般的定式」と呼んだ。Gはドイツ語で貨幣を意味するGeld、Wは商品を意味するWareの頭文字だ。
資本主義社会では、元手となるお金で靴を作って販売し、手にしたお金でまた靴を作る。それが売れたら、さらに売れそうな靴作りに、手元のお金を投じる。そして最初のGに儲けが上乗せされたG’が生み出される。資本主義とは金儲けの運動なのだ。
G’の値を増やす手っ取り早い方法は、給料を増やさずに1日の労働時間を増���すことだ。労働時間を延ばして労せず手にした追加の剰余価値を、マルクスは「絶対的剰余価値」と呼び、労働時間の延長が絶対的剰余価値を生産すると指摘している。
なぜそんな状態になっても労働者は逃げられないのか。それは、資本主義が「自由」であるからだ。奴隷や身分制のような不自由から開放された私たちは、同時に、生産手段からもフリーになった。その結果大半の人は自給自足できず、共同体からも扶助を受けることができない。そんな不安定な環境の中で売れるのは自分の労働力しかない。
労働者を突き動かしているのは、「仕事を失ったら生活できなくなる」という恐怖よりも、「自分で選んで、自発的に働いているのだ」という自負である。だからこそ、「職務をまっとうしなくては」という責任感が生じてくる。自己責任の感情をもって仕事に取り組む労働者は、無理やり働かされている奴隷よりもよく働くし、いい仕事をする。そして、ミスをしたら自分を責める。理不尽な命令さえも受け入れて、自分を追い詰めてしまう。これは資本家にとって、願ってもないことだろう。資本家にとって都合のいいメンタリティを、労働者が自ら内面化することで、資本の論理に取り込まれていく。政治学者の白井聡は、これを「魂の包摂」と呼んだ。
マルクスは、解決策として賃上げよりも「労働日の制限(短縮)」が重要だと指摘している。資本家が賃上げ要求を呑めば、たしかに搾取は緩和される。しかし、資本の論理に包摂された資本主義社会の労働者は、「では、我々は頑張って働きます!」と言い始めることになる。これは、むしろ企業にとって都合のいい展開だ。賃金を少しばかり上げて、その代わりに長時間労働もいとわず「自発的に」頑張ってくれるならば、剰余価値(資本家の儲け)は、かえって増えるかもしれないからだ。
3 イノベーションによる相対的剰余価値の増加
イノベーションにより商品が効率的に生産されるようになれば、今まで価値の高かった商品が安く売られることになり、そこに注ぎ込まれた労働そのものが安くなる。生産力が上がって安く生活できるようになっただけで、この労働者が一時間の労働で生み出す価値は変わらない。このように、労働力価値の低下によって生み出される剰余価値を、マルクスは「相対的剰余価値」と呼んでいる。
生産力の増大を手放しで喜べない理由はほかにもある。それが「相対的過剰人口」の問題だ。
機械化が進んで生産力が2倍になれば、同じ商品を製造するのに必要な労働者数は半分になる。景気がよくて「よし、生産規模も2倍にしよう」という話になれば別だが、社会の需要は有限で、どこかで必ず頭打ちになる。そうなれば労働者たちは資本にとって不要になる。特に、低経済成長が続く今の日本のような状況でさらに生産力が上がれば、企業は容赦なくリストラを進めて、コストカットしようとするだろう。すると、労働市場には、資本の需要に対して「相対的に過剰」な労働者があふれ、買い手優位の状況が生まれる。工場の外に「とにかく仕事を下さい」という人が増えれば、工場の中にいる労働者は必死になってますます長く働き、さらに生産性が上がり、さらに相対的過剰人口を増やす結果となる。
4 コミ��ニズムは可能なのか?
現存した「社会主義国家」とは、生産手段の国有化を通じ、資本家に取って代わって、官僚が労働者の剰余価値を搾取していく経済システムにすぎなかった。
20世紀を代表するマルクス主義社会学者のイマニュエル・ウォーラーステインは次のように指摘した。
――資本主義が「世界システム」として成立してしまっているなかで、ソ連や中国、アフリカの国々が目指したことは、資本主義を別のやり方で発展させ、近代化と経済成長を推し進めることにほかならなかった。
実際、それらの国には、商品も、貨幣も、資本もあって、労働者の搾取も行われていた。そのため、20世紀に社会主義を掲げた国の実態は、労働者のための社会主義とは呼べない単なる独裁体制にすぎなかった。それは、資本家の代わりに党と官僚が経済を牛耳る「国家資本主義」だったのだ。
生産手段や生産物の私的所有こそが、資本主義の基礎をなす本質的特徴であり、私的所有を廃棄しさえすれば社会主義に移行できる、という考え方は根強い。しかし、国有化を推し進めたとしても、労働者は、資本を増やすために過酷な条件で搾取され、市場では大量の商品が貨幣によってやりとりされ続ける。
この問題を解決し資本主義を乗り越えるためには、搾取のない自由な労働のあり方を生み出すことが必要である。
ヒントは福祉国家で見られる「脱商品化」だ。つまり、生活に必要な財(住居、公園)やサービス(教育、医療、公共交通機関)が無償でアクセスできるようになればなるほど、脱商品化は進んでいく。これらの財やサービスは、必要とする人に対して、市場で貨幣を使うことなく、直接に医療や教育といった形で現物給付される。現物給付の結果、私たちは、貨幣を手に入れるために働く必要が弱まる。福祉国家は、もちろん資本主義国家です。けれども、脱商品化によって、物象化の力にブレーキを掛けているのがわかるだろう。
ソ連も教育や医療を無償化していたが、ソ連で先行したのは国有化だった。反対に、福祉国家で先行したのは物象化の力を抑えるための社会運動であり、マルクスはこれを「アソシエーション」と呼んだ。労働組合、協同組合、NGO、NPO、社会保険、公共医療といった、人々の自発的な相互扶助や連帯を基礎とした民主的社会である。
晩年のマルクスは共同体に注目していた。それは、資本主義とは全く異なる仕方での人間と自然の物質代謝の営みがあったからだ。共同体は「伝統」に依拠しており、共同体では、「富」が一部の人に偏ったり、奪い合いになったりしないよう、生産規模や、個人所有できる財産に強い規制をかけていた。こうすることで、人口や資本、生産や消費の総量が変わらないまま推移する「定常型経済」を実現していた。また、遠方との交易も限定されているため、自給自足に近い形で、「循環型経済」を実現していた。飛躍的な生産力の増大も、土壌を疲弊させることもなく、自然に必要以上の負荷をかけることもなかった。
マルクスは、社会の富が商品として現れないように、みんなでシェアして、自治管理していく、平等で持続可能な定常型経済社会を構想していた。その際、どのように富をコモンとしてシェアするかというと、
・各人はその��力に応じて、各人にはその必要に応じて!
である。
コミュニズムは贈与の世界と言ってもいい。等価交換を求めない「贈与」、つまり、自分の能力や時間を活かして、コミュニティに貢献し、互いに支え合う社会。もちろん、「贈与」といっても差し出してばかりではなく、逆に自分が必要なものは、どんどん受け取ればいい。そうやって、生活に必要な食料や土地、道具、さらには知識などの富が持つ豊かさを分かち合いの実践を通じて、シェアしていこうということだ。
脱商品化を進めて「コモン」を増やし、労働者協同組合や労働組合によって私的労働を制限していく。そして、無限の経済成長を優先する社会から、人々のニーズを満たすための、使用価値を重視する社会へと転換する。マルクスはコモンの領域を増やすことで、豊かな社会を作り上げようとしたのだ。
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マルクスの資本論がわかりやすく入ってくる。説明が丁寧でシンプル。前半は特に、あっという間に読み進めることができる。
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メモ→ https://twitter.com/nobushiromasaki/status/1612450517887881216?s=46&t=DtLmtx4u4aHdgICmpKp_oQ