紙の本
「客観的視感の恐ろしさ」に気付く1冊です。
2023/07/28 16:03
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
昨今は「客観的にものを見る」ことが当然になっている社会になっていますが、著者はこれに対して、当書で強い警鐘を鳴らしています。
「客観性視感ばかり崇拝するのがいかに恐ろしいことなのか」について、著者は当書で口を酸っぱくして主張しています。障害者など、社会的弱者に視点を向けることで、より温かみのある優しい社会を目指そうと、著者は提唱しています。多くの方々に当書を読んでいただきたいです。
紙の本
客観性になると数字の管理になるのね。
2023/07/16 19:44
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:おじゃもんくん - この投稿者のレビュー一覧を見る
数字のデーターが、全てに見える最近の世の中。
死者の数。
コロナ感染率の数字。
高齢化率や、過疎地域の人の数。
そして、「世の為人の為に生きる」「働く意思の無い者を税金で救済するのはおかしい」という社会。
ホンマ、弱者に優しく無い社会ですね。
この日本国の息苦しい社会についての一冊ですね。
第1章と2章で、個々の生きづらさの背景にある客観性への過度な辛辣について書かれて。
第3章と4章では、数値が過剰に力を持った世界で人々は競争に追いやられて行く過程を。
第5章では、個々人の語りを細かくする事で見えてくる経験について。
第6章では、生き生きとした経験の話のリズムについて。
第7章では、語りと経験を捉えるための方法としての現象学の提案を。
最後の第8章では、そこから見えてくる望ましい世界について。
筆者の関わっている、大阪市の西成地区の取り組みから我が国の問題解決の糸口を提案。
と言うか、すでに実践されていて国内に広がりつつあるとの事。
競争から脱却して。
「ケアのコミュニティー」社会を構築して。
抜け落ちた人の居場所を作り。
みんなが安心して暮らせる社会が、この国をより素晴らしい方向に進めて行く。
相互ケアの社会が実現して欲しいですね。
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p48 1957年に東京都港区の中学校教員だった桑田昭三が、学力偏差値を考案した
p50 EBM 1991年に体の医師 ゴードンガイアットが提唱した考え方である
p53 エビデンスに基づくリスク計算に追われてしまうと、人生の残りの時間が確率と不安に支配されるものになってしまうだろう
p56 リスク計算は自分の身を守るために他者をしばりつけるものなのだ。
p134 数字による束縛から脱出する道筋を本書は探してきたが、それは数字や客観性を捨てるということではない。繰り返すが、問題は、客観性だけを真理として侵攻するときに、経験の価値が切り詰められること、さらには経験を数字へとすり替えたときに生の大事な要素である偶然性やダイナミズムが失われてしまうことだ。「客体化と数値化だけが真理の場ではない」ことを理解する方法が問われている
p136 経験の内側に視点を取る思考法 現象学
1900 オーストリアの哲学者エトムント・フッサールが現象学が創始 その後 メルロポンティ
p167 地域社会でSOSをキャッチし、声を聴き取っていくためには、アウトリーチと居場所という2つの基本的な活動が必要になる
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学力判定に偏差値が取り入れられたのが1957年(私の生まれた年)、evidence-based-medicineという考え方が出てきたのが1994年、なのでまあ数値化・客観化の流れの中で人生の大半を過ごしてきたことになる。
この本は、客観化→数値化→序列化・効率化といういわばevidence-baseの方法論が自然科学から社会科学にまで拡大してきて、個々の少数者・弱者が切り捨てられる状況を憂い、「現場目線の個別性の側から考えよう」という立場の本・・・だと思う。
しかし、現代社会が最大多数の最大幸福を目指し、そのゴールを客観的に設定して(数値化・統計化 etc)そこに向けて社会をドライブしていくのは理にかなっていると思う。そうなると当然ながら少数派・例外的な弱者・病者は置き去りになる。その置き去りをどこまで・どうやって救済していくか。そこにもまた客観的な条件・ゴールを設定して救済していく。そんなことの繰り返しが現代の民主主義のルーチンなのではないか。
政策的な客観主義と、そこからこぼれ落ちる弱者をどうケアしていくかという議論は対立軸ではなく、補完的なテーマととらえるべきではないか。制度設計とその制度で生じる弱者の救済、これは対立軸ではなく車の両輪。個別的な弱者救済に客観論・功利主義を持ち込むこと自体がナンセンスなのだから。
著者の目線は理解できるが、現場に近いところに身を置きすぎたが故のセンチメンタリズムという感想が否めない。まあ、思考訓練の入口にはなる。一方、「客観化が平均化につながり普遍性が失われる」という考えは面白い。普遍性と平均性(=一般性)は異なる。多くの場合、平均的なものは普遍的理念からみればあまりにも凡庸で退屈。平均性の生を生きざるをえないとしても生きざまには普遍性を求めたい。
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「客観性」と「個別性」の違いについての理解が深まりました。
また、個別性について取り扱うときに気をつけておくことについても紹介されていて、自分自身の持つ偏りについての理解もまた大切であると感じました。
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客観性であることは公平性はあるが、一人一人の経験の中で生み出されたドラマを見落としがちになる。
数字や統計よりも人を見ろ、ですね。
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某論破王「それってあなたの感想ですよね?」が小学生にまではやって、個人の感想や感覚、感情の価値を軽く見がちな今の世の中、数値データ=客観的であることこそが真実と思われているが、数値や客観性に頼った科学は実は万能ではないし、数値が生み出す無用な序列化による弊害も少なくはないのではないか、という危機感から生まれた本。
最後の「第8章 競争から脱却したときに見えてくる風景」は、『世界』(2022年1月号)掲載「ケアから社会をお組み立てる」が初出で大幅に加筆修正、第1〜7章は描き下ろし。客観性と数値化の来し方を振り返る前半を経て、後半は客観性や数値化への過剰な信仰を離れた研究・思考や現場のあり方を紹介してケアを中心にして社会を作っていく可能性を問いかけている。
大規模なデータから導き出される「平均点」「偏差値」の無意味さや数値で分断された中からうまれる優生主義的思考の危険性といった予想される方向をはるかにこえて、当事者による経験の語りに耳を傾けてそれを丸ごと受け止めるようなケースワークから「普通」とはなにかなどを考え直す「現象学」という方法の話になるのがちょっと急展開な感じもしたが、まあたしかに、不可分ではあるなあと思った。個別のケースをじかにみて困りごとに答えることができない専門分野の分断・タコツボ化、縦割り行政なども、けっきょく抽象的な数字や一般論に頼りすぎてしまい、大きなところから全体をつかむような視点や小さいところからできることを探すような視点がないからなのかもしれない。
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エビデンスが重視される現代社会であるが、その流れが人文系にも広がっている。確かにデータを取り客観化することは大事であるが、それをどのような立場で使うかが臨床現場では重要になる。エビデンスもナラティブも相互補完的なものなのが現実である。著者はケアの分野でその重要性をあらためて本書で述べる。最後に著者の経験から、方法論として、「重層的なアウトリーチでケアしケアされること、複数の居場所が利用可能であること、このような場が熟成したときに一人一人の声が聞き取られる」と提起されている。そのような活動を目指したい。
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帯に書かれたような、いわゆる”論破”に使われがちな発言が嫌いで、それらに触れる度、モヤモヤする。そんな違和感が言語化されていることを期待しつつ手にした本書。しかしこれでは…。まず大前提の理解として、プリマー新書に入るものは、その分野に精通した著者によって、本来理解が困難なものを、中高生レベルに噛み砕いて提示される、という役割が求められる。でも本書を読んで感じるのは、十全に咀嚼されず持て余されたような半端な印象。系統立っていれば、あちこち論旨が飛んでも問題ないんだけど、そもそも何について論じられているのか、道に迷うことが多々あり、一度ならず、題名を見返すことがあった。で、辿り着いた結論も、流行りのSDGをなぞったみたいなもの。いやはや、何とも…。
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かねてからなんとなくモヤモヤと問題意識を持っていた論点で、とても興味深く読ませていただきました。
「数字やデータだけが真実を示すものではない」「個別具体で一回限りの経験を丁寧に聞き取り書き起こすことの大事さ」というのは、書いてしまえば、なんてことのないようにも思ってしまいがちです。
社会がどんどん複雑化している中で、マクロでものごとを捉える視点と分析する道具立ても必要です。ただ、うまく言えませんが、本書は、他者と交わるときに、その時の相手の語りをできる限り等身大で受け止めるという倫理的な態度を求めているように感じました。
ただ、途中で示されていた、現象学を通じたアプローチの部分が、前後とどう繋がっているのか少し読み解けなかったです。
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客観性に囚われるあまり、個別の経験、個別の事象を見落としがちなることに警鐘を鳴らす。
自分の手の届く範囲の事象について、しっかりと目を凝らし傾聴していきたい。
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あれ?拍子抜けするほど期待外れだった。これは、僕の理解力の問題で、今すぐ2週目を読むけど。
まさか、量と質の二元論的捉え方を、村上先生がするとは到底思えないんだけど、そういう編成になっていて、びびる。
質の客観性の話は、もう、なんていうか、決着がついてるもんだと思ってたんだけど。
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ちょっと頭に入ってこなかった。著者が悪いのではなく、私の理解の問題。現在色々テンパっているので、もう少し落ち着いて余裕が出てから再読したい。
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現代的なデータによる可視化や比較の問題点が論じられている。乱雑な表現になってしまうが要するに「現代の数値化の文化って結果的に良くない影響もあるよね」みたいな話で、「統計は集団に対するラベル付けであり、個人の数値とは別物であるため、数値の比較に固執するべきではない」とか、「ヒトが可視化・比較をすることを選ぶようになって、あるいは可視化・比較できるような仕組みを作ったことで、便利になった反面でこれができてしまったことによる弊害が社会に悪い影響を与えている」とか、こういった指摘や批判を認識させられる。
読んでいて共感できる部分はあるが、全体的に客観性の盲信への批判に寄せられている。しかし、客観性自体を軽視や批判しているわけではないため、「こういう考え方もあるけど読み手が受け入れるかどうかは別の話」というくらいに見るべきだと思う。
言葉の表現が少し回りくどくて、文が冗長になっている。個々の主張はわかるにはわかるが、表現の問題で読むのに時間がかかってしまったので、全体感として何を言いたいのかが見えづらかったし、印象は少し悪い。4章までは精読したが、5章以降は精読が苦しくなったため周辺視的な飛ばし読みをしてしまった。
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客観性を否定するわけではないが、インタビューで受け止めることがらの、その人個人の体験が言葉にされたときに、相対した著者だけでなく、読者の心にも届く普遍性を持つという、とてもストレートな展開がすとんと胸に落ちる。章ごとにそれまでの内容を繰り返しまとめて提示するのは教える立場の人には当然かもしれないが、要点の確認になっていた。