紙の本
楡家の人びと(上下)
2005/04/04 21:53
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投稿者:rfuruk - この投稿者のレビュー一覧を見る
三島由紀夫の推薦文が載っているのが読むきっかけだったんですが、以前にドクトル・マンボウ・シリーズを読んでいたので、愛着のある作家でした。
読後感は上下二巻の長編を読み終えたという充実感もありましたが、観念性の無い小説の面白さを堪能しました。思想とか啓蒙とかいった押しつけがましいところが無く、ただ単に楡脳病院を中心とした人びとの、喜悲劇を時間の流れとともに記述されていく物語は、市井に生きる市民の日常を目の当たりにでき感動的でした。
楡基一郎をはじめとし、魅力的な登場人物が嬉々として、または傷つき挫折しながら紙面に登場しては消えていく。それでいながら、明治から終戦直後までの社会情勢や生活の息吹までが感じられる描写は、現代の小説では味わえられないものがあります。
北杜夫氏の父親が斎藤茂吉であることは、周知の事実ですから、それらのことも理解した上で読んでいくと一層趣が深くなりますし、著者がトーマスマンの「ブッデンブローク家の人びと」を意識して執筆したというのも、この小説を理解する上で重要になるかもしれません。
しかしそんなことはどうでもいいのです。読んで夢中になれ、残りページの少なさに涙し、いつまでもこの物語に没頭したくなる小説。それが「楡家の人びと」です。
僕にとって生涯大切にし、何度でも読み返すこと必定の小説です。
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小説を読むことの醍醐味を知ることができる長編
2004/12/04 14:04
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投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治・大正・昭和という激動の時代を生きた三代に渡るある医家の物語ですが、登場人物たちがこの大部の小説の中で何かを成し遂げることはありません。滑稽さをまじえながら、そして物語の途上でその何人かを実にあっけないほどに殺してしまいながら、市井の人々の姿をじっくりと著者・北杜夫氏は描き続けています。幕切れもまたありふれたある日の茶の間風景の中にまぎれて訪れるほどです。
しかしこの長編小説は全く飽きさせることなく読者をぐいぐいと引っ張り続けます。それは登場人物が魅力的だから? いえいえ、登場人物たちはあきれるほど身勝手だったり、さかしかったりして、他者の範となるような者はひとりとして現れません。それにもかかわらずこの小説が魅力的なのは、その登場人物ひとりひとりの人間くささに読者である私自身の様々な側面を重ねて読むことができるからです。
それはウッディ・アレンの映画の魅力にも似ているような気がします。彼は自身の作品の中で、どうしようもなくだらしなく、だからこそ人間的な人々を執拗なまでに繰り返し描いてきました。決して観客の多くが共感できるわけではないのに、なぜかやるせないほど人間的な人々の姿を倦むことなく綴り続ける。
この「楡家の人びと」の尽きせぬ魅力とはまさにそういうところにあるのだと思います。
終章を読み終えてページを閉じるにあたって、この物語にはもう本当に続きがないのかと実に惜しい気持ちにとらわれたのは私だけではなかったようです。巻末に作家・辻邦夫が綴っている解説にも同様の記述を見つけ、わが意を得たりという思いをしました。
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長くなければいけなかった小説
2001/01/05 10:38
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投稿者:白井道也 - この投稿者のレビュー一覧を見る
上下巻合わせて1000ページ弱の巨編。無意味な長さが蔓延するのは最近のハリウッド映画だが、この『楡家の人びと』の長さには意味がある。あるいは、これほどまでに長くなければいけない小説であった。
過去の栄光と繁栄が嘘のような楡脳病院の頭打ち、あるいは楡家の面々の覇気の無さ。そこに、大戦の影が迫ってくる。戦争に参加する者、若年で参加出来ない者、傍観するしかない者、恋人の生還を待ちわびる者。楡家の面々は、それぞれの形で第二次大戦を体験する。それぞれの書き込みの精緻さ、あるいは生々しさには、著者の力量を感じずにはいられない。戦争の推移や兵士の絶望的な飢餓の様子は、一種のルポルタージュとしても読める。
敗戦となり、呆然とするしかない楡家の面々。かつての繁栄と幸福は完全に遠いものとなってしまった。膨大な量の文字を読んできた読者には、その楡家の人びとの虚無感がひしひしと伝わって来る。そんな中、楡家を復興せんとひとり強い意志を持つ龍子は、最期の一文において未来へ向けての第一歩をがっしりと踏み出す。楡家の魔的な力を表現する、力強いエンディングであった。
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一人ひとりがとても個性的で面白い。
強いて言うならば、まったくの非人道的な龍子やおばば様の心の動きをもっと見てみたかった。
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奥付をみると私が中学生のときに買ったことになっているが,たぶんその頃は読んでない(読めてない)から,たぶん初読.
著者の家族をモデルにした家族史.その背景となる明治,大正,戦前の日本の歴史、社会が非常に良く描かれている.それが堅苦しさを感じさせず,あらゆる登場人物がある種のユーモア,愛情をもって書かれているのがこの小説の良さだと思う.
なお,北杜夫のいろいろなエッセイや,斉藤茂太「精神科医三代」にはモデルになった人たちの実像が書いてある.
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総勢数百人の患者、職員、家族の食事を準備する場面から始まる。生活のわさわさとした喧騒がおもしろい世界の始まりを感じさせる。作品世界には飄々としたユーモアが漂っている。
大きく見ると前半は楡病院の隆盛、後半はその解体と戦争に翻弄される楡家ゆかりの人びとを丁寧に追っている。戦争の時期に入り、平時には大きく取りあげられた死が生と地続きのありふれたものになっていくあたりも目をそらさず描かれている。
それぞれに癖のある登場人物に愛情を感じながら、行く末を案じながら読み進む読書となる。楡家の家族だけでなく、脇の人物にも愛情をこめて書かれた作品だという印象が強く残る。
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著者自身の生家、齋藤脳病院をモデルにした楡脳病院を舞台に楡家が没落していく様を描いた作品。とにかく、変わった人がどんどん登場してきて、かなり後半に登場するある人物も実は結構前から病院にいたみたいな話があって、どんだけいるんだと思うけど、実社会でもそんなもんかと思ったり。全編通してユーモアにあふれた作品で、それが笑わそうというのではなく、話の最後にポンと落とすというか、落語のさげのような感じ。
大正の華やかな時代から戦後までの雰囲気が生き生きと描かれていて、特に周二が戦時中に兵器工場の仕事をさぼって映画館に行ったりする描写には、そんなことも出来たんだと驚いた。周二のモデルは北杜夫自身だからこれはリアルな話でしょ。
楡徹吉は齋藤茂吉、楡欧州の妻千代子の実家旭飴は浅田飴のことだなと、モデルを推測出来ることも少しあり、それも楽しかった。
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楡基一郎が青山に築いた楡精神科病院。明治、大正、昭和と時代の移動とともに普通に生きる楡家の人々。
案外と暗い話でした。最初の頃こそ基一郎による仰々しい賞与式とか飯炊きの伊助がおかしかったけど。楡家自体が変わっていてバラバラで愛情もなく、そういう歪みが出てくるし。日露、日清の戦勝ムードから関東大地震での没落、太平洋戦争での相次ぐ召集、戦地での飢えと絶望、敗戦。楡家の大人も子供も実は特殊じゃなくって、時代とともに人々も流されて普通に生きてきただけなのかもしれない。
楡家は作者の一族をめぐる人々を題材にしたらしい。北杜夫の父親が歌人斎藤茂吉。
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明治・大正・昭和、そして戦争…敗戦。その時代の世相と背景の模写は自然主義の繊細さを思わせ、作家の技量の確かさを感じさせた。
上巻のレビューでも触れたが、楡家と取り巻く人々の存在そのものは喜劇
でありながらも、その緻密なまでの世相の模写は、敗戦に向かう皇国の憂いを余す事無く伝え、下巻では悲劇へと人びとを導いて行く。
しかし。敗戦に立ち向かう龍子が物語を締めくくる事で、戦後の日本を敷衍し、尚且つ、楡家の人びとは、時代の移り変わりとは無関係にどこまでも滑稽で有り続けた。
しりあがり寿の『サザ江さん』よりも、笑える『サザエさん』なのかもしれない(苦笑)
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日本全体が戦争に突き進んで行き、楡家の人々もまたそれぞれに否応なく戦争に巻き込まれて行く。 上巻でもそうであったが、この下巻でも登場人物は客体的に描かれ、突き放されている。そして、みんながみんなそれぞれに孤独だ。楡家という家族はとうとう像を結ばない。
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戦局が徐々に悪くなる。第二次大戦を通して市井の人々の姿、戦争の実態がよく描かれている。2015.5.31
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『とにかくさまざまの事柄が起る。だが、さて思い返してみると、一体何があったのか?あんなこと、こんなこと、それは確かにあったのだ。しかし今は何時だろう?正月が、院長の参内が、あの途方もない事件が起ったのはついこの間のように思っていたのに、もう暮が迫っている。ふたたび賞与式が、餅つきが、大掃除が近づいている。一体この一年なにがあったのか?~しかしそれがどうしたというのだ。人々は考える。なんにせよ一年が経ったのだ、と。そして人間も病院も変わらない。~そしてその繁栄は永久に続くように思われる。~だだ、それは錯覚というものだ。時間の流れを、いつともない変化を、人々は感ずることができない。刻一刻、個人をも、一つの家をも、そして一つの国家をも、おしながしてゆく抗いがたい流れがある。だが人々はそれを理解することができない。一体何があったのか?なんにも。』
『一体、歳月とは何なのか? そのなかで愚かに笑い、或いは悩み苦しみ、或いは惰性的に暮らしてゆく人間とは何なのか? 語るにつまらぬもの、それとももっと重みのある無視することのできぬ存在なのだろうか? ともあれ、否応なく人間たちの造った時計の針は進んでゆく。もっともいろいろな時計がある。~しかし機械にすぎぬ時計を離れて「時」とは一体何なのか? それは測り知れぬ巨大な円周を描いて回帰するものであろうか。それとも先へ先へと一直線へと進み、永遠の中へ、無限の彼方へと消え去ってゆくものであろうか?だが、そもそもそんなことはわかりはしない問題なのだ。一体誰がそんなことを考えよう? 少なくとも楡家に住む人間が、楡脳病科病院に関係する者すべてが、どうしてそんなことに頭を患わせる必要がある? なにはともあれ時は移ろってゆく。なるほど「昔と今」を人々は見分けることができる。~久方ぶりに会う者、遠くから離れて見られる者だけが、いくらかずつの、或いは思いがけない変化を感じとることができる。~そしてその中に暮らす人々のほとんど変わらぬ日常は、そうして歩みを怠っている「時」の中に埋没している姿なのだ。~だが、そんなことはそもそも「時」の本質とはかかわりのないことだ。たとえ関係があるとしても、それは片手間のちょっかい事にすぎぬ。「時」はもっと大きなことをやってのける。楡病院の人たちが、その存在をわきまえないで暮らしているうちに、「時」は小さな些細事を集積し、或いは夢想もできなかった大鉈をふるう。それは間断なく何事かを生じさせ、変化をもたらし、大抵の人間たちの目には見えぬ推移と変遷のかげで、そしらぬ顔をして尚かつ動いてゆく。どこへとも知れず・・・・・・。~そもそも時はそんな事件とは関係がないのではないか? だが、なにはともあれそれは動いてゆく。移ろってゆく。一刻また一刻、とどめることもできず、抗いがたく、茫漠とまた確実に、何事かを生じさせていく。一体どこへ向かって? 誰がそんなことを知ろう。誰がそんなことをわきまえよう。』
『精神医学史という一つの限られた領域にせよ、それはまぎれもなく人間全体の、人類の歴史に違いなかった。そこには人間たちの偏狭さ、その迷妄、同時に栄光にまで結ばれる強靭な努力の後がまざまざと刻みこ��られていた。そこには古来から絶ゆることのない精神異常者の姿があったが、またその異常者たちはいわゆる正常者と質が異なり、あるいはその性格が誇張されているため、なおさら人間というものを浮彫りにしてくれた。彼らに対する社会の反応は、またこのうえなく人間らしい際立った反応でもあった。~なるほど彼は数多の書物をむさぼり読み、個々の歴史、個々の症例に通じはした。しかし知識の堆積は、彼の視野を拡げはせず、深めもしなかった。ちょうど煩雑な分類学に狂奔した学者たちが、肝腎の病人から、人間自体からますますかけ離れていったように。それは対象から離れること、冷静に展望することではなく、密着であり埋没でありすぎた。』
「か、かいびゃく以来の・・・・・・開闢以来の不良少女、あたしのバッグをちょっと持ってて」
「なによ、あなたこそあたしのを持ってよ、さあ開闢以来の不良少女」
『無代で持ってきた品物であると思われては受け取る兵士の感銘が薄かろうと考え、わざと幼なっぽくこう書いた。「私は毎日朝早く起きて家じゅうの人の靴を磨きます。それからおうちの前の通りを綺麗に掃除します。お父さまがお小遣いをくださったので、私はこの慰問袋を兵隊さんに送れるわけです」」すると何ヶ月も経って、藍子の出鱈目な手紙よりずっと心の籠もった返事がきたりした。~さすがに藍子はこわくなりそれからそのような手紙を書くことをやめた。』
『戦争をやるかやらないかの問題ではない。いつかは、どこかで、新しい解決方法をとらざるを得ない立場に日本は追いこまれているのだ。やるより方法がないのだ。城木も当然そう感じたが、心の一方では、まさかという気持ちが理窟よりも根強くはびこっていた。なかんずくアメリカと事をかまえるなどとは、いくらなんでも、まさか。』
『~母親にも、仲の良い友人にも、城木のことを彼女は一言も打明けていなかった。この少女には、自分の運命は自分で決めるという矜持があった。龍子から伝わる一風変わってかたくなな、藍子の場合には未だ小さく可愛らしい矜持が。』
『建物の崩壊する重苦しいひびき、硝子の割れる明るく乾いたひびき、破壊することは彼らはなんでも大好きであった。そして仲間にまじって、この無益な行為にふけるとき、周二はいつものじめじめした自意識から離れ、柄になくのびのびと呼吸できるような気がした。~敵機に対するおおらかな憎悪、ひろびろと焼けはらわれた光景に対する訳もない爽快感が、こもごもに周二を訪れた。彼は思った。なんであれ焼けてしまえば似たようなものだし、どのように生きたにせよ死んでしまえば同じようなものだ。~~~人間を一人くらい殺してそれがどうだというんだ。ばかばかしい。何にもないのだ。実際この世には何もないのだ・・・・・・』
『~~むしろお前たちを不幸に陥れた。だが、これがわかって貰えるだろうか? 決してお前たちを愛さなかったというのではない。だが、何かが。自分の生れつきが、性格が、何か諸々のものが、ある宿命のようなものが、物事をこのように運んでいったのだ。だが、弁解はすまい。自分は確かに冷たい父親であった。世間のよき父親ではなかった。~そうして、そのままに今、その生涯が過ぎようとしているのだ。愚��であった、と撤吉は思った。自分は、――自分の一生は一言で言えば愚かにもむなしいものではなかったか。あれだけあくせくと無駄な勉強をし、そのくせ僅かな批判精神もなく、馬車馬のようにこの短からぬ歳月を送ってきたにすぎないのではないか。いや、愚かなのはなにも自分一人ではない。賢い人間がこの世にどれだけいるというのか。自分の周囲、少なくとも楡病院に暮らしていた人々は有体にいえばすべて愚かであった。誰も彼もが愚かであった。だが愚かなら愚かなりに、もっと別な生き方もできはしなかったか?少しは妻ともなごみ、子供たちをも慈しみ、せめて今の意識をもう少し早く持つことができたら!』
他人の噂話を聞いているような感じがした。確かに思うことはあるんだけど罪悪感を感じるような。いつの時代も人間は基本的に人間だなあというようなことを感じてそれが嬉しいような悲しいようなそんなに人間わかんないけどとか言い訳するような。こういうのもやっぱり外から覗くから思うようなことでもあるなあ、と。面白さは人によって違うと思うけれど読みやすかった。上巻のほうが好みだけど引っ掛かりがあるのは下巻が多い。わたしの時のイメージはメビウスの輪っかだ。回っても良いし、それを切っても延々と広がって続いていくかんじでもいい。
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北氏および斉藤家の自伝的小説の下巻。破天荒な基一郎が中心であった上巻から打って変わって、戦争の描写が大部分を占める。
第二部の後半、第二次大戦が始まる直前からスタートするのだが、新型の戦闘機を眺める峻一など、一部を除いて全体に暗い。また、少なくとも二部の間は、あまり「ふざけた北杜夫」は姿を現さず、真に迫った戦争描写を行っているところは特筆であろう。
終戦が近づく第三部では、時折「ふざけた北杜夫」が顔を出すが、第一部ほどに気にはならない。ただ、明らかに「狙った叙情的表現」が出てくるのは鼻につく。
また、この作品の中では非常に少ない戦死や戦傷の表現も、えげつなく、回りくどくない適当な表現が使われている。
戦争中のトータル4回の冬の表現も僅かではあるが、特に年を書かれないため、「まだ終らないのか」とジリジリさせられるのは、当時の雰囲気をよく現しているのではないのか。
最終的に、楡家は一部だけ復活することは出来ても、家族のそれぞれがバラバラで、癖があって、仕事嫌いという、かなり難しいキャラクターの設定の書き分けを、これだけ長い間書き続けられているのは、なかなか出来ないものであろう。
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ホテルのビュッフェみたいな作品。新しさ、面白さ、文章の美しさ、読み応え、あらゆる食に関する欲求をこの本は満たしてくれる。
病院ってのはすごいところだ。金と力と名声の集積地だね。祖父母が商売をしていたので分かる気がするけど、いい思いをすればそれが起点になるわけで、そうなるとマラソンの記録みたいにベストを更新していかない限り満たされなくなる。つまりいい思いをすればするほど「いずれ不幸になるかも」と感じる神経が鈍くなってより反動が大きくなる。楡家の人々は、基一郎に与えられ過ぎた分、不幸になっていると言い切っていいと思う。戦時中であることを差し引いても。
それにしても虚構に見栄を厚塗りしたような楡家の人々を清々しいほど滑稽に表現する作者の心意気は、実に痛快そのものだった。普通に表現すればいいものをあえてボロカスに言いまくるあたり、術中にはまった感あるけど本当ににやけるほどに面白かった。特に187項あたりから始まる米国と熊五郎のやりとりなんか最高だわ。
下巻から印象的だったのをいくつか抜粋
・峻一は一年ほど前から、とある飛行機マニアの同好会に入会していた。世間にはマニアと呼ばれる人種がざらにいる。飛行機に関しては峻一とそっくりの、彼よりも年下からずっと年長者までを含めた、主に横浜と東京に居住する十五、六名の飛行機気ちがいの小さな会があって…(51項)
・しかしそれは、たとえば以前にだしぬけにフルーツパーラーへ行こうと提案した時のように、弱者の追い詰められた短絡的な反応、一時的にかっとなった余裕のない反射に過ぎず、後に一層の自己嫌悪と絶望を残すのを常とした。(201項)
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楡脳病院の七つの塔の下に群がる三代の大家族と、彼らを取り巻く近代日本五十年の歴史の流れ……日本人の夢と郷愁を刻んだ大作。