紙の本
眼前の小さな作品がふいに迫ってくる時
2009/09/30 22:59
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:analog純 - この投稿者のレビュー一覧を見る
少し前、ある雑誌に、この本文の一部が載っていたのを読みました。
確か家に1、2冊読んでいない白州正子の本がなかったかと探してみると、やはりありました。
買っていただけでまるで読んでいません。
冬眠前の動物達のように、ただねぐらに貪欲に集めていただけですが、たまにそんなのが後でとても面白いことがあって(本当はそんなことめったにないのですが)、なかなか本を買うのがやめられませんね。
で、読んでみました。随筆集です。
そもそもなぜ白州正子をねぐらにくわえ込んでいたかというと、小林秀雄・大岡昇平・青山二郎・吉田健一なんかとお友達(吉田健一なんか「健坊」でありますが、でも「健坊」を書いた随筆は良かった)ということで、いかにも、日本文学保守本流。
筆者は、本家が薩摩閥で、知人は財界・政治家に広く、自らは文学をはじめ、いわゆる日本文化・芸能全般についてのトータル・ディレッタントといったところ。なんかそのまま国語の教科書あたりに顔を出しそうな人で、……ということです。
しかし、教科書好みという先入観は、まぁ間違いありませんでしたね。
じゃそんなもの、つまらないじゃないかと言われると、いや、まー、少しはそんな気もしないではありませんが、しかしこれはこれで、いかにも背筋がしっかり伸びていて、読んでいてとても快い随筆でした。
「品格」とか言ってしまうと、ちょっと身も蓋もない感じではあるのですが、まぁそれに近いものでしょうかね。
たとえば「文化」とか「伝統」とか言った言葉は、改まって使われると少しうさんくさい気がします。こいつ、何か政治的な意図があるんじゃないかなどと、特にきな臭い昨今は感じてしまいます。
しかし実際、眼前の小さな作品や「物」が、実作者の意識とはおそらく無関係に、ふいにそしてさりげなく、あるいは圧倒的に、享受者・鑑賞者に迫ってくる時があるものです。そんなもの、あるいはそんな時をこそ、我々は本当に「伝統の」とか「伝統的」とかいうのでしょう。
そしてこの本には、時にそれを感じさせるものがあるように、僕は感じました。
なかなか、初秋に落ち着いた随筆が読めて、よかったです。
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(本文より)。。。たしかにそういう場所をまったく知らないわけではない。が、教えたとたんに大勢人がやって来て、秘境が秘境でなくなるにきまっている。けちなことをいうようだが、大切なところだから発表するわけに行かないろ断わると、では二番手でもいいから教えてほしい、と食い下がる。二番手なんかには私は興味がないのだと断ると、やっと許してくれた。。。。。
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顔立ちが整っててスタイル抜群なだけじゃいい女にはなれない。足りないところは正子さんに教えてもらおう。
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夫婦そろってスケールが大きく、立派な日本男児と大和撫子という感じがする。でも、このお二人今現役で第一線で活動されてたらバッシングされてないか?こんなお二人みたいな人が増えてほしいな。こんなすごいエリートでなくてもいいんだ。こういう心根の人がいると安心する。
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堂々たる女傑。
どれもきりっとして、読んでいて気持ちのいい随筆集ですが、最後の方の一品で思わず背筋が伸びました。
「あくまでも自分のものは大切にして、さてその上で外国と付き合うのでなければ外国人にも信用されないであろう。ほんとうに国際的というのは、自分の国を、或いは自分自身を知ることであり、外国語が巧くなることでも外国人の真似をすることでもないのである。」
上記の引用はその話の中では主題ではないですが、さらっとこういうことが言えてしまう高潔さというか、自立的な姿勢に憧れてしまいます。
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すっごーい面白い。面白いけど、物事をなにも見ずにこれを最初から読むのは良くない!と思う。だから読むのを途中でやめちゃった。
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凛とした人柄を感じさせるが、実際に交際すると気疲れしそうな気もする。育ちがいいとは、こういう人のことを言うのだろうな。今の平成の世にはいるのかな?稀に努力で身につけている人もいるのかはしれないが。(努力で身につくものではないか)
白州さんの本は、幸いに文庫でも沢山出ているので、これからも読みたい。
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白洲正子や幸田文を読むと(随分と立ち位置は違いますが)、日本の知識人層の厚さや向学に感銘を受けます。血なのか環境なのか教育なのか。
美意識と背筋の良さが文全体からひしひしと伝わってきます。
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(「BOOK」データベースより)amazon
明治、大正、昭和、平成―四代を経てますます優雅に最先端を生きる人生の達人が、庭の草木を慈しみ、吉田健一や小林秀雄を偲び、愛する骨董を語り、生と死に思いをめぐらせる。対象の核心を射ぬく小気味よい文章は、自ずと、まやかしの横行する現代の風潮への批判ともなっている。植物の感情をテーマにした表題作等、ホンモノを知る厳しいまなざしにとらえられた日常の感懐57篇。
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白洲正子女史による珠玉のエッセイ集。題材は文豪たちとの交友、自然観、民芸、詩歌など多岐にわたり、豊かな教養とともに綴られる文章には思わず惹き込まれる。
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田舎に住んで、まともな生活をしている人々を、私は尊敬こそすれ、田舎者とはいわない。都会の中で恥も外聞もなくふるまう人種を、イナカモンと呼ぶのである。
おしゃれに見えることは、まだおしゃれが不充分であるからで、一歩先へ出るよりも、一歩退いていることの方が、本物のおしゃれだと思う。
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セクハラは女が男を誘っているせい。(p.14)
田舎者は田舎者らしく分をわきまえよ。(p.15)
「君死にたまふことなかれ」なんて大げさに叫びやがって。(p.21)
みなが国歌を歌わないのは、戦後教育が悪いせい。(p.46)
小田実「なんでも見てやろう」なんて、見れるわけないのに(プププ) (p.56)
「恥多き人生で…」という自分の人生自慢。(p.110)
そう。ネトウヨの主張がすべてここに載っています。
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白洲正子のこれら随筆は、単なるエッセイ集などと簡単に分類できるものではない。数ページの短い文章に昔から語り継がれる日本文化の真髄、語り継ぐべく伝承が詰まっている。
なかに、死や墓に関する記述がある。この世が夢幻であることを忘れたところに現代の欠陥は生じたとの指摘が頭から離れない。たしかに、万葉の時代、死は隣にあり、生きる事を大事にしていた。
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著者はの本は初読。
著者はWikiによると「華族出身」だそうだが、お嬢様的な、鼻持ちならない雰囲気はあまり無く、肩ひじ張らない、謙虚な印象を受けた。
夕顔の花が咲くのをじっと見つめて何時間も待ったけどうまくいかなかったり。
色んな有名人の名前が出てくるが、河合隼雄氏の「中空構造」という思想が良かった。
日本神話などの話で3人の真ん中はあまり何もしていないと。
クライアント(患者)に対しての接し方も
「若い時は、自分で相手の病いを直そうと思って一生懸命になった。だが、この頃は、自分の力なんか知れたもので、わたしは何もしないでも、自然の空気とか風とか水とか、その他もろもろの要素が直してくれることが解った。ただし、自分がそこにいなくてはダメなんだ。だまって、待つということが大事なんですよ」
死生観について、著者が小学一年生の時に道ばたに犬の死骸が打ち捨ててあり、骨になるまで放っておかれていたそうだ。
確かに今じゃ考えられない。
臭いしうじがわいたり、気持ちのいいものではなかったが見ずにはいられなかったそうで。
「むしろ、死から眼をそらさぬことこそ幸福に至る道ではないか」
ハイデガーも似たようなことを言っていたような。