紙の本
冴え渡る養老武士?
2001/02/25 18:12
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
書物を文庫版で再読する楽しみの一つは、著者の自著への言及や練達具眼の士によるオマージュに接することである。本書には残念ながら著者の文庫版まえがきやあとがきは付されていないが、そのかわり『ダ・ヴィンチ』発行人長薗安浩氏の解説が掲載されている。そこに「養老節とも呼べる断定短文でのエッセイ」という形容が出てきて、私はいたく共感を覚えた。長薗氏は「断定のエクスタシー」というけれど、断定される側はたとえそれが絶賛の辞であったとしても堪ったものではないだろう。それはほとんど斬られる思いではないか。──本書ではとりわけ中沢新一著『純粋な自然の贈与』と坂口ふみ著『〈個〉の誕生』をめぐる文章が面白かった。それから文科系の学問の粋ともいえる歴史をめぐる養老氏の文章は(ついでにいえば政治と宗教をめぐる文章も)いつ読んでも苛烈なまでに面白い。たとえば次の一文。(『毒にも薬にもなる話』に収められた「臨床歴史学」に関する文章ではこのあたりのことがより詳細に議論されていた。)
《しかし、事実とはじつは理論によって負荷されたものだということを認めれば、歴史もまた脳の法則にほかならないのである。私が面白いと思うのは、そのこと自体ではない。西洋人がそれを「自発的には」なかなか認めないということなのである。それを認めるかどうか、まともに議論をしたことはない。説得したこともない。しかし、書物を読んでいれば、かれらはやはりなんらかの外的客観性を「頭から」信じているように見える。だからやっぱり、かれらにとっては、世界は神による被造物なのであろう。それはおそらく言語負荷性に依存している。つまり西洋語のなかにしみ込んだ原則なのである。私が日本語を使って抽象的にもの考えると、結果はお経になる。それと同じことであろう。》
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ミステリ、思想、文学、歴史、宗教、自然科学あらゆる分野のあらゆる書物を読みこなす。「他人の脳味噌で考える」体験としての読書の愉悦と、それを自分の脳味噌で処理する快感。広汎な読書は脳の回路を複雑化して、とんでもないところに関係を見つけてしまうようだ。
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「臨床読書日記」3
著者 養老孟司
出版 文藝春秋
p91より引用
“嘘か本当か、それを見分けるのが、
人生ではいちばん重要な作業だからである。”
解剖学者である著者による、
書評をまとめた一冊。
小説から図鑑まで、
著者の気の赴くままに読まれた本について、
一つ一つ腑分けをする様に書かれています。
上記の引用は、
常温核融合と題した項の中の一文。
この様な事を見分ける為にも、
懐疑的なものの考え方はある程度持っていた方が良さそうです。
そういえば、
今年のトンデモ本大賞はニコニコ動画で放映されたらしいです。
新しいトンデモ本の世界シリーズが発売するのが、
今から大変楽しみです。
p164の路上強盗に関するエピソードにおける、
「花のある遠景」の著者・西江雅之氏ののん気な反応の、
その胆の太さは尊敬に値します。
強盗の方も、
いきなり殴り掛かったりするのではなく、
飛びついて物だけを盗ろうとするところが、
またのん気で穏やかなもんだなと思いました。
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「バカの壁」の著者による作品。著者は解剖学の権威者ということなのか、論点がかなり私とは違うのか、難しかったです。読書日記は書評集ともいうべき内容で丸山眞男などが度々登場するのですが、何を言っているのか理解しづらかったです。
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2017.09.06
今読みにくいのは時代的なものもあるかと思う。
後は何より僕は養老先生みたいに博覧強記ではないので。
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基礎医学の学者の立場からの示唆に富んだ読書日記エッセイ集。
「涼しい脳味噌」「続・涼しい脳味噌」のシリーズ第三作目。
豊富な知識に裏付けられた奥深い読書日記、しかも私の殆ど知らない本ばかり取り上げられている。
ちょっと私には読みきれないのではないかと最初思った。
だが、面白かった。
汲んでも汲み尽くせない知識、思惟、情報の量、ぐんぐん惹きつけられた。
私はエッセイにあまりロマンを感じないので、どちらかといえば避ける。
でもこのエッセイはもし避けていたら、惜しかっただろう。
ひとつひとつの章にうなずいたり、考えたり、興深く読んだ。
はじめのほうの章「うわさの遠近法」に
『面白いと思うが、ほんとうには役に立たない。そういう本が、ときどきある。自分とほとんど意見が一致する。そういう本がそれである。著者の言うことが、こちらによくわかるので、参考にならない。「違和感によって学ぶ」ことができない。』
と養老孟司さんは書いていらっしゃるが、なるほど、作家の思想が気に入るかいらないかが読み進めていくのに決め手だが、気に入るのばかりでは思考が停滞する。
『自分が少数意見だと思っているときには、同じ意見の本はありがたい。百万の味方を得た思いがある。』
のだが、
『しかし、意見が一致したからといって、それが正しいとはかぎらない。二人して間違っただけ。そういう可能性も高い。』
でもそれが心地いいのだが、つまりこの養老孟司さんのエッセイは私と意見が一致してしまい、「違和感によって学ぶ」のが出来ないということか。
養老孟司さんはミステリも一年に100冊もお読みになるそうでこの本にも多々取り上げてあり、ミステリ好きも一致してしまった感。
「臨床読書日記」の「臨床」とは『個々の患者さんに教科書的な原理を適用してみるという意味』教科書とは「唯脳論」などの専門の御著書だそうである。さすが脳の、解剖学の学者さんである。
だからところどころに脳の話がちりばめられている。
私は「知識・情報・意識=脳=言語」という式が頭に浮かんだ次第。
人間の脳はなんと面白いのだろうと違う方向にも興味が広がった。
また関連してなんとなく、脳の中で「情報」の分子が電気的に着いたり離れたりして「記憶・知識」を作り出すということを書いた、カール・セーガン「コスモス」を思い出してしまったのだ。