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紙の本
アナタのその目が見ていたこと
2003/05/26 20:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アベイズミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
私にとって3冊目のR・ブラウンとなる「家庭の医学」を、読み終えた。
厚い本ではない。
簡単に読み終わってしまいそうなこの本を、私はとても時間をかけ、一言一句読み落とすまいとして読んでいった。終えて、一つ息を吐いた。温かい飲み物を一杯飲んだ。そしてもう一度、この本を最初から読み返して、今、このレビューを書いている。
それが私に出来る、彼女への一番の敬意の表し方ではないかと思ったから。
この本に書かれているのは「大切な人を看取る」ということ。ただそれだけだ。
さらに訳者である柴田元幸さんの言葉を借りて説明をするならば「母親が癌に侵されていることが判明し、その手術や治療に立ち会い、やがて亡くなった母を見送るまでを綴ったノンフィクション」ということになる。
実のトコロ、読み終えて、その印象があまりにも美しく静かで清潔的なことに、少し戸惑ったりもした。
人が最期に向けて決して美しくはいられないことを、私は「仕事」を通じて知っている。人は最期に向けて、言ってみれば醜くなるのだ。それは形だけに留まらず、匂いであれ色であれ言動であれ、そうなのだ。人は最期に向けて少しずつ、変わっていく。「その人」の部分をなくしていくのだ。本当に悲しいことだけれど、それが「死んでいくプロセス」なのではないだろうか。少なくとも私はそう理解している。
しかし、読み返して私は気がついた。そして安心もした。この本が美しく静かで清潔なのは、人の最期を美しく切り取ったからではないのだ。彼女はコラージュなどしていない。むしろ正直であろうとしている。実直なまでに、あらゆることを書き記そうとしているのだ。
だからこの本は、グロテスクなのかもしれない。
それでもなお、この本から溢れて止まない静謐さとは、気高さとは、清潔さとは、ナンダロウか?
それはきっと、これを読む私たち。そしてこれを書くR・ブラウンの「願い」であり、「祈り」であり、立ち向かう「覚悟」のようなものではないだろうか。その「ココロ」が溢れているからではないだろうか。
彼女は、いつでも「ココロ」と「カラダ」を分けている。その行為を私は支持したい。「カラダ」に起こったことを記す時の、彼女の言葉が好きなのだ。そこに「ココロ」を挟み込まない。いつでも「ココロ」は後から付いてくる。
そして彼女の「目線」が好きなのだ。何物にも動じない、フラットなその視線。残酷なまでのその視線を、私はひどく誠実に感じるのだ。私もいつかそんな「視線」を持ちたいと思うから。
私は「仕事」として「介護」を選んだ。毎日ヘルパーとしてたくさんの患者さんたちと接している。私が仕事で心がけることは、いつだって具体的で、誰かに話したら笑われてしまうぐらいに、容易いことかもしれない。
「カラダ」を清潔にさっぱりとさせること。
静かにゆったりと過ごさせること。
出来うる限りの不快を取り除くこと。
そして、一緒にいること。
少しでも「楽」に繋がることを祈りながら。
私に出来ることは、やはりそれぐらいのことなのだ。
人が出来ることは、いつだってつくづくと小さいのだ。
「私たちから見れば、母が死んでいくというのは、体が震え、汗をかく、そういう出来事だった。でもそれはあくまで体の試練すぎなかったのだと私は思いたい。母のどこかほかの部分は、何か別のものによって助けられていたと私は信じたい。何か優しいものによって母が助けられていたと私は信じたい」
そして私も信じたいのです。
私が介護している人たちの試練が
「カラダ」に起こっているものであるということを。
ほかの部分は、何か別のものに助けられているということを。
優しいものによって助けられ、
温かい所に向かっているということを。
そしてその人が、いつまでもその人であり続けることを。
祈ってやまないのです。
紙の本
納得のいく死
2003/08/05 22:27
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投稿者:nory - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは著者の母親の癌が発覚して手術や治療を行い、やがて最期を看取るまでの記録である。記録といっても、まるで小説のような語られ方だ。
そしてひとつの家族の死の迎え方の見本として、一読の価値がある本である。
生きていてほしいという望みよりも、死を受け入れる準備の方に気持ちが切り替わると、あとは回復のためでなく最期の出来事のための手配ばかりがなされていく。
ここでは死に向かっている母、それを見守る人々の感情についてはほとんど触れられていない。ただ状況のみが淡々とつづられている。そのことが、著者がひとつひとつ手順をふんで母の死を完結させたことをうかがわせる。
人はだれでも必ず最期のときがおとずれる。
逝くもの、看取るもの、双方の納得のいく死というものがあるとすれば、それはお互い「ありがとう」という言葉を伝えられたときではないか。そうだとしたら、これはまさしく納得のいく死だと思う。
紙の本
死んでいくプロセス
2003/03/18 16:50
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投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
家庭の医学というと、一家に一冊赤本の『家庭の医学』(保健同人社)を救急箱とセットで思い浮べるが、この本はかような生に向けて家庭の母親達を助ける実用家庭医学書でなくて、『オズの魔法使』『シャーロック・ホームズ』の好きな母親が癌に冒され、娘の視点で看取る静謐な介護文学である。『体の贈り物』(マガジンハウス)と同じく訳者は柴田元幸である。柴田さんの日本語はしっとりと、情感があり、レベッカ・ブラウンは柴田訳しか知らないが、原作はどうなんであろうか。原題は“Excerpts from a Family Medical Dictionary”「家庭の医学からの抜粋」と章毎に医学用語をゲート・キーパー(門番)よろしく幟立て、口上のような定義を述べさせている。それはまるで、レベッカが母親の死を描写する時、溢れる感情を制御する門番を要所に立てる事によって、意識的に仕掛けを施した【枠】のように思える。
ーホスピスの人たちと会って話をした翌日、家に医療用ベッド、ビニールシーツ、大人用オムツ、ラテックスの手袋、バケツ、スポンジ、錠剤、糞尿袋など、自宅で死ぬのに必要な品が届いた。ー
淡々と物々を描写するがそこから、母の記憶が立ち上がってくる。
化学療法の副作用でbaldness(禿げ)になっていく章でちょっと、おしゃれをしようと、帽子の通信販売カタログを取り寄せ、ベレー帽などを注文して、レベッカの兄が来る前に帽子が着いてほしいと母は思う。あの子の前で古いスキーキャップなんか被るのは嫌だものね、ましてや禿げを見られるなんて、だが、結局、スキーキャップに戻ってしまう。カタログで注文した帽子はどれも、つるつるでぴかぴかの頭から眉のない目までずり落ちてしまい、形もくずれてしまうのだ。
ーキャップを脱ぐと、そこには剥げ落ちた皮膚の大小のかけらがびっしりくっついていた。クリームやローションをさんざん塗っているのに、皮膚もやはり剥げてきていたのだ。/化学療法をやめると、髪はまた生えてきた。亡くなったとき母の頭は、赤ん坊のように柔らかい薄いブロンドの髪に覆われていた。ー
抑制された文体だからこそ、哀しみが拡がる。最終章の「remains」は[1.死体][2.残されたもの]であり、兄は骨壺を渓谷の向こう側へ思い切り投げる。/壺が割れる音が聞こえ、それから、灰の残りが煙のように解き放たれるのが見えた。
この本はブラウン家族にすっぽりと、感情移入して、レベッカの筆遣いに身を任せ、同舟、同行して、川を下っていく事で、この本の清冽さを味合う事が出来るであろう。そのように読者を拉致するために敢えて、無味乾燥な事典的な装いをしたのであろう。誰にも共有出来ない家族の哀しみだと、特権化しないで、間口を拡げるために門番を立てたのかもしれない。そうだとすると、あの章毎の医学用語定義集は一般読者を誘い込む手管の口上とも言える。様々な癌体験記が巷に溢れている。これらの本に対して、私はどうしても、一歩引いてしまう。死のプロセスを美しく描くことも出来るのだ。残酷であるけれど。私のような素直で善良でない読者でも自然に母バーバラ(1928−1997)の死のプロセスに同行出来た事は有り難いことだと思う。合掌。
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