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紙の本
仮初に拙い感想文を。
2004/12/19 08:03
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Straight No Chaser - この投稿者のレビュー一覧を見る
『豊饒の海』四部作を読み終えて、いま、とても不思議な気持ちだ。ほんとうの静けさのなかにいる、と感じる。時間をかけて、深く味わいたいと思う。
明治から戦後・高度成長期にかけて日本近現代史を背景に、(輪廻)転生を主題にして書かれた三島由紀夫のライフワークが『豊饒の海』四部作である。「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」という四巻それぞれに、松枝清顕、飯沼勲、月光姫、安永透という主人公がいて、それぞれを別個の小説として読んでも充分に楽しめる作りになっている。
『第一巻 春の雪』において松枝清顕は不可能な「愛」を追い求めつづけた。世界のミシマ・渾身の純愛物語。
『第二巻 奔馬』において飯沼勲は不可能な「志」を追い求めつづけた。世界のミシマ・渾身の武士道物語。
『第三巻 暁の寺』において月光姫(ジン・ジャン)は不可能な「美」を追い求めつづけた。世界のミシマ・渾身の女神物語
(第四巻は少々微妙で、少なくとも上のような纏め方はしたくない感じ。)
これらの各主人公の傍らには四巻を通じて本多繁邦という男がいて、狂言回しの役を割り振られている。物語が進むにつれ、彼は「松枝清顕→飯沼勲→月光姫→安永透」という転生の連鎖を信じ込み、徐々にその転生物語に取り憑かれ、巻き込まれてゆく。とくにガンジス河畔の町ベナレスでの体験(第三部)を境にして、彼は一気に転生物語の濁流に飲み込まれてゆく。
*
三島由紀夫が『豊饒の海』四部作において追い求めたものは、「純粋」であり「不可能」であり「永遠」である。
もしこの世界に「純粋」が存在可能なものであるとするならば、それは「不可能」を求めつづける「永遠」の運動のなかにこそ存在しうるものであるに違いない。そしてもしその表現が完成するとするなら、『豊饒の海』という大きな「物語」が止まることが不可欠であった。「時間」が止まる場所へと、すべてが移動することが必要であった。
明治の華族・松枝清顕、昭和初期の右翼テロリスト・飯沼勲、戦後日本へチベットからやって来た女子留学生・月光姫。日本近現代史の奔流に揉まれながら輪廻転生しつづけた「純粋」の化身たち。三者三様の不可能の追求(とその死)を傍らで見つづけた本多繁邦。独り取り残された本多はその転生物語を止めることによって「永遠」を完成させようとした。
『豊饒の海』四部作は各巻のラストがどれも美しい。なかでもこの『第四巻 天人五衰』の美しさは、この世のものとは思えない。
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「……」のなかに三島由紀夫の割腹自殺という事件の幻影を見てしまうのではなく、僕はこんな言葉をそっと投げ入れてみたいと思う。仮初に。
私は止まったが、完全に止まることは不可能だった。私は初めて誰かに頼ることを知った。退路は消えていた。そうして過去は私の手の中から消えていた。過去は私のものではなかったし未来も私のものではなかった。今だけが私のものだったが今もまた過去へ流れて私の手を離れてゆく。そのことが慰めを与えてくれる。未来もまた私の手の中にはない。そのことが希望を育んでくれる。今という瞬間に存在するのは私独りだったが過去と未来には私ではないあらゆる人たちが集っている。だから寂しくないのだと気付いた。
紙の本
シリーズ最終巻
2023/04/30 19:26
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:a - この投稿者のレビュー一覧を見る
転生する者の観察者としての本多は、本当に自分の人生を生きたのだろうか。覗きのように人の行為を眺めるだけの虚しい行為ではなかったか。
紙の本
天人五衰
2023/01/28 18:22
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
転生の物語も終わりを迎える、というよりも本多と転生の物語、というべきか。解説にもあるように、本多の「見る」性質という設定は、転生の物語としても、本多のキャラクター(性癖)としても意味を持っている。
最後の場面は、茫洋としていて、自分ではまだ掴みきれていない。