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ケータイを持った人が交渉能力が低いという実験はおもしろいが、
論理の飛躍しいてる点が多い。
タイトル勝ちですな。
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いま人間はサルに退化している。
この指標を社会学(?)の立場から分析している。
お、なるほどなと思った点がいくつかあり。
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遠慮のない記述と余計なひと言が多い1冊。
研究や分析の結果だけあって、「確かに!」とうなずく部分はかなり多い…けれど、同じく余計なひと言もかなり多い。
コミュニケーションについて難しく考えたい人にはオススメです。タイトルに人間らしさの崩壊とあるだけによりよい人間関係を求める方にはオススメ出来ないかも?きっと畑違いだし、いろんな意味で難しくて挫折しちゃいます。
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201003/人間にとって家族というものの意味は「疲れたらいつでも帰っておいで」と言いつつ、家族外(すなわち社会)で活動するように励ますため、両者の間にサルにはなかった境界線をあえてはっきりと引いた点にそもそもは由来するのだろう/伝統社会の家族形態で共通的なのは、三世代同居が前提であり、そのうち第一世代(高齢者夫婦)が家のなかを切り盛り(子育ても含めて)するのに対し、第二世代(壮年夫婦)が家の外の労働に従事するというスタイル/子は主に祖父母に養育を受けていた/東北地方では姉家督という制度が広汎に流布していた/
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「ひきこもり」など周囲とのコミュニケーションが
うまくとれない若者と、「ケータイ」でいつも他人と
つながりたがる若者。
両者は正反対に見えるが、じつは成熟した大人になることを
拒否する点で共通している。
これは「子ども中心主義」の家庭で育った結果といえる。
現代日本人は「人間らしさ」を捨て、サルに退化して
しまったのか?
家族論やコミュニケーション論について書かれています。
現代の若者は本来は家の中だけであった「私的空間」を
公共の場にも持ち出しているそうです。
だから電車の中で化粧したり、マクドでぎゃあぎゃあと
騒げるそうです。
著者はサル学者なので、あくまでもその立場から書いてます。
なので、文系の私からすると納得できないような主張も
ありました。
私自身がこの本の中でたたかれている「若者」だからかも
しれませんが…。
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成熟した大人になることを拒否している若者。
これは「子ども中心主義」の家庭で育った結果といえる。
現代日本人は「人間らしさ」を捨て、サルに退化してしまったのだろうか?
気鋭のサル学者による目からウロコの本。
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霊長類研究者(サル学者)である著者の視点で、現代人を捉えている好著。現代人は、サルに逆戻りしているとは、著書を読んでいるとそうかもしれない。自立できず、自分の世界に閉じこもりがちな現代人。
結局のところ、自分の世界を大切にしつつ、どんどん外の世界にも飛び出して行かなければ、人間成長しない。子どもや自分を甘やかしても良くないことが痛感させられる。
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受験時代のどこかの文章で引用されているのをみてちょっと読んでみたいなあと思っていたものの、新書を読む習慣がなかったのでなかなか手が出なかった。大学生になって何でもいいから新書を一冊読め、と言われてようやく手に取った。
現代人である私から見れば、この筆者の本筋はやや時代遅れである気がしないでもないが、サル学的観点から見れば、確かに筋が通っているように見える。実際、何度かふむふむと思わされる点はあったし、最後の少子化の話についても何となく納得できた上、鋭い指摘であるように思えた。
しかし裏切りをためらわないケータイ族みたいな書き方で論じられていた第四章の実験はちと納得がいかなかった。別にケータイ使ってるか否かにこだわらなくとも、似たような実験結果は得られたのではないかと思ってしまう。ついでに言えば、この内容に関して「ケータイを持ったサル」という題名で発表するのはどうかと思う。実際のところ、あまりケータイ自体には触れてないと思うのだよなあ。
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現代の日本人をまったく正しく分析している、と思う。著者はサル学の専門家。サルの行動の研究と同じように日本人の行動を研究すれば、そこには珍種のサルを研究するのと同様の興奮があるのである。著者はこう結論づける。「現代日本人は年を追って、人間らしさを捨ててサル化している」。しかし考えてみれば、人間はもともとサルの一種であって、ということはつまり人間らしさを獲得しない限り、「サル」なのである。第3章「メル友をもったニホンザル」は傑作。リスザルやニホンザルが仲間とコミュニケートしようとして発する声と、それに対する反応と、人間がメル友にメールを送って、その反応を待つ、という行為が同じものではないかというのである。確かにたぶんそうなのだと思う。そこには「公的言語」はなく、身内の(サル社会と同じ)私的言語だけが存在する。仲間内しかわからない記号や、省略した言葉が飛び交うというのはそういうことなのである。「関係できない症候群の蔓延」では、ケータイを使う日本人は、経済的にも成功しないことが明らかにされる。サルと同様のコミュニケーションしかしていないということが、思考にまで影響をするのだ。いやー楽しいなー。また、去年読んだ「海馬」では「30歳を過ぎてから頭はよくなる」「経験メモリーの蓄積が30歳を超えると爆発的になるのは、べき数で成長するから」「年をとったら物忘れがひどくなる、は科学的に間違い」という言葉に勇気づけられたのだが、本書は「社会的かしこさは40歳で衰える」と結論する。悲しくなってしまう・・。
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人間の行動がサル化している!
品のない日本人の行動。
電車でのメイク。ケータイでの場をわきまえない会話等。
確かにと納得してしまう点いくつか。
現代の少子化傾向にある家庭での教育や育児が
昔と大きく変わっているという話が印象的。
今は一人っ子が多いけど、
家庭の養育費は一人っ子でも2人兄弟でも
大きな差はないらしい。
つまり、一人っ子ならその子に2人分もしくはそれ以上の投資がされてるってこと。
確かに今の子どもは自分も含めて贅沢だよね。
子供中心で甘やかされて育ったんだなあとつくづく感じた。
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[ 内容 ]
「ひきこもり」など周囲とのコミュニケーションがうまくとれない若者と、「ケータイ」でいつも他人とつながりたがる若者。
両者は正反対に見えるが、じつは成熟した大人になることを拒否する点で共通している。
これは「子ども中心主義」の家庭で育った結果といえる。
現代日本人は「人間らしさ」を捨て、サルに退化してしまったのか?
気鋭のサル学者による、目からウロコの家族論・コミュニケーション論。
[ 目次 ]
第1章 マザコンの進化史
第2章 子離れしない妻と居場所のない夫
第3章 メル友を持ったニホンザル
第4章 「関係できない症候群」の蔓延
第5章 社会的かしこさは四〇歳で衰える
第6章 そして子どもをつくらなくなった!
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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近年の日本人におけるコミュニケーションの変化、
人間関係の変化について、霊長類研究の観点から分析していく。
こういう見方もできるなぁという参考の一つになると思う。
筆者は携帯文化の中に生きる世代は「サル化」している、という。
直接的なコミュニケーションから間接的なコミュニケーションへ
変化していく中で、関係の持ち方も当然ながら変化した。
現代に生きる私たちをサルとの比較で論じるのが面白い。
私たちはどう他人や自分と向き合っていきていくのだろうか。
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私はこの荒唐無稽な本に高評価を与えることは到底できません。文体から終始若者に対する差別意識が剥き出しになっているから。
まず、著者は、ルーズソックスを履いたり、靴の踵を踏むといった行為が「家(うち)の中」にいたいという感情を露にしており、その感情が若者の傍若無人な行為に繋がっていると述べている。ここまで述べるに至った理由は、著者が実際にルーズソックスを履き、靴の踵を踏んで渋谷に行った時、上記のようなことを思いついたからだそうな。
また、携帯電話で「元気?」などといった中身のないメールでのコミュニケーションが、ニホンザルが「クー」という鳴き声を出して連絡を取り合う行為に類似していることから、「若者」が「サル化」しているそうだ。これだけの外形的類似で「若者」を「サル」扱いされても…
本書では、「サル化」した若者たちへの指針などを示されていない。こういう社会問題を扱う本を出版する際には、最低でも1つは具体的な対策なり提言を述べるのが筋だと思う。
挙句の果てに、著者はあとがきのP.184で「~(中略)、もっともっとサルに近づいた人間が社会にあふれるのをみたいと願っている。せいぜい身体に気をつけて、長生きを心がけよう。」とまで述べている。人間としての良心を疑いたくなる発言である。やはり、この本も単に若者への不満と愚痴を列挙しただけの代物に過ぎない。
☆ひとつにも値しないのですが、ひとつが最低の評価なんだよね…根拠も無く思い付きだけでものを言ってはいけないということを身をもって知りたい方の反面教師にはなるのでは?
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タイトルから、おっさんが若者を憂いて、ピントはずれな文句を言ってるのかと思いいろんな知見でも知っておくかと思ってよんでみたら、説得力と洞察力にびっくりした。
昨今の特に自分も含め、20代の、オフィシャルな場への敬意の払わなさ、引きこもり、その根本が、行過ぎた子供中心主義の子育てにある。それはサルのコミュニティに近い、という話。
社会に対する敬意みたいなものが、人間社会をサルと区別して特別にしている、ゆえに価値がある。その社会を蔑ろにする若者は、サルと同等だ、と批判している。しかもサル的な価値観は、社会全体の利益にならないという主張。まぁサルと違えばいいのか、全体で利益が上がれば幸せなのかというのはあるにしても、それを差し引いてもビシバシささる言葉がある。
自分を振り返っても、責任感を10~20代前半で意識した覚えがない、社会なんてクソだし、まぁ楽しければいいんじゃないみたいな感覚は間違いなくあったし、それが正しいとは思えない。
2003年に書かれたこの本、今読んでも、考えさせられる。
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正高信男のケータイを持ったサル 「人間らしさ」の崩壊を読みました。最近の日本人の引きこもり傾向や携帯電話依存症などの現象をサルの研究を専門とする著者が分析してサルの生態と比べて説明しています。漠然とおかしいなあ、と感じていることが明快な論理で説明されており、胸がすっとします。社会的賢さは40歳で衰える、子離れしない妻と居場所のない夫などドキッとする指摘もあります。いろいろ考えさせられる点の多い本でした。