紙の本
内容も良いが、タイトルと帯がすばらしい。
2003/11/25 18:38
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る
帯には、携帯電話【ケータイ】を持って「ヤダー」「ウソー!」「マジ?ー」と喋る女子高生(または女子中学生?)が三人描かれている。タイトルと合わせればケータイを持った人間すべてを敵に回しているように見えなくもない‥‥。
著者は一九五四年生まれの真面目なサル学者である。現在の若者の文化一般はおおむね苦手で、携帯電話を持たず、パソコンのメールもあまり好きではない。だが止むに止まれぬ事情で若者がたくさん集まる渋谷に定期的に行かねばならなくなり、そのときに若者の行動をあまりに奇異に思ったことと、その奇異さに興味を持ったことから、持ち前の好奇心と分析能力を駆使して本書を書いた。
最初はサルと現代の若者との行動が比較され、類似点が次々と挙げられる。著者の比較する分野では、たしかに現代の若者は「サル化」?しているのかもしれない。しかし若者の「サル化」?現象は日本人全体が子育てを軸として戦後にたどってきた道筋の当然の帰結でもある。著者はそれを明らかにしつつ、社会全体の物理的変化やメンタルな変化について、鋭く斬り込んでいく。
論じられている内容は、「ひきこもり」、母子密着、家のなか主義、「公的言語」、子ども中心主義、「関係できない」症候群、社会的かしこさ、「専業主婦」、少子化など、非常に多岐にわたっている。いろいろな「常識」がくつがえされ続けるので、人によっては一冊で数度のパラダイムシフトが経験できるかもしれない。
(最近読んだ中では最も秀逸なタイトルと帯でした。)
紙の本
現代の若者の在り方を痛烈に批判した画期的な書!
2016/07/02 09:14
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代の日本の若者においては「ひきこもり」をはじめ、ゲーム没頭したり、ケータイが離せないなど、従来では考えられなかった問題が持ち上がってきています。筆者はこれらは子ども中心主義の教育の結果であると説きます。すなわち、家庭でも学校でも大切に育てられたため、「いつまでも子どもでいたい」という気持ちが強く、大人になることを拒んでいるのだと解説します。現代の若者を痛烈に批判する画期的な書です。一度、手にとってお読みください。
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一度、この本を読むと巷で目につく若者の行動は、全てサル化してしまったせいか……。と思えるようになります。
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これを読んで、載せようかホントに迷いました。
賛否両論、分かれると思います。
今回、自分としてはいくつかの不満をもちました。
そこで、自戒の念を込めて、記しておこうと思います。
そもそもタイトルと中身とが一致しているのでしょうか。
文章のタイトルは、その全体にふさわしいものが望まれるように思います。
次に、論証の仕方が気になります。
数十ページ前には、これこれの原因は「〜かもしれない」「〜といえるかもしれない」だったものが、原因は「〜である」と変わっていたりする。
そんな文章はほんとに読みづらいし、意図的じゃないかと不快になります。
さらには、他の部分の確かさ・明らかさにも、かなりの疑問をもたせてしまいます。
さらに、社会の原因を1つに確定しすぎる感があります。
「専業主婦→社会的知識の不足(→衰え)→子どもたちを甘やかし→甘えた子どもの発生」
というような見解を採るのですが、「ほんとかよ?」と言わずにはいられません。
「風が吹けば桶屋が儲かる」的なつながりしか見えてこない。
そんなに簡単に原因が見つかるなら、社会を良くするのは簡単でしょうな、と皮肉めいたことをいいたくなってしまいます。
社会科学は、著者の専攻じゃないしね。仕方ないよ。
…というのが精一杯のフォローでしょうか。
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現代の若者についての評論。私も現在のケータイ文化には不安を感じる。しかし、著者みたいに愚痴を言っているだけでは何も解決しないのじゃないか、と思った。現代社会に危機感があるなら、行動してほしい。
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とっても面白く、示唆にとむ一冊。行動学者の筆者が、ルーズソックス、ひきこもり、パラサイトシングル、携帯依存症などを社会構造の変化による当然の帰結であることを、主にサル社会との比較によってわかりやすく解明します。なるほどなあ、と、うならされました。つまり、どの現象にも、「家の外」へ出ることを拒絶する、または、どこまでも「家の中」を敷衍する意識が根底にはあるというのです。人間は、甘えの許される閉じた「家」で守られて成長し、やがて家から出て社会の中で自己実現していくものとされたが、今日、その時は遅くなってきているというのです。しかしながら、この本は単なる「だから今の社会は狂っている。昔の社会はすばらしかったんだ」という懐古本にとどまりません。
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7点
地べたに座る若い子たちは、「内」(家の中)を「外」(電車の中とか普通の道)に持ち込んでるらしい。その原因は豊かになった日本社会のせい。両親が過保護になっちゃって子供が「外」に出れなくなったらしい。これは、正高先生からすると、「人間のサル化」みたいなものらしい。しかし、この本はずいぶん売れた。やっぱ、ケータイっていう身近なものから「人間」をサルを通して見るという試みが面白いからなのでしょう。
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ケータイを中心に生活を組み立てる人間を、サルとの類似点を探ることでえぐり出す。
結構テンプレートな説もあって、飽きるところはあるが基本的には面白い。
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本書ではサルの研究者である著者が猿と現代社会のコミュニケーションについて比較し論じています。
行動の背景や問題点の指摘した理由には説得力があり納得できます。サルの研究者の視点から人間の行動を観察し研究というのが他のコミュニケーション論とは違う点で面白いところです。
IT技術の進歩によりさまざまなコミュニケーション形態が生まれていますが、本質であるコミュニケーション能力は
低下というより退化しています。退化した形態を研究してみるとサルのコミュニケーションに通じる行動もあるということには驚きました。昔に比べコミュニケーション手段は増えているのにコミュニケーション能力は低くなったというのは皮肉な結果です。最近は教育方法についての議論が盛んに行われていますが、IT・英語など実務的学力向上も大切だと思いますがコミュニケーション能力を鍛えるということも考えてほしいです。実社会にでて最初に必要なのはコミュニケーション能力です。コミュニケーション豊かな人は世渡り上手な人が多いです。コミュニケーションについてあまり考えたことありませんでしたけど実は社会生活に密接に関わった重要な能力ということがわかりました。
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山岸さんの「安心社会から信頼社会へ」(中公新書)と合わせて読むと、問題意識の共通点が感じられるように思うが、前提としている公的領域・私的領域というのはそれ程自明ではないように感じる。
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人間はサルに一歩一歩近づいていってる。ケータイは便利だが使うことによって頭が退化するのを忘れてはならない。
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かなり話題になった新書ですのでご記憶の方お読みになった方おられると思います。将来家庭を持ったら、どんなご時世であれ、「子供中心主義」にさせない教育を施そうかと思った
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現代における希薄な人間関係、公を忘れ「私」に走る若者のコミュニケーションについて書かれた本。
確かに自分も「サル」化傾向にあるのではないかと心配になる。
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若者とサルの行動パターンの比較は面白いけど、一事が万事みたいな分析は飛躍と言うほか無いと思う。ただ、それを差し引いても、サル学者としての知見は大変興味深い。むしろ、「へぇ〜、サルってこんなに賢いんだねぇ。」という感想。
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本当に本当に今更ながらの正高本。タイトルはもちろん知っていたし、知ったかぶりして話したこともあったけど、やーーっと読みました。。あぁー、もっと何年か前に文芸書ばっかじゃなくって、こういう本読むべきでした。すごく良い意味で刺激を受けました。専業主婦の子どもへの悪影響なんて、考えたことないなー。という下りが印象的でした。もっと、ちゃんと正高本を読むことにしよう。