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空海の風景 新装改版 上巻 みんなのレビュー
- 司馬 遼太郎 (著)
- 税込価格:1,980円(18pt)
- 出版社:中央公論新社
- 発売日:2005/06/01
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紙の本
空海自身が面白いのか、それとも司馬さんの勝手な想像が面白いのか
2007/10/06 19:07
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:りっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者司馬遼太郎があとがきで、
「空海の生存した時代の事情、その身辺、その思想などといったものに外光をあててその起伏を浮かび上がらせ、筆者自身のための風景にしてゆくにつれてあるいは空海という実体に遇会できはしないかと期待した。・・・読み手からいえばあるいはそれは筆者の幻視だろうということになるかもしれない」
と書いている通りの作品です。
最澄と空海、その人物と宗教の違いが主に描かれています。
すでにあった奈良の6宗に飽き足らなかった二人。年長であり、桓武天皇の好意を受けていた最澄は天台宗の経典を得に、請益の還学生(げんがくしょう)として、潤沢な国家予算付きで遣唐使の船に乗る。一方空海は、高級官僚になるための大学で儒教を学ぶ内に仏教に目覚めて「三教指帰」を書き、7年間山野を歩き回り、雑密のかけらを採集、修行していたらしい。経典、言語などもこの時期に勉強していたらしい。この修行時代の終わりに明星が空海の口の中に飛び込んだという。「三教指帰」には「兜率天から自分に対して勅命が下った」と書いてあるそうな。で、船に乗る前年に得度。留学生(20年)として最澄と同じ遣唐使船にのる。同じ船団だが、船は別。嵐にあって漂流。最澄は運良く、先に到着、長安によらずに天台山へ直行、目的を果たす。
空海は、目的である密教の師、恵果和尚二のところには直行せず、長安のまちをほっつき歩いていたらしい。長安の都市美の爛熟期。季節は春。いろんな国との交易もあり、文化・技術を吸収したのではないか・・・「空海はそういう酒家の軒下をかすめて歩きつつ、胡姫というものがいかに密教仏―密教仏は現世の扮装であるだけに―に酷似しているかに内心おどろいたにちがいない。」なんてことも司馬さんは勝手に想像するのであります。
そこまでが上巻です。
最初は溜池から始まって、そこの堤でずり落ちている犬を見て、「空海がこの犬を見たとしても不自然ではない」なんてね。見るわけないでしょう?「おんなじような犬」ならわかるけれど・・・空海が放浪したであろうところを旅行したりし、『御遺告』、『三教指帰』等の資料から、『理趣経』等のお経から、丁寧に空海をたどり、いろんなことを想像します。
『三教指帰』は戯曲だそうで、これを書いた空海は芝居っけたっぷりの人?儒教を代表する亀毛先生や道教の虚亡隠士をからかってみたり、色情の徒である蛭牙公士に娼家で猿叫をあげさせたり、ちなみに蛭牙公士はいとこがモデルだそうですが、なぁに、本人に決まっているじゃん、というのは私の勝手な想像。
書き手に勝手な想像が許されるなら、読み手だって、想像を楽しまなくては・・・
仏教のことはほとんど知らないので、いくらか勉強にはなった。宗教そのものは、結局人間がつくったものだと思う。人間が生きやすくなるために。それにしても、空海って人は凄い人だとも思うし、面白いとも思う。呪術に過ぎなかったものに興味を持ち、命を賭けてまで唐へ行き、信頼を得て教えを受け継ぎ、自ら集大成して、一つの思想にしてしまったことだけでも凄いけれど、当時の民衆や今もお遍路さんとか、みんなに慕われているのを見ても、人間的にも魅力的だったのだろう。もっとも、そんなことも何も知らなかった私は、この本で司馬さんが勝手に想像したことを読んで、「なあるほど!!」なんですけれどね。
この本をどう読むかは、宇宙を内在しているというすべての皆さんのそれぞれで勝手な想像におまかせいたします。
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