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・阿部一族
男ってやつは・・・!!!
なんですかね、この小説。女の人が入り込む隙が一瞬たりとも存在しません。女の意思がまったく介在しない男としての「格好つけ方」を最大限に格好良くつづったお話。任侠映画のようなそのストイックさにころっと参りました。
「義」を通すことに躍起になる登場人物たちをさんざん葛藤させておいて、いつでもラストはとってもあっさり。でも実際、封建社会というのはそんなモンだったんだろうなあ。男って言うのはいやはや、しょうがないねえ。
自分の生に恥辱を感じる男の人の単純でストイックな姿は見ていておバカさん!好き!ってな具合に愛おしくさえ思える。反面、自殺も切腹も殉死も、死んだら一緒だよ。おしまい!っていうあっさりさが残酷ではあるけど面白かったです。
読み終わった後の一番の感想は「鴎外やれば出来るじゃん!」
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舞姫以外はどれも面白かった。森鴎外、意外と読みやすい。
「うたかたの記」は画家の卵と花売り娘の運命の出会い、偶然の再会、嵐の中の告白に悲劇的な死という怒涛の展開に狂王ルードヴィッヒ2世の謎の死の真相まで絡めて30P足らずでまとめてるし。凄すぎる。
「鶏」の石田少佐は今なら萌えキャラ。堅物の軍人のくせに、仕事帰りに「内が近くなると雛の事を思い出す」ほどヒヨコを可愛がってたりする。鶏が庭を荒らすと苦情をいう隣家のおばさんを、腹話術の人形見てるより面白いとか考えながら相手してる性格もいいし。最後は「雛なんぞはいらん」と言ってるけど、きっとその後も雛の面倒をみていると予想します。
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舞姫が好き。
文語体で難しかったけど、そういうところにもロマン?を感じてドキドキしながら読めた。
鶏も面白い。
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高校の教科書に載っていた『舞姫』
それ以来、初めて読み返してみたのですが、当時の思いと全く異なっていたのに驚きました。
こんなにも、最低な男だっかのか?
『阿部一族』『堺事件』『じいさんばあさん』はぐいぐいと読んでしまった。
『舞姫』にかかった時間の半分で読み終わったくらい。
それくらい、読みやすい。
きっと映像化したら、海外でも人気が出そうな気がする。
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阿部一族のみ。iPhoneにて完読。
恥をかくことをもっとも嫌った侍たちとそのことを理解し従った妻たちの話。
昔の日本にはこんな人々がきっと居たのだろう。文体は比較的読みやすい。
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室岡さん所有
→11/01/30 浦野さんレンタル
→日付不明 返却済(12/10/20本人確認)
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舞姫は歴史的仮名遣いの漢文調で読み難く、ゆっくりと読み進めて行ったが。鴎外は西欧かぶれだったのかなあ。
歴史小説的なものは事実が淡々と語られ、何が面白いのかよく分からなく退屈になってきてしまうが、退屈な部分を過ぎると話がすすんでいく。
あとで解説を読んで知ったが、鶏は自分の孤高さを表現したものらしい。でも滑稽さというか、ちょっと抜けているように見えるのもわざとなのだろうか。
あまり鴎外の面白みがわからないまま読み終えてしまったが、あとで解説を読むとなるほどなあと思い、他の作品も読んでみたくなった。
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図書館より。
『舞姫』『うたかたの記』は擬古文で書かれているので、とっつきにくいのですがリズムがよいのでその分では読みやすいかな?といっても現代語訳がないのがつらいところ…『舞姫』はエリスの存在がとてもかわいらしくいじらしいです。
現代語で書かれた作品では始めのうちはセリフのない場面での一段落が長くて苦労したのですが、慣れてきてからはあまり気にならなくなりました。殉死を描いた歴史小説『阿部一族』『堺事件』が印象に残りました。
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難しい難しい。舞姫は高校生のときに読んだのだけどなぁ。
宗教談義の「かのように」と倹約家の日常「鶏」は普通に読める…気がする。歴史物は切腹とか忠義とかよくわからない。
三メートルのパーパットみたいな感じ。難しいラインをしっかり読み切って落としていってるんだろうけど、素人が見ちゃうと「普通じゃん」と思っちゃうみたいな。
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明治の文豪の小説を読むことは伝統の価値観と新たな価値観(当時は西洋文化)の狭間の中での葛藤や考察や思想に接すること。
それは現在社会、特に3.11以降、現代人も同じ立場に置かれていると思う。
武士の美学を学ぶのならば「堺事件」、「阿部一族」が必読。
明らかに乃木希典の自害に影響を受けた作品で、日本人のアイデンティティでもあった「死」の意味を提起している。
上述の新旧価値観のぶつかりから、鴎外が求めたものは日本の歴史であり、歴史小説であった。これを現代人も学ばざるを得ない。
一番、心に残った小説は「かのように」。
日本人とは、合理的に説明できるものではなく、文化、歴史に根着く「かのように」を土台に生きている、としている。
解説によると、この小説は山縣有朋からの依頼により保守主義、支配階級がどうあるべきかを書いたものであるらしい。
しかし、「父」が皇室であるとすれば、最後の友人の綾小路の「駄目、駄目」は権威主義への否定にもなり、この小説の奥深さを感じる。
以下【引用】
「かのうように」
・そうして見ると、倅の謂う、信仰がなくて、宗教の必要だけを認めると云う人の部類に、自分は入っているものと見える。
いやいや。そうではない。倅の謂うのは、神学でも覗いて見て、これだけの教義は、信仰しないまでも、必要を認めなくてはならぬと、理性で判断した上で認めることである。
・そうして見ると、人間の智識、学問はさて置き、宗教でもなんでも、その根本を調べて見ると、事実として証拠立てられない或る物を建立している。即ち、かのように、が土台に横たわっているのだね。
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馴染みは薄いはずの言葉なのに、
エリスの麗しさ、エリスへの止められない気持ち、決断できない人間らしい弱さ、最後の文にこめられたどうにもならない思いの丈が、現代語以上にビシビシ伝わってくるのが不思議です。
少ない分量に濃厚な内容もさることながら、「日本語」を再認識できる作品だと思いました。
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中学以来、再び手にとってみた一冊。
ただ、感受性はあまり変わってないようで、「舞姫」については、未だにどこが名作なのか、さっぱり分からない。
中学時代から読解力が変わっていないという現実をつきつけられてしまった。
「阿部一族」は再読した現在でも、恐ろしい小説という感想。
武士社会において、「時代の精神」とどう折り合いをつけて生きて行くかという命題を、迫力のある筆致で突きつけてくる。
正直、中学時代も今も同じ様にビビりました。
夏目漱石の「こころ」と同じように「阿部一族」も明治天皇の崩御と乃木大将の殉死というのをモチーフにしているように感じた。
「阿部一族」は主君への個人的な忠義を殉死という形で表現する武士たちと、殉死を賛美する価値観が覆った社会の中の息苦しさをリアルに描いている。
特に、日本人が内包している問題のひとつである、「空気に流されやすさ」を物語の核としながら、それ自体が持つ狂気を読者に突きつけている。
「こころ」は殉死をカタルシスとして捉えているのに対し、「阿部一族」では、次から次へと死を誘う、空気の魔力といったものを感じさせる。
また、殉死というものをどう捉えるかということに対しても、漱石と鴎外では対照的で、「こころ」では古い時代の清算を通して、若い世代に対する新たな時代の創造を促しているのに対し、「阿部一族」では、過去の武士社会にその精神の根源を遡ることによって、日本人の精神構造自体を露にし問い直させていると感じた。
漱石は時代の終焉を描き、鴎外は継続して持ち続ける武士精神を問い直している印象である。
個人的には、鴎外の描く日本人の精神についての記述の方が深く胸に響いた。
また、本書に収録している「かのように」は神話と歴史に対する日本人の曖昧な意識に対して、婉曲的に批判した野新作。
「鶏」は落語のような滑稽な人間ドラマ。
「じいさんばあさん」は非常に短い小説ながら、ドラマのギッシリ詰まった厚みを感じる作品。
どれもオススメです。
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じいさんばあさんが良かった。二人の初々しさの理由が最後にわかって、気が付いたら何度もうなずいていました。
他の話は少々読みづらかった。
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高校生の時に課題図書として全部書き写した61ページ、文字数25000程度の作品。当時は書き写しで疲れて内容は全く読んでいなかったので、ずっと気になっていたので読んでみる。主君に切腹を許されなかった阿部弥一右衛門とその一族の話。読んでみて高校時代では理解も共感もできなかったと思う。阿部弥一右衛門が主君とソリが合わないところが現代サラリーマン生活とすごく相似する内容(切腹まではしないけど)。
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久しぶりに読み返してみた。「鶏」の石田小介、旦那に似てる。
鴎外は言文一致よりも古めかしい文語チックな文体のほうがつやっぽくて好き。